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25:秘密の逢瀬

 夢を見ているんだと思った。

 たぶん自分は疲れて寝てしまって、だからこんなに都合のいい夢を見ているのだろうと。


(だって、陛下が突然わたくしの家のバルコニーに現れるわけがないわ)


 しかも時刻は夜。帰宅後、夕食もとらずに自分の部屋に籠っていたのでまだ夜更けとは言えない時間だが、それにしても誰かが訪問するには遅い時間だ。訪問するにしても正面玄関から入るはずだし、万が一マティアスがやってくるのなら何日も前から事前に知らされていて公爵家総出で彼を迎える準備をしなければならない。

 それが国王陛下がやって来るということなのである。

 そう思ってもエミーリアは幻のマティアスから目が離せなかった。考えてみるとこうしてしっかりと見つめ合う時間すら最近はなかったかもしれない。

(夢の中でも陛下はお疲れなのね。目の下にうっすらクマがあるわ。お忙しい時期とはいえ、健康には気をつけていただきたいけど……)

 今の自分もだいぶひどい顔だったな、とエミーリアは思い出す。夢でよかった。寝た記憶も寝る準備をした記憶もないけれど、疲れすぎているとそういうこともある。

 しかし。


「エミーリア」


 コン、とマティアスが硝子を叩く。

 低くやさしい声音だ。エミーリアが大好きなマティアスの声そのものである。

「突然すまない。このまま窓を開けなくてもいい。少し話がしたい」

 こちらを気遣う声にエミーリアは小さく笑った。

(夢の中なら、少し強引に部屋に入ってくださってもいいのに……)

 淑女として相手が婚約者であろうと部屋に招き入れる訳にはいかないだろう。だが現実ではないのなら、守らなければならない常識なんて都合よく覆してしまえばいいのに。

(やっぱり夢を見るわたくしの頭が頑固なのかしら。いいえ、でもこんな常識外れな夢を見るんだもの、もう少し物語みたいな展開があっても……)


「……エミーリア? 怒っているのか?」


 返事のないエミーリアに、マティアスが不安そうな顔をする。

(ま、まって、そんな顔をなさるの!? は、初めて見るのだけど!?)

 思わず胸がきゅんと締め付けられる。国王であるマティアスは、婚約者であるエミーリアにさえそんな弱った姿は見せない。

 そう、見せたことがない。


(――あら?)

 そこでエミーリアは違和感に気づいた。


 見たことのないマティアスの顔を、夢の中とはいえ想像できるものだろうか。自慢ではないがエミーリアはなかなか頑固である。もちろん少しだけ想像したりすることもあるけれど、目の前のマティアスはそんな想像を遥かに超えてしまう母性くすぐられる表情をしていた。

(も、も、もしかして夢ではないの!?)

「陛下!?」

 慌てて窓を開ける。バルコニーに繋がる窓は大きく、開けると冷えた夜風が吹き込んできた。

 焦ったエミーリアが躓きそうになると、マティアスが支えた。大きな手のぬくもりに驚いて心臓が跳ねる。おずおずとエミーリアがマティアスに触れると、それは幻などではないと嫌でもわかった。

「ど、どうして」

 いやどうやって、というべきかもしれない。

 シュタルク公爵邸には公爵家に仕える騎士もいるし、エミーリアの結婚が間近に迫った今は警備も強化している。門から屋敷まではそれなりに距離があるので侵入したところでここまで辿り着くのは容易ではない。何よりマティアスが二階にあるエミーリアの部屋のバルコニーまで登ってきたなんて想像もできない。


「会いたかったから少し無理をした」

(す、少し無理して出来ることではないと思います!)

 声に出さずにエミーリアがマティアスの無茶に驚いていると、マティアスは夜風で乱れたエミーリアの髪をそっと直してくれた。

「……君を、不安にさせたままでいたくなかった」

 不安。

 その言葉にエミーリアは胸がぎゅっと苦しくなった。

 そうだ、不安だった。ずっとずっと不安だった。王妃として正しい選択を出来るか。間違わないか。結婚したあとで『エミーリアは王妃に相応しくなかった』なんて言われるようなことにならないか。ちゃんとやれるだろうか、と。


「わた、くし」

 絞り出した声は震えていた。


 こんなことを言ったら失望されないだろうか。そんな不安がまだ胸の奥で燻っている。

 酸素を求めているのに息を吐く。震えながら胸をおさえるエミーリアの手をマティアスが握った。

 見上げた先には青空のような綺麗な青い瞳がある。目が合った瞬間、エミーリアの唇は動き出した。

「失敗、したくなくて、間違えたらいけないって思っていて、王妃として正しい選択がなんなのかわかるけれど、でも本当はそれはとても嫌で――」

 完璧な淑女だから王妃に選ばれた。だからエミーリアが選択を間違えたら評価はあっさりと変わってしまうだろう。

 結婚式が近づくにつれて王妃として生きることはどんなことなのか現実味を帯びてきて、わかっていたくせに足が竦みそうになった。そのたびに自分を奮い立たせて理想の令嬢を演じた。

 だって嫌だ。自分の些細なミスで婚約解消なんてされたくない。王妃として最低の評価を得る訳にはいかない。それはマティアスへの評価にも繋がる。

 エミーリアは、堂々とマティアスの隣に立っていたいのだ。この人に相応しいのは自分だけだと。

(だって、わたくしはマティアス様が好きなんだもの)

 だからこんなに努力した。

 それは、他の誰かにこの場所を明け渡すためではない。

 エミーリアはマティアスの胸に額を擦り付けた。そして祈るように言葉を紡ぐ。


「……嫌です。他の人になんて触らないで。……わたくしだけの陛下でいて」


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