第四十四節:言いがかりと出迎えと……
レイアより告げられた衝撃的な伝言から、およそ一日が経過していた。
前日の宣告を了承した少年少女達は、その日の朝方より密かな注目の中に陥っていた。何と行っても、彼等がやり取りをしたのは中等部一年がよく利用する食堂であり、その会話を盗み聞きしていた者も少数ながら存在していたからだ。
そんな居心地の悪い視線を集めつつも、比較的穏やかに時は過ぎて行った。
しかし、そんな穏やかな時間は半日ばかりの間であった。
* * *
それはケルティス達が何時もの食堂にて昼食を済ませた後、教室に戻ろうとしていた時に起こった。回廊を行く彼等の前に、数人の少年が立ちはだかったのだ。
「おい!……貴様等!」
「「……貴方は……」」
「「……デュナン!」」
立ちはだかったのは、デュナン=ディケンタルとその取り巻きの少年たちであった。
そんな少年達の姿を目にして、ケルティスやカロネアは訝しげな表情を見せ、ニケイラやヘルヴィスは険のある目付きで彼等を睨み付ける。
「ケルティス、貴様!……セレシア殿下をどうやって誑かしたんだ!」
「……誑かしたって……?」
いきなり投げかけられたデュナンの言葉に、ケルティスは呆然と鸚鵡返しに言葉を繰り返す。そんな彼の姿に金髪の少年は眉を顰めて、ケルティス達を睨み付けながら声を荒げた。
「惚けるな!……セレシア殿下に取り入って離宮に招かれたと言うではないか!」
そんなデュナンの言葉に、些か複雑そうな表情でケルティス達は互いの顔を見合わせつつ呟いた。
「……取り入ったって……」
「……それは逆でしょうに……」
「……全く、勘違いも甚だしいな……」
小馬鹿にした様な三人のやり取りを耳聡く聞き付けたデュナンから、再び声が上がった。
「何を言っているんだ、貴様達は……!」
「そうだ、そうだ!……デュナン様を馬鹿にするな!」
「そうだ、そうだ!……無礼者め!」
デュナンの怒鳴り声に唱和するかの様に取り巻き達からも声が上がった。
そんなデュナン達の態度に、ケルティスは困惑が色濃くなって行き、その友人達は不快感や憤りの念と言ったものが湧き上がって来る。囃し立てる取り巻き達の台詞に、次第にこれらの困惑や憤りの感情はいや増して行く。
そんな彼女等の憤りが噴き出す直前に、別の方向から声がかけられる。
「何をやっているのかな、君達……?」
冷ややかな感情が十二分に垣間見えるその声に、囃し立てていた取り巻き達は呑まれた様に押し黙った。
そして、一同はその声の主の姿を確認しようと首を巡らす。そこに立っていたのは、“虹髪”に碧の瞳を持つ少年であった。
「「「……フォルンさん……」」」
現れたフォルン=コアトリアの姿に、その場は一瞬の沈黙が訪れる。そうして呆然とした彼女等の許にフォルンが歩み寄る。
「……姫様が姉さんに無茶を言ったって聞いたから、様子を見に来てみれば……案の定と言う所だね……」
「案の定とは、どう言うことだ……?」
苛立たしげな声を上げるデュナンに対して、呆れた様にしてフォルンは言葉を返した。
「……君が言っていた離宮への招待は、セレシア殿下から言い出した話で、ケルティス君やレイア姉さんが頼んだ訳じゃないってことだよ……
この噂を変な風に勘違いした人が出やしないかとは思ったけれど、君達がそうだとはね……」
「俺が勘違いしただと……?」
フォルンの台詞を聞いて、苛立たしげに眼を鋭くさせるデュナンに対し、フォルンは言葉を続けた。
「えぇ、そうです。コアトリア家の者で、王家に擦り寄る様な真似をする者はいませんよ。
むしろ、王家の方々の中にコアトリア家の者に興味を持っている方がいる様ですね……」
「そ、そんな話、信じられるか……!」
「まぁ、こんな話……当のコアトリア家の者に言われた所で信じられないと言うのも分からなくはないですけどね……」
激昂気味のデュナンに対して、自嘲気味な口調でフォルンは言葉を紡ぐ。そして次の瞬間、決然とフォルンは言葉を発する。
「ですが、今回のことを決められたのはセレシア殿下本人であることに間違いはありません。良かったら、セレシア殿下に直接お尋ねになりますか……?」
その決然たるフォルンの姿に、デュナンは舌打ちをしてその場を去ろうとする。そんな彼に向けて、思い出した様にフォルンは声をかける。
「そう言えば、姫様はケルティスの友人である数人もともに招待すると仰っていましたから、ケルティスの友人と言うことで一緒に訪問することも出来ますが……如何ですか?」
「え~!……フォルン先輩、こんな奴を誘うことなんてないじゃないですか……!」
フォルンの台詞を聞いて、即座にニケイラより不満の声が上がる。しかし、フォルンはこの言葉を訂正する様子もなくデュナンの反応を待つ。
「…………断る!……行くぞ、お前等……!」
「え?……は、はい……」
「……ま、待って下さい……」
それに対して、暫しの逡巡を見せたデュナンは忌々しげな言葉を吐き捨てて、取り巻き達と共にその場を立ち去ったのだった。
* * *
立ち去るデュナン達を見送ったフォルンは、その視線をケルティス達へと向けた。
「……大丈夫だった?」
「は、はい……ありがとうございます」
「どう致しまして……」
そう言って微笑みを見せるフォルンの姿に、ケルティスは安堵の表情を浮かべていた。
安堵するケルティスに対して、彼の傍らに立つ眼鏡の少年は幾分訝しげな面持ちで問いの言葉を漏らした。
「それにしても、何故こちらに来たのですか?……フォルン先輩?」
ヘルヴィスの問いかけに、彼の方へと振り向いたフォルンは答えの言葉を返す。
「あぁ、それはね……姉さんが姫様から伝言を頼まれた場所に僕もいたからね。昨晩のケルティスの様子も見ていたし、大丈夫か様子を見に来ようと思っていたんだけど……そんな時に声をかけられてね……」
「……声……?」
小首を傾げるヘルヴィス達に対して、フォルンは僅かに首を振ってとある方向へ視線を促した。その示された先にいたのは、廊下の隅で様子を窺っていた小太り気味の少年――ルベルトの姿であった。
「……ルベルトさん……?」
「……彼からケルティスが、あのディケンタル家の子に絡まれてるって、教えてくれたからね。急いでここに来たと言う訳さ」
「なるほど」
ヘルヴィスが納得して呟きを漏らしている間に、ケルティスは少し離れた場所にいるルベルトの許へと歩み寄る。そして、彼の手を取って感謝の言葉を紡いだ。
「ルベルトさん、ありがとうございます。貴方がフォルンさんに知らせてくれて、本当に助かりました」
「い、いえ……そんな……たいしたことは何もしてませんから……」
「そんなことは、ありません!……本当に、ありがとうございます」
言い淀むルベルトに向けて、ケルティスは感謝の言葉を重ねていた。
そんな二人の許に、フォルン達もまた歩み寄り、フォルンから一つの提案が示された。
「……ルベルト君、と言ったかな?……良かったら、ケルティス達と一緒に姫様の離宮に行ってみる気はないかい?」
「……ふぇ……?」
フォルンの提案に、一瞬呆けた表情を見せたルベルトであったが、一拍の間の後に素っ頓狂なまでの大声を上げる。
「ぼ、僕が王城の離宮にですか!」
「あぁ、良かったら……だけどね」
「そ、そんな……畏れ多い……僕はただの商人の息子で……」
「それを言うなら、私は下町育ちの一市民でしかないのですが……?」
恐縮頻りと言った様子で言葉を紡ぐルベルトに対して、青髪の少女――カロネアから言葉が返される。
「えっと……カロネアさん?」
「畏れ多くも、私も招待されてしまっているのです。名の知れた“アルジェフル商会”の御曹司が遠慮することはないと思いますよ……」
そう言って優雅に微笑むカロネアの顔には、何処か反論を許さない雰囲気を漂っていた。そこにフォルンから言葉が続く。
「まぁ、大人数での訪問は問題かもしれないけれど、親しい人間がそれなりにいた方がケルティスも安心だろうと思ってね……どうかな?」
「……あ、あの……本当に、よろしいんでしょうか……?」
恐るおそると言った様子で問いかける小太り気味の少年に向けて、そこにいた五人の少年少女は各々が首を縦に振って見せたのだった。
* * *
そうして更に日は過ぎ、“夢幻神の日”を迎えることになった。
ともあれ、半ば上の空と言った状態で、ケルティス達は午前の授業を受けることとなった。お蔭でニケイラやルベルトは、講師等に注意される一幕があったものの、何とか無事に過ぎて行った。
やがて、午前の授業も全て終了したケルティス達四人は、筆記具や教本を纏めると、皆で揃って中等部学舎の手前にある広間へと向かって行った。
そうして、ケルティス達は広間に辿り着いた。そこには先に到着していたルベルトとレイア・フォルン姉弟の姿が見受けられた。そんな彼等に向けてケルティスは声をかける。
「あれ?……遅れてしまいましたか?」
「いえ、そんなことは……僕の方は、授業が早めに終わりましたから……」
幾分恐縮しているケルティスに向かって、ルベルトより慰める様に言葉が紡がれた。
「あたしは、早々に授業を抜け出したからだけどな……!」
「……それで言うなら、僕は姉さんを追い駆けてた所為……に、なるのかな……?」
一方で、レイアは自慢げに胸を反らして誇らしげに喋り、そんな姉の姿を憮然と一瞥したフォルンは苦笑混じりの言葉を紡いでいた。
そんな会話をコアトリア家の子供達が交わしている傍らで、ヘルヴィスより疑問の言葉が漏れる。
「所で、セレシア殿下は何処にいらっしゃるのですか……?」
「ん?……姫様か?……先に馬車で待ってるってさ……」
ヘルヴィスの疑問に、レイアは若干素っ気ない感じの口調で答えを返した。そして、広間に集まった一同を見回した後、彼女は言葉を紡ぐ。
「それじゃあ、全員揃った様だし……少々気も進まないけど……」
「……姉さん……」
「分かってるって……じゃあ、行こうか……!」
最後に声を幾分張り上げたレイアは、一同を率いて神殿の入口に向けて歩き出したのだった。
* * *
そうしてレイア達は神殿の表門に向かって神殿の回廊を進んで行く。
そんな彼女等は、事情を知る学院生徒達の注目の的となっていた。
お蔭で、そんな視線を気にして、ケルティスやルベルトは身を縮こまらせる。だが、そんな彼等に向けて、レイア等から気にするなとの声をかけられた上で、そのまま彼等は回廊を足早に通り過ぎて行ったのだった。
やがて、神殿の表門に辿り着いた一同の多くが、身を強張らせることとなった。
彼等の眼前――“大神殿”の入口たる大階段の下の広間に、一台の馬車が鎮座していたからだ。
勿論、ただの馬車ではない。二頭立ての大型の箱馬車である。しかも、その車体は豪奢な装飾が施され、車軸と車体の間には板発条等を挟み込んだ緩衝機構が備わった代物であった。
それは家柄を示す紋章の類は掲げられていないものの、王族や貴族が用いる高級な馬車であることは一目瞭然であった。
更にその馬車の周りには、騎乗した二人の人物と儀礼用の短槍を手にした数人の人物が馬車を囲む様に立っていた。騎乗の人物は白地に青氷色の縁取りが施されたやや簡略化された板金鎧を身に纏い、長剣を腰に佩いている。短槍を掲げた人物も、騎乗の人物が纏う装束を簡素にした様な意匠をした鎧と衣を身に着けていた。
これらの人物の正体に、その場にいた皆が何となく察しが付いていた。特に、コアトリア家の者達は家族のお蔭もあって、ある程度詳細にその正体に察しが付けられた。
「……あの……あそこにいる方々って、“白牙騎士団”の方ですよね……?」
「そうだな……多分、騎乗しているのが正騎士で、他の奴等は従卒士か隊兵士って所だろうな……」
「もしかしなくても、一番隊の隊士……だよね……?」
「それ以外の何だって言うんだよ……この状況で……」
「……そう、だよね……」
「……ですよね……」
思わず確認の言葉を紡ぐケルティスやフォルンに、何処か諦めた様子でレイアが言葉を返す形で幾言かの言葉が交わされる。
「「「「…………」」」」
その会話を聞いて、彼等の傍らにいた少年少女達も微妙な表情で互いの顔を見合わせていた。
そうして、ケルティス達が階下の広間へ降りることを躊躇っていると、その箱馬車の扉が開かれた。
「何をしているのです。さぁ、こちらに乗り込んでいらっしゃい」
そう声をかけたのは、これからケルティス達が訪ねる茶会の主催者――セオミギア王国の姫君たるセレシア=ユロシア=オン・セオミギアであった。
馬車より現れた王孫女の姿を目にして、礼拝に訪れた信徒や下校中の生徒の視線が、王孫女と彼女が呼びかけた者達に集中することとなる。
結局の所……その姫君の呼びかけや集まる衆目を、知らぬ振りが出来る程の度胸を、ケルティス達は持ち合わせてはいなかった。
ケルティス達は駆け込む様な足取りで馬車へと乗り込んだのだった。