第五十五節:探査と陥穽と……
さて、レイアが立ち去った広場の一同は、ただ彼女の帰還をまんじりと待っていた訳ではなかった。
市中警備を任務とする十番隊騎士を中心とした騎士達は、姫君や襲撃した悪漢の捜索――ついでに貴族子弟たるデュナンとその取巻き達の確保の為に、下町の路地を手分けして駆け回っていた。とは言え、承知していたことながら、駆け回る騎士達は捗々しい成果を挙げることは出来なかった。
そうした報告にピュレイリアを始めとした残った者達の顔は、承知していたこととは言え渋い表情にならざるを得なかった。攫われた姫君の捜索と救出を彼等単体では不可能であることを納得せざるを得なくなったからだ。
そんな騎士達を少し離れた場所で眺める少年少女達は、忙しなく動く彼等の動きに視線を投げかけつつ、自分達に出来ることはないかと表情を曇らせていた。
「……姫様、御無事だと良いんだけど……」
「大丈夫ですよ……レイア様が、動いて下さったんですもの……」
寄り添う赤毛と青髪の少女達は、互いを励ます様に言葉を交し合う。そして、彼女達は
他の少年――その一人へと首を巡らす。
「大丈夫ですよね……フォルン先輩?」
「…………」
真摯な視線を投げかける後輩達の姿に、“虹髪”の少年の一人――フォルンは神妙な面持ちのまま言葉を返す。
「あぁ、姉様はあれで、やると言ったことはやって見せるからね」
そう返答の言葉を紡ぎながらも、彼はこの場に残った自身の家族へと視線を向けた。その視線を向けられた少年――ケルティスは、下町の顔役も務めているらしい老巫女の話に耳を傾けていた。
その老巫女――イムラーダは、広場に残る侍女長たるピュレイリアとの話を続けていた。
「その、デュナン殿……でしたか、彼の身柄は保護できましたのかえ?」
「現在捜索中とのことです。早々に保護できなければ、キエガフ伯爵家よりの抗議を覚悟しなければらならないでしょうが……」
「王孫女誘拐の片棒を担がされたのでは、如何な名門伯爵家と雖も――いや、名門伯爵家だからこそ大仰に抗議の声を上げる訳には行きますまい……
それにしても、この護符を見るに……貴女様方が姫君を見付けられなかったことも頷けましょうな……」
「それは…………」
レイアよりもたらされた“魔王の護符”を前にして、イムラーダとピュレイリアより溜息が漏れる。
* † *
彼女等が鑑定したそれは、やはり『姿隠し』や『気配隠蔽』の魔法が付与されていることが確認された。少年達にこうした品を渡した何者かが、姫君を攫った悪漢と繋がりがある場合、騎士達による様々な魔法探査を掻い潜る手段を講じることは容易である様に思われた。
その結果として、騎士達の魔法による捜索は不発に終わったのだと思われた。
こうなった以上、騎士達による足を使った捜索と、レインが連れて来るであろう協力者の助力で姫君を探さなくてはならない。それはかなりの時間と労力を要することに間違いはないと思われた。
* † *
嘆息を漏らした老巫女より苦みの混じった呟きが紡がれる。
「……これは、“虹の身”殿が何方と繋ぎを取れるかによって、手間が格段に変わりそうようの……」
「……えぇ……」
老巫女の呟きに、侍女長は渋面のままで頷きを返した。
そんな彼女等と幾分離れた場所で物憂げな友人達の姿を目にして、ケルティスは瞑目して深く熟考する。
姫君を攫った輩の隠れ家には、デュナン達に渡されていた“護符”等より強力な魔法具が使用されている可能性が高い。それを突破出来る程の魔法探査を行える技量がある様には思えなかった。
それこそ、少年の父であるティアスや義兄たるラティルであれば、そうした『隠蔽』の術式を物ともしない魔法で探し出してしまうだろう。
「……あ……!」
そこまで考えが進んだ時、少年の脳裏に突拍子の無い発想が思い付いた。暫しの検討と逡巡の時間を経て、少年は口を開いた。
「……すみません……」
「「……?」」
少年より上がった声に、傍らにいた老巫女と侍女長が振り返った。
「……試してみたいことが、あるのですが……」
「試してみたいこと……?」
少年の言葉に、周囲の者達が集まり、その内容に耳を傾けることになる。その提案に、多くの者が驚きを隠せなかった。
しかし、一同の当惑を払拭出来ぬままでありながらも、最終的にそれは採用されることとなった。
* * *
デュナンが目覚めた時、彼が酩酊した様な感覚と全身に走る衝撃に襲われていた。
未だ少年の身である彼は酒を嗜む機会は少ないものの、貴族の子弟として酒を嗜む機会は何度かあった。だからこそ、相応の酒を呑んだ際に齎される酩酊の感覚を知っていた。
「…………う、う~ん……」
とは言え、酒など飲んだ覚えもないに関わらず頭痛や酩酊感がその身を襲う中、彼は閉ざされていた瞼を開いた。
そうして開かれた瞳に映ったのは、薄暗く小汚い小部屋であった。そして、その視線を僅かに動かした先に、薄汚いなりをした男達の足があった。
「……なん、だ……?」
「ん?……チッ、もう目が覚めやがったのか」
「気にすんなよ。もう縛り上げてんだ。もう一回薬を嗅がせてやれば良いんだからよ」
少年が呟きを漏らすと、その頭上より下卑た訛声が降って来た。その声に潜む不穏な単語に、少年の身に戦慄が這い回る。
だが、震え怯えるだけの姿となることを少年のなけなしの矜持が許さなかった。
「き……貴様等は、何者だ……?
俺をキエガフ伯爵家嫡男――デュナン=ディケンタルと知っての狼藉か?」
今までであれば、この言葉を耳にした大抵の者達は畏れ入る筈であった。だが、今回のそれは、逆効果を齎すことになった。
「ハハハ!……伯爵様のチャクナンだとさ……」
「キエガフ家って言やあ、ここの名門じゃなかったか?」
「あぁ、確かそうだ。此奴を使ってタップリ身代金をせしめられそうだ!」
「そうだな……こりゃ、あの姫さんに加えて、いい稼ぎになりそうだ!」
哄笑を交わしながら、男達は部屋から出て行った。
(何故だ?……何故こうなったんだ……?)
たった独りで部屋に取り残され、少年は答えの出ない問いを繰り返して行く。
* * *
そして、場面は移り変わる。
そこは下町の中にある広場の一つである。その中央に立つのは、“虹髪”を持つ少年――ケルティスであった。彼は瞑目して、一心に集中した様子で聖霊に語りかける祈りの言葉を唱え続けていた。
「『我が父の父なる御方、世界を見守り記す聖蛇よ。願わくば、世界を見詰めるその瞳を一時我が瞳に貸し与え賜え……』」
そんな彼の様子を、少し離れた場所から彼の友人や老巫女、そして侍女長や騎士達が見守っている。
「……イムラーダ様……大丈夫でしょうか?」
「さてね?……妾がせよと言われたら、無理と返事するであろうが……あの子は彼の“聖蛇”――エルコアトルに縁のある童だからのう……」
カロネアが呟いた問いかけに、老巫女――イムラーダより怪訝さを覗かせた声が返される。
こうしたやり取りが交わされる理由は、彼が行おうとしていることが単純だが荒唐無稽な行いであったからだ。
* † *
それ即ち、見付け出せないのなら、見付け出せない所を特定すれば良いと言うものだった。
少年の父たるティアスの養父である“聖蛇”エルコアトルは、世界全体を見通すと伝えられている。父譲りの“虹髪の者”としての莫大な魔力で押し通せば、この下町全体を探索範囲に収めることも辛うじて可能かも知れない。とは言え、彼の魔法の技量では、高位の魔法的隠蔽を看破することには幾らか不安が残る。
この間隙を利用して、下町全体の詳細な魔法探査を行った上で、その探査で見通せない空白地を特定することで、“魔王”の護符による魔法的隠蔽がなされた場所を見出そうと言うのだ。
この様な真似をたった一人で行うことは、本来なら無謀と言うより無理な話の筈だが、その無理を彼は通そうとしていた。
* † *
そうして、ケルティスは呪文の詠唱とともに、その精神を集中する。やがて、詠唱が最高潮に達する頃、瞑目する彼の瞳に様々な情景が映し出されて行く。
そこに映し出されるのは……
埃舞う下町の路地と、そこで蹲る乞食らしき初老の人物……
大河ユロシアの港に停泊する大小の船舟……
時迫る夕刻に合わせて、酒場の仕込みを始める厨房の人々……
路地の奥に並ぶ粗末な小屋と、その中で繕い物に精を出す婦人……
寂れた廃屋の如き小屋と、中で踏み入る商家の間取りを確認する盗賊団らしき輩……
寂れた木板屋根の上で、日向ぼっこに耽る猫達……
猥雑な賑わいを見せる市と、そこを行き交う人々……
港の泊まりに集う船舶と、それ等から荷を下ろす水夫達……
来る客の為に、鏡台の前で化粧箱を開く娼妓達……
貧相な掘っ立て小屋が並ぶ路地を、陽気に駆け回る子供達……
路地の片隅に鎮座する小さな祠と、その前を掃除する老婆……
喧騒を届かぬ路地裏で、独り蹲る老犬……
市の通りを行き交う人々と、彼等へ呼びかけを投げかける呼び込みの者達……
荷下ろしを励む水夫と、それを時に激励し、時に罵声を上げる水夫頭……
酒場の酔客を当て込んで、路地を進む吟遊詩人……
路地の幾分か開けた場所で、取っ組み合いの喧嘩をする少年達……
並ぶ家屋と変わらぬ造りの小屋と、中で悪徳貴族への意趣返しを企む義賊の一党……
小さな聖霊像が置かれた祠堂と、その聖霊像に祈りを捧げる老若男女……
人通りの少ない路地を我が物顔で進む野良犬の群れ……
表通りの宿を取れぬ貧しき巡礼の者達と、それに紛れて行き交う密偵達……
自分を見上げる金色と紫色の瞳……
水夫頭の見えぬ場所で、密かに一息吐く水夫……
表通りでの興業を終えて、下町の路地で一息吐く大道芸の演者達……
悪戯を仕掛けた子供等と、彼等に向けて怒声を上げる老爺……
下町に散らばる細々とした小さな廟堂と、それを回って祈りを捧げる巡礼神官……
市場の裏手で生ゴミの類を漁る野良猫や野良犬達……
猥雑な下町の喧騒を楽しむお忍びの貴族と、そんな主君の気紛れに嘆息を吐く近習達……
港に下ろされ積み上げられた荷と、その品目や数量を確認する商人や官吏達……
日暮れが近いと感じて、灯火や蝋燭の準備を進める小間使い達……
人知らぬ隘路を進む小鼠達と、それらの隙を窺う猫達……
港に戻る漁船と、そこから魚や小海老を水揚げする漁師達……
路地や家屋の上を、掠める様に飛び交う鳩や烏……
水揚げされた魚介を並べる漁師達と、その目利きに精を出す商人達や料理人達……
屋根で伸びをして見せる猫と、それに驚いて飛び立つ雀達……
一足先に仕事を終えて、酒場や娼館へと繰り出す男達……
まるで万華鏡や陽炎の様に取り留めもなく、矢継ぎ早に現れる多種多様な情景であった。
「…………ッ……!」
瞬く間に映し出され、すぐに移り変わるそれ等の情景を見詰め続けることは、自らの魂魄が焼け落ち磨り減る様な感覚を覚える程の消耗をケルティスに強いていた。
更に、東西南北や上下左右が出鱈目に並ぶ情景に、眩暈や酩酊に似た感覚に陥りそうになる。
しかし、その消耗や混乱を堪え、ケルティスは瞑った瞳で懸命に目を凝らして行く。
目に映る情景と地図上の位置を摺合せ、脳内の地図に『魔法探査』を行った地点を塗り潰す作業を進めて行く。
こうして前代未聞の魔法探査を行ったケルティスは、本人にとっても、彼を待つ周囲の者達にとっても、長い様にも短い様にも感じられる不思議な時間を経た後で、瞑っていた銀色の瞳を徐ろに開いた。
「……ケルティス?」
「「ケルティスさん、大丈夫ですか……!」」
「……判ったのですか?」
傍目からも消耗した様子を窺わせる少年に、周囲にいた少女や大人達が駆け寄って来る。
倒れ込みそうになる自身の身体を叱咤しつつ、“虹髪”の少年――ケルティスは掠れた声音で返答の言葉を紡ぐ。
「……何とか、見通せない場所を、幾つか、見付けました……」
少年の紡いだ返答に、周囲の者達から感謝や労いの色を帯びた表情が浮かんでくる。
そんな一同の背後から、突如として聞き慣れた女声が投げかけられる。
「……何とも無茶なことをやり遂げちまったみたいだな……」
「「「……レイアさん……」」」
苦笑染みた色を帯びた声に、振り向いた一同は“虹髪”の少女の姿を目にすることになった。そんな年上の姪に向けて、息を整える“虹髪”の少年は問いの言葉を絞り出す。
「……レイアさん、戻って来たんですね……」
「まぁね……こっちの伝手で、怪しそうな場所を教えて貰ったんだけど……無駄足になっちゃったかな?」
「そんなことは、ありませんよ……
複数の情報を摺り合せることで、より正確に怪しい場所を特定出来るかも知れませんから……」
「そんなものかな……うん、そうかもね……」
「ケルティス様、レイア様……姫様の居場所と目される場所のこと、話して頂いてよろしいですか?」
“虹髪”の少年と少女の交わした言葉を耳にして、様子を窺っていた侍女長より言葉がかけられる。
「はい、わかりました……」
「あぁ、これから話すよ……」
心配げな侍女長の問いかけに二人は振り返り、承諾の言葉を紡ぎ上げた。




