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火災が鎮火され、シャンデリアの残骸が片付けられても、王宮には重く澱んだ空気が漂っていた。

被害者の中には、名のある伯爵家や侯爵家の後継者も含まれていた。死亡者はいなかったが、負傷者は数えきれず。

事件の全容を調べるため、捜査が夜通しで続けられた。


そして、翌日。


「こいつです! この男が、舞踏会前にシャンデリアの吊り縄に何かしていたのを見たという証言がありました!」


連行されてきたのは、あの日、廊下で文官たちの話を聞いて、怒り狂っていた掃除人だった。

舞踏会の準備で呼ばれ、シャンデリアに蝋燭の火を灯す際、ロープに切れ目を入れていたのだ。


今や男の結んでいた長い髪は乱れ、顔は怒りと興奮に染まっていた。


「はなせ! 俺は、王子を殺すためにやったんだ!」


「なんだと……?」


居合わせた貴族たちがざわつく。


「王太子だよ! あの冷血なレオニス王太子だ!

俺たち下級使用人の給料を削って、自分の女遊びに使おうとしてたんだ! 俺は知っているぞ。文官たちが噂していたのを聞いたんだ! あいつは宰相様にそんなことを頼みにいったんだぜ!」


一気に空気が凍りついた。

貴族たちは顔を見合わせ、ざわめきが広がっていく。


「何かの間違いでは?」

「いや、そういえば……私も耳にしたことがある。宰相補佐が言っていたな。王太子が“使用人の待遇を下げろ”と……」


「そんなまさか……いや、しかし……」


次々と「それっぽい」証言が出始め、話は勢いを得ていく。

事実は、完全にねじ曲がって伝わっていた。

レオニスが提出した改革案――使用人の待遇改善――は、宰相補佐の手で意図的に歪められていたのだ。


「今こそ好機だ。レオニス殿下を引きずり下ろせ」

「この失態の責任を取らせれば、派閥を切り崩せる」


王宮の奥深くでは、敵対派閥の陰謀が水面下で動き始めていた。


翌日、レオニスは王命によって謹慎処分を言い渡された。

「王族としての資質に疑義あり」と、もっともらしい理由が添えられて。


「言いたいことはないのか」


そう国王に問われたとき、彼はただ一言、低く呟いた。


「僕の提案書は読んでくださいましたか? 犯人が言っているような提案はしていないと言えば、信じてくれますか?」


国王は黙っていた。

もはや、何を言っても無駄だとレオニスは悟った。


有力貴族たち多数が被害を被っている状況下では、可及的速やかに事態を収拾させる必要があった。

人々は、真実よりも『都合のいい生贄』を欲しているのだ。

そして、それがレオニスなら好都合だ。

なぜなら、誰もが、優秀な弟に王太子の座を明け渡すことを望んでいるのだから、とレオニスは心の中で笑った。


だけど。


……エレーヌ……。


心の奥に刺さった、小さな棘が疼く。


自分には、彼女は過ぎた存在だ。

容姿や立ち振る舞いだけではない。心の在り方も、強さも、優しさも。

彼女にふさわしいのは、もっとまっすぐで、もっと能力のある男だ。

たとえば、ユリアンのような。


だから忘れよう。

この追放は、むしろ都合がいい。

彼女の視界から消えれば、きっと思い出も風化していく。


(エレーヌ、君の未来は……もっと明るくあるべきだ)


レオニスは想いを断ち切るように、頭を振った。




そして、その日、レオニスの王太子位の剥奪と彼を王籍から抜くことが宣言された。

レオニスは、3日後、数枚の銀貨を持たされて、ひっそりと城を後にすることとなった。





追放の日の早朝、部屋を出ようとしていたレオニスの元に、一通の手紙が届いた。

見慣れた筆跡だった。


「レオニス様


このたびの一件、とても驚きました。

私はもうあなたとは関係がありません。

こんな形でお別れになるなんて、残念です。

さようなら、レオニス様。


マリアンヌ・リュミエール」


一読したあと、レオニスは手紙を床に落とした。


「……ふん」


小さく笑った。

もはや、何の感情もわかない。

もうどうでもいい。


彼は黙って部屋を出た。





裏門の扉が軋んだ音を立てて開いた。

荷馬車が通るための、目立たない裏門――城の誰もが見過ごす場所である。


レオニスはフードを深く被り、門番と言葉を交わすことなく門をくぐる。

彼は何も持っていなかった。

地位も、名誉も、権力も。

かつて彼が持っていた輝かしいもの全てが、一瞬にして彼から奪われてしまった。


レオニスはここから歩いて立ち去るしかなかった。

門番の視線の中、重い足取りで一歩城外に踏み出した。


外の世界は、何もかも陰鬱に見えた。

彼はため息をつき、歩き始めた。


と、その時だった。


「レオ、行くなら……私も連れて行って」


静かだが、はっきりと響く声がした。

振り向くと、ローブ姿の女性が門の陰から一歩出てきた。

風がフードを払う。輝く金髪が現れた。

姿を見せたのは、エレーヌだった。


その瞬間、レオニスの心臓が大きく跳ねた。

あり得ない、と思った。

これは幻だ。


もう、すべて終わったと思っていた。


(君は、まだ俺を見捨ててなかったのか)


張り詰めていた何かが、胸の奥で崩れた。

押し殺していた想いが、わずかに揺らぐ。


「君との婚約は解消されたはずだ。どうして?」


レオニスは思わず問いかけた。声が震えそうになるのを、必死で押し殺す。

彼女の瞳は真っ直ぐに彼を見つめていた。


「そんなの、関係ないわ。

あなたが行くなら、私もついていく」


「よく、俺がこの門から出ると分かったな」


エレーヌは小さく笑った。


「全ての門に、私の護衛を配置してるのよ。あなたを逃さないように。でも、私はここだと思ったの。昔、あなたと一緒にこっそり街に抜け出したとき、使ったじゃない。……覚えてる?」


思わず息を呑むレオニス。

あの頃の記憶が、頭の奥に蘇る。

あれは、かけがえのない思い出だった。


二人でした初めての冒険。手を繋いで歩いた石畳。笑い合った街角。


そして、今――彼女はその記憶を辿って、ここに立っている。


「馬鹿だな、君は。俺についてきてどうするんだ。今の俺は一文無しの平民だぞ」


「馬鹿か……。そうかもしれないわ。でも、レオと一緒ならそれでいいの」


彼女はレオニスの後ろをすっと指差した。

振り返ると、木の陰に停まっていた一台の馬車――家門の紋章も飾りもない、目立たない造りのもの――があった。


エレーヌは軽やかにその扉を開き、一人で中に乗り込んだ。


「早く入って、レオ」


馬車の中から促す声に、レオニスは一瞬だけ立ち止まり、そして、自分も乗り込んだ。


公爵家の護衛が静かに馬車の扉を外から閉めた。そして、動き出す。

もう、城を振り返ることはなかった。





馬車は城下町の一角にある石造りの家の前で止まった。

辺りは商店が立ち並び、活気がある地域だった。



「ここが私の隠れ家よ。家出用に買ってたの」


中に入ると、エレーヌがカーテンを開け、椅子に腰掛ける。

レオニスは扉のそばに立ったまま、静かに言った。


「どうして、俺を助けようとする?」


エレーヌは目を伏せ、少し間を置いてから答えた。


「そんなの決まっているじゃない。貴方を好きだからよ。昔も、今も」


「でも、君には俺よりも、もっと――」


「もっと『いい男』がいるって言いたいの?」

エレーヌが言葉を遮った。


「そうね、きっとそうなんでしょうね。でも、私はレオがいいの。国の未来を担う王子じゃなくてもレオがいいの」


レオニスは戸惑いながら笑った。

その笑みには、皮肉と哀れみが混じっていた。自分に対するものだ。


「せっかく、俺は君を遠ざけようとしていたのになんでこうなる。エレーヌほどの女性なら、俺なんかよりもいい男がいっぱいいるだろう。俺みたいなクズなんかよりさ」


「なぜ、自分のことをクズなんて言うの?」


「……俺がクズだからだよ。クズにはクズが似合うんだ。マリアンヌみたいな。エレーヌは俺には上等すぎて……もったいない」


エレーヌは、静かに彼を見つめた。

レオニスはそのまま続けた。今や、それは止められない言葉の奔流だった。


「マリアンヌは、妹のほうがずっと優秀なのに、それを認めようとしなかった。

笑顔で妹を褒めながら、見えないところで陰口を叩く。

自分が“勝ってる”って思いたくて……。努力するでもなく、人を貶める。そして、俺のことを、自分を大きく見せるために利用していた。そういうズルさが……俺と似てたんだ」


「似てないわ」


「え?」


「貴方は、自分を誤魔化すために人を使ったりしない。逃げたことはあっても、誰かを見下して、自分の価値を保とうなんてこと、しなかった」


レオニスは何も言えず、エレーヌを見詰め、そして目を伏せた。


「俺、怖かったんだよ」


「何が?」


「……エレーヌがさ」


声が震えていた。


「君は、本気で俺の未来を信じてた。王として国を導けるって。……俺は、そんな器じゃない。なのに、できるって言ってくれるのが……怖かった。

俺、知ってたよ。宰相たちが、ユリアンを持ち上げて、陰で俺を笑ってたことを。でも、それを口にしたら、全部が崩れそうで……」


その言葉に、エレーヌは寂しく笑った。


「私はずっとあなたを信じてた。それが重荷だったのね」


レオニスの目に、涙が滲んだ。


「マリアンヌは……。俺を否定しなかった。何も求めてこなかった。だから……楽だった。でも、それは愛じゃなかった。俺がただ、逃げてただけだ」


「そうだったの」


「結局、逃げ込んだ先からも捨てられて、残ったのは……何もない」


レオニスはぽつりと呟いた。

エレーヌは彼の前に歩み寄り、優しくその手を取った。


「何もなくないわ。私がいるじゃない」


「……」


「言ったでしょ。レオのことが好きだって。だから私はどこまでもレオについていくの」


レオニスの目に、堪えていた涙がこぼれ落ちた。

彼はそのまま、崩れ落ちるようにしてエレーヌの肩に顔を埋めた。


エレーヌは、彼の髪をそっと撫でながら、ふふっと笑った。


「でもね、レオ。私もクズなのよ」


「え?」


顔を上げたレオニスは、ぽかんと彼女を見つめた。


エレーヌはにこりと笑い、さらりと言った。


「だってね、王太子妃とか王妃とか……面倒くさいじゃない。儀式も、挨拶も、全部にいちいち決まりがあって面倒だわ」


「エレーヌ?」


「私、平民になって気楽に暮らしたいのよ。お金? 大丈夫よ。公爵家からしっかり持ってきたし、今後ももっとせびるつもり。贅沢しなければ……いえ、平民の生活なら贅沢しても、一生働かずに暮らせるわ」


レオニスは呆然と彼女を見た。


「えっ? ちょっと待って、それって……」


「うふふ、びっくりした?」


エレーヌは、いたずらっぽく笑った。


「あはは。私だって、無理していたのよ。“完璧な公爵令嬢”で、“王太子の理想の婚約者”で、“国を支える未来の王妃”でいなきゃって。でももう、そういうの……いいかなって」


「……君は……」


レオニスの目が揺れた。

まさか、あの凛としたエレーヌが、こんな軽やかな言葉を口にするとは。


「だからさ、クズはクズらしく、気楽に生きましょうよ。親のお金で好き勝手生きて。世間体? 関係ないわ。私たち、もう全部、捨てた者同士じゃない。私、お父様に公爵家の籍から抜いてもらうわ」


レオニスは一瞬、言葉を失った。

けれど、次第にその胸の奥から、少しずつ何かがほどけていくのを感じた。


「……君って……ほんと、俺の想像よりずっと……自由だな」


エレーヌは肩をすくめ、さらりと言った。


「レオだって、きっとそうよ。ただ、自分で自分を縛っていただけ。これからは、お互い、ちょっとくらいクズでもいいじゃない?」


エレーヌは本当に嬉しそうに笑った。





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