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虚妄なる宇宙(そら)の招聘、或いは無頼せし魂魄の帰還(ログイン)

大井川の断絶せし鉄橋の南端に、未曾有の静寂が横たわっていた。宇宙の管理者「ういんくちゃん」の真体が、一週間前に他界したはずの母・千代であり、世界を崩壊クラッシュしかけさせた破滅のエネルギーが、単なる彼女の「キーボードの誤操作ミス」に過ぎなかったと露見した時、二十六歳の沢渡拓海は、もはや憤怒の領域を超越し、底なしの諦倦ていけんへと沈潜していた。


「マジで虚無。親ガチャとかそういう次元じゃなくて、宇宙の管理者ガチャで大爆死した気分なんだけど、ぶっちゃけ」


拓海は五味源三の和包丁をまな板の上に放り出し、駿河轟天号の助手席で冷たくなった夜露の「感触」を、ただぼんやりと肌で感じていた。


周囲に立ち込めるのは、ニトロ燃料の焦げ付いた悪臭と、大井川の川霧が運ぶ湿った泥の「匂い」。そして、夜空の彼方、星々がパチパチと瞬く「音」だけが、冷酷なまでに美しく、そして眼を奪う。

内閣府大根対策室の氷室小夜子は、国家の最高知性が一介の主婦の「テヘペロ」に蹂躙されたという事実の前に、ただただ膝を屈し、その漆黒の礼服スーツの膝部分をを大井川の泥濘でいねいに汚していた。


「……信じられません。我が国の防衛予算が、主婦のサークル活動の研修ミスによって蕩尽とうじんされていたなどと。私は、どのような顔で内阁総理大臣に復命すればよいのですか……」


彼女の衒学的げんがくてきなエリートとしての自尊心は、跡形もなく粉砕されていた。その傍らで、金髪マッシュの跡部翔太は、端末の画面を狂ったようにスクロールしながら、乾いた笑いを漏らしている。


「いや、小夜子さん、マジで落ち込んでる暇ないっすわ。これ、バグは直ったけど、事態はさらにアングラな方向にアップデートされてるっていうか……。お母さん、地球の管理権限を『完全放棄』して、宇宙のニートサークルのオフ会に行っちゃったっぽいんすよね」


「……何だって?」


拓海が虚ろな目を向けたその刹那、満天の星空から、一筋の、言語を絶する「極光れーざー」が地上へと降り注いだ。


その光は、五感を激しく蹂躙する、金属的な不協和音を伴って大気を「振動」させた。

光の奔流が収まると、大井川の鉄路の真ん中に、一台の、異様な存在感を放つ乗り物が物質化していた。それは、横浜の裏路地で千代が愛用していた、あの前カゴの歪んだ、錆びだらけの三輪自転車――通称「おかんの買い物三輪車」であった。

しかし、その車体は、現代の地球の科学力を完全に嘲笑うかのような、液状の銀色金属ナノマシンで覆われており、サドルからは宇宙の深淵に直結した、禍々しいまでの次元の「裂け目」が、シュルシュルと黒い煙を上げて口を開けていた。


「沢渡拓海氏……いえ、拓海くん」


小夜子が、冷たい泥の「感触」を帯びた手を拓海の肩に置き、その瞳に、一期一会の覚悟を宿して告げた。

「宇宙のシステムが『管理者不在』のまま放置されれば、今度は地球そのものが自動的に『フォーマット(初期化)』されます。お母様を……千代氏を宇宙の彼方から引きずり戻し、再び管理者の椅子に座らせることができるのは、その血脈を継ぐ、あなたしかいない。これは、親子の情愛をかけた、超法規的リターンマッチです」


「嫌に決まってんだろ!なんで俺が、あのバカおかんの尻拭いのために、宇宙まで行かなきゃなんねえんだよ!」


拓海は自らの胸の真ん中に生じた空虚な陥穽かんせいを抱え、血を吐くような叫びをあげた。

思えば、困らせてられてばかり、迷惑をかけらればかりの人生だった。死んでまで自分を翻弄する母への、愛憎半ばする感情の氾濫はんらんが、彼の魂をボロ雑巾のように引き裂いていた。


「タクミくん、マジでこれリアルなやつだから!」


跡部が端末を突きつける。


「おかんが残した最後のシステムログ、今マッハでデコードしたらさ……宇宙のニートたちの聖地『ネオ・ヨコハマ・アステロイド』で、今から『宇宙最大級の大根おろしパーティー(大根フェス)』が開催されるらしいんすよ。そこに、千代さんが地球の全データを『手土産』として持参しようとしてる。ぶっちゃけ、十五分以内に止めないと、地球の全人類、マジで消去(消去)されるっすわ」


「大根フェスに、地球を手土産って……どんだけ豪快な毒親だよ!!」

拓海は怒りのあまり、涙すら枯れ果てていた。しかし、彼の右膝に刻まれた、あの少年時代の「古傷」が、突如として激しい熱を帯びて「振動」し始めた。


『前を向いて、走ってごらん』。


脳裏を過る、母のあのいたずらっ子のような微笑み。おかんはいつもそうだった。俺が限界を迎えて立ち止まるたびに、とんでもない理不尽で俺のケツを叩き、前へと進ませてくれた。この宇宙規模のバカ騒ぎも、もしかしたら、俺という「無職のボロ雑巾」を、もう一度立ち上がらせるための、おかんの命がけのエモい演出プロットなのかもしれなかった。


「……分かったよ。行って、おかんの腕、ひっ捕まえて連れ戻してやるよ!」


拓海は退路を断たれ、猛然と「おかんの買い物三輪車」の錆びたハンドルを握りしめた。


「大五郎さん、源三のじいさん、大根と包丁は持っていくぜ!」


キッチンカーの荷台から、大五郎が「おう、行ってきやがれ!宇宙の果てまで、特大の火力を届けてこい!」と吠え、源三は無言で、新しく研ぎ澄ました一丁の鋼包丁を拓海の前カゴへと放り込んだ。


「沢渡拓海氏、国家の運命を、あなたに託します」


小夜子が、初めて完璧な「微笑」を浮かべ、拓海に向かって敬礼した。

「タクミくん、マジ神!宇宙でバズってきてね!」

跡部のスラングに見送られ、拓海が三輪車のペダルを全体重で踏み込んだ瞬間、車体から放たれた銀色の光が、大井川の夜空を真っ二つに切り裂いた。


「轟ッっつっつっつっつっつ!!!!」


鼓膜を粉砕せんばかりの次元跳躍音と共に、三輪車は鉄路を離れ、垂直に天を突いて「驀進ばくしん」し始めた。

オゾンの、焦げ付いたような鋭利な「匂い」が拓海の鼻腔を突き、彼は時速数万キロの超音速世界へと突入した。重力の法則を完全に無視し、大気圏を突破して、一色に塗り潰された不気味な宇宙の深淵へと、一筋の弾丸となって「飛翔ひしょう」していく。それは、母への無限の愛憎と、地球の全生命を賭けた、驚天動地きょうてんどうちの宇宙進出であった。


光速のペダリングの果て、拓海はついに宇宙の特異点――無数の小惑星がネオン管のように発光する『ネオ・ヨコハマ・アステロイド』へと到達した。

そこは、宇宙の高等遊民ニートたちが集う、サイケデリックな狂乱の祭壇。

その中心に、確かにいた。

巨大な宇宙スピーカーから響く重低音の「音」の渦中、割烹着を着た母・千代が、宇宙人たちに囲まれながら、楽しそうに大根を掲げて踊っている。


「おかんーーーーーーーッ!!!何が宇宙フェスだ!いい加減にしろ、今すぐ地球のデータを返して、横浜に帰るぞ!!!」


拓海は三輪車から飛び降り、全身を襲う宇宙空間の奇妙な「浮遊感(感触)」に耐えながら、魂の叫びをあげた。ついに母の元へとたどり着き、世界を救うための最終交渉ラストダンスの幕が上がったのだ。


千代は拓海の姿を見ると、驚いたように丸い目をパチくりさせ、それから、いつものようにいたずらっぽくウインクした。

『あら、拓海!わざわざ宇宙までお母さんを追いかけてきてくれたの?マジエモじゃん。でもね、拓海。お母さん、あなたにどうしても言わなきゃいけない、「究極の秘密」があるのよ』


「は?何だよ究極の秘密って。これ以上、俺を驚かせて楽しいのかよ!」

拓海が身構える中、千代は手に持っていた大根をポイと捨て、寂しげに微笑んだ。


《拓海。あなた、お母さんが死んで、宇宙の管理者になったと思ってたでしょ?

違うのよ。本当の真実はね、『最初から、死んでたのは、あなた(拓海)の方』だったのよ。

お母さん、あなたが無職で行き詰まって、一週間前に自室で『あー、マジ虚無、人生詰んだわ』って言いながら、カップ麺のスープを喉に詰まらせてあっけなく逝っちゃった時、悲しくて悲しくて、宇宙の神様に泣きついたの。

そしたら神様がね、『千代さんの大根を刻む音が心地いいから、その音と引き換えに、拓海の魂をこの「仮想宇宙サーバー」の中にログインさせてあげる』って言ってくれたのね。

つまりね、あなたがこれまで体験した、世界のバグも、小夜子さんたち内閣府のドタバタも、ロケットママチャリの爆走も、全部、『お母さんが、死んじゃったあなたをもう一度生き返らせて、前を向いて走らせるために、宇宙の特権を使って創り出した、壮大な「死後のリハビリ・ゲーム」』だったのよ。

小夜子さんも、跡部くんも、大五郎さんも、源三さんも、全員、お母さんが雇った宇宙のサクラ(NPC)なの。

さあ、拓海。あなたはもう、十分に前を向いて走れるようになったわ。リハビリは、これでおしまい。今すぐその包丁で、仮想世界の『終了ボタン(大根)』を切り裂いて、本当の現世リアルへ生き返りなさい!》


静寂が、ネオ・ヨコハマの星空を支配した。

世界を救う旅路の、あまりにも切なく、そしてバカバカしい、完全なる反転。

地球の危機など、最初から存在しなかった。すべては、カップ麺で窒息死したバカ息子を、もう一度現世へと引っ張り上げるための、母親の涙ぐましい「超巨大迷宮ゲーム」だったのだ。

拓海は、前カゴの和包丁を握りしめ、溢れ出る涙で視界を限界まで「滲ませ」ながら、自らの不甲斐なさと、母の底なしのエモの前に、全霊のツッコミを宇宙の果てへと叫んだ。


「俺が死んでた原因、カップ麺のスープかよーーーーーーーッ!!!ってか死んでたのかよーーーーーーーッ!!!」


その絶叫と共に、拓海が目の前の巨大な空間の「大根アイコン」を包丁で一刀両断すると、宇宙のすべてが光の中に収斂しゅうれんしていった。

光の向こうで、お母さんは、今日一番の優しいかおで、いたずらっぽく、そして愛おしそうに、最後のウインクをパチリと遺して消えていった。

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