手掛かり
ミエラは教会の奥に目をやると、隅で小さく震える二つの影を見つけた。それはまだ10代ほどの少年たち――兄弟だろう。兄と思われる少年は、怯える弟を庇うように前に立ち、震えながらも必死に立ち向かうようにして先頭に立つターガスを見上げていた。
その姿に気づいたターガスは、すぐに膝をついて少年の目線に合わせ、柔らかな声で問いかけた。
「大丈夫。僕はオーデント国の騎士だよ。君たちを助けに来たんだ。」
その言葉は、怯える兄弟の心に少しずつ届いていくようだった。少年の目には警戒心とわずかな安心感が交錯している。弟は兄の背中に隠れながら、ターガスを怯えた目でじっと見つめていた。
その様子を後ろから眺めていたアーベンは、小さく息を吐き、軽い調子で呟いた。
「ふむ……どうやらこういう状況は私には向いていないようだね。」
その言葉に、ミエラは振り返ってアーベンを見やる。どこか呆れたような、しかし少しだけ微笑みを浮かべるアーベンの姿に、ミエラは肩を落としつつも、小さく笑みを浮かべた。
「まあ、アーベン王子はそれで大丈夫かと。」
その返答にアーベンは肩をすくめ、「それはそれで悲しいね」と軽口を叩きながらも、視線は少年たちに向けられていた。
ターガスは少年の肩に優しく手を置き、さらに穏やかな声で話しかけた。
「怖かっただろう。ここで何があったのか、教えてくれるかい? 君たちを助けるために、どうしても知りたいんだ。」
少年はしばらく躊躇していたが、やがて震える声で口を開いた。
「村に……化物が来たんです……。皆おかしくなっていって、お父さんも、お母さんも……。それで、ここに隠れてろって……。」
弟を庇う兄の姿と、その言葉の裏に隠された恐怖に、ミエラの胸が締め付けられた。しかし、彼女は表情を引き締め、そっと少年に声をかけた。
「大丈夫よ。私たちがいるから。安心して。」
その声に、少年は少しだけ顔を上げ、ミエラを見つめた。その目に、わずかでも希望の光が宿るのを感じた
アーベンは考え込むようにしながらも、優しい声で少年に尋ねた。
「おかしくなったのは、その化物が来てからかい? それとも化物が来る前かい?」
その問いかけに、少年は少し警戒するようにアーベンを見つめた。そんな少年の態度に気づいたアーベンは、困ったように笑みを浮かべて言葉を続けた。
「失礼したね。先に名乗るべきだった。私はアーベン・オーデント。この国の第一王子だ。」
その言葉に、少年は目を見開き、慌ててその場に膝をついて頭を下げた。
「ごめんなさい……! 俺、王子様だって分からなくて……!」
アーベンは柔らかな声で答えた。
「構わないよ。それより、君の話を聞かせてくれないか?」
少年はしばらく迷ったようだったが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。
「皆がおかしくなったのは……化物が来てからです。最初はみんな普通だったんだけど、急に『お腹が空いた』って言い出して……。俺も、変な感じで、食べても食べてもお腹が空いて……。そしたら、みんな他の人の食べ物まで奪うようになって、それが怖くて、親父が俺たちに『ここに隠れていろ』って。」
その言葉を聞いていたターガスは、悔しそうに唇を噛みしめ、静かにアーベンの方へ視線を向けた。アーベンは小さく頷き、ぽつりと呟いた。
「暴食の神の力か……。」
そのまま少年を見つめると、アーベンはさらに質問を重ねた。
「化物が先に来たと言ったが、誰もその化物が何かしたと思わなかったのかい? それに化物が来た時、砦の兵士たちはどうしていたんだ?」
少年は、アーベンの問いかけに戸惑いながらも、一つ一つ言葉を整理しようとしていた。そして、震えながらも言葉を紡ぐ。
「化物は……すぐにいなくなったんです。村に来て……でも、レグラス様が化物を追い返して……。」
その一言に、ミエラは思わず目を見開いた。
「レグラス様が化物を追い返した……? レグラス様は無事だった⋯」
ミエラの声に少年は頷きながら続けた。
「はい……でも、その後、村の人たちが……おかしくなり始めて……レグラス様も、砦に行ってしまって……。」
その言葉に、ミエラの胸には希望と不安が入り混じる感情が湧き上がった。アーベンは静かに少年の言葉を聞きながら考え込むように口元に手を当てた。
「つまり……化物の存在そのものがきっかけではなく、別の何かが作用した可能性があるな。」
その冷静な推察に、ミエラとターガスは思わずアーベンに視線を向けた。アーベンは静かに立ち上がり、改めて二人に言葉を投げかける。
「砦に向かう必要ができてしまったね……。仕方がない。援軍が来るとしても、早くて明日以降になるだろう。だが、トロールが村に現れ、そして村の人間たちがグールと化し砦に集まっている――この状況では、何かが起きているのは間違いない。」
アーベンの声には冷静さと焦りが入り混じり、どこか複雑な思考を感じさせた。彼は続ける。
「危険だと分かっているが、それでも向かう必要がある。砦で何が起きているのかを解明しなければならないし、何よりも弟の身が心配だ。」
ミエラはその言葉に静かに頷きながらも、危険を伴う状況に不安を隠せなかった。
「ですが、砦にはグールが……本当に大丈夫でしょうか。」
ミエラの問いかけに、アーベンは少し微笑みながら答えた。
「大丈夫かどうかは、行ってみなければ分からない。だが、私たちがここで立ち止まっていても状況は好転しないよ。」
その言葉に、ターガスも深く頷き、力強い声で言った。
「アーベン王子、どこまでもお供いたします。砦がどれほど危険な状況であろうとも、あなたを守ることが私の使命です。」
その力強い宣言に、アーベンは満足げに頷くと、ミエラに視線を向けた。
「ミエラ、君の目的もここで終わるわけではないだろう? 砦に向かえば、レグラスや君の友に繋がる手がかりがあるかもしれない。」
ミエラは少しの迷いを感じながらも、しっかりと頷き返した。
「分かりました。行きましょう……。私も、ここで諦めるわけにはいきません。」
その言葉にアーベンは満足そうに微笑み、少年たちに向き直った。
「君たちはここで待っていなさい。私たちが戻るまで、この教会を離れないことだ。」
アーベンは優しく少年たちに言い聞かせた後、教会の彫刻や空間に目をやりながら続けた。
「ここは君たちが信仰を捧げていた慈愛の恩恵を受けているようだ。この場所には微弱ながらも結界が働いている。今は安全だろう。」
その言葉に少年たちは怯えながらも小さく頷き、教会に留まることを約束した。兄は弟を抱き寄せ、守るようにしながら不安な表情で見つめている。
「戻ってくるまで、ここを守り通すんだよ。」
アーベンが優しい笑みを浮かべて告げると、兄弟は小さく「はい」と返事をした。
そして、アーベンはミエラとターガスに向き直り、軽く手を振って外に向かうよう促した。
「さて、行くとしよう。砦を目指す準備はいいか?」




