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最終話 薄氷

 

 Side...yukiya



 冬を堪え、春を見送り、夏の太陽に目をくらませながら、秋の乾いた風を追う。その先で降る雪に彼女を思い出しながら、俺は二度、江戸の桜が散るのを見た。

 俺が再び函館に戻ったのは、三度目の桜が咲き始める頃だった。

 久しぶりに見る函館の街は、雪解け水で地面が泥濘ぬかるむ、懐かしい場所だった。

 江戸では桜が咲き始めていたが、ここの桜は早いものでもまだ蕾だ。

 この街の冬は、なかなか去ろうとしない。

「───……」

 俺はひとり、大きな屋敷が立ち並ぶ通りを歩いていた。懐かしい景色、どこからか聞こえてくる子どもの声が、穏やかな雰囲気を感じさせる。

「───雪弥?…おい、雪弥!」

 その時、子どもの声に混じって俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 立ち止まって振り向くと、目の前の屋敷の門で、背の高い男が俺に手を振っていた。

「…心紅朗?」

「よぉ!二年ぶりか」

 前と変わらず気さくに話しかけてくる心紅朗の横から、七依がひょいっと顔を出す。

「ユキちゃん!!」

 女物の着物に身を包んだ彼女は、飛び跳ねるように俺の元へ駆けてきた。

「……」

 俺は黙って、彼らから視線をそらす。二人とはもう関わらないと約束してこの街を出たのだ。違えるわけにはいかない。

 そもそも、どうして二人はこんなに親しげなのだろうか。

「久しぶり!」

 七依がぐいっと俺の手を引く。俺は仕方なく顔を上げて彼女を見た。ずいぶん髪が伸びて、桜を模した髪飾りがよく似合っている。

「七依…」

 俺が戸惑っていると、心紅朗がけらけらと笑いだした。

「んな警戒すんなよ。俺らも、もう足を洗ったんだ」

「?…どういうことだ」

 よく分からず、俺は首をかしげる。

「花室さん、いなくなっちゃったんだよ」

「?」

 いなくなった、とはどういうことだろうか。

「もうすぐ二年経つか…お前がいなくなってからしばらくして、花室さんも姿を消したんだ。元々、どこに住んでるかは知らなかったけど、完全に連絡が途絶えちまった」

 心紅朗も、何故いなくなったのかは知らないようだ。死んだのか、生きているのかすらも。

「ちょうどその頃、俺の知り合いも失踪してさ。この道場の権利を俺に預けるっつー書き置きを残して、全部俺に押し付けやがった」

 話している心紅朗の周りに、わらわらと子どもたちが集まってくる。

「しんー、その人だれー?」

「おまえまだ稽古おわってから足洗ってないだろー」

 口々に言う子どもたちは皆、背中に竹刀袋を背負っていた。

「足洗うってのはそーゆー意味じゃねーんだよ、ガキは黙ってろ」

 心紅朗はわしゃわしゃと子どもの頭を撫でる。ずいぶんと慕われているようだ。敬われてはいないようだが。

「なー、このお兄ちゃんだれー?」

 俺の腰あたりまでしか身長のない子どもが、俺の袴を引っ張る。俺が答えあぐねていると、心紅朗がにやりと笑った。

「そいつは俺の友達だ。短刀の二刀流を使うんだ、めちゃくちゃかっこいいからな」

 その言葉で、子どもたちの目が一気に輝く。心紅朗を囲んでいた彼らは、一瞬で俺の周りを取り囲んだ。

「すげー!」

「みせてー!」

 着物も手も引っ張られ、ずるずると門の中に引きずり込まれる。

「おいこら心紅朗、変なこと言うな」

 心紅朗と七依は、その光景をげらげら笑いながら傍観していた。今すぐ二人を斬り倒したい。

「早く早く!」

 門の中には、大きな道場と屋敷があった。庭も広く、真ん中には池もある。しかし、久慈川の屋敷に比べるとかなり小さい。この庭で馬を走らせるのは確実に不可能だ。

「おまえ、ここに住んでんのか?」

 俺は首をひねって、後方の心紅朗たちを見た。

「あぁ、そっちの屋敷に。その子どもたちは前の道場主の教え子だ、こいつら強いから気をつけろよ」

「は?」

 言っている間に、俺は道場の中に引っ張り込まれた。子どもたちに混ざって荷物と草履を放り出し、まだ熱気の残る道場の真ん中に立つ。

 周りを取り囲む十数人の子どもが、揃って袋から竹刀を取り出した。

「よーい、はじめ!!」

 道場の入り口から、心紅朗が叫ぶ。その瞬間、子どもたちは息を合わせて俺に襲いかかってきた。

「っ!?」

 俺は急いで袴の下に隠していた短刀を取り出す。両手に一本ずつ、鞘から抜かずに構えた。



「───……」

 ものの数秒で袋叩きにされた俺は、子どもたちが帰っていった道場の真ん中に伸びていた。

 まだ少し冷たい風が、俺の頬を撫でながら道場を吹き抜けていく。

(…何してんだ、俺)

 むくりと起き上がり、道場の入口を仰いだ。たいして荷物の入っていない風呂敷が、床に放り出されている。

 俺は、あの薬を久慈川に渡すために…。

「思ったより粘ってたな」

「…心紅朗」

 道場に入ってきた心紅朗が、俺に手拭いを投げ渡す。瞬間で倒されたから、汗はほとんどかいていないのだが。

「強いな、おまえの弟子」

「弟子って…教えたのは前の道場主だ」

 心紅朗は肩をすくめて苦笑した。相変わらず、笑顔が爽やかな男だ。

「二年、教えてんだろ」

 彼の言う通り、最初に剣術を教えたのは前の道場主。しかし、それを引き継いで二年間教えてきたのは心紅朗だ。それだけの実力が、この男にはある。

 こいつに道場を押し付けたという道場主は、それを見抜いていたのだろう。

 俺は立ち上がり、風呂敷を拾い上げた。肩に背負って、脱ぎ捨てた草履を履く。

「おまえは」

 道場を出ていく俺を、心紅朗は呼び止めた。

「何してたんだよ、二年間」

「…今度、話す」

 俺は振り返って、短くそう言った。話すと長くなる。

「またな」

 安心と嬉しさを含んだ笑顔で、心紅朗は俺に手を振った。

「あぁ、また顔を出す」

 お互い、積もる話は有り余っている。時間をかけて、少しずつ話していけばいい。

 俺たちはもう、陽の光の下を歩けるのだから。



 この二年を、俺はひとりの女のためだけに費やした。かつて命を奪おうとし、片腕を奪われ、憎んでやまなかった相手だ。

 こんな未来、誰が予想できただろうか。

「───……」

 心紅朗の道場からしばらく歩き、俺は見慣れた屋敷の前で足を止める。

 何も変わらない、馬鹿みたいに大きな敷地、建物、豪勢な庭。

 ここで過ごした、たった数日が鮮明に蘇る。彼女と過ごした時間は、ほんの少しだけだ。

 それなのに、離れることがこんなに寂しい。こんな感情は知らなかった。

 全てを、教えてくれたのは。

「───思季」

 俺は屋敷の庭に足を踏み入れ、縁側でひとり、空を眺めている女を呼んだ。

 長い髪を春風に揺らして、彼女が振り向く。

 早咲きの桜を思わせる模様の着物に、深い緑の袴。目を見開いた彼女は、かかとの高い靴で駆け出してきた。

「雪弥!!」

 両手を広げて、俺は思季の体を受け止める。

「会いたかった、思季」

 ずっと、名前を呼びたかった、触れたかった。

 想いが溢れて、ただ彼女を抱きしめるだけでいっぱいいっぱいで、この気持ちをどう伝えたらいいだろう。

「待っていてくれて、ありがとう」

 思季の瞳から、零れた涙が頬を伝う。

「約束しただろう、雪弥」

 泣きながら笑う彼女に、そっと口付けた。

 懐かしい香り、唇の感触。やっと、全てが許される。

 名を呼んで、触れて、その笑顔を誰より近くで見ることができる。まるであの日々の続きのように。

 初めて出逢ったあの日から、思えば彼女はずっと俺の世界の真ん中に居座っていた。

 きっと、思季にとっての俺も。

 復讐も贖罪も、今はお互い切情に変えて、ただもう一度会える日を願っていた。

「夢を見ているようだ」

 思季が綺麗な顔を涙でくしゃくしゃにして笑う。

「思季…」

 俺まで泣いてしまいそうで、それでも夢ではないと彼女に伝えたくて、自分にも言い聞かせたくて。

 俺たちは、うずくまるように抱きしめ合った。

 何度も見た夢のような、いつか覚めてしまうような。

 満たされた気持ちの中で。



「───…雪弥?何をするのだ?」

 泣き腫らして目元を赤くした思季を縁側に座らせ、彼女の目の前に立つ。

 思季はきょとんと俺を見上げていた。

「……」

 俺は懐から、小さな瓶を取り出す。

「なんだ?それは」

 昼間の光が透き通り、小瓶の中の透明な液体を輝かせていた。

「薬だ」

「それは見れば何となくわかるぞ」

 彼女は訝しげに小瓶の中身を凝視している。

「…清家せいけという男を知っているか」

「それは…」

 俺の方へ視線を戻して、思季が驚いたように目を見開いた。

「私に、その義手を売った男だ」

 そう、清家はマグノリアを売り歩く行商人。俺が江戸へ行ったのは、この男に会うためだ。

「この薬の製造法は、清家に教わった」

「え…」

「おまえの目を治す薬だ」

 清家に教わったと聞いて、思季の瞳に警戒心が浮かんだ。無理もない。彼が売るマグノリアは、誰かに代償を払わせるのだから。

「これはマグノリアじゃない、呪いも消えない。だから、この薬で代償が発生することはない」

「……」

 いまいち信用していない様子の彼女に、俺は頭をかいた。なんと説明したものか。

「清家に教わりはしたが、作ったのは俺だ。二年間、学んだ薬に関する知識も使った」

「雪弥がこの薬を…」

 思季は目の前に立つ俺を見上げて、ふっと微笑む。

「…いいだろう、君を信じる」

「本当か?」

 俺は安心して、瓶の蓋を開けた。中の薬を数滴、手のひらに乗せる。

 思季が座る縁側に片膝をつき、空いている方の手で彼女の顎を持ち上げた。

「目、閉じるなよ」

 俺は手のひらに乗せた薬を舌につけ、無防備に俺を見上げる彼女の左眼を舐めた。

「ひぁっ!?」

 見えていない左眼に異常な感覚を覚え、思季の肩が大きく跳ねる。

「なっ、雪弥!何を…」

 何が起こったのか分からない様子で、彼女は左眼を抑えた。

「この薬を毎日少量ずつ塗れば、視力が少しずつ回復していく」

「毎日!?」

 ぽかんと口を開け、思季が右眼で俺を見上げる。

「一ヶ月くらいだ」

「なに!?一ヶ月も雪弥に眼球を舐められ続けるのか!?」

「嫌な言い方をするな…あと、嬉しそうな顔をするな」

 いつの間にか彼女は口角を上げ、きらきらと目を輝かせていた。このおかしな性癖は変わっていないらしい。

 しかしそれすらも、俺だけに向けられるものだと分かった今は愛おしく思えるのだから、俺も相当こいつに毒されているようだ。

「いやしかし、私の知っている点眼法と違うのだが」

 こほんと咳払いをし、思季は目を細める。

「そうなのか、しかしこうやって塗れと清家が…」

「あの男…こんな用法の薬があるものか」

 俺から視線を外した彼女は、ぎりぎりと奥歯を噛み締め、低い声で呟いた。

「嫌いなのか?清家のこと」

「胡散臭い男は好かん。あの男、詐欺師にしか見えぬ」

 むすっと口をへの字にする彼女に、俺は思わずため息をつく。

「その男から大金で義手を買ったのは誰だよ」

「あの時は…っ、冷静さを欠いていたのだ」

 ころころと表情を変える思季が面白くて、自然と口から笑いがこぼれた。

 確かに、清家はどこか怪しい男だった。

 江戸に着き、マグノリアについて手当たり次第に聞き込んでいた俺の前に、あいつは突然現れた。

 自分のことを聞いて回るのはやめてくれ、と。

 整った容貌をしていたが、どこか影の薄い男で、俺はその男に呪いの解除法を尋ねた。

 清家ははっきりと首を振り、一度成立したマグノリアの術式は二度と元に戻せないと言った。

 それでも俺は食い下がり、思季の視力を戻したいと訴えた。

 すると清家は俺を弟子にし、マグノリアの製造を手伝わせた。その合間に、薬の知識を大量に俺に教え込んだ。

 そして最後に、この薬の作り方を教えてくれた。

 彼の元でこき使われる日々は決して楽なものではなかったが、その分、身につけられた知識も多かった。

 清家にはとても感謝している。

「───何をにやけているのだ、雪弥」

 無意識に口元が緩んでいたのか、気づけば思季が間近で俺の顔を見つめていた。

「いや…」

 こうして物思いにふけっても、覚めた時に彼女が目の前にいる。帰ってきたのだと、実感できる。

「思季」

 俺はもう一度、両手で彼女を包み込んだ。

「好きだ。もう二度と離れないと誓う」

 だからどうか君も、俺を離さないでいて欲しい。一緒にいたいと、何よりも俺を想って欲しい。

 言葉にできない願いは、抱きしめる腕に込めた。

「愛している」

 芽吹いた感情は、気づけば両手では抱えきれないほどになっていた。指先からこぼれていく想いが、君の幸せとなって降り注ぐように、俺はずっと彼女の側にいよう。

「私もだ。愛している、雪弥」

 花開くようなこの笑顔を、いつまでも、誰よりも近くで見ていたい。

 君に抱いた全ての思い、君からもらった全ての思いを、忘れることはないだろう。

 長い間、君を想っていたのに、二人で過ごした時間はまだほんの僅かだ。

 それでも、焦ることは何もない。

 めぐる季節を、咲く花を、そして散る花を、二人で慈しみ、憂いていけばいい。



 全ては、今この瞬間のために。



 これから始まる、二人の日々のために。




 

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