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第九話 積雪

 

 Side...yukiya



 久しぶりに帰ってきた長屋は、とても暖かかった。囲炉裏の火が揺れて、見慣れた部屋を照らし出している。

「雪弥」

 囲炉裏のそばには、花室さんが座っていた。俺は居住まいを正し、頭を下げる。

「すみませんでした」

「それは依頼のこと?それとも…」

 立ち上がった花室さんの足が、下を向く俺の視界に入った。

「俺たちに心配をかけたこと?」

「心配…?」

 思わず頭を上げて花室さんの顔を見た。いつになく真剣な顔で、俺の答えを待っている。

 俺は後ろにいた心紅朗に視線を向けた。やれやれとでも言いたげに微笑んでいる。

 しばらく考えて、俺は花室さんに向き直った。

「それは、俺のことを…ですか?」

「当たり前だ。忘れたのか、依頼は失敗してもいいから生きて帰って来いと言っただろう」

「……すみませんでした」

 俺はもう一度謝り直す。今度は、感謝の意味もたくさん込めて。

「まったく…丸一日ここへ帰っていないと聞いて驚いたよ」

「丸、一日…」

「そうだ、一昨日から行方不明だったそうじゃないか」

 久慈川の屋敷にいた時間は、たったの二日だったらしい。何度も気絶させられたからか、もっと長い時間を過ごしている気がしていた。

「どうした?具合が悪いのか?」

 花室さんが心配そうに俺の顔を覗き込む。

「あ、いえ」

 俺は軽く首を振って、左腕を押さえた。それを見た花室さんが目を細める。

「その腕は、どうしたんだ」

「───ほい!」

 その時、部屋の戸が勢いよく開け放たれた。暖気を逃さないよう、七依が素早く中に入ってくる。

「はい、ユキちゃん」

 七依が両手で抱えていたのは、俺が久慈川の屋敷に置き忘れていた裂海だった。

 盗むもの、というのはこの太刀のことだったらしい。

「七依…ありがとう」

 受け取った刀の重さで、俺は自分が久慈川に会った意味を思い出した。そして思い知る、自分がどれだけ久慈川を想っていたか。

 殺し屋として命にも等しい刀を忘れるほど、俺は彼女のことしか考えていなかった。

 今も、最後に見たあの顔が頭から離れない。

「───で、雪弥。その腕」

「…はい」

 俺は花室さんたちに、義手のことを話した。久慈川が五年前からずっと後悔していたこと、殺すはずだった彼女に義手をつけられたこと。

 心紅朗と七依も、真剣な表情で俺の話を聞いていた。

「そうだったのか…」

 俺が話し終えると、花室さんはそっと俺の左腕に触れた。女性の手を取るように丁寧な手つきだった。

 もちろん触れられている感覚はない。久慈川に触られた時もそうだった。しかし何かが違う、久慈川に触られると、心臓が落ち着かなかったのに。

「綺麗な義手だ。人の肌の色をしているし、指まで細かく作り込まれている。これは人形師が作ったものかもしれないな」

 花室さんが義手をまじまじと見つめた。肘より上には包帯が巻かれていて、縫い合わせられた部分は見えない。見たところで、何の変哲も無いただの縫い目だが。

「…それにこの腕、マグノリアの人形に似ている」

 花室さんがぽつりと呟く。何を言ったのかよく聞こえなくて、俺は首を傾げた。

「まぐろ…人形?」

「マグノリア。江戸の行商人が、そんな名前の人形を売っているらしい。人の肌に限りなく近い手触りだという噂を聞いたことがある」

 確かに、言われてみるとなめらかな手触りをしている。柔らかさがあれば赤子の肌のようだ。

「その行商人が義手、義足、義眼なども売っているらしいが…」

 その先を、花室さんは言い淀んだ。言うべきか迷っているようだ。

「なんですか?」

 俺は急かすように花室さんを見つめる。そこまで言われて気にならないはずもなかった。

「…雪弥、もしその腕が自分の腕のように動いたら、間違いなくマグノリアだ。その義手を買ったという久慈川の娘さんが代償を払うことになる」

「代償?…久慈川が?」

「あぁ…詳しくは知らないが、そういう仕組みの商品らしい」

「……」

 まさか、動くわけがない。こんなに固くて冷たい、どうみてもこれはただの人形の腕だ。

「万が一にもそんなことは起こらないと思うがね」

 その場の空気を和ませるように、花室さんはにっこりと笑った。

「そう、ですよね…」

 花室さんの話が嘘だと思ったわけではない。しかし俺たちは、誰一人この話を信じていなかった。

 そんな現象、起こり得るはずがないと思っていた。

 そして俺たちの予想通り、左腕はその後数週間、動き出すことはなかった。

 次第に俺たちは、この夜聞いた話を、記憶の底に沈めて忘れていく。何事もないいつも通りの日々を、取り戻していった。



 一ヶ月後、函館に雪が降り始めた。

 夜の間から降り続け、一晩で街を白く染め上げた。まだ薄い雪の絨毯を踏みしめながら、俺と七依は、心紅朗が働いている茶屋に赴いた。

「やっほー心くん!みたらし十本!」

「はいよー」

 降り積もる雪を眺めながら、俺たちは長椅子に腰を下ろす。

「今年は降り始めが遅かったね」

「そうだな…」

 放っておけばいつまでも止まなさそうな雪は、今の俺の感情によく似ていた。

 久慈川の屋敷にいたのはたったの二日。あれからもう一月ひとつきになるのに、あいつの存在は消えずに俺の中に色濃く残っている。それどころか、知らない感情が日増しに頭を侵食していく。

「…ユキちゃん」

 こんなに、誰かに会いたいと思ったのは初めてだ。この感情を消し去る方法はあるのだろうか。

「おーい、ユキちゃーん?」

 雪のように、時間が経てば溶けて消えるのだろうか。

「ユキちゃんってば!」

「っ!?」

 唐突に、七依が俺の頬をつねった。

「なんだよ急に」

「急じゃないよ!さっきから何回も呼んでたし!」

 七依は小動物のように頬を膨らませ、心配そうな目で俺を見る。

「最近のユキちゃん、なんか変だよ。…見てられない」

「……」

 返す言葉がなくて、俺は口をつぐんだ。

「元気出してよ」

「七依…」

 知らぬ間に、彼女に心配させてしまっていたらしい。何か言わなければと言葉を探したが、やはり見つからなかった。

「みたらし十本お待ちー」

 店の奥から心紅朗の声がする。俺が口を開く前に、七依は目を輝かせて立ち上がった。

 みたらし団子を大量に載せた皿を持って、心紅朗がこちらへ歩いてくる。

「みたらし!!」

 待ちきれずにそれを受け取りに行こうとした七依が、俺の足に躓いて体勢を崩した。

「わっ」

「っ!」

 俺はとっさに左手を伸ばし、七依の体を受け止める。

「あ、ありがと」

「……」

「どしたの?」

 体勢を立て直した七依が、手を出したまま微動だにしなくなった俺をきょとんと見つめた。

 そんな俺たちの元へ、心紅朗がみたらし団子を机に置いて駆け寄ってくる。

「おまえ、腕、今、動い…!!?」

 目を見開いて口をぱくぱくさせている。俺もつられて口を開けながら、自分の左腕を見つめた。

「ほんとだ!動いた!!」

 やっと事態に気づいた七依が声を上げる。

 俺は恐る恐る、左腕の義手に触れてみた。皮膚の下に、肉と骨の感触がある。血が通い、規則正しく脈を打つ。暖かい、人の腕だ。

『───マグノリア』

 一ヶ月前、花室さんに聞いた話を必死に思い返す。忘れかけていた、あの奇怪な話を。

「久慈川…」

 真っ先に気になったのは、久慈川のことだった。

「あ、おいユキ!」

「ユキちゃん!?」

 俺は茶屋を飛び出した。雪の降る街並みを、人の合間を縫って走り抜ける。

(くそ…っ)

 脳裏に焼き付いて離れない、久慈川の表情、声音、香り、唇の感触。

 触れ合った温もりも、口付けの味も。

 その意味に、気づくのが遅すぎた。

「……っ」

 あの女は初めから、俺を屋敷から逃すつもりだったのだろう。だから義手を付けた後、部屋に監禁しなかった、逃げ出す俺を追わなかった。

 長居すれば、いずれ俺の腕は動き出す。近くにいれば、俺は久慈川が払った代償に気づく。

 それを避けるために、あいつは必要以上に俺の心に踏み込まなかった。

 希薄な関係のまま離れれば、時間が互いの気持ちを冷ますから。

(もう遅い)

 久慈川の贖罪は終わった。

 あのあり得ない話を信じ、もっと早く彼女を問い詰めれば良かった。今更、俺が何をしたところでどうにもならない。

(…もう遅い)

 そして、どれだけ時が経とうと、久慈川への気持ちが冷めることはない。

 もう、引き返せないほど、彼女に溺れているのだから。

 雪が降り始めるのも、俺が自分の感情に答えを出すのも。

 何もかも、遅すぎた。

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