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魔法使いと皇の剣  作者: 123
4章 波乱
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妄執

 ミエラの指が震えていた。


 彼女は目の前のレグラスの存在を忘れ、驚きのあまり、何度もページをめくり直していた。


 何かがおかしい。


 目の前の本は、彼女が幼い頃に読んだものとは違っていた。


 もちろん、物語とは創作であり、異なる解釈や改変が加えられることは珍しくない。しかし——


 この本は、結末だけが違う。


 "ケンニグとオルフィーナの物語"——


 それは、賢者と呼ばれ、他者を思いやることを知らなかった男が、運命的な出会いを果たし、愛の意味を知る物語だった。


 畏怖と尊敬の狭間にいたケンニグが、慈愛の神オルフィーナと巡り合い、彼女に導かれることで、人々を助け、時には悪しき者を討ち倒す。

 そして、最後には"誓い"によって得た愛を超え、真実の愛へとたどり着く——はずだった。


 だが、この本に記されている結末は、まるで別の物語だった。


 ——まるで、ケンニグが"誓い"に執着し、歪んだ愛を押し付ける者として描かれているかのように。


 背筋を冷たいものが這い上がる。これは本当に、ただの"創作"なのだろうか?


 ミエラの困惑を見て、レグラスが静かに口を開いた。


 「君の大陸にも、この話が伝わっていることは知っている。」


 ミエラは顔を上げ、レグラスを見つめた。彼は落ち着いた様子で、本の表紙を撫でながら続けた。



「この物語は、オーデントでも長く親しまれている。幾度となく語り継がれ、さまざまな創作が生まれた。登場人物の描写や、彼らの活躍には多少の違いがある。だが——」


 レグラスはゆっくりとミエラを見つめる。


 「結末だけは、常に同じだった。」


 ミエラは息を飲み、本を閉じた。その手には、まだ微かな震えが残っている。


 「……この本には、終わりが明確に書かれていない。そもそも、二人だけの場面で、当事者しか知り得ないような話……信憑性には欠ける。」


 レグラスは静かに頷いた。


 「それでも——」


 そう区切り、彼は真剣な眼差しでミエラを見据える。


 「彼らは確かに存在していた。 そして、物語に登場する"あの国"こそが、今のオーデントなのだ。」


 ミエラの脳裏に、ひとつの可能性が浮かぶ。


 グランタリスに伝わるこの物語には、地名や国名が曖昧にぼやかされていた。さらに、物語の中に登場する"眷属"や"魔物"は、グランタリスには伝わっていないものも多かった。


 そのため、長い間"これは単なる創作" だと考えられてきた。


 ——だが、本当にそうなのだろうか?


 「……恐らく、グランタリスに伝わる内容は、後世に改変されたものなのでしょう。」


 ミエラは慎重に言葉を選びながら、レグラスを見た。


 「ですが、仮にこの物語が事実だったとして……何故、この本が"重要"なのでしょうか?」


 レグラスの表情が微かに陰る。その拳がわずかに強く握られた。ミエラは、その微細な動きを見逃さなかった。



 「……物語に登場するケンニグとオルフィーナ様。いや、正確にはオルフィーナ様の依り代となった女性と言った方がいいのかもしれないな。」


 レグラスは息を整え、静かに続けた。


 「彼らの子供たちが、この国にとって重要な存在だった。そして、ケンニグは魔法によってオーデントに呪いをかけた。」


 ミエラは眉をひそめる。


 「……呪い、ですか?」


 レグラスは無言で頷く。


 「それは、ケンニグの血を引く者が王位を奪われぬように。そして、オルフィーナ様の信仰が絶えぬようにするものだった。」


 ミエラは困惑を隠せなかった。


 「ですが……オーデントという国は、今の王族が代々治めてきたのではないのですか?」


 レグラスはわずかに目を伏せ、考え込むような表情を浮かべた。


 「当然、私自身も疑っている。もし本当にそんな"呪い"があるなら、とっくの昔に何らかの形で表面化しているはずだ。だが……」


 レグラスの声が重くなる。


 「私が狙われた理由が、そこに結びつく。」


 ミエラは思わず息をのむ。


 「……私が狙われた理由。それは、"オーデントの呪い"と関係しているのかもしれない。」


 ミエラの困惑は深まる。


 「レグラス様が……?」


 レグラスは頷き、再び口を開く。


「オーデントにかけられた呪いは、長い時を経て形を変えていった。そして、長きにわたる戦の中で、血統は複雑に交じり合い、"誓い"はただの言い伝えへと変わった。」


 レグラスの声には、長年抱えてきた疑念と苦悩がにじんでいる。


 「オルフィーナ様が姿を現さなくなり、信仰が薄れ、眷属たちも国を離れた。そして、ケンニグの望んだ"真なる王"ではない王が治める国が生まれた。」


 レグラスは苦笑する。


 「そして今や、この国は"オルフィーナの信仰すら拒む国"となった。」


 ミエラはまだ、すべてを飲み込めずにいた。


 「……確かに、筋は通ります。でも、それが"呪い"に繋がるとは……」


 レグラスは静かに微笑む。


 「私の家族が狙われたのは、私が父より"王として指名された者"だったからだ。」


 その言葉に、ミエラははっとした。


 「……"偽りの王"として?」


 レグラスは苦い表情を浮かべる。


 「"真の王"を名乗る男は、私の家族を奪った。そして……私の家族を守るはずだった近衛兵たちが、その男に協力していた。」


 ミエラの脳裏に、ある男の顔が浮かぶ。


 ——オーデントへ向かう際、バスバと共に捕らえられていたあの男。


 彼は、"真の王"に仕えていたという近衛兵の一人だったはず。ミエラはガルシアから聞いた話を思い出す。


 "レグラスを探していたのは、彼の近衛兵が"真の王"の命令で動いていたからだ——


「……今や、この国にはさまざまな陰謀が渦巻いている。」


 レグラスの言葉は、静かだが確かな熱を帯びていた。


 「そして、君がこの地に来たこともまた、その渦の一部なのだ。」


 ミエラはレグラスをじっと見つめた。


 「……どういう意味でしょう?」


 レグラスは目を細め、遠くを見るような表情を浮かべる。


 「君の探す歪みのノストール、ベイルガルドの黒衣の伝道者、オルフィーナ様……」


 彼は一つ一つの言葉を噛みしめるように紡ぎ、ミエラへと視線を戻す。


 「すべてが、まだ見えぬ微かな線で繋がっているのだ。」


 ミエラは拳を握りしめた。


 すべてが繋がっている——


そう言われても、まだ何も確信できるものはない。知りたいことは山ほどあるが、目の前の現実が優先される。


 「……レグラス様のおっしゃることは分かりました。ですが、私には今、やらなければならないことがあります。」


 ミエラは真剣な眼差しでレグラスを見据える。


 「私は、今捕らえられている友人を救いたいのです。」


 アイリーンが、今この瞬間も盗賊ギルド『梟の夜会』の手にある。刻々と状況は悪化しているのかもしれない。


 「ましてや、その場所が危機に晒されるなら尚更です。」


 ミエラの決意を込めた言葉に、レグラスは深くため息をついた。


 「……それはできない。」


低く静かな拒絶だった。


 「君は私と共に来るべき存在だ。」


 ミエラの中に苛立ちが募る。


 「ですが、今の話を聞けば——」


 彼女は、もはや目の前の男が王子であることも忘れ、強い口調で言い放った。


 「貴方こそ、"偽りの王"として滅びに向かう存在ではないですか?」


 その言葉に、レグラスは一瞬の沈黙を挟み——

 次の瞬間、愉快そうに笑った。


 「はは……なるほど。」


 彼は低く、楽しげに笑い、ミエラをじっと見つめる。


 「確かに、オーデントが滅びに向かっているのは事実だ。……だが、それが今話した理由そのものだ。」


 レグラスはゆっくりと立ち上がる。

「考えてみるといい、ミエラ。」


 彼の目が、どこか熱に浮かされたような光を宿す。


 「私は、オルフィーナ様の力を使える。」


 ミエラは息を呑んだ。


 レグラスの手のひらが静かに上がると、そこには確かに——

 "慈愛の神の力"を思わせる、淡く輝く光が灯っていた。


 「信仰によって得た慈愛の力だ。」


 レグラスの声は昂ぶりを帯びる。


 「もし、ケンニグがこの国に呪いをかけたことが真実であったとしても……私はオルフィーナ様より"慈愛"を授かっている。」


 ミエラの背筋に、薄ら寒いものが走った。


「——そうだ、もし"血"が混ざりすぎて分からなくなったのなら……私こそが"真の王"の血を引く者なのかもしれない。」


 彼の目が鋭く光る。


 「つまり、私こそがオーデントを導く王……!」


 "真に、オーデントを救う者"


 ミエラは理解した。


 この男は、自らが真の王である可能性に取り憑かれている。

 "可能性"——ただの仮説でしかないものに。


 レグラスは続ける。


 「竜族に導かれた君がここにいる。運命の線を結ぶ君がいる。そうであるならば……」


 レグラスの目は、確信に満ちていた。


 「私は"真の王"として、この国を統べるべき者なのだ。」


 ——ミエラは、静かに諦めを覚えた。


この人の考えは、変えられない。


 どれだけ言葉を尽くそうとも、どれだけ理を説こうとも、彼はすべてを"運命"で結びつける。


 妄執に囚われた王子——それが、今のレグラスだった。

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