彼女の名前は八音愛理
翌日、ナオキは昨日と同じショッピングモールにいた。
中央広場へと繋がる通路までくると、通路はグレーのパネルで封鎖され、小さな張り紙がはられていた。
『ガス爆発による施設破損につき、中央広場を閉鎖しています』
その表記にナオキは首を傾げた。
「ガス爆発? あれが?」
「そういうもんなんだよ」
ナオキの言葉に返事をしたのは昨日のあの男だ。
「昨日、あの広場は改造コードによってメチャクチャになった。本来起こらないはずの動作のせいで広場全体がバグりまくってエラーの嵐になった。通常はエラーが出たらすぐに修正されるんだが、プログラム上起こりえない動作が起こりすぎたせいで補正のしようがなくなった。ありえない出来事をなんとかしてありえる出来事に収めようとしたエラー補正の結果が、そのガス爆発って理由なのさ」
男は丁寧な説明をしていたが、エラーやバグと言われても、ナオキにはまるでピンとこない。常識外れで理不尽なことが起こっていたという理解がやっとだ。
「バグでメチャクチャになったエリアがガス爆発事故に置き換わるとか、プログラムってそんな大雑把でいいの?」
「そんなもんさ、帳尻さえ合ってりゃ大体問題ない。あの事件で消えてしまった人たちも、別な理由で死んだことになってるだろうな」
まるで納得できない。そもそも昨日の出来事が本当に起こったことなのすらナオキには疑問だった。
ナオキはポケットから一台のスマートフォンを取り出してみる。昨日男から受け取ったあの端末は確かにそこにあった。
「改造コードは驚くほどのスピードで拡散を続けている。これから先、常識を超えたおかしな出来事があちこちで起こり始めるだろう。コードの解析と破壊のできるそのコードブレイカーはその時、必ず必要なものだ」
「……俺がやらなきゃいけないんですよね」
「コードブレイカーの認証を通しちゃったからな……持ち主を変えられない以上、まあ諦めてくれ」
「でも、何をどうしたらいいのかもわからないというか……」
「ああ、その辺は愛理に聞いてくれ」
見知らぬ名前が飛び出したと思うと男が辺りを見回した。
「おい、そんなとこにいないで来いよ!」
男は近くのテナントの中から様子をうかがっている一人の少女に声をかけた。マネキンの陰に隠れるようにしてこっちを見つめる少女は男の呼び声を聞いてもただ首を振るだけだ。ちらりと見えた制服は地元の高校のもので、校章の色を見るとナオキと同学年のようだ。
「またかよ……俺たちが行こう」
男がうんざりしたように歩き出すとナオキもそれに続いた。
「どうした、またお化けが見えるのか?」
マネキンの陰の少女は男の言葉にうんうんとうなずき、封鎖された広場への通路を指差した。
「ほら、あそこ! こっち見てる」
二人は少女の指差す方を見るがそこには何もない。
「はいはい、わかったわかった。それじゃ向こうのカフェで話そう」
男は慣れているのか少女の言葉を軽く流し、カフェへと歩き始める。
「愛理はお化けが見えるんだよな」
「うん、見える。君は見えないの?」
少女が真剣な表情でナオキの顔を覗き込んだ。
「いや、全然……」
先ほど少女が指差した場所には何も見えなかった。
「お化けというか、消しきれなかったデータの残骸さ。この世界がコンピューターの計算で生まれた世界だって話はもう理解しただろ、人が死ぬとその人に関するデータが消えるわけだが、消しきれないデータが残ってしまうことがあるんだ。パソコンでもあるだろ、アンインストールしたのに一部のデータが残っちゃうこと。愛理はそういうデータの残骸が見えちゃうらしい。残ってるのがモデリングデータの一部なら透けた体の人が見えたり、音声データだけが残っていて突然声が聞こえてきたり。まあ仕組みがわかってれば怖がるものじゃないさ」
「怖いよ!」
まるで他人事といった様子で冷静に話す男に怒った少女はふくれっ面でカフェの椅子に腰かけた。
「あたしカフェモカ!」
「君はどうする?」
「えと、じゃあ同じのを」
「わかった、ちょっと買ってくるよ」
男は二人を残しカウンターへと向かった。
「はじめまして!」
男が離れた途端、少女の怒りの表情は消え、可愛らしい笑顔をナオキに見せた。
「私は八音愛理。君はコードブレイカー使うことになったんでしょ?」
「ああ、うん、なんかなりゆきで……」
ポケットの中からあの端末を取り出し、テーブルに置いてみせた。
「えと、俺は式崎ナオキ」
「たぶんタメくらいだよね、ナオキでいい? 私も愛理でいいから」
ナオキが頷いて見せると愛理が微笑んだ。
「ネオから私のことは聞いてる?」
「ネオ?」
「さっきのあの人。まだ名前も聞いてなかったんだ。なんかね、ちゃんとした名前が無いらしくてね、ネオって呼んでくれってさ」
「ふーん」
ネオという名前を知った直後、そのネオがコーヒーを持って現れた。
「そういえばまだ名乗ってなかったな。まあ名前には色々事情があってね、愛理の言った通りネオって呼んでくれ。で、君は?」
「式崎ナオキ君」
ナオキよりも先に愛理が答えてしまった。
「よしナオキ、昨日の今日でわからないことだらけだと思うから、まずはあらゆることの理解を深めていこう」
ネオは昨日同じモッズコートを脱ぐこともせず、そのまま席に腰かける。
「そもそも、あなたは誰で、何をしてる人なんですか?」
ナオキにとっては何もかもが疑問だった。
「俺はまあ、コードの研究者ってとこかな。この世界がプログラムによって動いてると知り、今はその仕組みについて調べている。プログラムの格納場所を見つけ、どこを書き換えると何が起こるかを一つ一つ調べていき、この世界がどういう原理で動き、どう作られていったのかを解明しようと思っている」
ネオがテーブルの上のスマートフォンを見た。
「その研究の成果ともいえるのがそいつだ。左の逆三角形みたいなアイコンをタップしてみてくれ」
ネオの言葉にナオキが画面をタップすると、ずらりとならんだメニューが表示された。
「体力無限、水中呼吸、耐火、ダメージ無効……」
「ゲームの改造と一緒さ。パラメーターをいじって本来起こらない動作をさせる。数字をいじって受けるダメージをゼロにしたり、所持金を減らなくしたり。この世界を動かすプログラムを知ることができれば、その数値をいじって様々なことができるようになる。そのコードブレイカーに登録されてるのは、俺が今まで形にしてきたコードの数々だ」
「なになに? 所持金を減らなくするコード入ってるの?」
黙って話を聞くだけだった愛理が急に目を輝かせた。
「残念ながら入ってないよ」
「えー」
愛理はネオの言葉通りの、見事なまでの残念顔でカフェモカに視線を戻した。 「しかしだ、その所持金を減らなくするコードを知ってる人間はいるかもしれない。コードの研究をしているのは俺だけじゃないからね。というより俺より詳しい人間がいるはずだ。昨日の広場の件とかは明らかに何者かが意図的に仕掛けたものだ。この世界の真理に近づこうとしている人間は複数いる」
ナオキは昨日の件を思い出していた。ボートが空を飛び、人々を襲う奇妙な光景。
「コードを使って世界に干渉するのは危険なことだ。たった数文字のデータを書き換えるだけで世界が滅ぶ可能性だってある。例えば気温の数字を一桁変えたら、海の水位を一桁変えたら、そんな想像をするだけでも世界に干渉することがどれだけ恐ろしいことかわかるだろ」
ネオはコーヒーを一口飲むと、静かにカップを置いた。
「俺は別に正義の味方じゃない。この世界を知りたいだけだ。でも、世界を知る前に世界が壊れてしまっては意味がない。だから、おかしなことをしてる奴がいるとしたら止めなきゃならない」
「そのための……」
ナオキはテーブルの上の端末を見た。
「そうだよ、そのコードブレイカーが世界の滅びを防ぐ武器になる。色々あって君に認証させてしまった以上、君にやってもらう以外にない」
「……」
世界を守る。ナオキにはまるでピンとこない言葉だ。
「昨日まで普通の高校生だったのに、急に世界を守れとか……ゲームみたいだ」
その言葉にネオが苦笑した。
「まあ実際、誰かの作った世界の中なんだからゲームみたいなものさ。しかも改造コードを使い放題だ。言葉ほど重くとらえなくても大丈夫だ、気楽に行こう」
「というわけで……そろそろ私の紹介があってもいい頃?」
ひとしきり話が済んだところで愛理が口を開いた。
「そうだな、彼女は八音愛理。君のコードブレイカーと同じく、コードの使える端末を使ってもらってる。君の先輩ってところかな」
愛理は艶やかなストレートの髪を触りながらナオキを見た。
「ナオキは何年生?」
「二年」
「じゃあ同い年だね、でも私が先輩ぃ~」
子供のような無邪気な笑顔で愛理がナオキを見た。整った容姿とその笑顔に、ナオキは思わず照れてしまった。さっきまでのよくわからない世界に飛び込んでしまったような気分が、急に明るくなる。
「ナオキにタブレットを見せてやってくれ」
ネオにうながされ、愛理が鞄からタブレット端末を取り出した。
「そのタブレットはサーチャー。コードブレイカーと同じく様々なコードを仕込んだ端末だ。彼女にはこれを使って主に調べものをしてもらっている」
「すごいんだよ、これね、お化けの位置とかわかるの!」
「お化け?」
「さっき言ったろ、愛理はデータの残骸が見えるって」
「残骸じゃなくてお化け! 雰囲気出ないでしょ」
「怖い怖い言っておきながら雰囲気出したいのかよ……」
やれやれと言った様子でネオはコーヒーを一口飲んだ。
「そのタブレットは検索に特化しててさ、条件を指定することで様々なことを調べられるんだ。データの残骸、つまりお化けがどこにいるかを地図に表示したりもできる」
「ほら! こんなにいるんだよ!」
愛理が見せたタブレットにはショッピングモール周辺の地図が表示され、そのあちこちにいくつもの丸い印が点滅していた。
「お化けがいるって愛理が騒いでたさっきの所とか、地図に表示されてるだろ」
ネオの言葉の通り、中央広場へ続く通路付近にも点滅する印があった。
「条件を変えれば街中の猫を探すことも、特定のネジ一本を見つけることだってできる」
「ちなみにカメラを向けるとその相手を解析することもできるんだよ」
愛理はそう言ってタブレットのカメラをナオキに向けた。
「ふむふむ、式崎ナオキ、十七歳。右腕を一回骨折してるね。他に体の異常なし。そして、今動いてるコードはマスターコードの他に、ID偽装、オートプロテクト、そのくらいかな」
「骨折したことあるのまでわかるの?」
ナオキはたしかにかつて骨折した経験がある。しかし幼い頃のことで本人も親から聞かされていただけで自分自身に記憶はない。そんなことまでわかってしまったことにナオキが目を丸くした。
「そうだよ、わかっちゃうよ。コードサーチから晩御飯のおかずまで、サーチャーを使えば大抵のものは調べられちゃう」
と、そこまで話したところで愛理の声が一層大きくなった。
「でも! もっとすごいところがあって、なんとこのタブレットはインターネットつなぎ放題!」
「はぁ?」
急にスケールの小さな話が飛び出し、ナオキの口から思わず気の抜けた声が出てしまう
「もうね、好きなだけ動画見られるとか最高だよね! 魔法のタブレットだよ!」
愛理はサーチャーで動画サイトを開くと、嬉しそうにお気に入りの動画を再生し始めた。
「愛理はインターネットつなぎ放題に釣られて協力することになったんだもんな」
「そ、インターネット最高!」
愛理が嬉しそうに親指を立てた。
「なにそれ……」
世界を守るだの大きな話をされた直後にこんな話を聞かされると混乱しかしない。ナオキは全身から力が抜けてゆくのを感じた。
「とにかくだ、これからは二人で手を組んで事に当たってくれ。愛理がサーチャーを使って不正なコード使用者を抽出、発見したらナオキがコードブレイカーでコード使用者を無効化。こんな感じでいこう」
「そんなこと、できるのかな……俺に」
自分の意思ではなく、巻き込まれる形でコードブレイカーの所持者になってしまったナオキはいまだ事態の把握に苦慮していた。何がどうできるのかを考えると不安が大きくなってゆく。
「大丈夫大丈夫、わからないことは私がレクチャーしてあげるから!」
ナオキと正反対の明るい表情の愛理が身を乗り出して向かいの席に座るナオキの肩を叩いた。
「とりあえず、まずはこれから見てもらおうかな」
「いやあのそれ、歌手の動画だよね」
「そう、これが今私一番のお気に入り! 他にも良い動画があるんだ。バンバン教えてあげるからねー」
「いやあのそんなの教えられても……」
「いいからいいから!」
おかしなことに巻き込まれている。
ナオキの頭の中はいまだ混乱が支配していた。




