間章ノ二:“虹の瞳”の女神官、学院に出仕す(中篇)
前後編の予定が、前中後編の三部作になってしまいました。
ともあれ、お楽しみ頂ければ幸いです。
ラティルが紡ぎ出した返答――特にその中で出て来た単語――を聞いたファーランは、一拍絶句した上で、再び問いの言葉を絞り出した。
「…………魔法機械語?…………って、あの西方大陸に伝わるって言う、あの……?」
「えぇ……その魔法機械語です……」
彼女の答えに目を丸くするファーランに対し、ラティルは些か坦々とした調子で再び答えを返した。
* † *
“魔法機械語”とは、西方大陸に伝わる独自の魔法語である。
それは西方大陸独自の技術――魔法機械技術において、魔法機械の制御を行う命令文などとして利用される言語である。これは編纂魔法で使用される編纂魔法語を簡便・特殊化することで成立した言語であるとも伝えられている。
編纂魔法語を簡便化することで成立したと言う点では、古代ユロシア語と共通しているが、その性質上より記号的・数式的な代物となっている。
* † *
目を丸くして暫し唖然とした態のファーランは、絞り出す様に問いの言葉を漏らす。
「……何で、こんな所に魔法機械語で書かれた本があるんだ……?」
「さぁ……?
この書物自体が覚書の類みたいですし……これを記した方が、アティス機械王国に縁のある方だったんじゃないですか……?」
首を捻るファーランに対して、ラティルはやや投げやりな返答を紡いで見せた。
そんな投げやりな態度の旧友に、思わず苦笑を漏らしたファーランは改めて問いの言葉を投げかける。
「……それで、そこには何が書かれてるんだ……?」
彼の問いに、彼女は少し難しい表情で本の頁を数枚めくって目を通し、やや躊躇いがちに答えとなる言葉を呟いた。
「…………料理本?……の様な物でしょうか……?」
「……料理本……?」
ラティルの答えに、ファーランは一瞬その意味を捉えかねたのか鸚鵡返しに言葉を繰り返す。
「えぇ……私も確信のあるものではないのですが……
どうやら、魔法生物の為に用意される食糧の類する物の製造法……或いは、調理法に関する記述等が散見されています様ですね……」
彼女が補足する様に紡ぎ出された言葉を聞き、彼は複雑そうな面持ちで言葉を返した。
「……魔法生物の……料理本って…………ホントにそんなことが書いてあるのか……?」
「信じられない気持ちも分からなくありませんけど…………多分、間違いないと思いますよ……
ここに書かれている記述の一つが、我が家の侍女達が食する薬液の調合法と同じ物になっていますからね……」
何処か納得し難い色を帯びた声を盛らす彼に対し、彼女はやや気のない調子とも取れる口調で言葉を補う。
その言葉に、些か納得した様に数度軽く頷いてみせる。
「侍女達?……あぁ、あの木彫り人……」
「…………」
だが、彼の漏らした単語の一つに、彼女の“虹の瞳”に険が籠る。
「……いや、木質人か……なるほどねぇ……」
彼女の“虹の瞳”に宿るものに、やや気圧された様に身を仰け反らせ、ファーランは言葉を言い直す。その様子に満足気な顔をして見せた後、ラティルは食べかけていた昼食の方へと手を伸ばす。
そうして食事を再開しようとする彼女の様子に、彼女へ語る訳でもない調子で本を眺める彼は呟きを漏らした。
「……魔法生物の餌、ってことは……魔法院の方にでも持って行けば調査して貰えるかな……?」
「…………それで良いんじゃないですか?……リュクス師にでも見せれば、喜んで調べてくれるんじゃないですか……?
彼ならそう言う珍しい研究に興味を惹かれる方ですから……」
彼の呟きに答える様に彼女は食事の手を一時休めて呟きを返す。そんな彼女にニヤリと笑みを向けた後、彼は手に持つ本を懐に収めて立ち上がる。
「さて、それじゃあ……久々に学院の食堂で飯を食ってくか!」
そう言って彼は、厨房の方へと歩み去って行った。そんな彼を視線で見送りながら、ラティルは昼食を再開したのだった。
* * *
ファーランと対面しつつの昼食を終えた彼女は、再び廊下を通って講師控室へと戻った。そうして午前と同じく、席に着いて書類仕事を再開した。
そして暫しの時が流れた後、ラティルは伏せていた顔を上げた。
「……ふぅ……やっと、終わった。
それにしても、少々厄介なことになっているなぁ……」
先程まで書き綴っていた書類の幾枚を眺めつつ、彼女はそんな呟きを漏らしたのだった。
彼女の困惑混じりの呟きを漏らした原因は、彼女が算定した分析の結果にある。
“基礎魔法学”の受講を希望した新入生は、全体の四半分強と言った数となっている。それなりに多人数の参加希望者が出たこともあり、これを三組に分けて授業を行う形式と定められた。
とは言え、講師としての経験の浅い彼女は、その人数の多さに若干怯み気味な部分があることは否めない。そこに来て得られた最初の授業での検査結果で、彼女は先行きに更なる不安を感じつつあった。
三組に分けた内の二組は、検査結果もこの年頃の少年少女が保有するとされる魔力量の一般的な数値の中に納まっており、また最初の講義を聞いている態度からも、ことさら問題児がいる様子は窺えなかった。
故に、ギルダーフ学院長が用意してくれた“基礎魔法学”の為の教則本を参考に授業を進めて問題はないだろうと思われる。
しかし、残る一組に関しては、若干の不安要素を抱えていると彼女には感じずにはおれなかった。
何と言っても、この組には彼女の義弟――ケルティス=コアトリアを筆頭として、同年代の少年少女から比較して高い魔力量を保有する生徒達が若干名存在する。ケルティスの数値が規格外だと言うことを踏まえても、魔法の心得のあるヘルヴィスやカロネアや、高い素質を示したデュナンやニケイラと言った魔力量の高い人材の割合が多かったのだ。
そうした彼等の資質は、簡単な魔法の基礎知識を教えるだけでお茶を濁す様なことをするには些か勿体ないと感じさせるものがあるし、基本を押さえさせておかないと後々危険なことになるかもしれないと言う危惧を抱かせるものでもあった。
とは言え、そうした想いを反映した授業となると、通り一辺倒に教則本をなぞるだけでは不十分と言わざるを得ない。
そんなことを思いながら、ラティルは机に積み上げられた書籍の背表紙を眺める。
「……やはり、これだけでは少し不安がありますかね……」
そう呟きを漏らして、彼女は席を立った。
控室に残る講師に託けを残すと、彼女は控室から出て廊下を進んだ。
その行き先は、“書院大書庫”――彼女にとって通い慣れた場所の一つである。
* * *
学院学舎の廊下を進むラティルは、講師控室から生徒達が学ぶ教室の並ぶ区画を通って学院の区画から書院の区画へと向かって歩いて行く。
「…………?」
そんな彼女は、ふと違和感を覚えて視線を巡らす。顔を巡らすラティルは、教室と教室を繋ぐ廊下の陰に視線が集まる。
「……あ……!」
その物陰の中に潜む人影を見付けて、彼女は思わず声を上げる。
「あ!……やべっ……!」
彼女の漏らした声に、潜む人影は短い呟きを零した後、脱兎の如き勢いで彼女から離れようと駆け出す。
「あ!……待ちなさい!…………『魔縄よ、戒めよ』」
駆け去る人影に向けて声を上げた彼女は、次の瞬間には“編纂魔法語”による呪文を紡ぎ上げる。
その呪文に気を同じくして差し出された右手の先より、緑味がかった光の縄が飛び出し、駆け去る人影に向かって伸長して行く。伸長する光の縄は蛇の如くうねり這いずる様な動きで虚空を進み、逃げる人影に追い付いた。
そして追い付いた光の縄は、獲物を締め上げる大蛇にも似た動きで人影を縛り上げたのだった。
「……うわああ……離れろ~!」
『魔縄捕縛』の呪文によって縛り上げられた人影――“虹髪の少女”は、倒れ込んだ廊下の上でジタバタを転げ回る。そんな少女の許に歩み寄ったラティルは、冷ややかな口調で声を落とす。
「……こんな所で、何をしているの……レイア?」
「…………母様……」
半ば竜瞳の形をなしている“虹の瞳”を見上げて、“虹髪”の少女――レイア=コアトリアは戦々恐々を言った態で自らの母への言葉を紡ごうとして、口を閉ざした。そんな娘の様子を冷ややかに見下ろしたまま、ラティルは問いの言葉を紡ぎ続けた。
「……確か、今の時間は授業を受けている筈ね……?」
「…………そ、それは……」
言い淀むレイアと、それを睨み付けるラティルの両者は、暫しの間動きを止めて見詰め合う。
だが、その膠着は一つの声によって破られる。
「……あ!……姉さん、やっと見付けた!」
二人のいる教室と教室の陰に現れたのは、一人の少年であった。
「……ゲッ……フォルン……」
「あら、フォルン……レイアを探しに来たんですか?……ご苦労様です」
レイアとラティルの許に歩み寄るその少年は、フォルン=コアトリア――レイアの弟にして、ラティルの息子に当たる人物である。睨み合う母娘の許にやって来た少年――フォルンは、父であるラティルと同じく姉であるレイアを冷ややかな視線で見下ろす。
「……姉さん、何でまた授業をサボって抜け出すのかな……?」
「……いや……それは……あんな授業、かったるいと思わないか?」
「思わないね……さあ、とっとと教室に戻るよ!」
若干しどろもどろと言った調子ながら、言い訳の言葉を紡ぐ姉に有無を言わさぬとばかりにフォルンは険のある言葉を言い放つ。
そして、光の縄に縛られたままの姉の襟首を掴み上げて、元来た廊下の方へと歩み去ろうとする。
「……お、おい……待て、フォルン!……引き摺るな!」
「……っとに、僕は授業をちゃんと聞きたい、って言うのに……
それじゃあ父様、失礼します」
「えぇ、授業しっかりね」
引き摺られて悲鳴を上げる姉の姿に頓着することなく、ラティルに一礼をして見せた後フォルンは自分たちの教室に向かって去って行ったのだった。