ああ、幸せ
最初に目を覚ましたのは、森川だった。
窓の外は白く霞んでいる。雨はまだ降っている。
時刻は──午前六時を少し過ぎたところだった。
森川は体を起こし、リビングを見渡した。氷室と若月は、それぞれ丸まって眠っていた。
ただ見張り役であった赤沢と桑原がいない。
五分経っても、十分経っても、二人は戻ってこなかった。キッチンでコーヒーでも淹れているのか。そう思ったが、耳を澄ましても何もそれらしき音がしない。
「──おかしい」
森川は立ち上がり、若月の肩を揺すった。
「若月さん。起きてください」
「……ん」
「赤沢さんと桑原さんが、いません」
若月の目が、一瞬で開いた。
氷室も起こした。寝ぼけた顔が、森川の言葉を聞いた瞬間に強張った。「いないって──どこに」
「分かりません。探しましょう」
三人は廊下へ出た。
異様なほど、静かだった。
自分たちの足音だけが、床板に吸い込まれていく。
すぐに、赤沢がキッチンの床で死んでいるのを発見した。
若月が、ひっ、と声を上げる。
目はまだ見開いている。仰向けに、宙を見つめている。片手で首を掴み、もう片手を天井へ伸ばした格好。
もがきながら、苦しみながら、死んだ。その様子がありありと伝わってくる。
そばに、いつも赤沢が使っていた、金魚の絵の描かれたコップが落ちている。
そのコップに毒が塗られていたのであろう。飲みかけの水が床にこぼれている。
「赤沢さん──」
若月がその場で立ち尽くす。
森川がゆっくりと近づき、両目を閉じさせる。
氷室は目を見開いている。
「毒だ」森川が低く言った。「黒木さん、白石さんのときと、同じ」
氷室が頷いた。
「桑原さんは──」氷室が言う。
「まさか。そうだ、外に行ってみましょう」と森川が言う。
三人は玄関へ向かった。
玄関のドアは、開いていた。
外に出た瞬間、葉巻の匂いと──もう一つの臭いが混じって漂ってきた。
桑原が、外の椅子に背を預けるように倒れていた。吸い終わった葉巻が灰皿に落ちている。
顔は──穏やかだった。苦しんだ様子はない。眠るように。
三人はしばらく立ち尽くす。
一晩で二人も死んだ。その事実が唐突に三人に突き付けられた。
「桑原さんも」若月の声が掠れた。「毒──?」
「体の様子を見るとこれも同じ毒ですね。たぶんトリカブト……」氷室が言う。
肌を見ると全体的に紫色が広がっている。
「そうですね。葉巻に仕込まれていたのかもしれませんね」森川が呟いた。
「でも、安らかな死に顔。赤沢さんのときとは違う」氷室が小さく呟く。
「はい……まるで死を覚悟していたかのような」森川が言う。
「誰が──」若月の声が震えている。「誰が、こんなことを──」
「外部から入った跡がないか、確認いたしましょう」森川が言った。
「そうですね。三人一緒に動きましょう」氷室が頷く。
三人は、二人の遺体を瞑想室へと移した。
そして山荘を一周した。
窓は全て施錠されていた。玄関から二階に続く階段も塞がれたままだ。裏口の食器棚も、角材も動かされていない。元のままだった。どこにも、侵入の痕跡はない。
「外からじゃない……」氷室が言った。
「でも──」若月が首を振った。「内部犯なんてありえない。私たち三人はリビングで眠ってた。誰かがリビングを抜け出して二人を毒殺して、また戻る。そんなこと、まさか──そうだ、監視カメラは?」
若月がカメラの設置されていた場所を見る。しかし、そこには何もない。
森川が首を振った。「二日前に電源が切れました。電源コードがなく、何か代わりに充電できるものがないか探しました。ですが、ここはそもそもデジタルデトックスの施設でございますし、何も……今は別の場所に保管しております」
「嘘……じゃあ誰が犯人か分からないじゃない」若月の声が上がる。
「最初は八人いた。それが五人になって、今朝起きたら三人になって──」若月の声が震え始める。
「落ち着いて」氷室が若月の両肩に手を置いた。「今、パニックになったら終わりよ」
「でも──でも──」
「若月さん」森川が静かに、しかしはっきりと言った。「ここで崩れたら、誰も助からない。氷室さんも、あなたも、私も。全員、死にます」
若月が頷いた。
そして大声で泣き始めた。嗚咽だけが、しばらく続いた。
やがて袖で目を拭った。
「──分かった。分かりました」
── 幕間 四 ──
素晴らしい。
計画が上手くハマった。
ああ、幸せ。
しかし、お腹がすいたな。
またお風呂にも入りたいけど、そんな雰囲気じゃないか。
お読みいただき、ありがとうございました。
ここまでが書籍版『完璧な観察者』の幕間四までとなります。
残りは、最終章とエピローグです。
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