0019今朝の吸殻事件02☆
「このクラスに、煙草を、吸ったものがいる」
一語一語はっきり区切って、ゆっくりと述べた。その重々しい言葉に教室中がざわめく。俺は目をしばたたいた。そんな奴がいるのか? このクラスに?
生徒の一人、夏島さんが手を挙げた。学級委員長で清楚が売りである。
「何だ夏島」
「なんでそんなことが分かったんですか?」
宮古先生は小さなビニール袋を取り出した。右手でつまんで高く掲げる。
「吸殻があったからだ」
ビニール袋の中に確かに短い、折り曲げられた煙草らしき吸殻がおさまっていた。
「これを見つけたときの僕の情けなさといったらなかったぞ」
菊池が挙手する。テニス部で運動神経抜群の男だ。
「どこにあったんですか?」
宮古先生は忌々しげに教卓を指でさした。
「そこの窓際の教卓そばに落ちていた。まるで僕に当てつけるかのようにな」
「いつ見つけたんですか?」
「今朝のホームルーム終了時だ」
憤慨の色が声音に濃い。これは迂闊に口を利こうものなら雷が落とされるだろう。
「最初は何かと思った。まさか場所もあろうに僕の教室で、煙草の吸殻が堂々と置かれているなどとは夢にも思わなかったからな。僕は吸殻を職員室へ持ち帰ってビニール袋に入れた。そのとき決めたんだ。今日のこのロングホームルームで、煙草を吸った犯人を見つけ出してやる、と」
教壇に両手をついて室内に視線をめぐらす。悲しみと怒りが生徒たちの顔を通り過ぎた。
「今なら許してやる。煙草を吸った奴は名乗り出るんだ。相応の罰は受けてもらうが、まあ仕方あるまい。事態が事態だからな。だがそれ以上は自白してきたことを考慮し、不問としてやる」
テニスのサーブを待ち受けるプロプレイヤーよろしく、宮古先生は自分の温情のリアクションを待った。
手が挙がった。なんと純架だ。すらりと伸びた右腕に先生の目が引き付けられる。
「お前か、桐木!」
クラスメイトたちからどよめきと共に一斉に視線を集中されて、純架は慌てて手を振った。
「いや、違います違います。ちょっと二、三うかがいたいことがありまして」
室内に「なあんだ」と、ちょっとがっかりしたような、でも安心したような微妙な空気が充満する。宮古先生は顎をさすった。
「そういえば桐木は『探偵同好会』をやっているんだったな。新聞で見たぞ。かなりの辣腕ぶりらしいな」
純架は謙遜した。
「いえ、運が良かっただけです。まあでも……」
でれでれと相好を崩す。みっともない顔だった。
「『辣腕』ですか! 宮古先生にまでそうおっしゃっていただけるとは……。いやあ、照れちゃいますね」
最近分かったことがある。純架は探偵として非常におだてに弱い。まるで苦心の芸術作品を激賞されたような彼だったが、やがて気を取り直した。
「……と、そうじゃなかった。宮古先生、質問いいですか?」
宮古先生は唇を引き締めて首肯した。
「いいだろう。腕前のほど、見せてもらおう」
純架は喉をさすった。少しうつむいたのは問いかけの内容を整理したためか。
「ではまずは……。吸殻はいくつあったんですか?」
「二つだ。見えなかったかな?」
宮古先生がビニール袋を試験管のように振った。よくよく見れば、確かに二つが重なっている。生徒たちがざわめいた。純架は続ける。
「次に、銘柄は何ですか?」
宮古先生は怪訝な顔をした。
「銘柄? そんなものどうでもよかろう」
確かに煙草の種類など聞いて何の意味があるのだろう。だが純架は手放さない。
「いえ、大事なところです。教えてください」
宮古先生はビニール袋の中身に目を凝らした。御年33歳、まだ老眼ではない。
「マルボロのメンソール味だ。これでいいか?」
純架は顎をつまんだ。今の問いと答えに収穫はあったのか。
「はい。続いてですが……吸殻は昨日の放課後にはなかったんですね? 今日の朝になって見つかったんですね?」
「そうだ。さっきも言ったが、今朝のホームルーム終了時だ。昨日はなかった」
「昨日の放課後に投棄された吸殻を、今朝見つけたのでは?」
「いや、僕は昨日の夜忘れ物を取りにこの教室に戻り、教卓を漁っている。そのときにはなかった」
純架は前髪をかき上げ、額の一部を数瞬さらした。洗練された美しい動作だ。波打った髪はまた重力の支配下に収まる。
「誰かがよそで吸ったものを、早朝教卓の側へ持ってきて放置していった、という可能性は?」
宮古先生は無念そうにかぶりを振った。
「踏み潰された跡がついていた」
教卓に近づき、ひざまずいて床を調べる。俺もクラスメイトも覗き込もうと、自分の椅子から腰を浮かせたものの、果たせた者は最前列の連中だけだった。
「ほとんどなくなってしまったが、黒い痕跡がまだ残っている。ここで吸って、最後に足裏で踏みつけて消したんだ。間違いない」
純架は腕を組んだ。彼の頭の精密機械が正しく運用されていると信じたい。
「他の先生方がこの教室に来て吸った、ということはないですか?」
宮古先生は立ち上がり、再び教壇に落ち着いた。純架の問いを撥ねつける。
「そんな不届きな教師はいないよ、桐木。いくらなんでもそれはなしだ」
「犯人は一人でしょうか、複数でしょうか」
「吸殻が二つもあったことから察するに、多分二人だろう。或いは一人で二本吸ったのかもしれない。それにしても……」
宮古先生は憤怒を舌に乗せた。また怒りがぶり返してきたらしい。
「大胆不敵な犯行だ。誰もいない教室で、場所もあろうに教卓の側で煙草を吸うなんて……。まさに僕への挑発、渋山台高校への挑戦だ。そんな生徒がいることを僕は恥じる」
沈黙という名の魚が室内を回遊した。純架は肩をすくめる。
「僕の質問は以上です、宮古先生」
「え?」
宮古先生は不意に現実に引き戻された表情だ。
「もう終わりか? それで、犯人は分かったのか?」
「いいえ全く」
純架はやおら着席した。残念そうに主張する。
「先生は惜しいことをしました。今朝吸殻が発見された時点でホームルームを延長し、すぐに真相の究明に乗り出すべきでした。そうすればまだ手がかりが掴めたかもしれません。今となっては遅すぎます」
宮古先生は失望の目で純架を見つめている。ま、純架も魔術師じゃないから、手がかりなしに事件を解決できるわけでもないだろう――俺はそんなフォローを頭に思い浮かべた。
純架はすっかり興味をなくしたのか、瞑目してプロレスラー藤波辰巳の歌『マッチョドラゴン』を口ずさんでいる。
どうせならもっとまともな歌を歌え。
「先生」
不快な声が不快な生徒の口から発せられた。矢原宗雄だ。彼は手を挙げて発言の機会をねだった。
「何だ、矢原。言いたいことがあるなら構わんぞ」
宮古先生が許可を与える。矢原は立ち上がって純架を一瞥すると、道化ものよろしく両手を広げた。
「犯人は帰宅部だと思います」
奇怪な爬虫類のように舌なめずりをした。
「今朝早く、この教室で悠長に煙草を吸っていられるなんて、時間のある帰宅部以外考えられませんよ。部活をやっている人はそっちの活動で忙しいに決まってますからね。断言しましょう、犯人は帰宅部です」
矢原は純架の声真似をしている。俺は内心苛立った。純架はといえば、あくまで泰然自若として矢原の言葉に耳を傾けている。
矢原は誰も異論を提示しないのをいいことに、図々しく請願した。
「帰宅部の人に立ち上がるようお願いします」
宮古先生は矢原を切れ者ととったようだ。彼の意見を無批判に支持した。
「よし、矢原の言う通り、帰宅部は立て」
三好、牧田、相良さん、後藤さんが順々に、のろのろと怯えながら立ち上がった。
宮古先生は4人を蔑むように睨みつけた。矢原の推理に乗っかっていることは明らかだ。俺はそれを危険な兆候だと見なしたが、見なすだけでどうにも出来ない。
「誰だ、煙草を吸った犯人は。名乗り出るんだ」
「先生、ちょっと待ってください」
矢原が神経質に挙手した。
「このクラスにはまだ帰宅部がいるじゃありませんか」
俺は矢原の嬉々とした相貌に、遠雷のような危機感を抱いた。こいつ、まさか……
宮古先生は首を傾げた。矢原の言葉を理解できないでいる。
「何言ってるんだ。帰宅部は他にいないぞ」
「いるじゃないですか。同好会になったばかりの、帰宅部同然の人たちが」
「はっきり言え。さっきから誰のことをほのめかしているんだ?」
矢原は純架を睨みつけ、白い歯を外気にさらした。黄色い顔の中でそこだけは純白だ。
「決まってます。『探偵同好会』の3人ですよ」
俺はぶち切れて身を起こし、矢原を怒鳴りつけた。
「てめえ、俺たちが犯人だとでも言うのかよ!」
しんと静まり返った教室で、矢原は軽くのけぞる。芝居がかった動作だ。
「おやおや朱雀、激昂してごまかそうという魂胆か?」
「何だと……!」
宮古先生が割って入った。競走馬の調教師然とした態度だった。
「落ち着け朱雀。誰もお前が犯人だなんて言ってないぞ。怒るだけ不利になることをわきまえるんだ」




