第五十三節:伏兵と焦燥と……
さて、時と所は若干相前後する。
デュナンの取り巻き達に腕を取られた少女は、不意を突かれたこともあって、彼等によって路地の奥へと引き摺り込まれていた。
引き摺り込んだデュナン達は彼女をセレシア姫だと思っていたが、その正体は姫の案内役を務めていたレイア=コアトリアであった。
祖父であるティアスより無手武術の手解きを受けている彼女にとって、素人同然の少年達による無体な真似を振り解くことなど、本来であれば目を瞑っていても熟せる程度の容易いことである筈だった。しかし、この様な王族たる姫君を無理矢理に掻っ攫う真似を仕出かすとは、流石に予想外の事柄であり、その予想外の行為に呆然としていたが故になすがままにされてしまっていたのだった。
路地の奥に引き摺り込まれたレインは、一頻り走らされた後で足を止めることが出来た。
荒くなった息を整えたデュナンがこちらを振り向き、鄭重な――いや、芝居がかった振舞いで彼女に向かって言葉を紡いだ。
「もう大丈夫だろう。
それでは姫様、我が家へご招待致しましょう」
「……結構だ!」
少年の声に対し、彼女はつっけんどんな返答を紡ぐ。
路地に響いたその声音に、デュナン達はギョッとした面持ちで彼女を見詰めることになる。何故なら、彼女この時それまで行っていた声音や口調を本来のそれに戻していたからだ。
「……な……?」
「……え……?」
驚きで身を強張らせる少年達の前で、少女は被っていた頭巾を取り外す。そして、彼女はその髪の色や相貌を徐々に変化させて行く。
その髪の色は、銀色のそれから七色の光が入り混じる“虹色”のそれへと変化する。
「…………お前は……!」
その変じた――正しくは、元に戻った姿を目にして、デュナンから驚きの呟きが漏れる。
「まったく、結構奥の方にまで引き摺り込んでくれたもんだ……」
呆れ混じりな言葉を呟く少女の姿は、彼等が見慣れたとある少女のそれへと変わり果てていた。
「……レイア=コアトリア!……貴様、騙したな!」
その姿を目にして、デュナンから激昂した声が上がる。そんな少年に向かって、半ば嘲りの滲む声がレイアより投げ返される。
「あたしは一言も、自分のことを姫様だとは、名乗っていなかったんだぜ……?
勘違いしたのは、お前達のヘマだろうが……」
嘲弄を帯びたその台詞に、デュナンの顔は見る間に怒りに紅潮して行く。
「……言わせておけば……お前達、やってしまえ!」
「「……は、はい!」」
デュナンの怒声に応じ、取り巻きの少年達は“虹髪”の少女に向かって襲いかかった。
だが、彼等は忘れていた。レイア=コアトリアの言う人物が、この下町の荒くれ者相手に渡り合うだけの腕っ節を持っていると言う事実を……
両側から躍りかかる二人に対し、レイアは軽く身を屈め、数歩ばかり後方へと跳び退る。
「「……ウワッ!」」
たったそれだけの挙動で、二人の少年は目標を見失い、絵に描いた様に互いの身体へと衝突する。
少年達が無様に倒れ伏している間に、“虹髪”の少女はその姿を再び変化させて行った。その髪の色は、“虹色”より白金色へと変じて行き、その白い肌は喉元や手の甲と言った各所に“虹色”の鱗が浮かび上がる。
やがて、瞬く間に少女の姿は人間のそれとは異なり、“半竜人”のそれへと変化を遂げていた。
そして、“虹鱗”を纏う少女はニヤリと口元を歪めた上で、嘲弄の色を帯びた声音で言葉を紡ぎつつ、倒れ伏す少年の背へと足を落とす。
「さて、姫様やフォルン達を待たせているからな。サッサと終わらせて戻らせて貰うとしようか……」
「……貴様!」
そのレイアの言葉に、デュナンが苦虫を噛んだ様な面持ちで唸りを漏らす。そして、その唸りを耳にして、倒れ伏していた少年の一人が身を起こす。
「……畜しょ――ッブ!」
「…………グアッ……!」
しかし、その行動は適わなかった。上体を起こした彼の顎を、レイアの爪先が的確に蹴り上げ、彼の意識を刈り取る。そして、その蹴りの踏込の衝撃をまともに背に受けた踏み付けられた方の少年からも苦悶の呻きが上がる。
「…………!」
その一瞬の立ち回りを目にして、デュナンの顔色は見る間に蒼白に移り変わる。
「……さて、後はお前一人だな、デュナン……」
「……俺は……俺を、誰だと、思っている!……俺は、キエガフ伯爵家嫡男――」
蒼白となった顔色に、怯えからか腰の引けた姿勢をした状態で、デュナンは僅かに残った威勢を振り絞って言葉を紡ぐ。だが、その台詞を聞く少女は、何の感慨も窺わせることなく切って捨てる。
「――ここは下町、それも人目の届かぬ裏路地だ。
貴族の御曹司だろうと、なんだろうと、何をされても文句の言えない場所だと言うことを……忘れてないか?」
少女の紡ぎ上げた台詞は、デュナンの顔色はその蒼白の度合いを高めさせ、彼の持つ威勢を根こそぎ吹き飛ばした。
「う、うわぁぁぁぁ……!」
デュナンはその短い金髪を振り乱す様に、身も世もない様を晒してレイアから逃げ出した。
「……ハァ……逃がすかよ!」
自分に背を向けて駆け去ろうとする少年の姿を目にして、レイアは憮然とした溜息を吐いた後で、決然とした言葉を叫ぶ。その叫びと共に彼女は大きく跳び上がった。
宙を跳ぶレイアは、路地を囲む壁に一旦着地し、素早くその態勢を整えデュナン目掛けて襲いかかる。
その蹴撃は、的確に駆け去ろうとする少年の肩胛に突き刺さった。
「……!」
蹴りの衝撃に、デュナンは声にならない悲鳴を上げて倒れ込む。
そんな少年に向けて、追撃を加えようとしたレイアであったが、倒れ込む少年の姿にやや脱力気味の呟きを漏らした。
「さてと…………あぁ、もう終いかな……」
蹴られた痛みに悶絶するデュナンを、レイアは暫し見下ろしていた。
だが次の瞬間、鋭い視線を周囲に走らせる。
そんな彼女の動きから間を開けず路地の影――彼女の後背に当たる位置より分銅付の投縄が襲った。襲いかかった投縄は、それを払う様に掲げたレイアの右腕に巻き付いた。
腕に巻き付いた投縄へと視線を落としたレイアは、短く舌打ちをする。
「…………チッ!……また、面倒な奴がいたもんだ……」
そう呟いた彼女は、自身の身体を引き倒さんとする縄の引きに合わせて、そちらに向かって大きく跳び上がった。
「……!」
宙を跳んで迫る彼女の姿を目にして、縄の伸びた先で息を呑む気配が窺えた。そして彼女は、襲った縄の先にある者の姿を捉えた。
そこにあったのは、曲がり角に身を隠していたらしい男の姿であった。その男の姿を明確にとらえる間もなく、彼女の蹴りが男の身体に叩き付けられる。
「……グッ!」
半竜人と化した少女の蹴りを受け、男はくぐもった呻きと共に蹈鞴を踏む。だが、即座に男は態勢を立て直し、その身を翻して路地の奥へと駆け去って行った。
「……待て!」
駆け去る男を追わんとしたレイアだったが、次の瞬間その動きを止めた。
何故なら、別の方向から投縄が飛来したからだ。飛来する投縄から回避する為に、彼女はその踏み込みを止めたのだった。
そして、彼女は飛来した縄の軌道を逆算した方向へと視線を走らせる。その視線の先には、別の方向の路地の奥へと駆け去る別の男の姿があった。
逃げ去った二人が消えた路地を、レイアは交互に眺めながら呟きを漏らす。その姿は“虹鱗”に覆われた半竜人の姿から、本来の“虹髪”の少女の姿へと戻していた。
「……チッ……厄介なことになりそうだ……」
『……全くだな……』
そんな彼女の背後より、異なる女声が語りかけて来た。
振り返った少女の視線の先には、暗灰色の髪を短く纏めた紫色の瞳を持つ暗色系の軽装を纏う女性が虚空に佇んでいた。
「……ファンテジア……何の用だい?」
少女――レイアの背後に佇んでいたのは、二対四枚の翼を広げる彼女の守護聖霊であった。
普段から余り干渉することの少ない彼の聖霊よりの呼びかけに、少女は怪訝な面持ちで問いの言葉を投げかけた。その問いかけに、彼の聖霊はその紫色の瞳を落とし、路地に横たわる少年達へと一瞥する。
『そいつ等を確認してみろ……薬を嗅がされているみたいだぞ』
「…………クスリ……?」
守護聖霊の言葉に一瞬怪訝な表情を強めたレイアであったが、間もなくその意味を把握して、その表情は苦いものへと移り変わって行った。
* * *
さて、所を戻すことにしよう。
姫君を攫われた格好となったケルティス達は、二手に分かれて行動することになる。
まず一つ目は、目的地でもあった老巫女イムラーダの家へと向かい、姫君捜索の助力を頼む者である。これは孫娘であるカロネアを始めとする少年少女を中心とする面々が務めることとなる。
そして残る一方は、宮城や騎士団詰所に向けて、姫君誘拐の事態を報告に駆け出す者達である。こちらは、護衛を務める騎士達の一部が急ぎ駆けて行くことになった。
ここで姫君を攫った悪漢を直接追い駆けると言う選択が取られなかったのは、彼の悪漢が路地の奥へと文字通り姿を消してしまい、追跡することが不可能となってしまったからだ。
ケルティスやヘルヴィス、それに現場にいる騎士達の一部は、魔法による探査等の手段の取れる者は少なからず存在したのだが、その探査にも彼の悪漢は捕捉することが適わなかったのだ。
結果として、宮城や騎士団詰所への報告や捜索への助力者を求めると言った行動を取る以外にないと言う結論に達したのであった。
とは言え、そうした騎士達の努力があったとしても、姫君の行方が判明していないと言う事実は動かし様がないことであった。
「貴女達が付いていながら、何と言う不手際を起こしているのですか!」
下町にある“夢幻神”の祠の前へと集まった騎士達は、宮城よりやって来た一人の女性によって罵声を浴びせかけられていた。
「「「……申し訳ございません」」」
彼女の罵声を前にして、騎士達は恐縮することが一頻りと言った態となっていた。
その金切り声とも称せる罵声をあげる女性は、上級侍女服を纏い、その手に魔法発動用の短杖を持っていた。彼女こそ、セレシア姫付筆頭侍女を務めるピュレイリア=セオヴィアであった。
普段の温和な微笑を湛えているその面は、鬼神の如き険しい憤怒の表情を浮かべており、その激しい落差が彼女を知る者を酷く萎縮させる結果となっていた。憤る彼女を中心として、その場には非常に剣呑かつ陰鬱とした空気に満ち溢れていた。
加えて言うなら、彼女の官吏として階級は“官吏長”であり、その場にいる騎士達を統率していた“騎士部隊長”たるアイリスと階級的には同格であった。更に彼女が騎士部隊長より年長であった為に、彼女を制すること出来る立場の人間がいないと言う状況となっており、それが状況をなお悪くしていた。
そんな空気に居た堪れなくなってか、おずおずとした様子で彼女の妹より言葉が絞り出される
「……えーっと、姉さん……落ち着いて、ね」
「お黙りなさい、カレミア!……貴女が付いていながら……貴女やアイリスが付いていながら、この様な事態になるなんて、何をしていたの!」
「……申し訳ございません!」
「……だって、あたし達は馬車の番もしてなきゃいけなかったんだもの……」
だが、妹騎士の努力は間髪入れぬ合間で叩き折られることになる。姉の怒声に女騎士長は深く頭を垂れ、妹騎士の方は首を縮めながら小さな声で言い訳の呟きを漏らす。
そんな険悪な空気が漂う場に穏やかで幾分嗄れ気味の女声が投げかけられた。
「まぁまぁ……落ち着いて下さいな、女官殿」
「!……貴女は……」
苛立つピュレイリアが振り返った先には、踊り子の衣装にも似た異国風の巫女装束を身に纏った老婦人が少年少女達と共に歩み寄って来る姿があった。
「はい、“夢幻神”イーミフェリアの巫女を務めさせて頂いているイムラーダと申します」
穏やかで優雅な物腰を崩すことなく老婦人は言葉を続けた。そんな老巫女の物腰に毒気を抜かれたのか、姫君付きの侍女長は幾分普段の様子を取戻した調子で言葉を返す。
「あの……私達に何の御用でしょうか……?」
「そう苛立っていても、物事が上手く行く訳ではありませぬよ」
「……ですが!」
老婦人――イムラーダの言葉に幾分落ち着きを取り戻したピュレイリアであったが、それでも苛立ちが消えぬ彼女は食い下がる様に言葉を漏らす。
そんな彼女に向けて、老いたる巫女より更なる言葉が投げかけられる。
「それに、ここは“神殿都市”の御膝元……警邏に回る騎士の方々に捜索・探査の呪文に優れる者は少なくありませぬ。
故にこそ、そうした呪文に掛からぬ術を持つ者もいると言うことよ……」
「「「……え……?」」」
「「「……本当ですか……?」」」
老巫女の言葉に、ピュレイリアやその場にいた騎士達だけでなく、彼女に付いて来た少年少女達からも驚きの声が上がった。声を上げなかったのは、この地区で暮らすカロネアや、この辺りを警邏で回っている第十番騎士の一部と言った所であったろう。
そうして驚きで動きが止まった侍女長に向けて、老巫女より言葉が続けられた。
「もっとも、その様な術を持つ者は決して多くはありませぬよ……
それでも、そうした者共を追うには、魔法を使わぬ手段に頼らざるを得ぬし……姫君の捜索は行っているのであろう?」
「え?……えぇ、十番隊の騎士から攫われた場所近辺の捜索を行わせておりますが……」
イムラーダが続けた問いの言葉に、我に返ったピュレイリアから返答の言葉が紡がれる。
そんな彼女に向けて、老巫女より更なる言葉が投げかけられる。
「そうなのかえ?……ならば、折角じゃから此処の者共に協力を求めたら如何かな?」
「……此処の者共、ですか……?」
彼女の言葉に、侍女頭から鸚鵡返しの言葉が漏れる。そんな彼女に向けて、老巫女は次なる言葉を続けた。
「えぇ、良く申すでしょう“蛇の道は蛇”と……ねぇ?」
そう呟いたイムラーダは、最後の問いかけの際に首を巡らす。
その視線の先には、姫君とは異なる路地へと消えた筈のレイアの姿があった。