03 潰されたけど……
朝一番に帳簿を開くのが、怖くなったのはいつからだろうな。
前は違った。
数字は積み上がるものだった。
昨日より今日、今日より明日。
少しずつでも伸びていくのが当たり前で、確認するのが楽しみですらあった。
だが今は――
「……減っている」
声に出すまでもない。見ればわかる。
注文が減っている。
一件ごとの差は小さい。だが積み上がれば、はっきりと形になる。
消えているのは新規だ。
そして古い取引も、じわじわと削られていく。
「様子を見たい」
「今は見合わせたい」
「別のところと契約した」
言葉は柔らかい。だが意味は同じだ。
――離れていっている。
帳簿を閉じ、机を指で叩く。
どこで間違えた。
……いや、わかっている。
あの写真だ。
あれが回った瞬間、空気が変わった。
最初は気のせいだと思った。
だが違う。あれは、遊びで済むものじゃなかった。
わたしは商人だ。
相手の顔色を見て、距離を測るのが仕事だ。
それなのに――
娘一人の振る舞いで、読み違えた。
いや、違うな。
見えていた。
見えていたのに、軽く見た。
イサドラは別荘に行かせている。
そういえば――避暑地の土地だ。
あそこに土地を持ちたかった。
何度も手を回したが、どうしても手に入らなかった。
仕方なく周辺の開発地を押さえて、贅を凝らして建てた。
あのとき、思ったものだ。
いずれ追い越せる、と。
元貴族だ。古いだけの連中だと。
……違ったのかもしれないな。
手に入らなかった理由。
あの土地に残っている力関係。
全部、見えていたはずだ。
それを、軽く見た。
「見えない壁が、ここまでとはな」
小さくこぼす。
遅い。
すべてが遅い。
気づいたときには、もう流れは決まっていた。
どこか嵌めるところを探していたら、うちだったってことかな?
今更、考えても無駄だ。
帳簿をもう一度開く。
減っている。
だが――止まってはいない。
残っている線は細い。だが、確かにある。
なら、ここで切る。
傷が深くなる前に。
最初に戻ればいい。
あの頃だって、十分にやれていた。
決めたら早い。
財産を整理し、従業員には退職金をきっちり渡した。
中途半端が一番まずい。
そして、最初に店を出した路地裏に戻る。
上の娘が野菜を回してくる。
農家に嫁いだのは、無駄じゃなかった。
下の娘は菓子屋だ。
売れ残りを持ってくるが、それがいい。
これが当たった。
昔と違う。
庶民も少しは金を持つようになった。
毎日じゃない。だが、ときどきの贅沢は求めている。
なら、それを出せばいい。
もう一軒、菓子を扱う店を出した。
イサドラに任せてみる。
――やれる顔になっていた。
仕入れ先を増やし、商いを回す。
やがて、一流の料理店で修行した男と組み、店を出した。
接客はなんちゃって貴族風。学院仕込みだ。
客はすぐについた。
あっという間に、席が埋まる店になった。
……やれるじゃないか。
娘たちに負けていられない。
「いらっしゃい。今日はいいレタスが入ってるよ。少し大きいが、その分うまい。採れたてだ」
声を張る。
ああ、これだ。
これでいい。
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春の避暑地でと同じ世界感のおはなしです。
春の避暑地で https://ncode.syosetu.com/n2518lx/
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