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魔法使いと皇の剣  作者: 123
3章 神の肉
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変わり果てた騎士

 ミエラは砦を覆うセイクリッドランドの維持に全神経を注ぎながら、無意識に空を見上げていた。村を訪れ、この砦に来てからどれほどの時間が経ったのだろうか。もしレグラス王子を連れ戻せなければ――そんな雑念が頭をよぎるたび、集中力を削がれていることに気づいていた。それでも、その思考を振り払うことができなかった。


 一方、アーベンはミエラの疲労や苦労を気にする素振りも見せず、ただ考え込むようにミエラと倒れたグールの亡骸を交互に見つめていた。そして、ふと何かを思いついたように、ミエラに問いかけた。


「あとどれくらい持ちそうかね?」


 その言葉に、ミエラは息を整えながら答えた。


「分かりません……私の体力と精神次第です。でも……もうそんなに長くは……」


 その声には疲労の色が滲んでいた。アーベンは軽く頷き、冷静に言葉を続ける。



「だろうね。感謝するよ、君の力に。しかし、時間がかかっているね。砦が広いから仕方ないのかもしれないが……何かターガスにあったとしても、我々には分からない。」


 そして、どこかおどけるような口調で言葉を足した。


「少し短絡的な作戦だったかもしれないね。」


 その軽い調子に、ミエラはイラつきを覚えながらも、冷静を保とうと努め、短く返した。


「かもしれませんね。でも……もう仕方ありません。待つしか――」


 ミエラが言葉を言い終える前に、突然、異様な気配が彼女を包み始めた。その気配は空気を歪めるような圧迫感を持ち、周囲の温度が一瞬下がるような感覚を伴っていた。


 気配の正体を探ろうと視線を巡らせた。そして、その気配の方向を確かめようとした瞬間、隣にいるアーベンを見ると、同じように何かに戸惑い、焦りの色を隠しきれない表情を浮かべていた。


「なんだ……? これは……」


 アーベンが呟いたその言葉に、ミエラは改めて背筋に寒気を覚える。その冷静さを失いかけたアーベンの姿は、ミエラの中で事態の異常さをさらに際立たせた。


 ミエラは自らの結界の中を駆け巡る気配を感じ、その行方を探った。そして、ついにその気配の発生源を見つけた。


 その先には――砦の屋上があった。


 ミエラとアーベンは視線を交わし、言葉を交わさずに事態の深刻さを理解した。その場所で何かが起こっている――いや、既に起こってしまったのかもしれない。


 ミエラとアーベンは同時に屋上の方向を見つめた。その異様な気配は、砦の屋上から漏れ出し、空気を震わせるように全方位へ広がっている。結界の中に漂う澄んだ秩序の力に混ざり込むような異質な感覚が、ミエラの精神に直接響いてくる。


「砦の屋上……」


 ミエラは口を震わせながら呟いた。視線の先には、かすかに揺らめく黒い霧のようなものが空を覆い始めているのが見えた。その霧は秩序の結界に触れるたびに、わずかに弾かれるように揺れていたが、勢いを弱めることはなかった。


「この結界に干渉してくる……その力は⋯」


 ミエラは驚きと不安を胸に抱えながらも、必死に結界を維持しようとした。しかし、その異様な気配が結界を侵食しようとするたびに、体力と精神は確実に削られていく。


「ミエラ、無理をするな。」


 アーベンが彼女にそう告げたが、その声には普段の冷静さを欠いた焦りが滲んでいた。ミエラが顔を上げて見ると、アーベンもまた屋上から漂う異様な気配に苛まれているようだった。


「このままでは持たない。あの気配を断ち切らなければ……だが、ターガスが向かった先だ。もし奴に何かあったとすれば――」


 アーベンが拳を握り締めたその時、砦の屋上から低い唸り声が響き渡った。それは人間の声とも、何かの叫びともつかない、耳障りで不気味な音だった。砦全体にその音が反響した直後、何かが砦の上から飛び降りてきた。


 凄まじい音と共に地面に着地したそれは、異形だった。トロールほどの巨大さではないが、人の形をかろうじて保ったその姿は、ターガスの面影をかすかに残している。


 しかし、歪な変化が彼を完全に異形へと変えていた。裂けるように大きく開いた口からは鋭い歯が覗き、長く地面につくほどの手が異様に発達している。左右の目はギョロギョロと不規則に動き、何かを探すような狂気に満ちていた。


 ミエラはその姿に言葉を失い、思考も一瞬で止まった。その異形がかつてのターガスだと気づいた瞬間、心に重い衝撃が走り、集中が途切れた。途端にセイクリッドランドの結界が崩壊し、その清浄な力が周囲から消えていった。



「あ……」


 ミエラの声が、静寂に包まれた砦の中でかすかに響く。結界が消えたことに気づいたアーベンも、その異形の姿に驚愕し、普段の冷静さを失った表情で呟いた。


「神の肉か……」


 その言葉には怒りとも驚きともつかない感情が混じっていた。視線を逸らさず、その異形を見据えるアーベンの顔には、焦りの色が滲んでいた。


 異形となったターガス――その存在は、まさに「神の肉」が引き起こした恐怖の具現化だった。彼が飛び降りた衝撃で地面がひび割れ、その場にいたミエラとアーベンに尋常ではない威圧感を放っている。


 ミエラは何とか動揺を抑えようと必死に息を整えたが、その目には恐怖と悲しみが混ざっていた。


「ターガス……なのですか……?」


 その言葉に異形は何の反応も示さず、ただ荒い息を吐きながらゆっくりと二人に向き直った。その動き一つ一つが重く、砦全体に響くような音を立てた。


 アーベンは剣を抜きながら、低い声でミエラに言った。


「ミエラ、今は混乱している暇はない。もしこの状況を打破できるのは君の力だけだ。情けない話だが私は役には立たないよ」


 その言葉に、ミエラは目を見開き、再び意識を引き戻された。



 ターガスの姿をした異形は、その巨大な身体に似つかわしくない俊敏な動きで飛び上がり、あっという間にミエラたちの頭上へと移動した。その動きに圧倒され、ミエラは咄嗟に叫んだ。


「アーベン王子!逃げてください……!」


 声が砦の中に響く中、ミエラ自身もその場を避けるように走り出した。だが、アーベンが逃げたかどうか確認する余裕はなかった。その瞬間、異形が地面に飛び降り、凄まじい土埃が辺りを覆った。


(視界が……!)


 ミエラはすぐに風を操り、土埃を払い除けようとした。だが、その行動の前に、自身に迫る圧倒的な衝撃を感じた。次の瞬間、彼女の体は宙を舞い、地面に叩きつけられるように吹き飛ばされた。


 転がりながらも、その一撃が異形のムチのようにしなる腕によるものだと理解する。荒々しい力が身体に刻まれ、痛みが全身を走った。それでも、ミエラは危機的な状況の中で驚くほど素早く身を起こし、状況を確認した。


 視界を取り戻し目に映ったのは、雄叫びを上げ、苦しむように身をよじる異形となったターガスの姿だった。その動きには、何かに抵抗しているような痛々しさが感じられた。ターガスの心がまだその中にあるのか――ミエラは思わずその可能性に縋りたくなったが、すぐに周囲を見渡し、別の事実に気づく。


 アーベンの姿が見当たらない。


 一瞬、彼女の心に冷たいものが走ったが、すぐに頭を振って考え直す。アーベンはこの場を無事に離れたのだ――そう信じることで、不安を抑え込んだ。しかし、同時に胸の奥に複雑な感情が渦巻いた。


(ひとりで本当に逃げた……?)



 アーベンが逃げ延びたことにほっとする一方で、自分を見捨てた可能性を考えると、微かな怒りと寂しさが湧いてくる。だが、今はその感情に浸る暇はなかった。目の前には異形と化したターガスがいる。苦しみ続けるその姿は、いつ襲いかかってくるか分からない。


 ミエラは立ち上がり、痛む体を押さえながら自分に言い聞かせた。


(考えるのは後……今は、彼を止めないと……!)


 ミエラは再び異形を見据えた。その瞬間、新たな衝撃が走った。苦しみ、もがいていたはずの異形がさらに変化を遂げていた。


 かつてのターガスの整った顔が戻ったかのように見えたが、それにはまるで表情がなく、どこか空虚さを漂わせていた。髪はすべて抜け落ち、頭皮がむき出しになっている。さらに、腹部は異常に膨れ上がり、上半身をさらけ出していた。その腹には、まるで生きているかのような巨大な口が形成されており、胸元には不気味に輝く大きな両目がついていた。


 その異常な姿は、もはや人の範疇を超えており、伝説で語られる怪物そのものだった。ミエラはその光景に呆然と立ち尽くし、冷たい恐怖が体を支配するのを感じた。呼吸が浅くなり、全身が震える。


 そして、その異形――ターガスの顔が静かに口を開いた。その動きには感情はなく、ただ冷ややかな響きで言葉を紡いだ。それは、古代語だった。


『お前の願いは……なんだ?』


 その言葉が空間を震わせるように響いた


「古代語……?」


 ミエラは思わず後ずさり、全身が震えながらも目の前の異形――いや、神の存在を直視していた。その姿にはかつてのターガスの面影がわずかに残っているが、その実態は明らかに人ではなく、神の権威そのものが顕現していた。


(何故……ターガスの身体に神が……? そして、この神は一体……何の神なの……?)


 混乱する頭の中で、ミエラはかろうじて冷静さを保ち、慎重に問いかけた。古代語を使い、その存在に向けて言葉を投げる。


『貴方が顕現している彼は、私の知る者です。何故、その身体に顕現したのですか?』


 ミエラの問いかけに、ターガスの顔をした異形――いや、神は動きを止めたまま、無表情で返答した。その声は、深い底から湧き出るような低音であり、威圧感を伴っていた。


『それが願いか?』


 その問いにミエラは息を呑む。神はさらに続けた。


『誓いを……。お前が誓い、私と同じになれば、その願いを叶えよう。』


 その言葉に、ミエラの胸に静かな怒りが湧き上がった。ノストール――そして、目の前の名も無き神。口を開けば彼らが求めるのは「誓い」だ。自らの力を使う代償として、相手の魂や身体を求めるその在り方が、ミエラにはどうしようもなく嫌悪感を抱かせた。


(また……誰かを犠牲にするつもりなの……?)


 その問いが心に渦巻く。だが、今の短い問答で、ミエラは目の前の神と対話を続けても無駄であることを悟った。この存在が話を聞き、理性的に物事を進める相手ではないことは明白だった。



 それでも、神は動きを止めている。ミエラはその隙に何かをしなければならないと考えたが、名も無き神をどうすればいいのか、その答えが見つからない。


(どうすれば……? この神を止める方法が分からない……。)


 ミエラは剣を持つわけでもなく、ただ魔法の力と知識に頼るしかない。その中で、脳裏に浮かぶのは――目の前の神を打ち倒すのではなく、封じるという選択肢だった。ミエラの力では神を殺すことはできないが、動きを止め一瞬の隙を作ることなら可能かもしれない。


 だが、どうやってその隙を作るか――答えが出ないまま、目の前の神は再び動きを見せ始めた。

 腹の口をゆっくりと開き、その不気味な動きがミエラの視界を支配した。その口はまるで闇そのもののようで、何か深淵に飲み込まれる感覚を覚える。その瞬間、神が冷たく響く声で告げた。


『願いを言わぬならば、私がお前の願いを決めよう。』


 その言葉がミエラの耳に重く響く。


(願いを決める……?何を⋯)


 神の言葉の意図を読み解こうとするも、その思考はすぐに中断された。神の行動が、その言葉の意味を行動として示してきたのだ。


 裂けた腹の口が完全に開き、そこから不気味な風が吹きつけるように、空気が吸い込まれる。まるでその口が、ミエラを捕食しようとしているかのようだった。そして、神が再び告げる。


『私と1つに。』

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