第五十節:昼食の歓談と……
やがて、本日午前の講義も終了し、昼休みの時間が訪れた。
その日も、ケルティス達は普段通りにいつもの食堂へと足を運んでいた。そして、昼食の膳を受け取った一同は、空いた卓の一つへ席に着く。
食前の祈りを行おうとする彼等に声がかけられる。
「やっぱり、ここにいたね……」
「し、失礼、します」
ケルティス達は、声のした方へと一斉に首を巡らす。そんな一同の視線の先に立っていたのは、二人の少年であった。
「……クリスト君、ルベルト君……」
名を呼ばれた二人の少年は、ケルティス達に軽い会釈をした上で、彼等が囲む卓の空いた席へと腰掛ける。
そうして集まった六人は、和やかな雰囲気の中で昼食を食べ始める。
やがて昼食も一段落した頃、クリストが眼鏡に手を添え、興味深げな様子でケルティス達に問いの言葉を投げかける。
「そう言えば、今学院の中で飛び交っている噂の真相……何か知っているよね?」
「「「…………」」」
投げかけられた言葉に、ケルティス達は思わず言葉を飲み込む。暫しの沈黙の後に、ヘルヴィスが口を開いた。
「……よくも、こんな場所でそんな話題が出せるものだ……」
「そうかな?……こう言う賑やかな場所だから、こう言う話がしやすいんじゃないかな?」
「…………」
クリストが返した言葉に、ヘルヴィスは押し黙る。
そうして暫し、眼鏡の少年二人は見詰め合う。一方は睨み付け、一方は口元に微かな笑みを浮かべながら……
ともあれ、そんな見詰め合い――睨み合いも長くは続かなかった。それは、ヘルヴィスの鋭い詰問の声で破られることになる。
「……何故、そんなことを聞きたがる……?」
「う~ん…………単に興味本位なだけなんだけどね」
ヘルヴィスの問いに、些か困った様子で頭を掻いたクリストが答えを口に出す。その返答に、ヘルヴィスの顔は渋いものに変わる。
そんな彼の様子に苦笑気味な表情を見せつつ、クリストは言葉を続ける。
「そんな顔をされてもね……蚊帳の外だった僕としては、事情を知っていそうな人に噂の真相を確かめたいって思うのは、自然なことだろう?」
そう言うクリストは、対面するヘルヴィスからケルティス達へと見回した後、その視線をルベルトへも移す。
「……ヒッ……!」
「この前、皆んながセレシア姫のお茶会に招待された時、どんな話があったんだい?」
探る様な視線に怯む御曹司――ルベルトに、学者の息子らしい探究心が込められたクリストの問いが投げかけられる。そんなクリストに向けて、再びヘルヴィスより声がかけられる。
「……おい、そんな風に問い詰めるもんじゃない。そいつが怯えてるだろうが……」
「あぁ、ごめんごめん……でも、気持ちは分かって欲しいなぁ……」
悪びれた様子もなく肩を竦めるクリストに向けて、ケルティスから問いの言葉が漏れる。
「それにしても……クリストさんは何故、僕達に問いかけたんですか……?
同じ学級の皆さんは、誰も噂のことを気にしている様子なのに、僕達には聞きに来るようなことはなかったのですが……?」
「「「…………え……?」」」
そう言って首を傾げるニケイラやカロネア、それにルベルトと言った面々は、唖然とした様子でケルティスを見詰める羽目になる。そして、呆れた様子のヘルヴィスより言葉がかけられる。
「……噂と言うのは、当の本人の耳に届くのは、大抵最後になるのが普通だ……」
「……そう言うものですか……?」
「…………そう言うものだ……」
「……そうなのですか……」
ヘルヴィスの言葉に納得するケルティスの姿を、他の面々は若干複雑そうな面持ちで見詰めていた。
暫しの空白を開けて、ヘルヴィスは再び口を開く。
「……それにしても、クリスト……何故、僕達に尋ねる気になった……?」
「そんなこと、簡単なことだよ。この噂の真相を知っていそうだと思うからだよ……で、本当の所、どう言うことなんだい?」
好奇心溢れるクリストの問いかけに、他の一同は互いに視線を交し合う。そして、数瞬の躊躇いの後にケルティスが口を開いた。
「……確かにあの時、姫君からレイアさんが頼みごとをされました」
「ふむふむ……それで、その“頼まれごと”と言うのは……?」
ケルティスの返答に、身を乗り出す様にクリストが次の言葉を促す。そんな彼に向けて“虹髪”の少年は声を潜めて言葉を続ける。
「……姫君の、お忍びの、案内です……」
「……お忍び、ねぇ……」
ケルティスの声に合わせる様な小さな声で呟きつつ、クリストは思案気な顔をして見せる。
「……クリストさん……?」
「…………案内って、何処への案内なんです?」
クリストの様子を訝しんで声をかけたケルティスに、彼より再び問いの言葉を投げかけられた。その問いかけに、ケルティスは少し逡巡する様子を見せた後で返答の言葉を呟いた。
「……カロネアさんの御祖母様にお会いになりたいそうです」
「…………カロネアさんの、御祖母様……?」
ケルティスの返答を耳にしたクリストは、その意味を量りかねたのか首を傾げる。
怪訝そうな彼に向けて、ヘルヴィスより補足の言葉がかけられる。
「……“碧玉の聖娼”と呼ばれていた人物だ……」
「……へきぎょくの……せいしょう……?」
その補足の言葉を耳にしても、クリストは首を傾げたままだった。そんな彼に向けて,
ヘルヴィスより再び補足の言葉が告げられる。
「……“黒き魔槍士”の後見人の様なことをしていた者だ……」
「……“黒き魔槍士”……?
あぁ、あのセイシア将軍のことですね……なるほど…………ん?」
ヘルヴィスの言葉に納得気に頷いていたクリストは、数度頷きを見せた後で何かに引っかかった様に動きを停めた。
「?……どうかしたんですか?」
「あぁ、ケルティス君……確か、セイシア将軍って上位貴族の名家が出身だった筈ですよね……?」
「……そうですね。上級貴族のミレニアン家の出身ですけど……?」
「なら何で、その後見人の方が……貴族でもない方なんです?」
「「「………………」」」
クリストが問うた内容に、他の面々が何処か呆れた様な目で彼を見詰めることとなっていた。
「あの……レイン閣下が、若い頃に家を出奔して下町で暮らしていらっしゃったことは良く知られた話ですよ……?」
「……え?……そうなの……?」
「はい、“狩猟都市”出身の私も以前から聞いてましたよ」
微妙な沈黙を破る穏やかなカロネアの声に、唖然とした声をクリストが漏らす。そんな彼に向けて、ニケイラが止めを刺す様に言葉を繋ぐ。
それらを聞いて、今度はクリストの方が苦笑いを浮かべたのだった。
* * *
クリストが苦笑いを浮かべたことを切欠に、ニケイラを中心に“漆黒の姫将軍”セイシア=コアトリアの活躍へと話題は移って行った。
熱っぽく語るニケイラの話を、都市セオミギアの下町の事情に通じたカロネアや、大陸西域の史実に詳しいヘルヴィスが補足の言葉を付け足している。
そうして会話を弾ませている中、ヘルヴィスが呆れ混じりの様子で呟いた。
「まったく……こいつは、本当に“虹の一族”にしか興味がなかったんだな……」
「「……ハハハ……」」
「……フフフ……」
「「…………?」」
ヘルヴィスの呟きに、ケルティスとクリスト、それにカロネアから微かな苦笑が漏れる。
対して、ニケイラとルベルトは訝しげに首を傾げる。
そんな少年少女の姿を一通り見回した眼鏡の少年は、一つ軽い溜息を吐いた後で説明の言葉を続ける。
「……まぁ、知らない奴もいるか……“虹の一族”と言えば、コアトリア家の異名として知られているがな。一部の賢者の中で、微妙に違う意味で使われている。
コアトリア家の創始者――ティアス=コアトリアは“虹翼の聖蛇”エルコアトルの養い児であり、彼の神によって様々な呪的処置を施されたらしい。だからこそ、ティアス猊下やその血縁者は、普通の人間とは異なる存在だと考えられている」
「……異なる存在ですか……?」
彼の言葉に、何とも言い難い面持ちで赤毛の少女より呟きが漏れる。
「あぁ……それで、人間に似て非なる種族――言い直せば、人間族の亜種として、“虹の一族”と言う呼び名で呼ばれているんだ。
そう言う意味で言えば、セイシア閣下は“虹の一族”ではないからな……」
「……そうなのですか……」
「……あれ?……ラティル先生は……?」
ヘルヴィスの説明を聞き、ルベルトは呆けた様な呟きを漏らしたのに対して、ニケイラから疑問の声が上がる。その問いかけに、ヘルヴィスは微かに眉を顰めた後で言葉を返した。
「ラティル講師は、ティアス猊下より“聖蛇”が施した呪的処理に似た術を施されているからな……一応、“虹の一族”に数えられている。もっとも、“女性体”に限ってのことだがな」
「……なるほど……」
ヘルヴィスの説明に、ニケイラは納得の声を漏らす。そんな彼女等の姿を見回した後、ヘルヴィスは再度言葉を続けた。
「……そう言うことを踏まえて、このクリストって奴は、種族としての“虹の一族”にしか関心がないみたいだと思ってな。
それにしても……考えてみれば、お前って、生まれの特殊性を差し引いても、“人外の化け物”と呼ばれる要素はあるな」
「……ハハハ……」
ヘルヴィスの言葉に、ケルティスが苦笑を漏らした。しかし、そんな彼の発言に立ち上がって激昂して立ち上がる少女がいた。
「ヘルヴィス!……その言い方は酷いよ!」
「まぁまぁ、ニケイラさん。ヘルヴィス君も悪気があってのことではないでしょうから……ね?」
そうして声を張り上げたのは、ニケイラであった。その声に食堂の衆目が集まる。そんな彼女の様子を目にして、隣に座る少女――カロネアより宥める為の声がかけられる
「……あっ……ごめんなさい」
親友よりかけられた声で我に返ったニケイラは、バツの悪そうな面持ちで謝罪の言葉を呟いて席に座り直したのだった。
集まった衆目に向けて、カロネアが少々思わせ振りな微笑を振り撒き、ヘルヴィスより鋭い睥睨を見せたことで、次の瞬間には全員の視線を逸らさせたのだった。
* * *
ともあれ、その後は比較的当たり障りのない会話のまま、彼等の昼食の時間は終わった。
それぞれの膳を返した一同は食堂を後にし、次の講義――午後一番の講義が行われる講義室に向かって回廊を進んでいた。
そんな和気藹々として回廊を進む彼等へ、無粋な声がかけられることとなる。
「……おい、お前等!」
その声に振り返ったケルティス達は、その表情を曇らせることとなった。振り向いた彼等の視線の先に立っていたのは、デュナンと彼の取り巻き達であった。
彼等の登場に怪訝な表情を隠せずにいる面々の中で、ケルティスが思い切って問いの言葉を投げかける。
「デュナン君……なんでしょうか?」
睨み付ける様な顔立ちで、デュナンは立ち止まるケルティス達に詰め寄る。
「お前等、またしても姫君を誑かしているらしいな!」
「誑かすなんて……そんな……」
デュナンより投げ付けられた罵声に、ケルティスから憮然とした呟きが漏れる。
「しらばっくれるなよ!」
「そうだ、そうだ!」
そんな“虹髪”の少年の声に被せる様に、デュナンの両脇に立つ取り巻きより声が上がる。そして、彼等より益体もない罵詈雑言が発せられて行く。
そんな状況にケルティスの顔は悲嘆に曇り、彼の友人達は、ある者は困惑で眉を潜ませ、ある者は苛立ちで険しくなって行く。だが、責め立てる者達は彼等の表情に気付かない。
次の瞬間、冷たい声が回廊に響く。
「……全く、謂れの無い台詞を吐くしか能の無い馬鹿共だな……」
「!……バ、馬鹿だと……!」
「あぁ、良く知りもしない噂を鵜呑みにして、罪もない者に罵詈雑言を吐く様な者を、馬鹿と呼んで何が悪い?」
冷淡に言い捨てて見せたのは、ヘルヴィスであった。罵り返されたデュナン達は、その台詞に一時絶句する。
「第一、付き纏っているのはレイン先輩の側ではなく、姫君の方だと言うのは、学院内外の噂を集めて勘案すればすぐに理解出来そうな話ではないか」
「……な!」
「そんなことも知らんとは……平民出の生徒ならともかく、貴族――それもこの国の貴族の子弟が、あんな噂に踊らされるとはな……」
そう言って鼻で笑うヘルヴィスの姿に、呆気にとられていたデュナン達だったが、次第にその顔色を怒りで紅潮させて行く。そして、その怒りが激発する寸前、再びヘルヴィスより言葉が紡がれる。
「……所で、こんな所で無駄に油を売っていて良いのか?」
「「「……?」」」
「こんな所で僕等の相手をして騒ぎを起こしているより、姫君のご機嫌伺いに行った方が建設的だと思うがな……?
ケルティスの知り合いだとでも言えば……もしかしたら、お前達にも何かお言葉が戴けるかもしれんぞ?」
「…………チッ!……行くぞ、お前達!」
ヘルヴィスの言葉に出鼻を挫かれたデュナン達は、大きく舌打ちをした後で踵を返した。
* * *
肩を怒らせて歩み去るデュナン達を、ケルティス達はただ黙って見送った。
そして、暫くしてからポツリとヘルヴィスより呟きが漏れた。
「……少々、やり過ぎたか……?」
「……如何なのでしょうね……?
上級貴族の子弟とは言え、他の者へ不当な罵詈雑言を浴びせると言う行為は、咎められるべきものですから……」
「……って言うか、あれだけ言いたい放題に言っといてから、「やり過ぎたか?」って言うのはないと思うんだけど……?」
彼の呟きに、カロネアとニケイラより幾分呆れ混じりの声がかけられる。そんな彼女等に多少バツの悪そうな面持ちでヘルヴィスが言葉を返した。
「奴等の言い様が余りに見苦しかったから、つい言い返してしまったのだが……下手に言い負かし過ぎて、奴等が厄介なことを仕出かさないかと思ったからな……」
「それなら、言い過ぎなければ良かったじゃないかい……?」
ヘルヴィスの呟きに、クリストから疑問の声が上がる。
「……今、思い至ったのだから、仕方がないだろう……」
幾分拗ねた様な風情で呟くヘルヴィスの言葉に、ケルティス達は思わず苦笑を漏らしたのだった。