第三十三節:対峙と応酬と……
この世界――メレテリア世界には、数多の神々が信仰や崇拝の対象として存在している。
だが、“真正の神々”と認識される存在は、余り多いとは言えない。その“真正の神々”と認識される存在こそが、八柱の“神人”と二柱の“神竜”である。
その十柱の神々の内の二柱――“二大神竜”とも称されるこの夫妻神は、巨大な竜の姿を持ち、“光の太陽”と“闇の太陽”と言う二つの“太陽”の運行を司る神にして、“有鱗の民”と自称する竜族や亜竜族、及び一部の妖精族の始祖たる神々として知られている。
だが、余り知られていないことながら、この二柱の神々は、“太陽”より射し込む“光”や“闇”と言う形で、“地上界”へと“魔力”を供給することで世界の“力”の循環と維持を司る存在と言う側面を有している。
そして、その役割は、“二大竜王”の実子たる“十大竜王”――より正確には、その内の六柱で構成される“六大竜王”もまた同様に担っている。六柱の“竜王”は、各々が“光と風”・“闇と大地”・“炎”・“水”・“生命”・“氷”の“精霊力”を“地上界”へと供給することで、“精霊力”の循環を司る存在となっている。
この役割――“精霊力”の供給と循環と言う行為は、“六大竜王”の直系子孫たる“公竜”と称される上位竜族等も限定的なものではあるが司っている。
『白鱗の領域』――より詳しくは『~鱗の領域』と呼称される“神竜魔法”の呪文は、この“竜王”や“公竜”が担う権能をかなり限定的な形ではあるが獲得する呪文であると言えるだろう。これらの呪文は術者の魔力を用いて、術者自身を“精霊界”に通じる門と成さしめることで、六色の種類の各々に対応した精霊力を周囲に振り撒くこととなるのだ。
さて、“白竜王”フォルグローンが司る精霊力とは、“氷の精霊力”であり、彼の竜王の眷族たる“白鱗の民”が操る『白鱗の領域』によって振り撒かれるのは、同じく“氷の精霊力”である。『白鱗の領域』は発動することで、術者より“氷の精霊力”が溢れ出し、術者を中心とした一定の領域を“氷の精霊力”で満たすことが出来る。
その影響によって、領域内の気温を極度に低下させ、媒介を用意することなく“氷の精霊魔法”を発動可能となり、また一方で、“炎の精霊力”の励起を阻害する効果もあるとされている。
* † *
ケルティスは、“炎の悪魔”が生み出した炎剣の正体が“精霊魔法”に似た術を用いて成形された物だと気付いていた。また、“炎の悪魔”の全身より噴き上がる紅蓮の炎も、“神竜魔法”の『赤鱗の領域』の呪文に近似した能力であろうと推測していた。
だからこそ、“虹髪”の少年は自身が使用出来る最上位の呪文を用いた。
それによって、“炎の悪魔”の総身を覆っていた紅蓮の炎は見る間に衰え、炎剣を創成せんと噴き上げた炎を即座に吹き消された。
これら――“悪魔”の身に生じた状況を目にして、ケルティスは自らの選択が功を奏したと、微かに口元を綻ばせた。
「…………よし……!」
だが、そんなケルティスに向けて、“炎の悪魔”はニヤリと口角を上げる。
『……コノ程度デ我ノ炎ヲ封ジタツモリカ……?』
「……!」
『……ウォオオォォォ……!』
嘲りの色が混じる呟きを漏らした後、“炎の悪魔”は咆哮を上げた。その咆哮と共に、再び“炎の悪魔”の総身より紅蓮の炎が噴き上がる。
噴き上がった炎は“炎の悪魔”の全身を駆け上がり、再度その右手に集束する。そして、彼の“悪魔”は、集束した紅蓮の火球を握り締めた。
純白の氷霧が舞う中で、“炎の悪魔”の手に再び紅蓮の炎剣が握られた。
再び振り上げられた炎剣は、驚きで見上げるケルティスに向けて振り下ろされた。
その炎剣を、咄嗟に左へと跳んで“虹髪”の少年は身を躱す。
だが、振り下ろされた炎剣は、書庫の床を穿つ前にその軌道を変える。
自らの腕力に物を言わせて、ほぼ直角に切り返された炎剣は、強風に靡く細枝の如き撓りを見せながら、跳び退るケルティスを追尾する。
その追尾する炎剣を前にして、ケルティスは剣の軌跡を目で追いつつ、自らの尻尾を撥ね上げる。その勢いを利用して、上体を低く伏せつつ身を捻る。
身を低くした少年を掠める様に、唸りを上げて炎剣が通り過ぎる。
炎剣を紙一重で避けたケルティスは、手足三本を使った着地の直後に再度三本の手足で跳躍する。空中で後転を決めた彼は、“炎の悪魔”の間合いの外へと距離を取り、改めて構えを取った。
間合いを取り、対峙する“炎の悪魔”の姿を注意深く観察しながら、少年は深呼吸をして乱れかけた息を整える。
* * *
「……チッ!……あれでも、抑えきれないのか……」
氷霧の舞う中で、再び炎剣を手にした“炎の悪魔”の姿を目にして、ヘルヴィスは驚きに目を見開き、次いで苦虫を噛み潰した様な面持ちへと変ずる。
相手は無名とは言え、神代で妖魔の群れを率いていたであろう “大妖魔”……対するケルティスは、神童・天才の形容では足りぬ程の潜在力を秘めた者ではあるものの、一介の“少年”でしかない――筈である。
少し考えて見れば、敵わぬこと自体は至極当然のことと言い捨ててしまえることなのかも知れない。
ただ、“神竜魔法”に関する知識も若干持っていたヘルヴィスは、『白鱗の領域』が“神竜魔法”の中級呪文に区分される中でも比較的高度なものであることを知っていた。
そして同時に、この呪文が発動して際の危険性も、彼はよく知っていた。
“氷の精霊力”を噴出すると言う性質上、『白鱗の領域』が展開されている場所では、“氷の精霊魔法”の容易に発動し、かつ効果は増強される。反面で“炎の精霊魔法”の発動を阻害し、威力を減少させる。だが実の所、それだけの作用ですむ訳ではないのだ。
“氷の精霊力”は、その名の如く“氷雪”や“冷気”、それに“霧”と言った事象を司ることが知られている。しかし、余り知られていないことではあるが、この“精霊力”が司る事象に“眠り”や“死”と言ったものが存在する。
故にこそ、不用意に『白鱗の領域』の範囲内に留まっていれば、体温の低下と共に魔法的な眠りに誘われ、最終的に凍死する危険性を秘めていると言われている。無論、“魔力”や“精霊力”への対処に心得のある者達――魔法使いや冒険者等に区分される者達――であれば、そんな危険性を考慮する必要は余りない。
しかし、多少は魔法に才があるとは言え、一介の少年少女である自分達が無事でいられる保証はなかった……少なくとも、保証はないと感じていた。
だからこそ、この呪文が発動したと同時に、ヘルヴィスは皆を退避させたのだ。
だが、相対する“炎の悪魔”は、その自身の能力を一時封じられたものの、 “氷の精霊力”が充満している空間の中で弱った風情を毫も見せることなく炎剣による大立ち回りを演じている。
その姿を目にしたヘルヴィスは、漏れ出てきた冷気ではなく、慄きから背筋に寒気を感じていた
* * *
炎剣の間合いの外へと一旦退避し、体勢を立て直したケルティスは、改めて対峙する”炎の悪魔”の様子を観察する。
彼の“悪魔”の総身を覆っていた紅蓮の炎は、『白鱗の領域』を展開する前と異なり、その多くが淡い揺らめき程度にまで弱っており、魔法的な能力はある程度削り取れたと見受けられた。更には、その手に握る炎剣は、腕の振りや冷気と熱気のせめぎ合いで生じる風に揺らめいており、先程形成していた炎剣よりもその実体としての要素が薄まっていることが察せられた。
先程の物に比して炎剣の実体が薄まったことは、ケルティスにとって素直に喜べない状況とも言えた。何故なら、実体を薄めたことで硬い刀身を半ば失ったこの“炎剣”では、ケルティスの“氷鱗”を削り取ることは不可能となっているものの、“氷鱗”を焙り熔かすこと自体は十分に可能なのだ。更に言えば、硬い刀身と言う実体を半ば失ったことで、“竜闘術”による受け流しや払い落としと言った技を行うことが非常に困難になったと思われた。
ただ、『白鱗の領域』を発動させた影響で体表を濃密に覆い尽くす“氷の精霊力”が、炎剣の炎を若干逸らせる効果を発揮していることが不幸中の幸いと言えた。
ともあれ、“炎の悪魔”の総合的な能力を些か減じさせることには成功したものの、決して優位な状況に立てた訳ではないことを、ケルティスは感じずにはおれなかった。
更に言えば、その太刀筋の鋭さが鈍った様子を見せていない以上、迂闊な攻めを行えばこちらが墓穴を掘る結果となりかねない。だが、間合いの外で攻め倦めていれば、より危うい事態を導きかねない。
そんな懸念をケルティスが脳裏で巡らせている間に、氷霧の中に立つ“悪魔”の口より声なき声が響く。
「…………!」
その声の正体が“精霊魔法”の詠唱であることを、彼は即座に察知した。その詠唱の形式から、大規模な“炎の精霊魔法”の行使を予感させ、同時にその呪文の対象が自分以外の者達を狙ったものと感じられた。
それが懸念していた事態だと感じた刹那、少年は駆け出していた。
不意の突進に、“炎の悪魔”は、振りかざしていた炎剣を駆け寄る少年に向けて振り下ろす。
その一閃を、ケルティスは右に跳んで避け、即座に振り下ろされた炎剣を跨ぐ様にして左へと跳躍する。
全身の発条や尻尾を利用した重心の移動等を駆使して行われた切り返しに、“炎の悪魔”は反応を一拍ばかり遅らせる結果となった。
その一拍の間隙を突いて、ケルティスの手刀が“炎の悪魔”の顎門を狙う。
鋭利な鉤爪を一本の剣の如く揃えた手刀による突きが迫る中、“炎の悪魔”は身を逸らせて躱し、詠唱は途切れることなく続けられる。
だが、右手の手刀が“悪魔”の顔の前方を通り過ぎた次の瞬間、“炎の悪魔”の首が“何か”によって刈り取られた。
「……ガハッ!」
その不意打ちを受けて、“炎の悪魔”はその詠唱を途切れさせる。
しかし、“神代の大妖魔”は伊達ではなかった。彼の“悪魔”は、自らの首を刈った“何か”を掴み取った。
「……あ!……しまった!」
「「……ケルティスさん!」」
「……ケルティス!」
「……ケルティス様!」
“炎の悪魔”が掴み取った“何か”とは、ケルティスの左腕――左前腕であった。
自在に動かぬ左腕――特に左前腕――を何とか動かせる左肩や左上腕の振りで、“悪魔”の首を刈り取ったのだった。
しかし、一撃を見舞った反動で弾かれた左腕を、“炎の悪魔”は素早く掴み取ったのだった。
自在に動かぬケルティスの左腕を、暗赤色の巨大な拳が握り締め、その力を徐々に籠めて行く。
「…………クッ……!」
握り締められた左腕は、骨や筋が軋む音が聞こえる程に力が込められていた。しかし、悲鳴を上げずにはおれない激痛が襲うであろう状況でありながら、不幸中の幸いと言うべきか、彼の左腕は彼自身へやや強めの鈍痛を伝える程度で済んでいた。
とは言え、現状のまま推移すれば、彼の左腕の骨には罅が入り、遂には握り潰される可能性はあった。
苦悶を漏らすケルティスの顔を覗き込もうとする為か、“炎の悪魔”は彼の左腕を持ち上げる。
『……随分ト舐メタ真似ヲシテルレタナ……』
そう呟いて、“炎の悪魔”はその手に握る力を更に込めた。
その力を込めんとした刹那、ケルティスの顎門が開く。
「……ヴォオオォォォ……!」
その開かれた顎門より、『氷雪の息吹』は吐き出された。
『……ナニ!…………グワァァアアアァァァ……!』
不意を打つ形で浴びせられた攻撃に、“炎の悪魔”は堪らずにケルティスを投げ捨てた。
虚空に投げ出されたケルティスは、その身を捻って両足での着地を決める。そのまま数歩分を跳び退り、彼は改めて“竜闘術”の構えを取り直した。
* * *
攻めたとて、痛手を負わせられる目処は立たない。だが、攻め倦めていれば、背後に控える友人達が魔法攻撃の対象となりかねない。
そんな状況を頭の中で整理し、ケルティスは苦虫を噛む様な面持ちに移り変わる。
だが、そんな苦い表情を見せる少年を嘲笑う様に、“炎の悪魔”は出現して初めて駆け出した。その突き進もうとする先は、対峙する少年から若干軸の異なる方向――少年の背後に寄り集まる少年少女に向かっていた。
「「「…………!」」」
「……な!……ニケイラさん……!」
迫る“炎の悪魔”の突進に、恐怖で身を硬くするニケイラやカロネア達の姿を目にして、ケルティスは両者の間に割って入る様に跳び込んだ。
割って入ったことで何が出来ると言う勝算はなかった。
それは、入らずには居られないと言う想いからの行動だった。
次の瞬間、彼のこめかみの辺りの髪を、一陣の風が撫でた。
発表が遅くなって申し訳ありません。次回で本章も最後の予定です。