第13話 根拠と結果
着地位置と機体状態を送り、機体回収の手配を終えると、グレアムはコクピットを降りてパティの横に立った。
0.38Gしかない火星の重力は、思ったより力加減が難しい。
足裏には確かに地面があるのに、身体は思ったほど下へ戻ってこない。
重力を感じるからと、地球やステーションの1G区画と同じ感覚で動いたのが失敗だった。
よろけたのを誤魔化すついでに足元の砂を払い、グレアムは機体を見上げた。
「しかし、結構焦げたな」
「避難モジュールの影に隠れていたとはいえ、想定以上の損傷です」
火星の赤い大地に跪くグラディヴスは、塗装のあちこちが焦げていた。
数日前にMRSSの救難識別色である赤と白へ塗られたばかりだったが、いまではオーブンで焦げ目をつけた料理のようになっている。
「整備の連中にも色々言われるだろうが、それより面倒なのはケラーだな……」
グレアムは大きくため息をつき、機体へ寄りかかった。
そのうち、空に小さな黒い点が見えてきた。
「お、MRSSの地上回収班が来たようだな」
黒い点は次第に輪郭を持ち、避難モジュールから少し離れた場所へ降りた。
救助員がモジュールのハッチを開き、先に中へ入って状態を確認する。
しばらくして、避難者が一人ずつ外へ誘導され始めた。
グレアムは少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
一人、また一人とハッチから出てくるたび、モジュールの中にいた人々が具体的な顔と姿へ戻っていく。
「MRSSの方……ですよね?」
救助員に支えられた女性が、グレアムの前で足を止めた。
降下中、モジュール内から通信していた女性だった。
「ああ」
「本当にありがとうございました」
「礼なら、みんなに言ってくれ。上じゃまだ仕事してるからな」
女性は頷いた。
それから、グレアムの横に立つパティを見る。
「あなたにも」
「私ですか?」
「はい。降りている間、ずっと声が聞こえていました」
女性は疲れた顔で、それでも笑った。
「ありがとう」
パティは少しだけ黙った。
その短い間だけが、普段より長かった。
「……はい」
それだけ答えた。
女性はその場を離れようとして、何かを思い出したように振り返った。
「それと、少し気になったことがあって……」
「どうした?」
「どうして、この避難モジュールと一緒に降りてきてくれたのですか?」
「ああ、それは……」
グレアムは、その判断に至った経緯をかいつまんで話した。
定員オーバー。
綺麗に分離されなかった接続部。
モジュールが繰り返していた、細かな姿勢修正。
一つ一つに根拠はあったが、専門知識のない相手にも伝わる言葉へ置き換えていく。
「……つまり、勘だな」
「グレアム、それでは説明が雑です」
すぐにパティから指摘が飛んできた。
「でも、そういうのって経験ですよね。ベテランの方に対応してもらえて、私たちは運が良かったと思います」
「そうだ。俺からも一つ聞いていいか?」
「はい」
「避難モジュールが爆発で分離される前、何か普段と違う様子はなかったか?」
「そうですね。私は特に……他の人にも聞いてみますね」
女性は避難モジュールの方へ戻り、他の避難者へ声を掛けてくれた。
「……荷物置き場?」
「ええ。この避難モジュール付近の通路は、普段の作業動線から外れているんです。だから勝手に荷物を置いて、安全衛生委員会の人に怒られる人はいますね」
「確か、数日前にも誰か怒られてたよな。それで一度綺麗になってたんだよ」
「でも、今日はまた何か置いてあったよな?」
避難者達がそれぞれ話し始めた。
一人の記憶に別の誰かの記憶が重なり、曖昧だった話の輪郭が少しずつ出来ていく。
グレアムは工場での仕事に詳しくなかったが、決められた場所以外へ物を置くのはよろしくないだろう。
それが避難モジュールの近くなら、なおさらだ。
「何が置いてあったか、覚えてるか?」
「さすがに、そこまでは……」
確実な情報ではないが、事故現場にいた人間の証言ではある。
「パティ、記録したか?」
「はい。発言者ごとに分け、グラディヴスへ保存しました。爆発との因果関係は未確定です」
「そのまま正式調査へ回してくれ」
「了解しました」
避難者の診察と搬送準備が進む間、グレアムとパティはグラディヴスのそばで待たされた。
救助員や医療班が行き交う中、二人だけが急にすることを失っていた。
「駆動部への負荷が少ないこの環境は、少し名残惜しいですね」
「お前はいつだって無重力を味わえるだろ?」
「変化のない無重力より、一定方向に弱めの重力があるこちらの方が好感があります」
「そんなもんか。なら背中にブースターでもつけたらどうだ? カッコいいぞ」
「設計コンセプトをスポイルする機能は必要ありません」
「どっちなんだよ……」
しばらくの後、避難者は全員収容され、病院へ送られた。
グラディヴスの周囲にも作業員が集まり、クアドリガ運搬用トレーラーへの固定作業が始まった。
グレアムは、その作業を見ながら空を見上げた。
薄い空の向こうに、軌道上の施設は見えない。
自分達が降りた分だけ、上ではダリオ達が余計に仕事をしているだろう。
「パティ」
「はい」
「帰ったら、ログを全部見直そう」
「必要だと判断します」
「ダリオとエレナにも見せるか。仕事したって証拠を見せねえと、何を言われるか分かんねえ」
「はい」
「……見せたところで、たぶん文句を言われるだろうけど」
「その可能性は高いです」
グレアムは小さく笑った。
やがてグラディヴスを載せたトレーラーが、宇宙港へ向けて動き出した。
◇
MRSS基地の会議室では、壁面表示の中で避難モジュールが施設から離れていた。
さっき自分達が生き延びた場面が、今度は停止も巻き戻しも出来る記録になっている。
グラディヴスの回収と搬送を整備部門へ引き継いだグレアムとパティは、基地へ戻るとそのまま詳細デブリーフィングへ放り込まれた。テーブルを挟んでダリオとエレナが並び、正面には端末を持ったマーカスがいる。
「全員、今回の結果は知ってるな?」
「避難モジュールは無事に着地。11名全員生存です」
パティが答えると、マーカスは頷いた。
「今から確認するのは、その結果が出る前の判断だ。助かったから追ったのが正解だった、で終わらせるな」
表示の時刻が戻される。
避難モジュールは非常帰還系を起動し、火星への帰還軌道に入っている。
認証定員10名に対して、搭乗者は11名。
非正規分離によって接続部の一部が残留。
内部の乗員配置は不明。
気密、生命維持、帰還軌道、姿勢制御はいずれも正常。
姿勢修正は標準より多いが、偏差も噴射量も許容範囲内。
一方、軌道上の事故施設では二名の所在が確認出来ず、第3区画の構造支持も継続中だった。
「ここで止める」
マーカスが映像を静止させた。
「この後の記録は使うな。自分がグラディヴスの判断を任されていたとして、モジュールを追うか、施設へ残るか。理由も付けろ」
「無茶言うわね。もう結末まで見ちゃってるのに」
「忘れろとは言ってない。結末を根拠にするなと言ってる」
エレナは肩を竦め、表示を見直した。
「私は残る。設計条件から外れてはいるけど、分かっている不確定要素はマージンに入ってる。姿勢修正が多いことも、それだけで故障とは言えない。対して施設側には、今まさに確認出来ていない2人と壊れかけた構造がある」
「私も残留を推奨します」
パティが続けた。
「この時点でモジュールが単独帰還に失敗する確率は、軌道救難からグラディヴスが離脱することで増加する危険を上回りません。現在の情報だけで再評価しても、判断は変わりません」
「ダリオ」
「俺なら追います」
迷いのない返答に、エレナが隣を見た。
「あら、そっち?」
「姿勢を保ててはいます。でも、そのための修正が増えてる。異常値になるまで待ってから追っても、大気に入った後では間に合わないかもしれません」
「それを言ったら、これから壊れるかもしれないものを全部追わなきゃならないわよ?」
「はい。だから残る判断も妥当です。俺が追って外したなら、その間の施設側は他の機体へ押し付けることになる。上で何か起きれば、その責任も俺が負います。今回なら、上はなんとかなると判断したと思います」
マーカスは最後にグレアムを見た。
「……お前は聞くまでもないか」
「聞けよ。俺だけ雑だろ」
「なら答えろ」
「追った」
グレアムは止まった映像の中のモジュールを見た。
「何かが壊れてる動きには見えなかった。ただ、正常へ戻すために、ずっと細かく働き続けてるように見えた。真空でそれなら、空気が当たった時にどうなるか分からん。そこで初めて駄目だと分かっても、もう手が届かない」
「その説明は、判断時点では推定です」
パティの指摘に、グレアムは頷いた。
「分かってる。何も起きずに降りてたかもしれない。それでも俺は追う。外したなら、無駄に降りた責任も、上の仕事を増やした責任も俺が持つ」
「2対2か」
マーカスは端末をテーブルへ置いた。
「結果から見れば、グレアムが追ったことで11名は助かった。だが、追うと決めた時点で救助が必要だと証明されていたわけじゃない。パティとエレナは、軌道上で既に見えていた危険へ戦力を残そうとした。グレアムとダリオは、異常が表へ出た時には手遅れになる可能性を拾った。どちらも人命を見てる。違うのは、まだ見えていない危険へ、どこまでリソースを動かすかだ」
助かったという結果を剥がせば、残るのは判断した時点の不確かさだけだった。
「次にやるのは、同じ状況で勘か規定かの二択にしないための仕事だ。モジュール内の乗員配置、残留構造の形状、姿勢修正の回数と制御余裕の減り方。今回、後から危険を数字に出来た材料を洗い出せ」
「モジュール側から、乗員の着座位置と拘束状態を取得出来るようにすべきですね」
エレナが言う。
「非正規分離後の外形走査も必要です。姿勢偏差の瞬間値だけでなく、同じ補正噴射に対する応答差と、その推移を評価対象へ追加出来ます」
「それと、グラディヴスが抜ける場合の再配置案です」
ダリオが付け加えた。
「今回はその場で組み替えましたが、最初からいくつか用意しておけば、離脱で増える危険を減らせます」
「まとめて報告書にしろ。次は『なんか嫌だ』だけで1機降ろすな。何を見て嫌だったのか、せめて隣にいる奴には全部渡せ」
「努力する」
「そこは了解しましたと言ってくれ……」
「了解しました部長殿。誠心誠意、努力いたします!」
「お前が自分の仕事を増やすのは勝手だが、俺の仕事を増やすな」
エレナが小さく吹き出した。
デブリーフィングが終わり、ダリオとエレナは先に会議室を出ていった。
グレアムも立ち上がろうとしたが、パティはまだ止まった映像を見ていた。
「どうした?」
「救助された方から感謝された時、私は適切な返答を選べませんでした」
「ちゃんと返事してただろ」
「私はモジュールへの追随を推奨していません。私の判断が採用されていれば、あの方達は帰還に失敗した可能性があります」
「それでも、降下中にあいつを支えてたのはお前だ。礼くらい貰っとけ」
パティはグレアムを見た。
「しかし、判断時点の情報が同じであれば、次も私は残留を推奨します」
「だろうな」
「問題ありませんか?」
「ん? 何が?」
「後席搭乗員として、あなたと異なる判断を返すことです」
グレアムは少し考え、止まったままのモジュールへ視線を戻した。
画面の中では、まだ誰も助かっていない。
「あのなぁ、俺と同じ答えしか返さないなら、後ろにお前がいる意味がないだろ?」
「今回、あなたは私の答えを理解した上で、別の判断をしました」
「ああ。俺もお前が間違ってると思ったわけじゃない」
「理解しても、同じ結論にならないことがあるのですね」
「人間同士でも、そんなもんだよ」
「では今後も、必要であれば反対意見を提示します」
「出来れば、お手柔らかに頼む」
「それは約束出来ません」
「だよな」
グレアムは苦笑し、会議室の出口へ向かった。
次に二人で飛ぶ時も、後席からは自分と違う答えが返ってくるのだろう。
それでいい。
違う答えが返ってくるなら、少なくとも自分一人では見えなかったものが一つ増える。
同じ答えしか持たない二人なら、二人で飛ぶ意味はないのだから。




