第9話 欲しかったもの
「……なぁ」
翌朝。
AOE本社工廠の整備区画へ入ったグレアムは、足を止めた。
「何、これ?」
「グラディヴスだけど」
「それは見りゃ分かる」
目の前にグラディヴスがいる。
正確には、グラディヴスだったものがいる。
外装の大部分が外され、四本の推進モジュールはそれぞれ整備架へ固定されていた。
中央船殻の各所では点検口が開き、普段なら見ることのない内部構造が露出している。
配線。
熱交換系。
MMR区画。
電力変換器。
推進剤配管。
床と壁面には取り外された部品が並び、一つ一つに管理表示が付いていた。
「昨日、元に戻すって言ったよな?」
「戻すわよ? まだ戻してないだけ」
「屁理屈だろ……」
「検査中なんだから当然でしょう」
少し離れた場所で、白い作業服の技術者が声を上げた。
「ケラー主任。右後方モジュールの補助電力系統、保管図面と実機が一致しません。本社登録版ではこの配線になっていませんが……」
「古い版ね。それ、火星側で変更してるから」
「変更申請番号は?」
「……後で出す」
技術者が無言になる。
「主任。後で、では品質保証が困りますよ」
「動作記録も変更ログも持ってきてるでしょう。同期漏れはこっちで確認するから」
「そういう問題ではありませんよ……」
横で聞いていたグレアムが吹き出した。
「地球に来て初めて、俺より怒られてる奴を見たわ」
「……帰ったら覚えてなさい。報告義務項目を増やすから」
「おい、職権濫用じゃねえか!」
パティが二人を見る。
「検査担当者が待っています」
「お前、どっちの味方なんだ?」
「どちらかの味方になる必要がありますか?」
それはそうだ、と思ってしまったグレアムの負けだった。
グレアムは露出した中央船殻を見上げた。
「で、検査結果はどうなんだ?」
「12G運用の構造履歴は想定範囲。フォボスの接触痕は火星で処置済み。送電ステーションの四点荷重も、主構造に問題が出るほどじゃなかった」
「じゃあ何をそんなに見てるんだ?」
「問題が出なかった理由。試作機で怖いのは壊れた時だけじゃないの。想定外の使い方をして、想定以上に上手く動いた時も怖い」
「そういうもんなのか」
「なぜ上手くいったか分からないまま次もやったら、それは試験じゃなくてただの賭けよ」
「まぁ確かに、そんな博打には乗りたくねえな」
検査区画の一角には、グラディヴスの運用記録が展開されていた。
機体姿勢。
四本の推進モジュール。
MMR出力。
熱。
電力。
操縦入力。
その間を埋めるように、パティと機体制御系の間で交わされた入出力ログが並んでいる。
AOEの技術者が軌道送電ステーションでの記録を呼び出した。
その時の音声が再生される。
『現場機、少し抜いてくれ』
その少し後。
『パティ』
それだけだった。
「……俺、こんな雑だったか?」
「はい」
「即答すんなよ」
「記録は嘘をつきません」
「……嫌な時代だな」
技術者が表示を拡大する。
「前席から明示されているのは、全体方針と荷重移管の開始だけです。その後の推進モジュール、MMR、AE、姿勢補正はNo.003側から機体制御へ展開されています」
「パティがやったからだろ?」
「それは分かっています。分からないのは、どこまでがNo.003の能力で、どこからがこの機体との組み合わせで起きているかです」
グレアムは眉を寄せた。
「面倒臭えな……」
「試作機ってそういうものよ」
ケラーが端末を閉じる。
「だから今日は、そこを分けて見る」
「まさか俺まで分解すんのか?」
「してほしい? 脳みそに電極を繋いであげるわよ」
「嫌だよ!」
「私も分解には同意しません」
「お前はもっと嫌だろうな」
「当然です」
ケラーが笑った。
「安心して。今日は乗るだけ」
「まるで、明日はもっと嫌なことをやらすかのような言い方だ……」
◇
工廠の奥にある統合運用試験室で、いくつかの条件を変えた試験が始まった。
最初は、標準的なAOE系複座クアドリガ。
前席が操縦し、後席が航法、センサー、機体管理を補佐する。
パティはそこで、恐ろしく優秀な後席になった。
接近速度。
相対角。
障害物。
推進器の出力低下。
必要な情報は、グレアムが欲しいと思うより少し前に出てくる。
見落としも減った。判断も楽になった。
それでも最後に機体を動かすのはグレアムだった。
パティが見つける。
パティが伝える。
グレアムが操作する。
試験を終えたグレアムは、操縦桿から手を離した。
「……楽ではあるんだけどな」
ケラーが記録表示から顔を上げる。
「けど?」
「なんか遅く思えるな」
「じゃあ、同じ課題をグラディヴスでやるわね」
機体モデルが切り替わった。
今度は、グレアムが進入方向と作業方針を口にする。
「右を避けて左下から入る。回転を落として固定」
「了解しました」
返答とほぼ同時だった。
四本の推進モジュールが動き、MMR出力が組み替わり、回避から接近までの経路が表示される。
グレアムは、その上に自分の操縦を重ねるだけでよかった。
「……ああ」
「何ですか?」
「こっちは早い、何故かしっくりくる」
同じ課題なのに、まるで違う。
細かな補正を一つずつ指示される前に、機体の側が自分の意図へ寄ってくる。
グレアムが行き先を決める。
パティがその先に必要なものを揃える。
グラディヴスが動く。
それぞれが別物であるはずなのに、操縦席では一つにしか感じなかった。
次はパティ単独だった。
グレアムは試験席から外され、後ろで腕を組んで見ている。
「また俺いらないじゃん」
「だから、それを確かめるの」
ケラーが答えた。
試験画面には、推進系を失った有人作業艇と、設備へ接近する無人作業機、異常を起こしている送電設備が同時に表示された。
パティは状況をすぐに把握した。
それぞれの対処案も、救助成功率も、設備損失も算出した。
だが、本社側の試験担当者が単に「最適な方法で対処」と命じると、パティは動かなかった。
「任務目的と優先基準を指定してください」
機体の損耗を最小化しろと言えば、危険区域から距離を取る。
設備損失を最小化しろと言えば、無人作業機を先に止める。
外から与えられた条件の中では、どれも速く、迷いがない。
ただ、その条件そのものはパティが決めなかった。
「人が乗ってるのは分かってるんだよな?」
「はい」
「だったら――」
「グレアムさん。前席からの入力は禁止です」
試験担当者に止められ、グレアムは舌打ちした。
やがてパティ単独の試験が終わり、今度はグレアムが前席へ戻された。
同じ状況が表示される。
「試験開始」
グレアムは考えるより先に言っていた。
「人からだ。設備は後で直せる。先に船。作業機は、ぶつかる時間だけずらせ」
「了解しました」
その瞬間、画面全体が動いた。
有人艇への進路。
四本の推進モジュール。
MMR。
AEによる位置補正。
救助後に無人作業機へ届く経路。
送電設備へ残す冷却余裕。
グレアムが操縦桿へ触れるより先に、自分が決めたことの先が組み上がっていく。
そこで、手が止まった。
「グレアム?」
後ろからパティの声がする。
「……いや」
標準機では、パティがどれだけ分かっていても、最後にはグレアムへ伝えるしかなかった。
グラディヴスでは違う。
自分が決めた瞬間、その判断がパティを通って機体の隅々まで届く。
四本の手足。
推進。
姿勢。
熱。
電力。
自分一人では、とても同時に扱えないものが、一つの判断へまとまっていく。
――俺は、こいつを操縦するためだけに乗ってるんじゃない。
胸の奥で、何かが噛み合った。
ずっと前から知っていた気がした。
グラディヴスを初めて見た時。
10Gを掛けて3時間掛かる救難現場へ35分で飛べると知った時。
フォボスで巨大な貨物船へ手を掛けた時。
送電ステーションで四本のモジュールを別々の力点へ置いた時。
そのたびに思っていた。
これなら届く。
これなら、今まで無理だった場所へ手を伸ばせる。
だが、なぜそう思うのかまでは考えていなかった。
ただ、とんでもなく性能のいい機体と、とんでもなく優秀な後席がいるからだと思っていた。
「……試験、続けられる?」
ケラーの声で我に返る。
「ああ、すまん。大丈夫だ」
グレアムは操縦桿を握り直し、正面を向いた。
「続ける」
それからの操作は短かった。
グレアムが決める。
パティが受け取る。
グラディヴスが動く。
有人艇の救助を終え、無人作業機の進路をずらし、設備を致命的な損傷から外したところで試験が終了した。
周囲では本社の技術者たちが記録を追い始める。
前席の操作量。
制御展開までの時間。
後席の処理量。
数字が次々と読み上げられる。
だが、グレアムにはもう別のことが気になっていた。
「なぁ、ケラー」
「何?」
「これ、誰が考えたんだ?」
「この試験のこと?」
「違う。こういう分け方だよ」
グレアムは後席を親指で示した。
「俺が何をするか決める。こいつが、それを機体に届かせる。最初からそういうつもりで作ったんだろ?」
ケラーは少しだけ黙った。
「そこまで分かったなら、昨日の続きをしましょうか」
試験室の表示が切り替わった。
十年前の日付。
グレアムの表情から、さっきまでの軽さが消えて険しくなった。
「……セカンド・ホライズンだな」
「ええ」
映像まで見せられる必要はなかった。
大型旅客貨物船。
未登録デブリとの衝突。
歪に回る巨大な船体。
非常灯。
船内から届く声。
そして、待機命令。
『まだ接舷許可は下りないのか』
十年前の自分の声まで、今でも明確に思い出せる。
「事故の前にね、火星側は危険を見つけてたの」
ケラーが表示を操作する。
火星の周囲に、四つの点が現れた。
「ARGUS。当時、試験運用されていた火星圏の統合観測システム。異なる軌道に置いた四基の大型観測プラットフォームを組み合わせて、航路上の危険を探すものだった」
「……事故の前から?」
「ええ。単独の観測じゃ確証を取れないくらい弱い反応だった。でも四基の情報を統合したARGUSは、未登録デブリ群の存在と軌道を推定して、セカンド・ホライズンの航路と交差すると予測していたの」
「その予測は当たってたのか?」
「事故後の検証ではね」
グレアムの眉が寄る。
「じゃあ、なんで避けなかったんだ」
「その答えを、誰が使っていいのか決まってなかったから」
ARGUSは見つけた。
火星側の管制は警告した。
だが船側のセンサーには何も映らない。
地球側も独立した確認を取れない。
試験中のシステムが出した予測だけで航路を変えていいのか。
誰がその責任を負うのか。
警告なのか、勧告なのか、命令なのか。
確認している間にも、船とデブリは近づいた。
「見るところまでは出来てた。でも、見えたものを行動へ変える仕組みが追いついてなかった」
ケラーが資料を事故後へ進める。
船の損傷は分かっていた。
生存者も分かっていた。
救助へ行こうとする人間もいた。
接舷して船体を開けられる機械もあった。
グレアムは、何も言わなかった。
画面に並んだ文字を見なくても分かる。
確認。
判断。
承認。
伝達。
誰も助けたくなかったわけではない。
それでも、全部が遠かった。
「火星社会の支援AIであるNo.001は、この事故の記録を見てた」
ケラーの声が続く。
「でもARGUSをもっと賢くすればいい、とは考えなかった。見ることだけ増やしても、その先が同じならまた間に合わないから」
グレアムは、ゆっくり顔を上げた。
「……人間の方か」
「そう」
「見えたものを使う側を変えようとした、と」
「正確には、底上げしようとした。中央に判断を集めるんじゃない。現場で決める人間は残す。でも、その人間一人に、情報処理も予測も複雑な機械操作も全部背負わせない」
その言葉を聞きながら、グレアムはさっきの試験を思い出していた。
パティが見つける。
自分が決める。
決めた瞬間、機体が動き始める。
自分が今しがた辿り着いたものと、同じだった。
「人間のすぐ隣に、見えているものを一緒に見て、決めたことを実行出来るところまで持っていく知性を置く」
ケラーがパティを見る。
「それがP.A.T.I.の始まり」
Pilot-Adaptive Tactical Intelligence。
「人間から判断を取るんじゃない。人間が判断を実行出来る範囲を広げる。それがNo.001の答えよ」
グレアムは何も言わなかった。
十年前のあの日を見て、自分と同じところに辿り着いたやつがいた。
グレアムはパティを見る。
「……つまり、お前が?」
「はい。私を製造し、起動したのはNo.001です」
十年前。
グレアムは事故船のすぐそばにいた。
距離も足りていた。
推進剤も足りていた。
助けられる人間もいた。
それでも、待つしかなかった。
誰かが悪かったわけじゃない。
誰もが必要なことをしていた。
だからこそ、今でも腹の底に溜まった泥のように残っている。
あの時。
もし、俺にグラディヴスがあったら。
もし、俺の後ろにパティがいたら。
地球側の許可がどこを回っているかなんて待たずに、自分で決めて、そのまま手を伸ばせたかもしれない。
もっと、救えたかもしれない。
そこまで考えてから、グレアムはふと隣を見た。
パティはいつもと変わらない顔で、こちらを見返していた。
「グレアム?」
何か答えようとして、言葉が出なかった。
十年前からずっと欲しかったものが、今は人の形をしてそこに立っていた。
グレアムはただ、パティを見つめていた。




