ガルシアの目覚め
微かな違和感と心地よい温もりに包まれながら、ガルシアは静かに目を開けた。
意識が徐々に覚醒するにつれ、朧げな記憶が蘇る。崩れ落ちた家屋、唸り声を上げるトロールの巨体――混乱の中で必死に馬を駆る感覚も、今となっては遠い夢のようだった。
しかし、左手の感覚がないことが、そのすべてが現実だったと痛感させた。
視線を巡らせると、天蓋付きのベッド、精緻な装飾が施された天井、柔らかな絨毯が敷かれた床――ここが兵舎の自室であることを理解する。
体を起こそうとした瞬間、扉が開かれた。まるで、彼女が目覚めるのを見計らっていたかのように。
「おや、これは……ガルシア殿。目覚められて何よりです。」
そう言って現れたのは、穏やかな笑みをたたえたサイスルだった。流れるような動作で室内へと足を踏み入れる。
「調子は……良いはずないですね。」
気遣いと冗談を交えたような軽やかな口調に、ガルシアはわずかに唇を持ち上げた。
「サイスル殿のお力で助けていただいたのでしょうか?」
ガルシアの問いに、――サイスルは軽く手を上げながら、近くの椅子を引き寄せ、静かに腰を下ろした。
「いや、本当なら失った腕を再生できればよかったのですが……私の力ではそこまで至らず、なんとか傷を癒すまでに留まりました。」
サイスルは申し訳なさそうに肩をすくめる。
ガルシアは己の左腕に目を落とし、ゆっくりと首を振った。
「いえ、感謝いたします。サイスル殿のお力がなければ、今頃私はこうしてベッドの温もりを感じることすら叶わなかったでしょう。」
その言葉に、サイスルは微笑みながら小さく頷いた。だが、ガルシアはすぐに身を起こし、焦燥をにじませた声で問いかけた。
「サイスル殿……今、どれほどの時間が経ちましたか? すでにお聞き及びかもしれませんが、暴食の眷属がドルテ村に現れ、村は壊滅しておりました! 早急に――」
ガルシアの言葉を遮るように、サイスルは静かに手を上げた。
「落ち着いてください。すでに報告は受けています。そして、騎士たちの配置はすでに整えました。バスバ殿が部隊を率い、ドルテ村へ向かっています。」
その言葉に、ガルシアは肩の力を抜き、ほっと息をついた。
頭の中は混乱していたが、少なくとも今すぐ自分が動かなくても対処は進んでいることに安堵する。だが、今この状況で自分に何ができるのか、戦線に戻るために何をすべきかを考え始めたその時、サイスルが続けた。
「お供の騎士から話は聞いています。ただ、トロールとの交戦時にはあなたはすでに気絶していたと。それで、トロールを討ったのはミエラのようですね? ぜひ詳しくお聞かせ願いたい。」
ミエラの名を親しげに呼ぶサイスルに、ガルシアはわずかに違和感を覚えた。
しかし、それ以上に、何かを話せることに感謝し、できる限り詳細に説明を始めた。
サイスルは話に耳を傾けながら、ときに驚いたように眉を動かし、ときに考え込むように沈黙する。ガルシアは、こんなに彼が感情を表に出すのを初めて見た。
やがて、話を聞き終えたサイスルは、満足げに微笑んだ。
「なるほど……本当に大変でしたね。それでも、よく戻ってきてくれました。」
その言葉に、ガルシアも静かに頭を下げた。
「私も早くこの身体を治し、この身が朽ちるまで、ケイオス殿下のために剣を振るう覚悟です。」
サイスルは満足げに頷きながら、優しい口調で言葉を紡いだ。
「焦る必要はありませんよ。あなたたち七騎士が持つ武具は、特別なもの。ケイオス殿下が持つ王剣の一部が宿っており、強靭な肉体と精神を持つ者にしか扱えない代物です。」
その言葉を聞いた瞬間、ガルシアの胸に不安が走った。
――自分の剣は?
焦るように視線を巡らせ、室内を探る。
ほどなくして、壁際に丁寧に立てかけられた剣を見つけると、ガルシアは安堵の息を漏らした。
その様子を見届けたサイスルは、微笑みながら静かに言った。
「死を願う者の祈りが込められた剣は、きっとオーデント国を導いてくれるはずです。
今は、ゆっくりと休んでください。」
そう言いながら、サイスルは席を立ち、部屋を出ようとした――その時、ふと振り返り、思い出したように言葉を続ける。
「そうでした。異国の剣士ジン、そして盗賊の少女アイシャが、尋問室から逃げ出したとの報告がありました。」
ガルシアの表情が驚愕に揺れる。
「……逃走? 彼が、ですか? なぜ尋問室に……?」
サイスルは少し考えるように目を細め、静かに答えた。
「それは私にも分かりません。しかし、彼らの素性を疑う者は多い。貴族たちは特にね。私が報告を受けたのは、彼らが逃げたということだけ。それ以前に何があったのかは、一切聞かされていません。」
――貴族と騎士団の間に横たわる深い溝。
ガルシアは、それを改めて実感していた。
本来なら、騎士団の管轄ですべてを取り仕切れればよい。 しかし、現実は違う。
貴族たちは未だに強い権力を持ち、彼らが抱える私兵の存在は必要不可欠だった。
ケイオス殿下は、それでもこの国を変えようとしている。
だが、思うようにはいかない。
そして、アーベン王子。
彼は貴族と騎士団の間を取り持ち、均衡を保とうとしているが……
その本心は、いまだに誰にも掴めなかった。
サイスルは静かに微笑みながら、椅子から立ち上がった。
「それでは、私は失礼します。」
扉へと向かいながら、ふと立ち止まり、淡々とした口調で続ける。
「先ほどお話ししたのは、貴方の仲間であるミエラのことを聞きに、彼らが訪ねてくる可能性があるからです。……どんな経緯があったにせよ、彼らは今や尋問室から逃げた逃亡者。それを忘れずに。」
ガルシアは思わず息を飲んだ。
サイスルの言葉には明確な警告が込められていた。あの異国の剣士ジンと盗賊の少女アイシャが、本当に国に仇なす者なのか――
それとも、何か別の事情があるのか。
それを知る術は、ガルシアにはなかった。
「……ご忠告、感謝します。」
そう返すと、サイスルは満足そうに微笑み、静かに部屋を後にした。
扉が閉まると同時に、ガルシアは深く息を吐き、再び自らの剣に視線を向ける。
漆黒の鞘に収められた、かつて戦場を駆けた剣。
死を願う者たちの祈りが込められた武器――
それは、今も変わらぬ静謐な佇まいを保っていた。
ガルシアはそっと左手を伸ばそうとして、ようやく気づく。
――もう、自分の左手では、この剣を握ることはできない。
現実が突きつける喪失の重み。
だが、ガルシアは目を伏せることなく、静か




