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魔法使いと皇の剣  作者: 123
3章 神の肉
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運命の分かれ道

 ミエラは荒い息を吐きながら、必死にレグラスの後を追った。


 木々が生い茂る森の中、レグラスはまるでこの地に馴染んでいるかのように、迷いなく獣道を進んでいく。彼の動きには無駄がなく、まるで長年この道を歩き慣れているかのようだった。


 道中、ミエラはこれまでの経緯を簡潔に説明した。――すべてを語り終えた後、レグラスは静かに「なるほど……」と呟いた。


 それだけだった。


 レグラスはそれ以上何も言葉を発することなく、ただ歩き続けた。ミエラは戸惑いながらも、彼の後を追うしかなかった。


 やがて、沈黙に耐えきれなくなり、ミエラは意を決して問いかけた。


「レグラス様、一体どこに向かわれているのか、教えてはいただけませんか?」



 レグラスはミエラの問いに一瞬だけ足を緩め、振り返ることなく短く答えた。


「私たちの拠点だ。」


「オーデントの拠点ですか?」


 ミエラが尋ねると、レグラスは微かに笑みを浮かべながら首を振った。


「いいや。今のオーデントにはいられない者たちの拠点だ。」


 その言葉に、ミエラは僅かに眉を寄せる。


(今のオーデントにはいられない者たち……?)


 レグラスの声音には、どこかオーデント王国に対する疑念や不快感が滲んでいた。ミエラは何かを感じ取ったものの、それを口にすることはできなかった。


 あたりは既に闇に包まれ、森の奥は不気味な静寂に支配されている。夜の冷たい空気が肌を刺す中、ミエラは決意を固め、再び声を上げた。



「レグラス様、私の話を聞いて事情はお分かりかと思います。残された時間は――」


 最後まで言い終える前に、レグラスは振り返り、手を上げて制した。


「もちろんだ。君の友人を助けたいとは思っている。だが、今はそれすら難しい状況だ。」


 レグラスの目が鋭く光り、静かだが重みのある声が森に響く。


「君は見ていないのか? あの軍勢を。」


 ミエラは首を横に振る。


 レグラスは息を吐き、無表情のまま続けた。


「ホイスタリンは落ちた。今や、残された騎士や民はグールとなり、かつて猛威を振るった暴食の眷属たちと共に、オーデントに向かっている。」


 ミエラの心臓が跳ね上がった。


「そんな……!」


 思わず漏れた声に、自分の震えが隠しきれないことを悟る。


「でしたら、私はすぐにでも仲間たちの元へ向かわなければなりません!」


 そう言いかけた瞬間、レグラスは深いため息を吐き、きっぱりと言い放った。


「いいや、やめた方がいい。」


 ミエラは息を呑む。


「私は君の話を聞いて確信した。オーデントは落ちるだろう。」


 その言葉に、ミエラは完全に言葉を失った。


「……オーデントが、落ちる?」


 まるで王族として生きてきた自らの国を見捨てるかのようなレグラスの言葉に、ミエラは衝撃を隠せなかった。レグラスはそれを冷徹に、まるで揺るぎない真実のように語ったのだ。


「……どうしてそんなことを言うのですか?」


 ミエラの声には戸惑いと怒りが入り混じっていた。レグラスはしばらく沈黙した後、静かに答えた。



「運命の眷属……竜族が現れたからだ。そして、竜族が連れてきた君がここにいるという事実があるからだ。」


 レグラスの言葉が静かに森に響いた。


 ミエラはその意味をすぐには理解できず、息を整えながら彼の背を追った。木々が鬱蒼と茂る中、レグラスは迷いのない足取りで獣道を進む。彼の姿は、かつて王族だった男というより、長く放浪を続けた戦士のように見えた。


「盗賊が意図して期日を君たちに与えたのかは分からない。だが、今まさにオーデントに向かっている軍勢が国に到達するのと、ほぼ同じタイミングになるだろう。」


 ミエラはその偶然と、オーデント陥落の関連性に疑問を抱いたが、口を閉じたまま次の言葉を待った


「ケイオス……我が弟は神を軽んじている。いや、それも弟の狙いなのかもしれない。だが――竜族が、人の支配する国オーデントに現れ、王と会った。」


 ミエラの足が一瞬止まる。


「……それがいけないと?」


 レグラスは振り返ることなく言葉を続ける。


「竜族は神のために動く。我が国の視点からすれば、ケイオスは暴虐を尽くした神々を打ち滅ぼした英雄だ。しかし、そのために彼が払った代償を、民はどこまで理解しているのだろうな?」


 ミエラの脳裏に、ケイオス王の剣がよぎった。


 レグラスはその表情を読み取ったのか、わずかに乾いた笑みを浮かべる。


「知っているようだね。君が知っているのなら、多くの民も知っているはずだ。そして、視点を変えれば――神を信仰する者たちからすれば、ケイオスはただの“神殺し”に過ぎない。」


 ミエラは胸の奥に違和感を覚えた。


「悪虐を尽くす神の軍勢を、人の国が打ち倒した――それがオーデントの歴史。しかし、今や竜族が現れ、神の軍勢がオーデントに向かっている。国の民の中には、ケイオスの選択が誤りだったと考える者も出てくるだろう。」


 ミエラは反論するように口を開いた。


「ですが、暴食の神グルンは悪虐を行ったからこそ討たれたはずです。非道に抗う人々が、国を支えてきたのではないのですか?」


 レグラスはその言葉に小さく笑い、肩をすくめる。


「君は、一つの側面しか見ていない。」


「……どういうことですか?」


「確かに、暴食の神は非道だった。私もそう思う。だが、ただの悪ならば信仰など集まらない。」


 ミエラは息を呑んだ。まさかオーデントの王子の口から、そんな言葉が出るとは思っていなかった。


「暴食の神の権威は、人を飢えさせ、やがてグールへと変えてしまう。しかし、その力が人のために使われたならどうだ? 飢えに苦しむ者を、何を食べても生きられる身体へと変え、毒や腐敗に耐えられる者にする。そして、作物や家畜の繁殖を支配し、飢えそのものから人々を解放することができた。」


 ミエラの心が揺れる。


「それは……そんなことが……。」


「事実だよ。人間は恐怖するものを悪と定めるが、恩恵を受ける者たちは、それを悪とは思わない。」


 レグラスの言葉は冷徹だったが、そこにはただの皮肉ではない、深い真実が込められていた。


「オーデントは、神を排した国だ。だが、いまや竜族が現れ、神の軍勢が迫る。この国の民がどちらを選ぶか――君には想像できるか?」


 ミエラは、沈黙した。


「盗賊たちが君たちに与えた期日と、ホイスタリンの軍勢がオーデントに攻め込む時期が、偶然にも重なる。竜族が王に会い、信仰を持つ者たちが目を覚ました。――オーデント王国は分裂するだろう。」


「……そんな……。」


 ミエラの胸が強く締め付けられる。国が分裂する? ケイオス王が築き上げたオーデントが……?



「ホイスタリンの軍勢がオーデントに攻め入る。それだけで、民の間には“神が国を裁く”という考えが生まれるだろう。そして、竜族の出現がその思考を強化する。神の国を排したケイオス王は、やがて“神殺し”と揶揄される存在になる。そして――オーデントは神を受け入れる者と拒む者に分裂する。」


「……ケイオス王は……神を拒んだのではなく……人のために戦ったのでは……?」


 ミエラの問いに、レグラスはただ静かに微笑む。


「それが“勝者”の歴史というものさ。」


 ミエラは拳を握り締めた。


「私は……私の仲間を助けに行かないと……!」


 その言葉に、レグラスはふっと息を吐き、彼女を見据えた。


「無駄だよ。それに、私の予想通り運命に決められたことなら、竜族が死ぬことはない。君がここにいる限り。君がここにきて私と会ったことも、運命だ。」


「……!」


 ミエラの胸の奥に、ざわりとした感覚が広がる。

 まるですべてを悟ったかのように語る。すべては運命であり、抗うことすら無意味だと言わんばかりの口調に、ミエラは強い違和感を覚えた。


 レグラスの目には、王族としての冷静さも、人としての情熱も感じられなかった。ただ淡々と、自らを導く何かに従っているような、異様な静けさがあった。


「仮に運命だとして、それが何だというのでしょうか?」


 思わずミエラは声を張り上げる。


「でしたら、私がオーデントに戻るのも運命のはず。私が仲間を助けに行くのも、また運命のはずです!」


 自らの意思を貫こうとするミエラの言葉に、レグラスは一瞬だけ目を伏せた。そして、静かに口を開く。


「運命に導かれた女性が、私のもとに来た……。神と人の共存を、手を取り合う未来を望む私のもとに。」


 レグラスの声には、奇妙な穏やかさがあった。しかし、ミエラはそこに危うさを感じた。ただの理想ではない、何かが歪んでいる。


「神は望んでいるのだ。憎しみではなく、慈愛によるオーデントの解放を。」


 ミエラは言葉を失った。


 目の前の男――かつて王族であった男の目には、確かに優しさがあった。けれど、その奥には確実に何か別のものが宿っている。それは、狂気と呼ぶべきものかもしれなかった。



「君は導かれたのだ、竜族によって。」


 レグラスはミエラの目をまっすぐに見据え、淡々と続ける。


「私と共に、新たな道を切り開くために。」


 ミエラは背筋に冷たいものを感じた。


 ――この男は、王族を捨てたのではない。

 ――レグラスは、新たな王国を創ろうとしている?


 それも、神と人とが共にある世界を――。


「……あなたは、何をしようとしているのですか?」


 ミエラの問いかけに、レグラスはただ微笑んだ。


 その笑みは優しげで、それでいて、深く、底知れぬものだった。

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