脅威に立ち向かえ
その姿を視認した瞬間、ハヤテはサイトの中に。
そしてサイトはアリスをすぐさま抱き上げると人のいない方向へ素早く飛び、逃げ出した。
その動きに悪魔のような男は感心したような頷きを見せつつ、じっとりとサイト達を目で追う。
「うわわわぁぁぁぁ!?」
『サイト、奴の狙いは恐らくアリスだ! しっかり守れよ!』
「分かってる!」
屋根を飛び回り、悪魔のような男からどんどんと距離を離していく。
やがて、サイト達は人気のない路地裏へ着地した。
「ふぅ……アリス、大丈夫?」
「急に、ビックリ、した……!」
「後でいくらでも謝るよ。今はとにかく、物陰に隠れてて」
そうサイトが伝えると、アリスは素直に頷き近くの物陰に隠れていった。
サイトはアリスを守るようにその場を警戒する。静寂が辺りを包み、先ほどまでの楽し気な喧騒から一転、この空間だけ重苦しい空気が漂っている。
汗が毛先を湿らせながら、地面へと落ちていく。
耳と尻尾をピンと立たせ、警戒を強めて。
徐々に先ほどの男の気配が近づいてきている。
あと数秒で、奴はここに辿り着く。
そして――――突如、禍々しい紫色の光弾がサイトを上空から襲った。
瞬時に横へ飛びのいて回避するサイト。
光弾は地面に衝突し、騒々しい轟音を周囲に響かせる。
崩れる空き家、散る窓ガラス。
舞う砂埃が、その光弾の威力を物語っていた。
警戒度を更に引き上げたと同時に、頭上から先ほどの男が急接近してきた。
目にもとまらぬ速度で鋭い蹴りを繰り出す男。
サイトはその攻撃をすんでの所で躱すと、逆に男への反撃に転じその場で小さく跳ぶとそのまま男へ反撃の蹴りを放った。
男はその攻撃に驚きつつも腕で受け止め対処する。
男は楽し気に口元を綻ばせながら腕を振るいサイトを退かせる。
一瞬の出来事に、アリスは物陰から黙って成り行きを見守ることしか出来なかった。
軽薄な印象を与える喋り方で、男はサイトへ話しかけた。
「おーまえいいじゃねぇかぁ兎野郎! なぁ、名前はなんつーんだよ?」
男の問いに対し、サイトは眉間に皺を寄せて静かに怒りを含ませながら。
「答えるわけないだろ」
嫌悪感を露わにし、そう答えた。
男は、その答えに。
「あっ? ……あぁ!」
一度は怒りを抱いたが、すぐに何故そのような嫌悪感を持たれたのかを理解すると手をポンと叩いて納得する。
「あーあー確かにそりゃあ嫌か。なんせ『俺』はお前ら『人類』の敵だしなぁ?」
そう言って、男は笑い出す。
まるで、無邪気な幼子のように。
男の姿と酷くアンバランスなその光景に、サイトは更に嫌悪を募らせ鋭く男を睨みつける。
ひとしきり笑った後、男は表情を一変させると自身の周りに多くの光弾を出現させる。
「んじゃ死ね」
無数の光弾が、サイトへ襲い掛かる。
先ほどから戦いを物陰から見ていたアリスが、これから起こることを想像してしまい、サイトに声をかけようと身を乗り出した。
しかし、サイトはそんな物陰にいるアリスへ聞こえるように、悪魔のような男に向かって告げる。
「僕はこんなところで死ねない。だから――――」
そのまま、サイトの体に光弾が直撃しそうになる。
男は勝ちを確信し笑みを零す。
が、その瞬間。
サイトを中心にして、気を抜けば体が飛んでいきそうな程の豪風が辺りに吹き荒れていく。
その豪風により、光弾は消滅。
アリスは近くの木箱に掴まり、男は思わず飛び跳ね空中へと逃げ出し吹き飛ばされないようにしていた。
やがて豪風が止み、その中心にいたサイトが姿を変えて現れ声をあげた。
「お前なんかに負けはしないさ!」
毛の先は白くなり、右目の色も黄色から薄緑に変わって。
彼の地肌には白い線が、幾重にも張り巡らされる様にして発光している。
そして何よりも目を引くのは、外套。
白や緑が混じった透き通るような見た目は、清廉さを際立たせる。
風の影響で、フードはバサリと捲れて。
兎の顔は、その全容を露わにしていく。
「っ……!」
姿を見たアリスは驚き、目を輝かせる。
一方、男の方は心底嬉しそうな笑みを浮かべ。
「おい、おいおいおいおい……! そりゃなんだぁ? 俺の『異能』と同等か、それ以上の力を持ってるとかよぉ……」
角や翼が大きくなり、足が獣のような見た目に変わり、額に3つ目の目が生えた悍ましい怪物へと姿を変化させながら、楽し気な様子をにじみ出させながら叫ぶ。
「さいっこうにアガるじゃねぇかぁ!!!!!」
叫ぶのと同時に光弾が出現し、先ほどよりも速度をあげてサイトへと襲い掛かる。
そんな光弾に対しサイトは右手に出現させた風を纏う緑色の剣を握るとそのまま光弾に向かって振るい、豪風を引き起こす。
光弾は全て豪風によって切り裂かれる。
その光景を見た男は体をわなわなと震え上がらせると自身の左手に鎌を出現させ、勢いをつけてサイトへと切りかかった。
サイトはその攻撃を剣で受け止め、刃と刃の重なる音が響き。
互いに譲らぬ攻防。
そんな攻防のさなか、男はサイトに名前を要求させる。
「兎野郎! やっぱりてめぇの名を知りてぇ! 教えやがれ!」
「断る。知りたいなら、無理矢理にでも聞き出してみろ!」
煽るように返答したサイトはそのまま鎌を剣で振り払う。
振り払った衝撃で風が吹き荒び、その反動で体勢を崩す男。
その隙を、サイトは見逃さない。
足を踏み込み素早く。
男の懐へ潜り込み、流れる様に剣を振るい。
―――― 一 閃 ――――
男の胴体を、横薙ぎに斬り裂いた。
男の下半身は、どさりと地面に落ちる。
切られた箇所からは黒い液体のような物がボタボタとあふれ出して。
痛々しく、とてもではないが生きていられる状態ではないだろう。
だが男は。
そんな事など関係ないとでも言うように。
喜びの感情を増幅させ、サイトに笑顔を見せるばかり。
サイトはそんな男を油断することなくジッと見据える。
数秒の間が空いた、その時。
男の背後に突如として黒い靄のようなものが現れた。
それと同時に、無機質かつ冷たい雰囲気を漂わせた声が、辺りに響いていく。
『そこまでですサベージ、退きなさい。今の貴方では力不足です』
男はその声に対し、大きな舌打ちをかます。
「ざっけんじゃねぇよババァ。ここから俺が勝つんだよ、黙って――!?」
サベージと呼ばれた男は靄に勢いよく飲み込まれ、そのまま姿を消してしまう。
斬られた下半身も黒い塵となって消えていった。
辺りの重苦しい空気が無くなっていくのを感じ取ったサイトは、耳と尻尾の力を抜いて息を吐く。
それと同時に姿も元の地味目な服装に戻っていき、ハヤテもサイトの中から出て肩に乗る。
彼も疲れているのか、小さく息を吐いていた。
「えっ、と」
隠れていたアリスが、おずおずといった調子でサイトに声をかけた。
サイトは声の方へ振り向く。
すると、そこには。
白いショートの髪の先っぽは青く染まり、透き通ったような水色に染まった目。
やや白んだ肌の色に頬の赤みが少し見え、鼻の高さや目元にはまだ幼さが残る顔たち。
そんな人族なアリスの素顔に、サイト達は目を丸くさせた。
しかし、すぐに彼らは思う。
自分達の戦闘で起きた風が、フードを捲ったのではと。
同じタイミングで、彼らは目を見合わせた。
じっとりと毛が汗で濡れ、顔を少し青ざめさせていく。
初対面の時から今までずっとフードで顔を隠していたという事は、それほど自身の顔を見せたくない理由があるのでは。
そう考えていたサイト達は、どのような形であれ顔を見せてしまう状況になってしまった事について謝罪をする。
「ア、アリス、ごめん! フード捲っちゃって、えぇっとホントごめんなさい!」
「すまん、そこまで気を配れなかった。申し訳ない、本当に」
慌ててそう口にしていく彼らに、アリスは静かに首を振って答える。
「うぅん、いいの。貴方達は悪くないから。そもそも私のせいで、こうなったんだし」
その言葉にサイト達は首を傾ける。
純粋な彼らの疑問に応える為に、アリスは語り始めた。
「……サイト君が厄者の話をし出した時に逃げたのはね、凄く怖くなっちゃったからなの」
ポツリポツリと、弱々しい声色で紡がれていく内容に。
サイト達は、静かに耳を傾ける。
「私の故郷は、緑豊かで色んな花も咲いてて、村の人も笑顔が明るくて楽しそうで……時々喧嘩もあったけど。凄く素敵な村だった」
徐々に、声は震えていく。
「何も悪いことなんてしてない。本当に、ただ皆が仲良く過ごしてただけなのに。厄者は村を襲って、皆を、殺して!」
堪えきれなくなったようにアリスの目から徐々に涙が溢れ出し、体も震え出す。
「その時の恐怖は、今も残ってる。思い出すと震えが止まらない! 私をアイツから守ろうとした人は皆、死んじゃった!」
体を腕で抱きかかえるアリス。その顔は後悔と恐怖に支配されていた。
悲痛に心を責め立ててしまうその姿を、サイトは知っている。
どうしようもなくて、苦しくて。
いっそ、いなくなれたら良いのになんて、思ってしまって。
アリスは、思うままに想いを吐露する。
「だから、もう。貴方達は私に構わなくてもいい。関わったら、関係の無い貴方達がさっきみたいな怖い目にあわされる。最悪、殺される」
無理やりにでも遠ざけようと拒絶するアリス。
泣き腫らした目を擦り、ぎこちない笑みを二人に向けて。
「ありがとう、助けてくれて。でも、もう大丈夫だから」
サイト達の横を通り過ぎて、どこかへ向かおうとする。
そんな彼女の震える手を、サイトは咄嗟に掴んだ。
放されないように、強く。
「まだ、震えてる」
「……放して」
「放さない」
短いやり取りだが、両者共に譲るつもりはない。
沈黙が続き、静まり返る状況。
が、そんな膠着状態もすぐに終わった。
ハヤテが、サイトの頭をくちばしで結構、強めにつついたのだ。
痛みに声をあげるサイト。
「いったぁ!? なっにをするんだよハヤテ!」
つつかれた箇所をさすりながら抗議するサイトだが、ハヤテはサイトに呆れた視線を向けていた。
「アホ。今の彼女にそんな事をしても無意味だろう。それに先ほどから色んな事が起きすぎて、二人とも疲れている筈だ。無論、俺もな」
「確かにそうだけど、だからってこのままアリスを放っておくなんて出来ないだろ!」
ハヤテの言い分に抗議を重ねるサイト。
そんな彼にまた呆れた視線を送るハヤテは、ある提案した。
「大バカ者め。放っておくなんて言ってないだろう。疲れているから、今は休むべきだと言いたいんだ。疲れは判断能力を鈍らせ、ネガティブな考えを引き起こしやすいからな。どこかで落ち着いてから、話をするべきだ」
提案を聞いたサイトは、唸る。
腕を組み、眉根を寄せながら。
自身を戒めるように、納得を見せた。
「ぐっ、むぅ。そうするべき、だね」
「うむ。……してアリス。君はどうしたい?」
「えっ、と」
彼らのやり取りに困惑を見せつつも、黙って成り行きを見ていたアリスは。
何故この間に立ち去らなかったのだろうと、考えるが。
立ち去らなかった理由は、既に心に浮かんでおり。
少し悩んだすえ、アリスは口を開いた。
「ありがとう、ハヤテさん。それに、サイト君も。もう少し貴方達と話をしたい。いい、かな?」
控えめに、けれど否定的な感情は出さずにアリスはそう言った。
サイトの顔が、花開くように笑顔で染まっていく。
ハヤテも澄ました様な顔ではあるが、嬉しそうに尾羽を小さく動かしていた。
サイトはアリスへと人懐っこい声色でウキウキと話していく。
「勿論だよ! で、どこで話す?」
「えぇっと、アストラって教会もあるそうなの。そこでなら落ち着いて話も出来ると思う」
「了解、それじゃあ行こう!」
そうして二人と一匹は、暗い路地裏から光が照らされる街道へと踏み出していった。
――――――――――――――
サイト達が離れて、すぐの事。
路地裏へ甲冑に身を包んだ団体が騒音の報せを受けてやって来ていた。
そんな団体の中で、リーダーの立場らしき一人の人族の男性が難しい顔をしていた。
ツンツンとした赤髪に、赤い目。
何かに抉られたかのような赤痣が左目周りにある顔は、強面な顔つきをより強調させている。
服装は他の部下とは違い甲冑を着ておらず軽装。
しかし、服の下からでも分かるほどに鍛えられた筋肉に生々しい傷跡がついた腕は、彼が只者ではない事を確認させる。
そんな男性は辺りに散らばったガラス片等々を確認し、その内の1つを拾い上げると部下に質問する。
「報告では、『ここら一帯で騒がしい音がしている』だったな」
「えぇ、その通りです……しかしイニティウムギルド長。お言葉ですが、何故わざわざ貴方がここへ出向かれたのでしょうか? 原因不明の物音といった類は我々でも対処できる現象ですし」
「ははっ。確かに俺が出向く必要はないかもしれん。だがな、少々気がかりなんだよ。やーな感じが、この辺り一帯に残ってんだ」
イニティウムと呼ばれた男性はそのまま拾い上げたクリーム色の獣毛を眺める。
なんてことはない、どこにでも落ちていそうな獣人の毛。しかし、何故だか赤痣が疼く。
鳥肌が立つのだ。
「すまんが、ここいらの後始末は任せてもいいか? 俺は都で目ぼしい所を探って、ここをこんな風にした奴を見つけて事情を尋ねる」
「了解しました。イニティウムギルド長、どうかお気をつけて」
「あぁ、ありがとな。やばいと思ったら、すぐにこの場から逃げて俺かガッツの野郎を捕まえてくれ」
部下に指示を残し、イニティウムは路地裏から離れる。
そして、拾った獣毛を眺めると首をがっくりと落としてポツリと呟いた。
「人の匂いを好き好んで嗅ぎたくはねぇが、まぁやるしかねぇよな」
イニティウムは、手元に怪しく光る丸い月のようなペンダントを取り出すと、両目でしっかりとそれを見る。
変化は、すぐに現れた。
着ている服が破かれ、服の中に納まっていた筋肉は膨張して彼自身の迫力をより増幅させ。
顔の鼻から口部分がググっと伸び、獣のような赤い毛が生え、狼のような顔へと変貌を遂げていく。
それは、身体も同様に。
尻尾、耳、何から何まで狼の特徴を携えた人型は、ブルルと体を振るわせる。
そして、拾った獣毛を嗅ぐ。
匂いを辿り、着いた先は。
「……あっちか」
顔を向けた方角へと、イニティウムは歩き出す。
その先にあるのは『テッラ教会』
出会いの時は、近づいている。