0089消えたトロフィー事件06☆
「それにしても白石さん、治癒の能力があるなら、もっと広く活かしてもいいんじゃないか? 白石さんの助力を欲している人は、日本だけでなく世界中に巨万といると思うぜ」
まどかが再び姿を現す。俺を侮蔑するように横目で見た。
「あほ。あたしは慈善家やないんや。有名になりたいとも思わんし、そんな疲れることこっちから願い下げや」
衝立の向こうで英二が軽やかに声を出した。
「青柳先生、いらっしゃい!」
校長や青柳先生の宣伝によるものか、それとも噂が噂を呼んだか。1時間半が経つころには、廊下に十数人が並ぶほどの活況を呈していた。
「いや、さすがに疲れた」
まどかに両腕を治療してもらいながら、純架は快心の笑みを閃かせる。
「口コミってのは凄いものだね。この中の何人かでも、『探偵部』に興味を持ってくれたらもっと嬉しいんだけど。……ともあれ、僕らの担当時間は終了だ。おや、来たね」
「お待たせしました」
日向が紅いデジタルカメラを首から提げて、黒縁眼鏡のつるをつまみ上げながら現れた。純架は彼女とハイタッチをすると、「今のは正式には『ハイファイブ』と言うんだ」と得意げに解説する。
今どき誰でも知ってる雑学だろう。恥ずかしい奴。
そこで、俺は『無人島の攻防事件』での英二との約束を思い出した。ごく自然に日向に話しかける。
「ねえ辰野さん」
「はい、何ですか」
「英二、この当番が終わると暇になるんだ。もし良かったら、あいつと校内を回ってやってくれないか」
日向は喜びもしなければ悲しみもしなかった。何一つ不審に思っていない様子だ。
「はあ、まあ……構いませんが」
日向の眼中に英二はいない。少なくとも特段異性として意識する相手ではない、ということか。少し英二が気の毒になった。
ともあれ、俺は受付の席に座る英二に首尾をささやく。
「約束は果たしたぞ。当番が終わって飯田さん・菅野さんと交代したら、二人で学校内をデートしろ。辰野さんには英二がそのつもりだって言い含めてあるから」
英二ははにかんで微笑した。
「悪いな、楼路」
「何、いいってことよ。俺たちは友達だからな」
俺と英二は平手を打ち合わせる。こんな友情を結べるとは、昔は考えられなかったなあ。
「何をひそひそ話してるんだい?」
純架が日向と代わって衝立のこちら側へやってきた。
「さあ現場百篇だよ、楼路君。もう一度生徒会室へ行こう」
俺は小用を足すと、手をハンカチで拭きながら、純架と共に鍵を取りに職員室へ向かう。すれ違う生徒たちは皆楽しそうに廊下を歩いていった。明日の一般参加になったら更に混むのだろうか。
目的地に着いた。先生が数人しかいない中、俺たちの担任の宮古先生が対応してくれる。
「おう、聞いたぞ『肩叩きリラクゼーション・スペース』の噂。何でもお前ら『探偵部』がやってて、凄い効き目があるそうだな」
純架は上々な評判に満面の笑みだった。さすがに「幽霊に手伝ってもらってるんです」とは言わない。当たり前か。
「宮古先生もどうです? 一回100円だからお手軽ですよ。なにせ缶ジュースよりも低価格で夢見心地の解放感が味わえるんですから」
しかし教師はどこかばつが悪そうに答える。
「うん、まあ、行きたいのはやまやまなんだけどな。これでも結構忙しくてな」
俺は何となく宮古先生の態度に不審を抱いた。何か来られない理由がありそうだ。それが何かは分からないが――
純架は何も感じなかったのか、特に注視することもなく生徒会室の鍵を手にした。白鷺トロフィー奪還が最優先で、瑣末なことは眼中にないようだ。
「生徒会室の戸棚のガラス戸を開ける鍵もお願いします」
「ああ。なくさないようにな。閉め忘れるなよ」
宮古先生は安田先生に頼み、職員室の壁に張り付いているボックスの鍵を開けた。その上で、中から純架所望の鍵を取り出す。
俺はその様子に重苦しく呻いた。
「ここも鍵。一体犯人はどうやって三重の鍵を突破したんだろう?」
純架は記録帳に名前と時刻を書き込んだ。じっくり目を通す。
「生徒会室の戸棚の鍵は、前回使用が水曜日の早朝6時15分となってますね。使ったのは安田先生……」
安田先生は点頭した。当時を思い出そうと、こめかみを拳で叩く。
「うん、確か生徒会役員の淡木が職員室に飛んできて、白鷺トロフィーが紛失してます、と報告してきたんだ。ぜえぜえ言いながらね。これには我々先生方も驚いてね。それで僕が鍵を使ったんだ」
「そのとき戸棚の鍵は閉まっていたんですよね?」
「ああ、生徒会長の周防と淡木、それから僕が確認している。僕はガラス戸の鍵を開けて内部を色々確認してみたんだが、ただただトロフィーだけが忽然と消えてしまっていたよ。いや、不思議だったねえ」
俺と純架は顔を見合わせた。
それから俺たちは再び生徒会室を調べ上げた。今回は戸棚の鍵も開け、内部を確認してみたが、一昨日の放課後と比較して特に異常は見られなかった。まあトロフィーを奪った以上、犯人はもうこの戸棚に何の用もないのだろうが。
現在、生徒会は職員室を司令塔としており、この部屋には集まっていない。白鷺トロフィーの紛失を一般生徒に気取られないようにするため、また生徒会のメンバーも祭りを楽しむため、このような措置となったらしい。『探偵部』が捜査しやすいように、との配慮もあったのだろう。
俺たちは徹底的に、散々に、室内を調査し尽くした。だが得られた成果はゼロだった。これにはさしもの純架も疲れたか、机にだらしなく伸びる。
「いったい犯人はどうやって鍵を突破してトロフィーを盗むことができたんだろう?」
俺もくたくたで頬杖をついて溜め息をこぼした。
「こりゃ思っていたより難事件だな……」
喉が渇いた。財布を取り出し中身が潤沢なのを確認する。俺も学園祭を楽しもうと、昨日懐をフル充電してきたのだ。
「純架、自販機で何か飲み物買ってくるよ。俺のおごりでな。欲しいものあるか?」
「アボカド玉ねぎジュースをホットで」
「売ってるわけねえだろ」
「じゃコーヒーのブラックを」
「了解」
俺は弛緩した肉体を引き締め、せいぜい元気よく起き上がって外に出た。
学園祭真っ只中の廊下は、色とりどりの装飾で華やかだ。道行く生徒も男子だけのグループもあれば、女子と一対一の幸せそうなカップルもいる。皆今日の祭りを心の底から楽しんでいるようだ。俺は階段脇の缶ジュース販売機の前に立ち、小銭を投入しようとした。
「ん?」
窓の外をよく見れば、自分の出番は終わった英二が、日向と一緒に歩いていた。それだけなら何の問題もない。だが困ったことに、二人にはもう一人の女子――菅野結城が、SPよろしく神妙な顔で付き添っていたのだ。
「あちゃー、何だよ。せっかくの二人きりが台無しじゃねえか」
俺が行くしかない。心を決めると、上履きのまま玄関から屋外に出て、三人のもとに走っていった。
それにしても、結城は今『肩叩きリラクゼーション・スペース』の当番のはず。彼女がここにいるということは、奈緒は現在一人で仕事をしているのだろうか。
俺は彼らに近づくと大声で呼び止めた。
「おうい、英二!」
三人が同時に背後の俺を振り返った。困惑気味の英二、面白そうでもつまらなさそうでもない日向、どこか冷たい微笑を浮かべる結城……
「よ、よう楼路」
「あ、朱雀さん」
「これはこれは、朱雀さん」
俺は早速英二を捕まえ、「ちょっと借りる」と二人に知らせた。植樹の陰まで引きずって小声で尋ねる。不審がる日向と結城に背を向けて……
「何やってるんだよ英二、菅野さんを連れて三人で回るなんて」
英二は自分に非はないとばかりにむくれた。横顔に哀愁が漂っている。
「仕方ないだろ、結城の奴がどうしてもついてくるって言うから。俺も身辺警護の必要性を唱えられると、むげに断れないしな」
「今、部室は奈緒一人なのか?」
「いや、俺のボディガードの田中と福井が受け付けをやってる。後で問題になりそうだがな、まあ何とかなるだろう」
俺は顔の右半分を平手で覆って嘆いた。
「おいおい、菅野さんをスタンガンで眠らせるぐらいの気概はどこに行った? 俺のお膳立てがパーじゃないか」
「いや……何だかこう……結城をおいて辰野と二人で回ることに罪悪感を感じてな。自分でもよく分からないんだが」
ふうん。こいつ、結城とは主従関係で、恋愛関係ではないとか言ってたのに。どうやら自分自身でもそうとは知らず、結城にもなびいているということか。両手に花の状態で図々しい奴。
「やれやれ」
俺ががっかりして溜め息をついていると、背後から日向が声をかけてきた。
「朱雀さん、お話は終わりましたか?」
俺はうなずいた。彼女、英二に好かれていることなど微塵も気付いてないんだろうな。
日向が微笑んで両手を合わせる。
「ところでお腹空きません? 焼きそばでも食べましょうよ、三宮さん、菅野さん、朱雀さん」
遅れてやってきた結城は、表情を崩さず日向に同意した。
「では遠慮なく。しもじもの食事が英二様のお口に合うかどうか、まず私が毒見もかねて挑戦してみましょう」
なんちゅう言いぐさだ。
それにしても、彼女が日向に嫉妬しているように感じるのは気のせいか?




