0031生徒連続突き落とし事件09☆
「何だって?」
俺はあまりのことに、1年生の調査を担当した日向を振り返った。俺や奈緒、英二に結城の視線を一身に浴びて、彼女は思わずといった具合に縮こまる。
「えっ、でも、私が1年2組で聞き込みしたときは、誰も屋上には行っていないって……」
「柏木が嘘をついたのさ」
英二は得意満面だ。その小さな体が膨れ上がる自尊心で破裂したとしても、俺は一向驚かなかっただろう。
「柏木は俺にべらべら喋った後、急に不安になったんだ。もしかしたら、自分は連続突き落とし魔に間違えられるような、とんでもないことを口走ってしまったのではないか、とな」
それで日向には話さなかったというのか。その、柏木悠美って子は……。英二が癖毛を撫で上げた。
「美又先輩の言う『小柄な女』という条件にも、柏木は符合する。しかも屋上には自分一人しかいなかった、とまで証言した。スケッチも見せてもらったが、確かに屋上からの風景画が描かれていた。後の推理は簡単だ」
両手を広げて目を閉じ、まるでオペラ歌手のように語る。自己陶酔の色があった。
「柏木はアリバイを作るため、屋上でさっと手早く風景画を描いた。そして階段を下り、2階の防火シャッター脇の扉に張り付く。時間が経ち、美又先輩がやってきて階段を下り始めたところで、背後から思いっきり突き落とした。スケッチブックや道具は持って逃げたんだろう。1階へと逃れたのは、俺やお前らが2階と3階に張り込んでいることに気付いていたからだ……」
英二は目を見開いた。彼にしか見えない満員の観衆から、盛大な拍手を全身に投げかけられているみたいだった。
「どうだ。これから俺と結城は美術室へ行き、柏木を追い詰める予定だが、お前らも来るか? もっともその場合、勝負は俺たちの勝ちと認定させてもらうがな」
奈緒が真っ先に立ち上がった。ほぞを噛むような顔が、はらんだ屈辱を端的に表している。
「いいわ。行きましょう。負けるにしても、最後を見届けたいわ」
俺と日向も後に続く。
しかし純架だけは折り紙で力士を作るのに熱心だった。
「僕はいいよ。君たちだけで行ってきたまえ。ここで待ってるよ」
そして一人寂しく紙相撲を始めた。手製の土俵の左右を叩き、「頑張れ白鵬! 負けるな大鵬!」と夢の試合を器用に演じる。
こいつ、本当に高校生か?
美術室前に到着した俺と奈緒、日向、英二に結城の5人は、部員の悠美を呼び出した。
「何ですか?」
廊下に現れた悠美は、英二の姿に既に怯えていた。自分が彼に『当日屋上にいた』と喋ったことが、どうやら自分に嫌疑がかかる失態だったと認識しているらしい。
英二の方が背が低いため見上げる格好となっている。それでも威圧感はあるらしく、悠美はたじろいで震え上がった。
英二が彼女のすくみきった顔に人差し指を突きつける。サスペンスドラマのクライマックスよろしく、彼は強烈に睨みつけた。
「お前が『生徒連続突き落とし事件』の犯人だな、柏木」
ずばり言い切った。柏木は目をしばたたいた後、その言葉の意味を理解して後ずさった。
「ち、違います!」
壁に背中が着く。それ以上後退できないと知って悠美はうろたえた。
「なんで私が犯人なんですか! 支離滅裂もいいところ……」
「もうお前しかいないんだ、美又先輩を突き落とせそうな人間はな」
「知りません! 私がそんな酷いことするわけないでしょう!」
「吐け!」
英二の声に熱がこもった。
「見苦しいぞ、今更じたばたするな! 今認めれば自白で罪が軽くなるんだぞ。この好機を逃すな!」
「いい加減にしてください!」
埒が明かない。俺はだんだん英二の考えに自信が持てなくなってきていた。こうまで否定されると、もしや間違いではないかとの疑念が胸中でとぐろを巻く。
「さっきから何を騒いでいるの?」
美術室の扉が開き、美術部顧問の金近優子先生が姿を見せた。天然な性格で知られる教師だ。悠美は涙を振りまいて彼女の胸に飛び込み、けたたましく泣く。金近先生のボリュームある胸が揺れた。
「あらあら柏木さん、どうしたの?」
「先生、この人が私を犯人扱いするの!」
英二は悠美の背中を視線で焼き尽くそうとするかのようだ。金近先生に抗議の声を投じる。
「最近はびこる生徒突き落とし魔がその女なんですよ、先生」
「あらまあ」
金近先生はとぼけていた。ほんわかと笑う。
「でも勘違いでしょ? この子、そんな悪いことする子じゃないもの」
悠美を落ち着かせるようにその髪を撫でる。少し生真面目な顔になった。
「君たちの考えは間違ってるから、また家に帰って検討してみて。女の子を泣かすなんて男として最低よ、君。反省しなさい」
英二は弾力あるマシュマロのような女教師に食い下がる。
「でも聞いてください、先生」
英二は自分の捜査の過程を端的に説明した。
「……というわけで、当日屋上にいたのは柏木だけなんです。彼女こそが犯人なんです」
「あら? でも……」
金近先生は頬っぺたに人差し指を寄り添わせた。
「その日は柏木さん、屋上からの風景画を描いてこの1階の美術室まで持ってきたわよ。突き落としの騒ぎはその後だわ。柏木さん、美術室にずっといたわよ」
英二は気の毒なぐらい青ざめた。急に息苦しくなったか、首に巻きつくネクタイを緩めて隙間を作る。
「そんな馬鹿な」
「馬鹿も何も、それが事実だし」
金近先生は柔らかく微笑んだ。どこまでも掴みどころがない人だ。
「捜査、頑張ってね。早く真犯人が見つかるといいわね」
泣きじゃくる悠美を保護するように抱え、金近先生は美術室の扉の向こうに消えた。事件解決の糸口がぷっつり途切れた瞬間だった。
残された俺たちは愕然と佇立するより他にない。目の前で閉まった扉が無慈悲に思えた。
「彼女が犯人でないとすると……一体どうやって犯人は美又先輩を突き落としたんだ?」
英二の独語に俺は共鳴せざるをえなかった。
階段の踊り場に竹刀を突いて立っている先生方に挨拶しながら、俺たち『探偵同好会』は1階に下り、下駄箱で靴を履き替えた。駅までの短い距離を4人で歩く。
俺は無念の思いのまま、胸底を悲嘆で一杯にした。
「純架が前に言ってた『時には捜査の努力実らず』って言葉、どうやら今回は的中しそうだな。正直もう解決の見込みがない。確かにストレスが溜まるな、これ」
奈緒はほぞを噛む思いのようだ。
「三宮君に負けはしなかったけど、勝ちもしなかったわ。やっぱり悔しいわね」
日向は愛用品のカメラをいじっている。やるせない気持ちは彼女も一緒のようだった。
「とりあえず中間テストに向けて勉強ですね、私たちは。それが学生の本分ですし」
純架は足を運びながら紙飛行機を作っている。出来が良かったのか、『アストロコンコルド』と小学生のような名前をつけてはしゃいでいた。
「問題は犯人が次の凶行を犯す可能性さ。放課後は先生方が階段を見張ってくれているけど、昼休みや授業中はそういうわけにもいかないからね」
俺たちはぎょっとした。
「おいおい、犯人がまたやらかすってのか?」
「さあね」
純架は前方に紙飛行機を投げると見せかけて、俺の胸に叩きつけた。
「やった! 5兆点!」
的じゃねえよ。大体5兆点って何だよ。どんな競技だよ。
渋山台高校は中間テスト直前だった。どの授業もそれを見晴るかす内容に切り替わり、生徒たちは真剣な表情で黒板に書かれるヒントをノートに書き留めていった。
ここ最近天気がいいのは結構なことだが、その分暑さが身に染みて、教室には汗の匂いが充満していた。それを吹き飛ばしてくれるのは、開いた窓から注ぎ込まれる乾いた風だ。窓際の席の生徒たちは、熱い陽光と涼しい風のサンドイッチを腹いっぱい食べさせられ、羨望と気の毒が入り混じった複雑な視線を浴びるのだった。
昼休み、純架は教室にいなかった。いつの間にか弁当も食わず出ていったらしい。何か用があったのだろうか? それで俺は親友の岩井や長山と食事を共にしていた。この3人なら話は馬鹿っ話になる。俺はげらげら笑って楽しい時を過ごした。
一方英二は意気消沈といったていで巨大なロブスターをカットしている。捜査が失敗しても弁当の豪華さは変わらないのだ。羨ましい奴。
そういえば奈緒の姿が見えないが、1組で日向と昼食を摂っているのだろうか。まあとりあえず、まずはのどかな昼下がりだった。
そう、甲高い悲鳴と、それに続く衝撃音が空間に亀裂を入れるまでは。
「何だ?」
いや、問うまでもない。誰かが階段から転げ落ちたに決まっている。英二が弾かれた虎のような俊敏さで教室を出て行く。俺もパンを放り捨てると、くつろぎと仲間を置き去りに階段へ全力で駆けていった。
跳ぶように下りていくと、2階から1階への中間踊り場に二人の女がいた。片方は俺のよく知る人物だった。
「飯田さん!」
奈緒が女生徒を介抱しているようだ。英二は興奮のためか上ずった声で尋ねた。
「おい飯田! 何があった!」
「この人が突き落とされたのよ!」
女生徒は涙を流しながら、太ももを押さえて激痛にうめいている。最低でも骨にヒビが入ったことは確実なようだ。奈緒は彼女のそばから英二に要請した。
「先生を、早く!」
「私が!」
結城が請け負って職員室へ走っていく。俺と英二は中間踊り場に靴裏を接吻させた。英二が女生徒を観察しつつ問いかける。




