第二十二節:帰路と問答と……
自らの方へと振り仰ぐケルティスとカロネアの姿を見詰め、ラティルは補足の言葉を紡ぎ出した。
「これから、二人とも家に帰るのでしょう?
良かったら、私とケルティス君とで、カロネアさんのお家まで送らせて貰えませんか……?」
そう言って、彼女はカロネアの方に向けて微笑みかける。
その問いかけに、カロネアは少しばかり躊躇った様子を見せたが、優雅な笑みとともに少女を見詰める二人に答えを返す。
「お二人がよろしければ……お願いします」
「分かりました」
「はい、こちらこそ、ありがとうございます」
少女の返事にラティルとケルティスはそれぞれに笑みを返して見せた。
* * *
さて、学生寮は都市北部に存在する大神殿に寄り添う区画に位置している。その為、下町である都市南西部に向かうには都市の路地を南下する必要がある。
とは言え、学生寮のある区画から真南に下れる路地がない訳ではないが、夕暮れ時が迫る頃合いでは少々物騒な区画や、子供やいるには些か相応しくない区画を通る格好になることもあって、ケルティス達はラティルの提案で一旦都市中央の大通りへ出て、大通りを南下することにしたのだった。
そうして、寮に向かう際に進んだ路地を逆に進み、一同は都市の大通りを南に下って行く。その道すがら、カロネアより呟きが漏れる。
「……それにしても、本当によろしかったのでしょうか……?」
「……?……何でしょう、カロネアさん……?」
「いえ、わざわざお二人に送って貰うのが……少し申し訳ないように思えて……」
少し困惑した面持ちで呟く少女に向けて、ラティルは苦笑を浮かべて言葉を返した。
「そんなに遠慮することはありませんよ。貴女のお家にも、興味がありますからね……」
「そう、なのですか……?」
「それは……僕も少し興味があります」
ラティルの言葉に反応して、カロネアへとケルティルも言葉を挿む。
二人の視線が集まる中、カロネアから些か憮然とした声が零れる。
「そう言われても……そんな大した所でもありませんけれど……」
その言葉に、ラティルから言葉が返される。
「……実は、セイシア様から貴女のお婆様のことを耳にしたのですよ。それで、一度ご挨拶できればと思いましてね……」
「……イムラーダお婆様に、ですか……?」
「えぇ、ご迷惑でしたか?」
「いえ、むしろ、光栄だとは思いますが……」
「それなら、遠慮することはないでしょう?」
やや首を傾げるカロネアに向けて、ラティルは微笑みを返して見せた。そんな二人のやり取りを、少女の背後にて無言で見守っていたチンチュアも口元を袖で隠しつつ、笑みに顔を綻ばせていた。
そんなやり取りが交わしつつ、一行は大通りを南に進んで行った。
* * *
やがて、大通りの中程よりやや南寄りの辺りで、一行は西向きの路地へと入って行った。
“神殿都市”の異名を持つ都市セオミギアの中でも、何処か雑多な雰囲気を抱え込んだ下町をケルティス達は進んで行く。
そんなケルティス達の頭上から聞き慣れぬ声が降って来る。
『……遅かったな、カロネア……』
耳に届いた幾分低めの女声の主を探して振り仰いだケルティス達は、虚空に浮かぶ一人の女性の姿を目にすることになる。
虚空にその女性は、暗褐色の肌に鰐か大蛇の革を用いたらしき古風な軽装鎧を纏い、その腰の両側には二振りの蛮刀を佩くと言う装いに、長い紫の髪を靡かせて、深緑の瞳で一同を見詰めていた。そして何より、彼女の背には髪の色に似た鮮やかな紫をした二対の翼が広がっていた。
何より、虚空に浮かぶ彼女の存在感は物質的な実体ではなく、霊的な存在特有のそれを感じさせていた。
そんな彼女は、カロネアへと声をかけた後で、少女の背後に浮かぶチンチュアに向けて軽い会釈をして見せた。
そんな虚空に浮かぶ彼女に向けて、青き髪を持つ少女より声が漏れる。
「……ジェータ様……どうして、ここに……?」
少女の問いかけに、ジェータと呼ばれた虚空の女性は即座に言葉を返した。
『イムラーダが、何時もの花街回りで出て行ったからな。帰って来るお前の面倒をチンチュア様と一緒に見ていてくれと頼まれたからな』
「……そうだったのですか……」
ジェータの話を聞き、カロネアは呟きを漏らす。
そんな二人のやり取りを聞いていたラティルから言葉が漏れる。
「……ジェータ……様……?
カロネアさん、この方はどなたなのでしょう?……聖霊の方と見受けられますが……?」
「そう言えば……今日、ジェータ様から剣舞を習っているって、話していましたよね……?」
ラティルの問いに続いて、ケルティスからも問いかけが漏れる。そんな二人の問いかけに、カロネアは二人の方へと振り返り、彼女等の問いの答えを紡ぎ出した。
「あ……お二人に紹介します。こちらの方はジェータ様……祖母イムラーダの守護聖霊となっておられる方です」
『……うむ、ジェータ=フェデフと言う……今はイムラーダ=フェイドルの守護の務めを行っておる。宜しゅうな、“虹翼の聖蛇”の眷族の方々よ……』
虚空に浮かぶ女性――ジェータは、そう言うとラティルとケルティスに向けて微笑みとともに礼をして見せた。その姿にラティル達二人も頭を垂れる。
「こちらこそ、私の名はラティル=コアトリア……ご賢察の通り、“知識神”ナエレアナ女神と“虹翼の聖蛇”エルコアトルに仕える神官でございます」
「は、はい……僕はケルティス=コアトリアと言います。カロネアさんの同級生です」
二人の言葉に、聖霊は軽く頷きを返した。
そうして、自らの名乗りを交わし合った後で、不意にラティルが微かに訝しげな色合いが瞳に映る。
「…………フェデフ……?」
傍にいる子供達に気取られぬ様にして、心に引っ掛かりを覚えた単語の意味を思い出そうと頭を捻る。
* * *
ともあれ、両者が挨拶を交わし終えた所で、一同は再び路地を進み始めた。やがて、幾分か路地を進んだ頃、ラティルよりジェーラに向けて問いの言葉が紡がれる。
「……ジェータ様……お聞きしたいのですが……?」
『……何かな……?』
彼女の問いかけに、問われた聖霊たるジェータのみならず、カロネアやその聖霊であるチンチュアもラティルの方へと振り向く。
「貴女もまたチンチュア様と同様に、“夢幻神”イーミフェリア女神に仕える聖霊なのですか……?」
『……うむ、その通りだが……それが如何かしたのか……?』
ラティルの問いかけに躊躇いなく答えを返した聖霊は、一方で問いの意味を探る様に怪訝な面持ちを見せる。その返された問いかけに、ラティルは言葉を続けた。
「……私の記憶が間違いでなければ、古代紀初期の南方大陸の女族長として名高いヴィラ=フェデフに従った女傑の中に、ジェータ=フェデフと言う名があったと思うのですが……?」
探る様な視線とともに紡がれたその言葉に、問われた聖霊は何処か妖しさの漂う笑みを浮かべて答えを返した。
『……確かに、ヴィラ大族長の許で将を務めたこともあったな……』
「……やはり…………」
ジェータの答えに、ラティルは短くそう呟いた。しかし、その呟きは納得よりも、驚きや苦渋と言った感情が色濃く入り混じったものとなっていた。
* † *
そもそも、先の話に出て来たヴィラ=フェデフとは、古代紀の南方大陸の伝説に残る歴史上の人物である。
人歴5世紀――今から約2500年ばかり遡る昔、古代黎明期の南方大陸では西方大陸より渡来した“黒き民”が大陸西岸を占領し、版図拡大を企図して大陸全土へ侵攻を始めていた。
この“黒き民”が、後に大陸の殆どを版図とし、古代紀において“ユロシア魔導帝国”と世界を二分した大帝国――“ミヌログ帝国”となる。
しかし、そんなミヌログ帝国黎明期において、最大の敵として立ち塞がったのが当時のフィディア人の大族長――ヴィラ=フェデフである。
彼女は同族たる大陸西域に分布するフィディア人全員のみならず、大陸東岸域に分布するリヴィア人や、大陸北西部に住まう亜人――シェライド族に、大陸を横断するアクエラ河に住まう亜人――クァーファ族、それに大陸山林に点在するフェンファ族と言った大陸に住まう多くの民族・種族と大同盟を締結して、侵略者に対抗したのである。
“支配の魔王”ナームドルームの加護厚き“黒き民”とヴィラ率いる連合軍の激突は熾烈を極めたものの、最終的には同盟の要を務めていたヴィラ=フェデフを打倒した“黒き民”の陣営が辛くも勝利を獲得する。ここで同盟が瓦解したことで、“黒き民”は“帝国”を築く足掛かりを得ることになる。
ともあれ、最終的に南方大陸の殆どとその周辺の諸島群を版図とした“古代ミヌログ帝国”の歴史の中で、ヴィラ=フェデフとの対峙は“ユロシア魔導帝国”との接触より生じた抗争と並ぶ“帝国の敵対者”として広く知られる伝説となって残された。
そして、その伝説は“ミヌログ帝国”が崩壊した後に建国された“フェルン王国”においても伝えられている。
しかし、このヴィラ=フェデフの伝説も南方大陸でならいざ知らず、北方大陸ではそれ程知名度のある伝説と言う訳ではなかった。
* † *
だが、この場にいたラティルやケルティスは、“ヴィラ=フェデフの伝説”を知っていた。それは、ティアスやラティルと言ったコアトリア家の神官達が歴史編纂を務める書院所属であった影響もあるだろう。
しかし、流石にそんな伝説の女族長に従った者達の名前まで、ケルティスは憶えていた訳ではなかった。
「……ヴィラ族長に従っていた方ですか……」
ラティルの感嘆が含まれた呟きの傍らで、ケルティスからも同様の感嘆の言葉が紡がれた。そんな一同を見下ろしながら婉然とした雰囲気で微笑んだジェータは言葉を返す。
『……従ったと言っても、氏族を同じくする縁で傍近くにいられただけの話だがね……』
「……へぇ……」
ジェータの言葉に相槌を返すケルティスの隣で、少し躊躇いがちにラティルより言葉が紡がれる。
「……それでは、ジェータ様……
畏れながら、お尋ねしますが……彼のヴィラ様は“病毒の魔王”フィドミリア女神の眷属たる邪霊となったとの説があるのですが……?」
「!……ラティル先生……?」
「……ラティルさん……?」
ラティルの発言に、カロネアとケルティスの二人は、その顔色を変えて彼女の方を振り仰ぐ。自らに鋭い視線が突き刺さることを感じながら、ラティルは言葉を続けた。
「そんなヴィラ様とは縁深いジェータ様は、真に“夢幻神”の眷属たる聖霊であるのかを、改めてお尋ねしたいのですが……」
幾分探る様な面持ちで紡がれたその言葉に、ジェータは若干眉を顰めた後で妖艶な笑みを湛えて言葉を紡いだ。
『……確かに、今は滅び去りし、我等――フィディアの民は“夢幻神”イーミフェリア女神とともに“病毒の魔王”フィドミリア女神を崇め拝むことを習いとしていた。
そして、ヴィラ様は……我等が祖――フェーダ様の身許たる“病毒の魔王”フィドミリア女神の魔界へと赴かれた。しかし、我は“夢幻神”イーミフェリア女神に仕える者に相違ないぞ……!
もっとも、縁深きヴィラ様と相争うつもりはないがな……』
そう言って笑む聖霊ジェータと女神官ラティルは、一時睨み合う様に視線を交わす。
そうして両者の睨み合いが暫しの間過ぎた後、目蓋を閉ざしたのはラティルの方であった。彼女は目を閉じ、その頭を深く垂れた。
「……ジェータ様、失礼な物言いを行いましたことをお詫び致します……お許し下さい……」
ラティルの見せた謝罪の態度に、ジェータは妖艶な笑みを湛えたまま言葉を返した。
『何……気にすることはない。対面した霊が、聖霊か邪霊かを見極めるのも神官の役割の一つであるからな……』
「そう言って頂けると、心苦しさが和らぎます」
「「…………」」
下げていた頭を上げて言葉を返したラティルの顔も笑みが戻った。そうして、互いに笑みを交し合う二人の姿を目にして、ケルティスとカロネアの二人も安堵の溜息を漏らしたのだった。