第二十節:一瞬の邂逅と……
神殿の回廊を進んだ一同は、やがて神殿の回廊を進む。
やがて、神殿正面の大階段に辿り着き、その階段を下りる。
そして、一同は神殿外縁に伸びる路地を進んで行った。
その路地の先に神殿学院に通う学生の為の学生寮があった。
* † *
セオミギア大神殿には、所属する神官達が寄宿する為の寮が用意されている。それは、大神殿九院の一つである雑務院が管轄する市街寄りの区画に存在している。
そこでは、ティアスの様にセオミギア王国より爵位を与えられる等の何らかの事情を持つ一部の神官達を除いた、神殿に所属する殆どの神官達が寝泊まりの場所として過ごしている。
上述の通り、これら神官寮は、大神殿の敷地内に存在している。
一方で、セオミギア大神殿には正式に所属していないものの、神殿各院と何らかの関わりを持つ者――学院の生徒や、薬院の客分薬師等――の為に用意された寮も存在している。
これらの寮は、神殿の敷地外――神殿外周に沿った位置に敷設されており、関係者の種類ごとに各種の寮が立ち並んでいる。
勿論、そうした寮の一種として、学生寮が立ち並ぶ区画が存在している。これらの学生寮は、都市外や国外より就学している学生・生徒の為に用意されている。
* † *
ともあれ、学生寮への道中の間も、ケルティス達は虚空を漂う守護聖霊達も交えた会話を楽しんでいた。そんな中で、ニケイラは一つの疑問を口にする。
「……そう言えば、ラティル先生やカロネアさんはいつも守護聖霊の方々がお傍におられるみたいですけど……
私やケルティスさんの守護聖霊の方は何処にいるんでしょう……?」
その問いかけに、ラティルは微笑んで答えを返した。
「それは、この先の講義でも教えることになると思いますけど、守護聖霊は庇護者の傍に始終いる訳ではないのです。多くの守護聖霊は、天上から庇護者を見守っているのが普通ですよ。
それに、私の守護を務めるリュッセルにしても、普段から私の傍にいる訳ではありませんしね……
でも、まぁ……カロネアさんの様に、幼い頃から聖霊を視る才能を持っていれば、傍に付いている例は少なくありませんけどね……」
「……そうなんですか……」
ラティルの返答に、ニケイラは一度頷きを返した。しかし、一拍の間を置いて、再度質問を投げ返す。
「……あれ?……でも、ケルティスさんはカロネアさんみたいに聖霊が見えるんですよね……?
でも、ここに守護聖霊がいらっしゃらないのは……?」
「……そう言えば……確かに、私もケルティスさんの守護聖霊の御姿を目にした覚えがありませんね……」
再度に紡がれたニケイラの質問に、カロネアも疑問を覚えたらしく、二人の視線がラティルとケルティスに向かう。
その視線に晒され、ラティルとケルティスは互いに目を見合わせる。そして一拍の間の後に、困惑気味な面持ちのラティルから返答の言葉が紡ぎ出された。
「……実は、ケルティス君の守護聖霊を務めていらっしゃる方と言うのが、かなり……いえ、非常に特殊な方ですから……御姿を顕すと言うことがないのですよ……」
言い淀むラティルの様子を見下ろしていたチンチュアは、様子を窺う様にリュッセルを見詰める。
そんなチンチュアの姿に、リュッセルは顔に苦笑を浮かべ、肩を竦めてみせた。その仕草を目にして、チンチュアは了解したと示す様に頷きをかえした。
この二柱の聖霊の間で、少女達の耳には届かぬ会話が交わされていた様に窺えた。
とは言え、二人の少女の疑問が解消された訳でなく。むしろ、少女達だけが事情の分からない状況に陥ってしまっていた。
* * *
とは言え、何処か釈然としない様に問いかける二人からの視線が、ラティルやケルティスに突き刺さる。
その視線にコアトリア家の義姉弟(?)は、困惑の面持ちで互いに見合わせた。だが次の瞬間、見合わせていた二人は強烈で圧倒的な――それでいて、比較的馴染みのある気配を感じた。
「「…………!」」
『『…………!』』
二人に現れた微妙な挙動の変化に、ニケイラとカロネアは思わず周囲を見回す。
そうして周囲を見渡した少女達の視界に、驚くべき姿が捉えられた。その姿とは、ラティルの背後に立つ聖霊――リュッセルと、カロネアの背後に立つ聖霊――チンチュアの二柱の聖霊が、虚空で跪いていた。
跪く二柱が向ける先へと、視線を動かした二人の少女は、驚きに目を丸くした。
「「…………!」」
二柱の聖霊が拝跪の礼を示す先……そこには、荘厳で圧倒的なまでの霊威を宿した“虹色の光”が、ケルティスの後背より燦然と輝きを放っていた。
その光より放たれる威圧に、二人のただ呆然と立ち尽くしていた。
呆然とする少女達の傍らで、ラティルとケルティスは、“虹色の光”の方へと振り向いた。だが、そんな彼等の姿すら、少女達は気付く余裕はなかった。
立ち尽くす少女二人の目前で、“虹色の光”の中心より大きな一つの眼が見開かれる。
「「…………!」」
その瞳は、子供の頭程の巨大さで、金色に輝く虹彩で埋め尽くされ、その中心に紡錘形に開く瞳孔を持っていた。それは、まさに“竜の瞳”と呼ぶに相応しい代物であった。
一同を睥睨する様に存在する“瞳”に向かい、ラティルとケルティスは立礼のままではあるが、深く首を垂れる。
そんな二人の様子に気付いていたのかは分からぬものの、その霊威に打たれた少女達もまた、その場で深く頭を下げた。
首を垂れる一同を軽く見回した“虹色の光纏う竜瞳”は、数瞬ばかり時の後で、その光や霊威とともに雲散霧消したのだった。
* * *
強烈な霊威も去り、垂れていた頭を上げたラティルとケルティスは、再び顔を見合わせた。
「この様な時に御出座しになるとは……珍しいことですね……」
「……はい……本当に……」
自身驚いている所為であろう何処か虚ろな返答を漏らすケルティスから視線を外し、ラティルは残る一同――いまだ呆然とした気配の抜けぬニケイラとカロネア、そして彼女等の背後に浮かぶ聖霊チンチュアへと視線を移す。
「……もしかすると、ニケイラさんやカロネアさんを見に来たのかも知れませんね……」
少女達の姿をゆっくりと眺めながら、彼女はそんな言葉を漏らした。
呟きを漏らすラティルの姿を見下ろしつつ、チンチュアもまた言葉を呟く。
『……如何様な御積りであったかは、図りかねるが……この様な形で拝謁の栄に浴することが出来るとは、ほんに光栄なことよ……』
各々半ば勝手に呟きを漏らすラティル達の姿に、それまで呆然とした様子であったカロネアは我に返った。
「……ラティル、先生……先程の、“光”は……?」
おずおずとした調子で、カロネアは問いの言葉を紡ぐ。その言葉を耳にして、ニケイラも問いを投げかける様な視線をラティルとケルティスへと送ってくる。
それら少女達の視線を受け、些か憮然とした様子でラティルは少女達へと言葉を返した。
「……あの“光”こそ……先程、貴女達が疑問に思っていたことの答えですよ……」
「……答え……?」
「…………!……まさか……?」
ラティルの返答に、首を傾げた少女達だったが、一時前に口にしていた疑問の内容を思い出したカロネアから短い言葉が漏れる。そんな少女達に微笑みかけながらラティルは言葉を続けた。
「そう……先程の“光”が、ケルティス君の守護聖霊を務めて下さっている方……より正しくは、その分霊ですよ……」
半ば以上予想された答えとは言え、紡がれた言葉に目を丸くする。
しかし、紡がれた答えによる驚きからやや立ち直ったニケイラは、思わずと言った様子で問いの言葉を口にする。
「……あの、ラティル先生?……何か、凄く、格の違い……みたいなものを感じたんですけど……その御方って、どなたなんですか……?」
その問いかけに、何処か坦々とした調子でラティルは言葉を返した。
「……“虹翼の聖蛇”……エルコアトル様ですよ……」
「……え?……ええっ……!」
「………………」
ラティルの答えに、赤毛の少女は絶叫し、青髪の少女は紡ぐ言葉を一時忘れた。
* † *
守護聖霊とは、特定の人物を守護する役割を担う聖霊である。
さて……本来、聖霊とは神霊の眷族たる霊的存在全てを指す。故に、この世界に住む知恵ある者の魂は、天上に昇るとその殆どが聖霊と称される存在となる。
とは言え……だからこそ、聖霊の中には上位・中位・下位の三位階に区分されている。上位聖霊や中位聖霊の一部は、神々として崇められる存在である。しかし、一方で下位聖霊と称される存在は、聖霊全体の八割近くを数え、多くの知恵ある者の魂となる存在でもある。
そして、守護聖霊を務める聖霊は、庇護対象となる者の魂と鏡映しの存在とも言える縁近い聖霊が担うことが普通である。必然的に、守護聖霊の殆どは下位聖霊が務めることになる。
ともあれ、聖霊魔法の使い手たる神官や歴史に名を残しうる偉人・英雄であれば、中位聖霊や時に上位聖霊が守護聖霊を務めている例は、それなりに見られる事例ではある。
しかし、上位聖霊より上の位階を有する神族が守護聖霊を務めたと言う例は、三千年以上を数える人の歴史の中でも、真偽の不確かなものを含めても片手程の数しか確認されていない。
そして、“虹翼の聖蛇”を含む八大聖獣とは上位聖霊の更に上位に立つ、神霊に次ぐ位階を有する神族とされている。更に言えば、聖獣は神人の後を追って天上に去らず、地上に残った肉体を持つ数少ない神族でもある。
数多の聖霊のより上位にあり……
神霊界に暮らす訳ではなく……
肉体を持つ存在でもある“聖獣”の一柱が……
一個人の守護聖霊を務めることなど……
並の人間には思い付きもしないことだったのかも知れない……
* † *
「「…………」」
暫し、呆然とした態を見せていた少女達だったが、驚愕や感心等と言った様々な思いが入り混じった溜息を大きく吐いた。
「……只者では、ないと……思っては、いましたが……」
「……うん……ホントに……」
少女達から口々に感嘆の呟きが漏れる中、ケルティスは恐縮する様に身を竦める。
「……そんなに感心することじゃ……ないと思うんですけど……」
怖ず怖ずとした口調でケルティスは呟いた。しかし、その言葉を耳にした二人の少女は、あり得ないモノを視る様な目でケルティスを見詰め、轟然として食ってかかる。
「か……感心することじゃないって……そんなこと、ある訳ないじゃないですか……!」
「……貴方は、自分の尋常の無さを自覚していらっしゃらないのですか……?」
「え?……いや、そんなことは……無いと……思っていたのですが…………」
猛然と言い募る二人の少女の勢いに、怯みながらも言葉を紡ぎ出す。しかし、その言葉に少女達が納得した様子はなかった。
そんな三人を見下ろしていたラティルは、ケルティスに助け舟を出す様に言葉を紡ぎ出した。
「ケルティス君の場合、特殊な生まれ方をしていますから……
普通の人の様な形での守護聖霊がいないんです。だからこそ、聖蛇様がその任を務められているのですよ……
それに……“虹翼の聖蛇”エルコアトルが守護聖霊を務めている者と言えば、ティアス書院長もそうですからね……この子にとって、特別と思えないのも仕方が無いかも知れませんね……」
「「……………………」」
微苦笑を浮かべた彼女の言葉を聞き、ニケイラとカロネアは驚きを通り越して呆気に取られた様な表情を浮かべていた。
* * *
そんなやり取りを交わしつつも、一同は路地を進み。やがて、学生寮の門が見える所まで辿り着いた。その門の存在を遠めに確認したラティルは呟く。
「さて、もうすぐ寮にも到着することですし、ニケイラさんとも今日はここでお別れですね……っと、その前に、少しばかり注意をして置きましょう」
「……はい……?」
その言葉に、ニケイラはラティルの方へと首を巡らす。
「私が貴女にかけた『霊視付与』の呪文の効果は、一刻程で消えますから、もう少しすれば聖霊等を視ることはなくなるでしょう。
でも、効果が残っている間は、気を付けて下さい。『霊視』が出来ると言うことは、聖霊の影響を受け易くなりますが、一方で邪霊の影響も受け易くなると言うことですからね……」
優しげな微笑みで紡がれた言葉に、ニケイラは姿勢を正して返事の言葉を発した。
「……は、はい!……気を付けます!」
そう言って身を硬くする少女の姿を目にして、虚空より言葉が告げられる。
『……何なら、効果が切れるまで私が相手をして上げましょうか……?』
そう告げたのは、ラティルの守護を務める聖霊――リュッセルであった。その申し出に振り向いたラティルは、自らの守護聖霊へと言葉を返した。
「……それは有難い申し出ですね……リュッセル、お願い出来ますか……?」
ラティルの言葉を耳にして、リュッセルは芝居がかった仕草で自らの庇護者に腰を折って見せる。
『……承知しました、ラティル……』
ラティルへと頭を垂れて見せたリュッセルは、次にニケイラの傍へと近付いて同様に芝居がかった仕草とともに言葉を紡ぐ。
『ニケイラさん、そう言う訳で、もう少しお話なぞを致しましょうか……?』
「は、はい……よろしくお願いします」
リュッセルの様子に少し戸惑いを窺わせつつも、ニケイラは勢い良くリュッセルに向けて頭を下げた。
少女と聖霊が交わすやり取りを、一同が微笑ましく見詰めていた。
その時、不意にケルティスから声が漏れた。
「……あれ?……あそこにいるのは……?」
「「……え……?」」
ケルティスの声に、キョトンとした一同は、次いで少年の視線の先へと首を巡らす。
その先には、学生寮の門前でこちらを睨み付ける眼鏡の少年――ヘルヴィス=ペンコアトルが仁王立ちする姿があった。
え~……今回、想定していなかった御方にご登場頂く運びとなりました。(苦笑)
ここまで、あっさりと登場して頂いて良いものかと、首を傾げなくもありません……
ともあれ、ご指摘・ご意見・ご感想等がありましたら、頂けますと幸いです。