第五十二節:乱入と問答と……
そして、“姫君のお忍び”が行われる“風竜の月”の二回目の“夢幻神の日”が到来した。
“学院”での午前の授業が終わった所で、ケルティス達はレイア達と“学院”入り口の広場で合流した。これは事前の打ち合わせをして置いたことであり、然したる問題もなく進んだ。
ともあれ、合流した一同――セレシア姫、レイア、フォルン、ケルティス、カロネア、ニケイラ、ヘルヴィス、ルベルトの八名は、以前と同様に神殿入口の広場に待機していた姫君の馬車へと乗り込む。
当の馬車には、王家の身分を示す紋章の類は隠されており、お忍び用に偽装が施されていた。そのお忍び用の箱馬車は、悠々とした足取りで都市の大通りを南へと進んで行ったのだった。
* * *
一頻り通りを進んだ馬車は、大通りの半ば辺りで右折し、都市西部に続く路地へと侵入した。
そうして、ある程度進んだ所――辻馬車の乗合所等に使われる広場で、箱馬車は停車した。
それは、これより奥の路地は幅が狭まり、大形の箱馬車では侵入が困難となるからだ。
馬車に乗り込んでいた姫君一行は、ここで下車した。
この馬車より降りた彼女達は、手分けして箱馬車の中で着替えを済ませる。
そうして一同の姿は、普段のそれと異なるものとなっていた。彼女等が纏うのは、一般市民が身に着ける様な簡素な仕立ての服であり、彼女達の半数程度は、頭巾付き外套をその上から羽織っていた。この外套を羽織っているのは、このお忍びの主役たるセレシア姫と、“虹の一族”の者達である。
更に、髪や瞳の色合いにその顔立ち等も、青き髪の巫女見習い――カロネアの『眩惑』の呪文で、本来のそれから微妙に変化させられる。
とは言え、『眩惑』で微妙に変化した容貌も注意深く見れば個々人の特徴を窺い知ることが可能であるし、身に纏う服装もよくよく見れば都市民が身に着けるには上質すぎる生地や仕立てであることを気付くことが出来たであろう。
だが、気付かれたからと言って、必ずしも困る種類のことでもないとも言えることだからだ。
そうして、着替えや身支度を整えた姫君一行は、箱馬車の御者や周囲や路地の警備に配置されていた騎士の一部に馬車の警護を任せ、目的地たる下町へ向かって歩を進めることにしたのだった。
* * *
「この道で良いのですか?」
「はい、もう少し行った先に“夢幻神”イーミフェリア女神の祠があります。その隣が私の家になります」
「そうですか……楽しみですね」
表通りよりも狭い路地を進みながら、セレシア姫は先導するカロネアに道を尋ね、そんな姫君の問いにカロネアは返答の言葉を紡ぐ。
彼女の返答に姫君は顔を綻ばせ、その視線を周囲へと巡らせる。姫君の様を横目に見つつ隣を進んでいたレイアが声をかける。
「そんなに珍しいか、姫様……?」
「えぇ……実際、こんな場所にはなかなか来ることは出来ませんからね。興味深いですよ。
それに…………」
そこまで言って、セレシア姫は言い淀む。そんな姫君に向けて、少々意地の悪そうな面持ちでレイアが言葉を継ぐ。
「思ったよりも薄汚くて良かった……とか思っているかい?」
「え?……えぇ、まぁ、幾らかは……」
「まぁ、貴族連中が暮らす区画に比べたら、どうしてもそうなっちまうのは、仕方ないしね……」
レイアの問いかけに、姫君は幾分バツの悪そうな調子で答えを返す。そんな姫君を目にしてレイアは苦笑混じりの声を漏らした。
そんなやり取りを交わす二人――セレシア姫とレイア――は、一見すると双子の姉妹の様に見える風貌となっていた。
姫君の透き通る様な白金色の髪はくすんだ銀髪へと若干の色味を変え、瞳の青色も幾分くすんだ色合いに変えられているが、その色合いにレイア自身が自分の髪と瞳の色を合わせていた。そこに『眩惑』による顔の輪郭を暈す効果が重なり、両者の容貌は意外な程に似通った代物となっていたのだ。
もっとも、その言葉遣いや立居振舞い等が異なるお蔭もあって見間違うと言うまでには至っていない。
ともあれ、頭巾で顔を隠した良く似た少女二人を中心に、少年少女達が路地を進む。
そして少年少女達の周囲を、姫付の近衛騎士を中心とした騎士達が警護の為、密かに追従している。
更に、そんな此処――下町の路地――には合っている様で微妙に合っていない一行を、下町の人々は幾分遠巻きに見詰めていた。
そうした周囲の目を気にする様子も見せず、少年少女達は目的地である“夢幻神の巫女”の居宅への道程を進んで行くのであった。
* * *
そうして幾分か路地を進んだ所で、路地の片隅から跳び出して来た人影があった。
不意に現れた人影を目にして、レイア達や騎士達が身構える。だが、その人影の正体を悟って、一同は警戒を一段緩めることとなった。
その人影の正体とは、この場所に似付かわしくない豪奢な衣装を纏う金髪の少年――デュナン=ディケンタルとそのお供達であった。
「姫殿下、ご機嫌麗しゅうございます!」
「「ご機嫌麗しゅうございます」」
姫君一行の前へ立ち塞がる様に現れたデュナン達は、声を張り上げて大仰な挨拶の言葉を紡いで見せた。そんな彼に向かって一歩踏み出したくすんだ銀髪の少女は声を返した。
「ごきげんよう、デュナンさん。この様な所で何の御用ですか?」
優雅な物腰で、少女は言葉を紡ぎ上げる。そんな少女に向き直ったデュナンは、改まった佇まいで返答の言葉を紡ぎ上げる。
「姫君の供を致したく思いまして……丁度、我が屋の別邸でささやかな宴を催しますので、御来訪いただけませんでしょうか?
こんな下賤の輩の住む場所なぞよりお気に召す趣向をご用意出来るかと存じます」
「そうです、そうです」
「是非、そうなさって、下さい」
デュナン等の紡ぐ返答の言葉に、銀髪の少女を囲む少年少女達は気色ばんで、その表情を険しくさせる。同様に、路地の周囲に控えていた騎士達も密かに眉を顰める。
しかし、そんな周囲の反応に対して、銀髪の少女は二人ともその表情を微動だにしなかった。そして、優雅な微笑みを浮かべたままデュナンへと言葉を返した。
「私達はこれより、カロネアさんのお祖母様にお逢いする為に赴く所です。宴への招待は、またの機会にして貰いましょう」
「な!……あの異国の浮かれ女如きの為に、わざわざ足をお運びになると言うのですか?」
自身への返答に、上位貴族の子弟たる少年――デュナンは侮蔑の色を隠さない言葉を漏らす。
「そんな言い方、カロネアさんやそのお祖母様に失礼でしょ!」
そんな少年の言葉に、相対する少年少女達の一人――赤毛から栗色の髪に変じていた少女より激昂した声が上がる。些か見慣れぬ風貌の少女に、怪訝と苛立ちの入り混じった声を漏らす。
「……誰だ、貴様は?」
「誰ですって?……ニケイラ、ニケイラ=ティティスよ!」
「……何だと……?」
「……え?……ニケイラ……?」
「……って、あの赤毛の……?」
憤然とした色の籠った少女の声に対して、デュナンやその取り巻き達から戸惑いの声が漏れる。そんな彼等に向けて、補足の言葉が銀髪の少女の背後に控える頭巾を被った少年の一人より齎される。
「今は姫君のお忍びですから、皆さん普段とは少し異なる容姿になる様にカロネアさんに幻術をかけて貰っているんですよ」
「……幻術だと……?」
「えぇ、彼女が夢幻神の巫女見習いですからね……」
ケルティスによって紡がれた言葉に、一時の狼狽した様子を見せたデュナンであったが、すぐに気を取り直して再び怒声を発する。
「だったら、下級騎士家の娘風情が、俺に口答えをするな!」
そうして声を荒げる少年に向かって、別の声が割り込む様に呟かれる。
「だが、宮中も認める姫君の予定に無断で割りこもうとする行いは、上級貴族家の者と言っても感心出来るものではないだろうに……」
揶揄の色を帯びたその言葉を発したのは、深緑の短い髪に眼鏡をかけた少年であった。
怒鳴り返したデュナンに向け、揶揄の色を帯びた調子の言葉が投げかけられる。その台詞にデュナンが眉を顰める。
「その口の利き方……貴様、陰険眼鏡だな。余所の国の人間が余計な口を出すな!」
「……この場では、お前の方が余所者になると思うのだがな……」
怒鳴り返されたヘルヴィスは、溜息を吐き、幾分芝居っ気のある仕草とともに呆れ混じりの呟きを漏らした。
そんな彼の仕草が癇に障ったのか、デュナンは音高く舌打ちをしてみせる。そして、即座に傍らに控える者達に視線を走らせる。
彼の視線を受けた少年達は軽く頷きを返し、間髪入れず行動に移した。
「……な!」
「「「「…………!」」」」
その行動に、一同は驚きに一瞬息を呑んだ。
少年達はデュナンと相対していた銀髪の少女の許へ駆け寄り、その両腕を掴んだのだ。
「行くぞ、お前達!」
「「はい、デュナン様!」」
少女の腕を掴んだ姿を確認する間も惜しむ様にデュナンより指示が飛ぶ。
その指示に即座に返事の声を上げた少年達は、呆気に取られたままの少女を引き摺る様にしてデュナンの後を追って姿を現した路地の奥に向かって駆け出した。
「……!……ま、待て!」
「急ぎ、追い駆けねば……!」
細い路地の奥へと駆け去るデュナン達の姿に、姫君一行の周囲をさり気なく囲んでいた騎士達は浮足立った声を上げて、その後を追わんと動き出す。
そんな騎士等に向けて、一喝する様な声が響き渡る。
「落ち着きなさい!……私、セレシアはここにおります」
「「「……え?」」」
「「……なるほど……」」
声高く発言したのは、二人いた銀髪の少女の取り残された一人――セレシア姫であった。
その声と内容を耳にして、驚き呆然としていた少年少女や騎士達は、愕然とした呻きを漏らすか、妙な納得を覚えた呟きを漏らすことになった。
何故なら、呻きや呟きを漏らした者達は、デュナンと相対し連れ去られた少女の方こそがセレシア姫であると錯覚していたからだ。
だが、そう錯覚してしまったことを無碍に責めることも出来ないだろう。
元々、カロネアの魔法によって、その容姿を非常に酷似して二人である。加えて、この道中の間にレイアは修得していた独特の歩法を利用して、時折セレシアとの立ち位置を巧妙に入れ替え、どちらがセレシアかを判別し難くさせていた。お蔭で二人の会話を間近で聞いていたニケイラやルベルトであっても、一瞬どちらが姫君かを迷う場面があった程だ。
その上で、デュナンに相対した時に見せたその立居振舞や口調、それに声音は、一見して普段のセレシア姫のそれと何ら変わりがない様に感じられたのだ。
その様は、まさに驚くべき影武者振りと言うべきであったろう。
驚く一同を一喝した姫君の声に、騎士達は気を取り直して姫君一行の許へと近付く。
「……姫が御無事でようございました」
「あの様な少年に後れを取るとは……申し訳ございません」
近寄る騎士達から口々にかけられる声に、穏やかな目線を返したセレシアであったが、直後にその表情に翳りを落とす。
「私は無事でしたが、レイアさんを連れ去られてしまいました。彼女の身に何も起きなければ良いのですが……」
憂いを帯びたその言葉に、姫君の傍らに控えていた“虹髪”の少年より言葉がかけられる。
「ご心配には及びません。デュナン達は姉を姫君と間違えて攫ったのですから、無体な真似はしないでしょう。
それに正体がばれた所で、奴等程度では姉は歯牙にもかけずにあしらうことが出来るでしょう。
姉はこの辺りの地理には詳しいですし、デュナン達を叩きのめした後で、直ぐに私達に合流して来るに違いありませんよ」
微苦笑を浮かべたまま紡がれたフォルンの言葉に、セレシア姫は小首を傾げて問いの言葉を漏らす。
「そう言うものなのですか……?」
「そう言うものです」
「そうですか……それなら良いのですけれど」
姫君はそう呟いて、安堵の微笑を浮かべた。姫君の微笑みを目にして、一同の間に弛緩した空気が流れる。
* * *
だが、その弛緩した一瞬の隙を虎視眈々と狙う者が存在していた。
その瞬間、セレシアは不意に腕を掴まれ引き倒される様な感覚に襲われた。
「…………!」
しかし、悲鳴を上げる暇もなく、その口元を抑え付けられる。一音の悲鳴上げることすら許されず、姫君は何者かの手で友人や騎士達から引き離され様としていた。
その異常事態を、騎士達は誰も気付くことは出来なかった。しかし、逸早く気付くことの出来た者達が姫君一行の中に存在していた。
「「……な!……姫様!」」
それは“虹髪の一族”に数えられる少年達――ケルティスやフォルンである。
彼等は、路地の奥へと引き摺り込まれようとしている姫君の姿を目にして、異口同音に声を上げた。その声に他の者達も身を打たれたかの様に視線を走らせて、その情景に驚愕の声を上げる。
「「……何だと!」」
「「……姫様!」」
だが、ケルティス達が声を上げるのは半拍ばかり遅きに失した。姫君の危機に駆け出した騎士達を余所に、彼女を引き摺る人影は裏路地の奥へと駆け去って行った。
路地の奥へと踏み入った騎士達は、その怪しい人影の足取りを捕えることは出来なかった。