0018今朝の吸殻事件01☆
(五)今朝の吸殻事件
ある日、俺が純架と共に登校すると、いきなりフラッシュを焚かれた。
「何だ?」
どうやらカメラで撮影されたらしい。閃光の影が視界で躍る中見てみれば、黒縁眼鏡にショートボブの少女がこちらにレンズを向けていた。
「桐木さん、いただきました!」
純架は迷惑そうに目をしばたたいた。
「誰だい君は」
女はデジタルカメラを下ろした。レンズ越しに光る黒目がちの瞳、小高い鼻がすっきりとした印象を見るものに与える。
「私は1年1組の辰野日向と申します。失礼ながら桐木さんのオフショット、どうしても一枚欲しかったので無断で撮らせていただきました。すみません」
どうやらこの娘――日向の狙いは純架らしい。純架は鷹揚だった。
「一枚といわず二枚でも三枚でも撮りたまえ。ひょっとしたら僕が霊魂を吐き出す瞬間をキャッチできるかもしれないよ」
死ぬのかよ。
「はい! ありがとうございます!」
俺は真面目そうな日向を眺めた。奈緒と違ってスカートが長く、膝を隠している。紅色に輝くカメラは高級そうで、我が子のように大事に扱っていた。
純架の写真を撮りたがる女子は多い。時には2年、3年の先輩まで撮影にやってくる。皆純架の女性のような艶やかな容姿に惹かれ、スマホの壁紙にでも使うつもりか、写真を獲得しようとするのだ。純架はそうしたファンにあまり大した関心も見せず、好きに撮らせている。もし彼女らが賢明にも純架の奇行癖に気づけば、即行携帯から削除するに違いない。
俺は日向もそうした人間だと思っていた。だから彼女の次の言葉は意表をついた。
「私、桐木さんの記事が書きたいんです!」
「記事?」
純架が初めて興味を引かれたような声を出した。
「僕の記事って……。辰野さん、もしかして新聞部かい?」
日向は元気よく答える。
「はい! 毎月発行している『渋山台高校生徒新聞』の制作に携わっています」
そういえばこの前、1年3組のホームルームで4月号を配布されたっけ。校長の訓示や学校の予定などといった基本に続き、購買のパン争奪戦や生徒会の裏事情などの変り種が掲載されていた。
それにしても……。俺は首をひねった。
「何でまた純架の記事なんか? 『渋山台高校のナンバー1美男子』とかか?」
「いいえ。『血の涙事件』、『折れたチョーク事件』、『変わった客事件』を解決した、『探偵同好会』の会長としての手腕について聞きたいんです」
俺は足を踏み直した。
「何でそのことを知ってる? 純架は極々内密に処理したはずだぞ」
「飯田さんにうかがったんです。彼女と私は中学時代からの友達で、私がネタを探していると聞いた飯田さんは、親切にも桐木さんのことを教えてくださいました」
奈緒って結構お喋りなんだな。まあ、秘密にしていたわけでもなかったし。『折れたチョーク事件』は他人が犯人だと聞かせたのかな?
「どうでしょう、桐木さん?」
純架はじろりと日向を見た。俺は彼が言いそうな台詞を頭に思い描く。
「条件がある。僕らの『探偵同好会』に参加してくれないか? 新聞部と掛け持ちで。そうしたら何でも答えてあげるよ」
やっぱりな。俺の予想とほとんど変わらなかった。単純な奴だ。
日向には悪い条件でもなかったらしい。彼女はみるみる喜色を頬にのぼせた。
「ありがとうございます! では私、『探偵同好会』に入らせていただきますね」
まあ、事件がなければ帰宅部同然だからな、うちの同好会。その辺も奈緒に聞いていて、あまり苦にもしなかったのだろう。
純架はほくほくとご満悦で手を差し出した。
「交渉成立だね、辰野さん。じゃ、今日の放課後にでも時間を取ろう」
日向がしっかりと握り返す。
「はい!」
こうして我ら『探偵同好会』は、4人目の会員――辰野日向を迎えることとなった。
日向の仕事は早かった。数日後に1年3組の教室に現れた彼女は、一枚の紙を携えていた。
「お待たせしました。『渋山台高校生徒新聞』5月号です」
我らが渋山台高校は新聞部に注力していて、A4サイズ4ページの白黒の新聞を毎月発行していた。『自由な思想は正しい報道から生まれる』と、これは校長先生のありがたきお言葉だ。新聞部は部員も20名以上、文化部としては吹奏楽部に次ぐ規模で、一大勢力を誇っていた。
その新聞部の駆け出し1年生記者が日向というわけだ。彼女は実力を買われたのかネタが面白かったのか、今月号で俺たち『探偵同好会』の活動を記事に仕上げてきた。上級生から任されたスペースは4分の3ページ。大抜擢だった。
「ほら、『探偵同好会』の記事、載ってますよ」
俺と純架、奈緒は早速受け取り、蛍光灯の下で自分たちの記事を見る。今日は天候が悪く、一足早い梅雨かと朝のニュースで報じられていた。
『探偵同好会の活動実績』との見出しと共に、『血の涙事件』、『折れたチョーク事件』、『変わった客事件』の内容がかいつまんで掲載されている。登場人物の名前は「Aさん」「B先生」など、仮称が用いられていた。そういえば純架は、チョークの一件に関しては奈緒の関わりを日向にも聞かせていない。彼女との約束は守っているのだ。
記事のそばには純架の美しい容貌が小さな写真となって据えられていた。俺たちのはない。
「私の美貌はどこに行ったの?」
奈緒が怒ったように口を尖らせたが、もちろん冗談だ。その証拠に目は笑い、いかにも楽しそうである。
この新聞に関し、純架はことの他喜んでいた。
「これからは僕もスキャンダルに気をつけないとね」
早くも芸能人気取りだ。
「不倫現場を抑えられないよう変装には気をつけないと。最近のマスコミはしつこいからね」
いつお前が結婚したんだよ。完全に妄想に取り憑かれている。
俺はしかし、微笑を浮かべてその様を見やりながら、自分たちの活動が多くの人の目に触れることに軽く自尊心と羞恥心とをくすぐられていた。それは心地よく、甘酸っぱかった。
宮古先生が帰りのホームルームで『渋山台高校生徒新聞』5月号を生徒たちに配布した。占いコーナーだけ見てしまい込む奴もいれば、熱心に熟読する変わった奴もいる。この中から第5の『探偵同好会』会員が生まれてくれればいいな、と期待する俺だった。
「調子に乗るなよ、桐木」
解散になった早々、耳障りな声が耳に届く。それは電流となって脳味噌内のある人物の名前に辿り着いた。
矢原宗雄。狐目が特徴的で頬がこけ、鼻は上向きと、人相はよろしくない。また肌色が悪く、見るものに不健康な印象を与える。『折れたチョーク事件』で俺や純架を犯人呼ばわりした嫌な奴だ。
視線を横に動かすと、椅子に座る純架の前に、記憶に刻印されている通りの人物が立っていた。
純架は新聞を鞄に大事そうにしまいながら、目の前の矢原に問いかける。
「何の用だい?」
矢原は大きな口をボートの断面のように歪めた。
「お前ら『探偵同好会』なんて、所詮まぐれで事件を解決してきたんだ。新聞に載ったぐらいで調子に乗るんじゃねえぞ」
矢原は自分の新聞を両手でつまみ、さらすように純架の目線まで持ち上げる。そして――
真っ二つに音立てて引き裂いた。
これには純架も驚き、ついで呆れる。理解できないとばかりにまばたきを繰り返した。
「何してるんだい、君」
矢原は返さず、無言で新聞を畳んでまた二つに割る。何度か繰り返すと、新聞だったものはただの紙屑に変貌してしまっていた。
「僕はお前らを認めないからな」
矢原はそう吐き捨てると、さも不愉快そうに罪のない紙片をゴミ箱に注ぎ込んだ。そしてもはや純架に一顧だにくれず、教室から出て行った。
俺は純架の肩に手を置く。かける言葉に独創性を用いなかった。
「気にすんな、純架。矢原はああいう奴だ。どうも『折れたチョーク事件』の屈辱を根深く持っているみたいだな」
純架は勘弁してくれといいたげに頭を振った。
「僕にはさっぱり分からない行動だよ。今のに何の意味がある? まるで不毛じゃないか」
「帰ろうぜ。嫌な奴も嫌なことも忘れてハンバーガーでも食いに行こう」
「あ、僕はコンビニに寄るからいいよ」
「ん? コンビニに何か用でもあるのか?」
純架はだらしない笑みを浮かべた。いつになく無邪気だ。
「新聞5月号の僕たちの記事を拡大コピーするんだ、50枚ほどね。それを僕の部屋の天井といわず壁といわず、あちこちに貼り付けるんだ。どうだい? 素晴らしい案だろう?」
嬉しいのは分かるがやり過ぎだ。
その数日後、雨のそぼ降る暗い景色を眺めながら、そこだけは明るい教室でロングホームルームが催された。5時間目の授業だ。
宮古先生は怒気の鎧を全身にまとって現れた。手に持ったファイルを教壇に叩き付けないのがおかしく感じられるぐらいだった。
「起立! 礼!」
日直の号令で全員が立ち上がり、頭を下げる。皆んな机を見ながら、今日の先生は何やらあるぞと、気を引き締めていたに違いない。
着席すると静かになった。宮古先生はやかんから吹き出る水蒸気に似た溜め息をつく。
「今日は別のことをやるつもりだったが、そうはいかなくなった。これは由々しき問題だ。クラス全員で考え、受け止めるべき、大変な事案だ」
謎の前置きに触れて俺たちは強張った。宮古先生は何が言いたいのだろう? 答えはすぐ明らかになった。




