0030生徒連続突き落とし事件08☆
突然奈緒が俺の肩を叩いた。
「トイレ行ってくるね」
「ああ」
奈緒は角から出ると、まさに俺たちが見張っている階段――防火シャッター壁で半ば隠されている――の前を通り過ぎ、トイレへと歩いていった。その背中が視界から消える。
後にはテレビドラマの刑事さながらの野郎二人が残された。英二が廊下を見つめながら小声で問いかけてくる。
「なあ、お前あの女が好きなのか?」
いきなりずばりと指摘されて、俺は全身を硬直させた。漏れ出る返事が片言になる。
「な、何言ってんだよ」
「おや、図星か。分かりやすいなお前」
英二はこちらにずいぶんと無邪気な、悪魔めいた笑みを見せた。いたずらを成功させた子供のようだ。
「飯田に対するお前の目つきとか所作とか、全てが『僕はこの女が好きです』と額縁付きで飾ってあるぞ。単純過ぎて笑えてくるな」
俺は嫌な汗が全身からにじみ出てくるのを抑え切れない。
「悪かったな」
俺はこんな奴にからかわれることに不快感をにじませた。とりあえず念押ししておく。
「おい、飯田さんには言うなよ」
英二は視線を廊下へと戻して、ぶっきらぼうに手を振った。粗雑な挙措だ。
「安心しろ、俺は興味ないんだ」
そう言われるのも何だかむかつくなあ。人の心をもてあそんでおいて、何だよそりゃ。
「……それにしても何も起きないな」
ホームルームが終わってから1時間ほど経過している。辺りは無生物の支配する空間だった。陽光がその角度を低くし、炒るように窓ガラスをあぶっている。静寂は透明の重石となって、俺の両肩に圧し掛かってくるようだ。
と、そのときだった。
「きゃあっ!」
稲妻のような女の悲鳴が空間を切り裂き、俺たちの聴覚を襲撃する。そして岩石が転げ落ちるような轟音がそれに続いた。英二が一瞬の忘我をたちまち振り切る。
「落ちたな!」
彼は弾丸のように飛び出した。俺も後を追う。廊下を自己ベストのタイムで走破すると、階段の見える位置に身を躍らせた。誰もいない。さっきの音は下の階からだ。二段抜かしで駆け下りて2階に向かう。
「それ」が視界に飛び込んできたとき、俺は自分たちの詰めの甘さを呪った。
先に辿り着いた純架、結城が一人の女生徒を介抱していた。彼女は腕を押さえて苦痛にうめき、こめかみから血を流した痛々しい姿で横たわっている。日向の姿が見えないが、恐らく先生を呼びに行ったのだろう。
「純架、この人は……」
「突き落とされたんだ」
これほど無念そうな純架は今までで初めて見る。彼はしばらく唇を噛み締めると、己を蔑むように発した。
「あれだけ監視していたのに僕らは犯人を捕らえることができなかった。大失態だ!」
新たに四人目の被害者を加えた『生徒連続突き落とし事件』は、地元マスコミが取り上げるや、ネットニュースやSNSであっという間に全国に拡散した。更に警察が動き出し、地元署の警察官が先生方と話をする隠し撮り写真もアップされる。近く保護者会が開催されることも決定し、校長と教頭は記者団の前で先行して謝罪した。
「面白くなってまいりました」
クラスメイトの久川は今回の事件を心から楽しんでいる。他の男連中も同様で、犯人が女ばかりを狙うことから、自分は無関係として騒ぎを満喫していた。
1年2組担任・北上孝治先生と縁戚関係にある日向は、昼休み、『探偵同好会』の面々に情報を持ってきた。俺と純架、奈緒は食事しながら耳を傾ける。
「今回被害に遭われた女性は、2年2組の美又慶さんです。右腕の上腕を骨折し、他の箇所にも打撲を負いました。先生に話したところでは、2階から1階へ降りようとしたとき背中を押されたということです」
純架が弁当箱からえんどう豆をつまみ上げ、口中へ放り込んだ。歯切れのいい音を立てて噛み砕きつつ、当時を振り返る。
「美又先輩の姿は僕たちも見た。彼女が教室を出て廊下を歩き、階段のある箇所へ曲がり込んだところを、潜んでいた場所から確認している」
「そうですね、私も見ました。確実に一人きりでした。美又先輩は病院で治療を終えた後、先生方に語ったそうです。それによれば、犯人は小柄な女で、中間踊り場で苦しむ自分を通り過ぎ、1階廊下から逃げていったということです」
俺は今朝コンビニで買っておいたおにぎりを頬張る。鮭が入っていた。
「小柄な女、か……」
純架は可哀想になるぐらいしょげている。ここまで打ちのめされた彼を目の当たりにするのは初めてだった。
「まさか、今まさに突き落とした被害者の倒れている中間踊り場を通って、逃げ去っていくとは予測がつかなかったよ。1階にも誰か配置しておくべきだった……」
「犯人はどこに潜んでいたんだ?」
「3階の廊下は楼路君たちが見ていた。2階は僕らが見ていた。あのとき僕は、階段へ歩いていく美又先輩をしっかりこの目で捉えていたけど、その後ろについていった学生はいなかったと断言できる。となると、犯人は死角である階段部分に潜んでいた蓋然性が高い。つまり……」
英二が無造作に割り込んできた。微笑しつつ、推理の過程を陳列する。
「そう、犯人は階段部分で獲物が来るのをじっと待ち、美又先輩にそっと近づいて突き落としたんだ」
英二犯人説は消え、俺は多少の罪悪感と共に彼に応じた。
「そんな奴目立つに決まってる。美又先輩を含め、誰にも見られることなく一体どこにいたというんだ?」
「屋上だな」
英二は即行で断定した。そこに一瞬の遅滞もなかったのは、自分の仮説に自信があるからだろう。
「放課後すぐ屋上に行き、時間を潰した後、そっと階下に移動して、哀れな子羊が通りかかるのを辛抱強く待ったんだ。美又先輩は犯人を小柄な女だと断定したんだろう? 今回は完全に姿を隠しおおせることはできなかったんだ。それぐらい危険な賭けだったんだな」
純架がやつれた顔で英二を見上げる。やはり昨日横暴を敢行した犯人を、みすみす取り逃したことに深く傷ついているようだった。
「君は今後どうするんだい、三宮君」
「俺とお前らの勝負はまだ続いている」
口元を押さえて意地悪そうに笑う。こちらは気色が良さそうだった。
「今日の放課後から先生が交代で階段を監視するらしいから、事件の再発はない。張り込みは終わりだ。となると、俺としては屋上にいたはずの犯人について聞き込みをするのが最善と思われる」
くるりと背中を見せる。肩越しに悠々と吐き捨てた。
「『負けた方は勝った方の言うことを聞く』、忘れるなよ」
そして鼻歌を歌いながら自分の席に戻っていく。俺は危機感を募らせた。
「おい、この調子じゃ負けるぞ。俺たちも聞き込みだ」
「焦らなくていいよ、楼路君」
純架はそう言って俺の戦意を抑制する。
「前にも言ったけど、犯人が捕まって平穏な日常が戻るなら――辰野さんの仇が討てるなら、別に『探偵同好会』が解散となっても構わないんだ。三宮君の手腕に期待しようじゃないか。あるいは彼が、辰野さんの恨みを晴らしてくれるかもしれないし」
「そうはいかないよ」
奈緒はあくまで好戦的だ。
「桐木君が動かないなら私が動く。ね、朱雀君、日向ちゃん。皆で『探偵同好会』を守ろうよ」
『折れたチョーク事件』で無理矢理加入させられたはずの奈緒は、しかし今や一番の偏愛を同好会に傾けていた。変われば変わるものだ。俺は当然彼女を支持した。
「よし、手分けして聞き込みしよう。1人は1年、1人は2年、1人は3年といった具合に。そうすれば2人でかかる三宮たちより早く聞き終えられるからな。三宮や菅野さんなんかに負けてたまるものか。頑張ろう!」
「頑張ろうね!」
「頑張りましょう!」
こうして俺たちは捜査開始を決断する。純架は手に負えないとばかりに肩をすくめた。
「屋上? あの日は……そうだな、行ってないから分からないな」
「昼休みなら屋上で飯食ったよ。放課後は行ってないよ」
「放課後は帰っちゃった。ねえ君、ひょっとして『探偵同好会』?」
しかし、重要で貴重な情報はなかなか得られなかった。最上級生である3年が俺の担当だが、当日どころか今まで屋上に行ったことさえないという人間が過半を占めていた。意外に不人気スポットであるらしい。結局一日潰して4クラスを回った挙句、成果はゼロという芳しくない結果に終わった。あの日、3年生は屋上に誰もいなかったのだ。
放課後、俺たちはミーティングを行なった。純架は折り紙で手裏剣を作っている。全くやる気がなさそうに見えた。
「2年生は空振りに終わったわ」
奈緒が残念そうに報告した。その顔に憂愁の色が濃い。日向も1年は全員屋上に行っていなかったと、やはり無念の結果を語った。
「どういうこった? 美又先輩を突き落とした犯人は、いったいどうやって階段部分に隠れたんだ? 誰にも見つからず……」
そこへ割り込む声があった。
「どうやら困っているようだな」
甲高い金属のぶつかる音色のようなその波長は、紛れもなく三宮英二だ。彼は悩める同好会の面々と比較して、余裕に満ちて表情も明るかった。こちらの話を盗み聞きしていたらしく、自身の捜査に満足感を高めたらしい。
「辰野はどうやら俺の後に1年を調査したようだな。俺たちに出遅れて、な」
俺は聞きとがめて真意を問い質す。
「どういう意味だよ」
「1年2組の美術部・柏木悠美は、俺に尋ねられて興味深い情報をゲロしてくれたぞ。美又先輩が階段で突き落とされたその日、屋上でスケッチを描いていた、と……」




