0083割れた壺事件05☆
「やあ、まだ残ってたのか。捜査は進んでいるか?」
校長室の教卓に資料を並べ、前谷校長は笑顔で俺たちを出迎えた。一時の不在から戻って精勤していたようだ。壷だった破片はすっかり片付けられている。
「それとも、もう事件を解決したのか?」
「はい、校長」
純架はいつになく冷ややかだ。校長はまばたきした。
「ほう。それで。犯人は誰だったんだ?」
純架はゆっくり校長に近づく。両手を大きく広げて教卓につき、前傾姿勢で言い放った。
「あなたですよ、前谷翔一郎校長。あなたが壷を割った犯人です」
俺は意外な成り行きに、数秒の時が数分にも感じられる。校長は堂々と苦笑した。
「何だ、冗談きついな、桐木君。なぜそんなでたらめな結論に到達したんだ? 良ければ教えてくれないか」
「すっとぼけますか」
純架は残念そうに身を戻すと、ソファに腰を下ろした。途端にブゥとおならのような音が鳴る。彼は激昂した。
「誰だ、こんなところにブーブークッションを置いたのは!」
いや、お前のナチュラルな放屁だろう。
「なら全てお話しましょう。校長、あなたは毎日昼休み、窓の外から来る野良猫に餌を与えていたんです。ほぼ日課のようにね。それは孤独な最高権力者の、学校における唯一の安らぎだった。しかし日頃教師や生徒に『野良猫に餌を与えるな』と注意していた手前、ばれるわけにはいかない。だから昼休みになるたび校長室に一人閉じこもり、鍵までかけて、校舎裏の野良猫を招き入れていたんです。既に餌付けされていた野良猫は、今日も嬉々として校長室の外を訪問していた。その足は雑巾で拭いたんでしょう」
校長の顔は笑みを失った。構わず純架は続ける。
「しかし今日の昼休み――の少し前――校長室に上がりこんで餌を食べていた野良猫は、校長が目を離した隙に、誤って壷の中に入ってしまいました。猫は脱出しようと身をよじりますが上手くいきません。校長は野良猫を救出すべく手を尽くしましたが、これもどうにもなりません。困り切った校長は、最後の手段としてハンマーか何かを持ち出し、30万円の壷を惜しみなく割りました。内部の猫が怪我しないよう万全を期したのでしょう。これで猫は救出され、壷の破片は棚の上に少し残ったのです」
純架は一息入れた。その目は射抜くように校長へ向けられている。
「そして校長は半壊した壷を床に叩き付け、完全に割った。何故そんなことをしたのか? 答えは簡単です。僕らの、『探偵部』の実力を試したかったからです。校内新聞で僕らの存在を知っていた校長は、好奇心の赴くまま、この『割れた壷事件』を『探偵部』に預けた。解けるものなら解いてみろ、と上から目線でね。窓枠の泥の足跡は、いったん窓の外へ出て片足だけ泥水に浸した後、それで踏みつけたのでしょう。もちろん靴裏の汚れは雑巾で拭き取ったに違いありません。そんなわけで、当然警察に届け出る必要はなかった。壷を割ったのは校長本人だからです」
純架は懐から封筒を取り出し、逆さにして中身を落とした。
「この白い毛は野良猫の体毛だったんですね。……それにしても校長、あなたの迫真の演技は素晴らしかった。もう少しで完全に騙されるところでした。真っ白の容疑者を五人も挙げて、僕らを惑わそうとした辺りは特にね」
胸に手を当てる。
「以上がこの事件の全貌です、校長」
校長はくつくつと笑いを噛み殺している。
「見事だ。なるほど、確かに『探偵部』などと名乗るだけのことはある」
組んだ両手を机上に置いた。100点の答案用紙を前にしたような、教師としての純粋な喜びに浸っている。
「そう、その通りだよ、桐木君に朱雀君。正解だ。わしは君らを試した。そして期待以上の結果を見せてもらった。いや、まったく天晴れだ」
教卓の引き出しから一枚の白い紙を取り出す。
「部費の申請書だ。謎を解いたことへの褒美として、部費が生徒会からすぐ下りるよう認定しよう。何、校長の肝入りなら誰も逆らえまい。どうだ?」
純架が答えるより早く、俺が激発した。出来れば老人の頬を張ってやりたかった。
「校長、ふざけないでください。俺たちの実力を試す? そんなくだらないことで俺たちを引っ掻き回したんですか? それだけでもいい加減むかつくのに、その上何の反省もなく親切を装ってすり寄ってくるなんて、馬鹿にするにも程があるでしょう!」
校長は俺の剣幕にたじろいだ。純架が同意する。
「校長、規則は規則で、逸脱は許されません。よそを出し抜いて部費をもらっても、僕らは嬉しいどころかかえって迷惑に感じます」
それに、と純架は言った。
「薄情のようですが、金輪際野良猫に餌を与えないでください。皆で決めたルールを守ってください――高い壷を逡巡なく壊せるほど猫好きなのは分かりましたから。さもなければ真相をばらしますよ」
校長は不機嫌の塊と化している。自分の親切を純粋な源泉によるものと信じているようだった。
「なんだ、せっかくの親切心を裏切って……。もういい、二人とも帰るがいい」
最後まで上から目線だ。このような人間が校長であることを恥じ、俺は彼への評価をゼロまで下げた。
完全に日が沈んで、月が煌々と光を放っている。俺と純架は電車に乗り、並んで吊り革に掴まっていた。ラッシュの時間帯だがぎゅうぎゅう詰めとまではいかない。純架が悔しそうにつぶやいた。
「本当は部費、欲しかったけどね。でもしょうがない。楼路君の怒りももっともだからね」
純架にとっては垂涎の提案だったのだろう。悪いことをしたかな、と俺は軽く省みる。純架はそれに気付かず苦笑した。
「ただ、今朝お婆さんを助けた僕らも、野良猫に餌を与えていた校長も、規則を破ると知っていながらそれが善行であると疑わなかった。あまり人のことは言えないよ」
決められたルールを順守するか、逸脱するか。悩むところは皆同じだ。
流れゆく景色に答えが書いてあるとでも言うように、純架は飛び去る町並みを飽くことなく眺めているのだった。




