ルイスと誕生日会
異世界に転生してから、数日が経った。
「ルイス様、剣術の稽古は本日はここまでにしましょう」
「はい、ありがとうございました」
真剣(西洋剣)を振り下ろす動作を止めた瞬間、汗がとめどなく溢れ、息が上がる。
喉元にかかる圧迫感――心拍数が異様に上がっているのが分かる。
急に動きを止めたせいで、心臓の鼓動と必要な酸素量のバランスが崩れ、軽い眩暈を覚えた。
……それでも無理に手を止めたのは、目の前の女性の所為だ。
毅然として、どこか悠然としているその姿。
さっきまで僕とまったく同じ動作をしていたはずなのに、汗ひとつかいていない。息も乱れていない。
しかも動きにくく、熱のこもりやすいメイド服を着てこの様子なのだから―――。
僕が意地を張ってしまったのは、きっと“男の子”としての本能だろう。
……絶賛、後悔中だけど。
「ルイス様、無理はなさらないでくださいね。私の動きは長年の鍛錬の賜物なのです。
そう簡単に真似されてしまっては、私の立つ瀬がありません。
ですが、その向上心はとても素晴らしいと、シイナは思います」
余裕しゃくしゃくで微笑みながら、僕の頭を撫でてくるシイナ。
シイナはメイドであり剣術の師であり、同時にボディーガードでもある。
おそらくこの国の中で、シイナよりも強い人間は片手で数えられるほどだろう。
ちなみにそのうちの一人は彼女の父親で、ルイスの父を護衛している人物。
そしてもう一人は彼女の祖父で、ルイスの祖父の護衛をしているという。
――ストレイ家とシイナの家系は、それだけ古く深い縁で繋がっていた。
……まぁ、ゲーム内では一切語られてなかったけど。
「本日の稽古はここまでにいたしましょう」
「今日は、ちょっと早くない?」
まだ日は傾き始めたばかりだ。
ゆとり教育期間中とはいえ、普段なら日が落ちる頃までは稽古に打ち込んでいるはずだ。
「本日は、ルイス様のお誕生日ですので―――
奥様より、“早めに切り上げてほしい”と仰せつかっております。
何より、奥様はケーキ作りにとても張り切っておられまして。
ルイス様には、リアクションの準備をお願いしたいとのことです」
「……お母様がケーキを!?」
貴族が自ら料理やお菓子を作るのは、珍しい。
ましてやお母様がケーキを手作りされるのは、ルイスの記憶を覗いても初めてのことだった。
先日の一件以来、お母様はまるで肩の荷が下りたかのように、今までやらなかったことに挑戦し始めた。
今回も、きっとその延長線上なのだろう。
「“せめて我が子の誕生日くらい、自分の作ったものを食べてほしい”――そう仰っておりました」
「お母様……」
ルイスの記憶には“母親らしさ”というものがほとんど存在していなかった。
ルイスもまた、愛情という感情を母から感じることはなかった。
きっと、彼が“世界を敵に回した”理由のひとつには、そういった孤独があったのだろう。
僕は、当初の計画を忘れてしまうほど、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「“世界一美味しいケーキを作ってやるわ!”――とも、仰っておりましたよ」
「それはもう、お母様のケーキなら、きっと世界一美味しいよ」
僕のふわっとした感想に、シイナがほんの少しだけ目を逸らした。
……あれ? もしかして今、マザコン認定された?
「……世界中の美味しい素材を大量に取り寄せておられました。大量に」
「料理は足し算じゃないんだよ!!」
「“私にはケーキ作りの才能がある”――昼前には、そう仰っておりました」
「止めて!やめてよシイナ!!それ絶対フラグ!!
シイナも一緒に食べようね!!ね!?」
「……」
「シイナ!?」
早くも不穏なフラグが立っていた。
「というわけで、ルイス様。本日は早めにお屋敷へ戻りましょう」
「……その心は?」
「覚悟を決めるお時間も、必要かと思いまして」
「だったら止めてよ!!」
「いえ…あんなにキラキラと輝く主を止められるメイドなど、この世に存在しません」
「目に浮かぶよ……とても、はっきりと……」
ここ最近のお母様は、まるで籠から飛び立った小鳥のように、あるいは初恋をした乙女のように――
いや、夏休みに浮かれる男子中学生レベルのテンションで生きている。
……うん、健全ではある。健全なんだけど。
こちらとしては振り回されるたびに、思春期男子を相手しているような、なんとも言えない気持ちになってしまう。
「大丈夫です、ルイス様。最悪、明日の稽古はお休みに」
「長引く前提なの!?」
そんな不安しかない誕生日会の前に、ふと思い出して尋ねた。
「そういえばセシリアは?今日も顔を見ていないけど…」
「セシリア様は、急なお勤めが入り、本日は戻れないそうです」
シイナが悪くないのに、申し訳なさそうに頭を下げた。
「仕事なら仕方ないよ。セシリアの代わりなんて、誰にも務まらないからね」
セシリアはルイスの実妹であり、原作ゲームでは主人公の攻略ヒロインのひとり。
“深淵の瞳”という特別な眼を持ち、王国直轄の魔力審査院の長を務めている極めて優秀な少女だ。
代わりのいない立場である以上、こういうこともよくある。
「明朝には戻られる予定とのことです。
セシリア様もルイス様に会いたくて急いでおられるそうですよ」
「まったく……シスコンなのは相変わらずだな」
ルイスにとってセシリアは、妹であり、唯一心を許せる存在だった。
そしてセシリアにとってルイスは、数少ない“少女として安心して甘えられる相手”だったのだ。
お母様がセシリアに対して距離を取っていたこともあり、
ルイスはあえて、妹を“普通の少女”として接しようとしていた――それが、彼女の心に響いたのだろう。
……まぁ、ルイスもルイスで、かなりのシスコンだったのだが。
☆印、いいね、ブックマークを押して貰えると励みになります!!