第五十一節:策謀と変幻と……
言い負かされたデュナン達は、そのまま姫君――セレシア=ユロシアの許へと足を運んだ。だが当然の様に、セレシア姫がさして親しくもない後輩からの世辞・追従の類を受け取る訳もなかった。
当たり障りのない言葉で、体よく追い払われる格好となったデュナンは悄然としてその場を立ち去ることとなった。
しかし、“学院”の回廊を進む中で、その面には憤懣やる方ないものへと変じて行く。
「……畜生、馬鹿にしやがって……!」
「……デュ、デュナン様……?」
「……どうしたんです……?」
呻く様に漏れるデュナンの言葉に、おずおずと取巻きの少年達より問いの言葉が紡がれる。そんな取巻きの少年達をデュナンは睨み付ける。
「どうしたも、こうしたもあるか!……どいつもこいつも、僕を馬鹿にしやがって……!」
そして、苛立ちを隠し切れぬ少年は罵りの言葉を漏らし続けたのだった。
やがて、午後の授業を終えたデュナンであったが、その憤懣は収まることなく“大神殿”より自宅への帰路に向かおうとしていた。
「…………」
取り巻きの少年達は、険しい表情を崩さなかった彼を恐れて早々に立ち去っていた。
たった一人で俯きがちに“大神殿”の表階段を下る彼の胸中には、憤りや苛立ちや寂しさや不満と言った感情が入り混じったものが渦巻いていた。そんな彼に向かって、不意に声がかけられる。
「……おやおや、どうなさったのですかな?」
「余計な口を叩くな! 貴様なぞに話すことなどない!」
顔を上げた少年の傍らには、何時の間にか一人の初老の男が佇んでいた。巡礼の者らしき頭巾付きの外套を羽織った男を目にして、デュナンは鋭い視線で睨み付けながら、険の籠った言葉を返す。
睨み付けられた初老の男は、その険しい言葉に動じた風もなく言葉と紡ぎ返す。
「まぁまぁ、そう仰らず……この様な所であったのも何かのご縁――しがない巡礼の余所者相手に口の一つも溢してみるのも、時にはよろしかろうと思いましてな……」
そう語る男を再び睨み付けながらも、デュナンは再び抗弁の為の言葉を紡ぐことはなかった。
「まぁ、立ち話もなんですし……そちらに座って、お話を伺わせて頂きませんかな……?」
やがて、少年は男の勧めに従って階段下に位置する広場の隅に置かれた長椅子に腰掛けた。
そして、男に促されるままに胸の内に渦巻いているものを吐き出して行った。男は時に相槌の類を打ちながら、静かに少年の言葉に耳を傾けていたのだった。
そうして耳を傾ける男の外套の奥に特殊な意匠が施された首飾りが下げられていたことを、少年――デュナンは最後まで気付くことはなかった。
† * †
さて、時は相前後する……
その場所は、“ユロシア河”に接する港湾部の一角――都市の中でも下町と呼ばれる区画の一隅にある一軒の酒場であった。
都市の中でも荒くれ者達が集うこの酒場の片隅で、一つの卓を囲む一団が安酒の入った杯を掲げていた。
「それでは、皆様方の無事なるご到着を祝って……乾杯」
「「「カンパ~イ!」」」
破落戸と思しき風体の男達の中で、幾分小奇麗な格好をした小男の音頭で男達は杯を打ち鳴らし、その中身を呑み干す。
「プハ~ッ!……やっぱり、西の酒はうめぇな!」
「まったくでさぁ……ホント、一時はどうなることかとおもいやしたが……」
呑み干した杯に手酌で酒を注ぎ直しながら、男達は口々に楽しげな声を上げる。
この男達は、大陸北方域よりこの国に密かに入国を果たした者達だ。彼等は大陸北方域西部諸王国を荒らし回っていた賊徒の集団である。そんな前科を持つ故に、諸王国の官憲に執拗に追い立てられ、大陸西方域まで逃れて来た所であった。
そんな男達に向けて、先程乾杯の音頭を取った小男より言葉が挟み込まれる。
「お気持ちは重々承知しておりますが……お約束のこと、キチンとお願い致しますよ」
「おぅ、まかせときな!……それくらいはちょろいもんだぜ。だろ?」
「そうですぜ!」
「まかせといてくだせぇ」
「大船に乗った気でいなって……!」
男達の中でも一際大柄な男より返された言葉に、他の男達からも口々に諾の声が上がって行く。その様子に、小男も満足気に数度の頷きとともに言葉を漏らす。
「……いやはや、何とも心強いお返事ですな」
小男の言葉に気を良くしたのか、大柄の男が一段と声量を上げる。
「あたぼうよ!……何と言っても、俺達は……」
「……すいません。ここで、それ以上は……」
一際大きく響いた男の言葉に被せる様に、小男は声を挟み、自らの口元に人差し指を当てる。その姿を目にして、男達の顔に表れていた浮かれた雰囲気が幾分か締まる。
「おっと、すまねぇ。つい、ハメをはずしすぎたみてぇだな」
「いえいえ、お気になさらず……こちらでも、幾らか御必要な品は用意させて頂きますので、よろしくお願いしますね」
「おぅ、まかせときな……じゃあ、景気付けにもう一回乾杯といこうや!」
そうして男達は、卓に置かれた酒瓶から各々の杯へと酒を注いで行ったのだった。
そんな彼等のことを注視している者がいたなら、幾つかの事柄に気付くことが出来たであろう。
居並ぶ男達が話す卑語混じりのユロシア語に、他所の国の訛りが混じっていたことに……
そして、男達の多くが大陸北方域の訛りの入った言葉を紡ぐ中で、小男の口にするユロシア語が大陸中原訛りが僅かに入っていることも……
だが、現実には酒場の誰も、そんな事実に気付くことはなかった。
諸外国から大河を遡上してやって来た男達が集うこんな酒場で、この程度の事実が注目するに値しない代物でしかなかったと言うこともあるだろう。
しかし、もう一点……小男の首より下げられていた首飾り――瞑られた目の意匠が彫り込まれた簡素な円盤――が影響していることを知る者は、その時その場において当の小男以外はいなかったのだった。
† * †
そして、幾許の時は移る。
“神殿都市”にある片隅――人知れぬ一室に、複数の男達が集っていた。各々が頭巾付の外套を身に纏い、自らの容貌を曝さぬ姿のままに言葉を交わさんとしていた。
「さて、それぞれの首尾はどうなっている……?」
「こちらは“神殿都市”への引き込みは済みましたよ」
「こちらは、行動の裏付けを進めている所ですな……」
集まった者達は、囁く様な声音で口々に言葉を交し合う。暗がりの中で、男達の視線が最後に言葉を放った者へと集まる。
「……裏付けとは、どれ位かかる……?」
「何……さして、手間をかける必要もない程度ですよ……ご心配なく……」
「ならば、予定通りにことを進められるか……」
「所が……少々厄介なことがありましてな……」
視線を集めた男は、一瞬言葉を選ぶ様に口を閉じた後、再び口を開いた。
「……実はですね…………」
男の告げる内容に、一同の顔には微妙な表情が浮かんで行く。そして、一通りの話を聞き終えた男達は、短い溜息を吐いた後にその内の一人より言葉が漏れる。
「……なるほどな……確かにそれは不確定要素になるか……」
「そうですな……とは言え、それはそれで問題はないのでは……?」
「……かも知れませんな。あの者達と、我等の関連を察知されなければ、何れに転んでも我等の目的には沿いますしね……」
最後に口にされた内容を聞き、残る者達も納得の頷きを見せたのだった。
その密談は、誰にも知られることなく、静かに続いて行く。
† * †
そして再び時と所を移す。
その時とは、“お忍び”が行われる数日前に当たる日であり、その所とは“大神殿学院”にある食堂の一つであった。
この食堂の一角で、 “虹の一族”に括られる少年少女とその友人達が、同じ卓を囲んでいつも通り和気藹々と昼食を取っていた。
そんな歓談が交わされる中で、青髪の美少女――カロネアから声が上がった。
「あ、そうでした……レイアさんに、ご相談したいことがあったのですが」
「ん?……相談って?」
不意に呼ばれた自分の名前に、些かキョトンとした面持ちでレイアはカロネアの方へと首を巡らせた。
「あの“お忍び”の際、姫君や皆さんに魔法をかけさせて頂けないか、と思いまして……」
「「「……魔法……?」」」
「……もしかして、“夢幻神”の聖霊魔法をかけると言うことですか?」
カロネアの言葉に、卓を囲む者達から鸚鵡返しの言葉が漏れる。そんな疑問の声に一拍遅れた形で、ケルティスより問いの言葉が紡がれる。
「えぇ、そうです」
「え?……どんな……?」
「幻術の類……でしょうか?」
青髪の少女――カロネアの返答に、赤毛の少女――ニケイラから疑問の言葉が漏れた。その疑問に返答を紡いだのはカロネア本人ではなく、“虹髪”の少年――ケルティスであった。
そんな少年の返答に、今度はカロネアより疑問の言葉が投げかけられる。
「はい、良くお分かりになりましたね……?」
「各種魔法の初歩的な呪文に、どの様なものがあるかは一通り知っていますし……」
「「……あぁ、そう言えば……」」
「……なるほどな……」
「……流石、ケルティスさんですね……!」
「……本当に……」
ケルティスからの返答に、彼の年上の姪甥を含めた彼の友人達から口々に納得の呟きが漏れた。
そうして一息吐いた後、レイアより改めてカロネアへの問いの言葉が投げかけられた。
「それ言えば、どんな魔法をかけるつもりなんだ、カロネア?」
「それは……私が普段から使っているものなのですが……」
「……ふむふむ……」
「『眩惑』の呪文を少々かけてみては、と思いまして……」
「「「……『眩惑』の呪文……?」」」
ニケイラやクリスト、それにルベルトと言った面々から疑問の声が漏れる。そんな彼等に向けて、カロネアより説明の言葉が紡がれる。
「はい、私が下町で暮らしている時などに自らにかけているものなのですが……自分の顔や容姿を見る者に印象の残らぬ様にすると言うものです」
「どうして……って、聞くまでもないか……」
「……えぇ、そう言うことです……」
カロネアの説明に、問いの言葉を紡ごうとしたニケイラは、紡ぎ終わらぬ内にその言葉を飲み込む。そんな親友の姿に苦笑しつつ、言葉を返した。
彼女――カロネアの容姿は、傾城と言う形容が脳裏に過る程に美しく、時に妖艶な雰囲気すら纏わせるものとなっており、それに加えてこの国では珍しい人種――ヴィレル人であると言う点が異国風の独特な魅力を加味させている。故にこそ、そんな彼女は都市の中でも比較的治安の悪い場所である下町で暮らす際、不心得者に狙われる危険性は決して低くはない。そんな防犯上の理由もあって、そうした自衛手段を講じているのだった。
ともあれ、苦笑染みた微笑を一同――主に女性陣――が交し合った後、レイアから言葉が紡がれる。
「まぁ、姫様を狙う不届き者への目眩ましには悪くないだろうな…………でも、まぁ……あたしには、あんまり必要ない気もするけどな……」
「そうなんですか……?」
「……あぁ、そう言えば、そうでしたね……」
レイアが紡いだ最後の一言に、ニケイラは首を傾げつつ言葉を返し、カロネアは少し思案してから何かを思い出した様に呟きを漏らす。そんな青髪の少女の態度に、やり取りを聞いていた少年達から怪訝な顔を浮かべた。
「……どう言うことですか、レイア先輩?」
訝しげな面持ちのヘルヴィスによる問いかけに、ニケイラやルベルトそれにクリストと言った面々が同意の意味を込めて深く頷いて見せた。
そんな一同の様子を軽く見回したレイアは、卓に身を乗り出し、自分の瞳を指差しながら、声を潜めて後輩達へと囁きかける。
「こいつを見てみな……」
「「「…………!」」」
囁きかけたレイアの姿を目にして、彼女の後輩達は驚きの余り絶句することになる。
彼等の目の前で、レイアの瞳――“虹色”の虹彩は、七色の無数の小さな輝きが脈動する様に明滅しながら虹彩の中を流動し、その色彩の分布を目まぐるしく変化させて行きながら、最終的には虹彩の色合いは紺青一色に落ち着いたのだった。
ニケイラやルベルトは単純にその色彩の変化に驚いていたが、ヘルヴィスやカロネアはそれ以上の事柄に気付き、絶句せずにはおれない心持ちになっていた。
何故なら、彼女――レイアが何等かの魔法の詠唱を行った素振りを見せなかったからだ。それは単に無詠唱による魔法の行使と言った代物とは異なり、魔法の使い手が見せる魔法行使の際に生じる独特の気配を感じ取れなかったのだ。
もっとも、その様な魔法行使の気配を感じ取れるのは、余程魔法に熟達しているか、天賦の才を与えられる者であるかと言った所であろうが……
ともあれ、突然その瞳の色を変化させると言う荒業に一同の中で、彼女の家族である二人の少年は全く驚いた様子もなく、むしろ苦笑染みた表情で呟きを漏らす。
「……ホント、よくやるよね……」
「……こんなこと、レイアさん以外には出来ませんものね……」
呆れ混じりのフォルンの台詞と、感嘆混じりのケルティスの呟きに、驚きから復帰したニケイラより言葉が漏れる。
「……そうなんですか?」
「……あぁ……」
「……えぇ……」
「……まぁね…………同じ要領で、髪の色も変えられるよ」
ニケイラの問いかけに、“虹の一族”の少年少女達は三者三様の返答を紡ぎ出す。そして、溜息混じりにフォルンより補足の台詞が漏れた。
「……ホントに、父さん達の目から逃れたい為だけに、無駄に鍛えた特技なんだから……」
「……父さん……講師ラティルの目を誤魔化す為か…………確かに、難しいだろうが……」
フォルンの言葉に、微妙な表情のヘルヴィスから呟きが絞り出される。
そんな眼鏡の少年の呟きは、卓を囲む一同の殆どが共感する所である様であった。
ともあれ、カロネアの提案――“お忍び”の一行に『眩惑』の呪文を付与することは、正式に採用されることになった。
これに伴い、日程や警備計画に若干の修正が行われることとなったが、準備を進める者達にとって大きな負担となる程にはならなかった。
* * *
やがて時は過ぎ行き、“風竜の月”の二回目の“夢幻神の日”――“姫君のお忍び”の当日がやって来ることとなる。
今回、“虹の身”レイアの特殊能力を紹介させて頂きました。作中でも言及されていますが、他の“虹髪”及び“虹瞳”の持ち主で、これが出来る人物は今の所いません。
その理屈は……多分、後で紹介する機会もあろうかと思いますので……




