僅かな希望
騎士の報告に、ミエラは言葉を失った。グルンはケイオス王子に討ち取られたはずだ。それにもかかわらず、グルンのセイクリッドランドが再び及んでいる――しかも、それが砦を覆い尽くしているというのだ。
アーベンは沈黙したまま、じっと騎士を見下ろす。表情こそ穏やかだが、瞳の奥には深い思索が渦巻いているようだった。アーベンは一呼吸置き、再び問いかける。
「その“セイクリッドランド”には、他に指揮をとるようなものはいたかい?」
その冷静な質問に、騎士は恐怖を滲ませながら答えた。
「いえ……砦の者たちが変わり果てた姿で、徘徊しております。ですが、指揮を執る者のような存在は確認できませんでした……。」
アーベンはその答えに小さく頷き、ゆっくりと空を見上げるようにして考え込む。
「なるほど、無秩序に動いているだけか……だが、グルンの力がここまで影響を及ぼしているとなると、単に生き残りの眷属の仕業では説明がつかないな……。」
ミエラは不安げに、アーベンに呟いた
「アーベン王子……私はここから一人でレグラス王子を探します。」
その言葉には強い意志が込められていたが、同時に状況の厳しさを自覚するがゆえの焦りも感じられた。アーベンはちらりとミエラに視線を送り、いつもの穏やかな声で返答する。
「心配しなくてもいいさ。ガルシアたちを先に戻したのが功を奏するだろう。トロールの報告が届けば、援軍が期待できる。いまはギリギリまで捜索にあたるべきだ――何より、兄として弟の無事は確かめたいからね。」
その言葉には揺るぎない決意が感じられた。まるで全てを見通しているかのようなアーベンの冷静な態度に、ミエラは思わず息を呑む。それでも、ミエラの胸の中に湧き上がる不安が完全に消えることはなかった。
「ですが……トロールだけでなく、グールと呼ばれる者もいるようでしたら、危険ではないでしょうか……」
ミエラは慎重に言葉を選びながら尋ねたが、アーベンは彼女の言葉を遮るように軽く手を挙げた。
「確かにそうだね。だが、そこがどうしても引っかかっていてね。」
アーベンは一拍置いてから続ける。
「この村は我が国とホイスタリンの国境に位置する。そして、弟がグルンを討ち取った際、ホイスタリンは我が国の属国となった。それ以来、誰もがホイスタリンの管理を嫌がったよ。当時のホイスタリンの荒廃ぶりを知る者なら、その理由は理解できるがね。」
ミエラはその言葉に耳を傾けながら、アーベンの話がどこに向かうのかを考えていた。アーベンは少し空を見上げ、続ける。
「そうして、ケイオスはホイスタリンの管理を信頼する七騎士の一人、デニス・マーシャルに任せることにした。七騎士であり、貴族でもある彼ならば適任だと判断したのだろう。」
アーベンの語る「七騎士」の名に、ミエラの胸にかすかな不安が広がる。
「デニス・マーシャル……」
アーベンはミエラの反応に気づいたのか、少しだけ笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「デニスは七騎士の中でも冷徹で知られている。国の秩序を重んじる一方で、目的のためならば手段を選ばない人物だよ。だが、国への忠誠は本物だ。その彼が管理するホイスタリンで、何も問題が起きていないとは考えにくい。」
アーベンのその言葉に、ミエラは思わず眉をひそめた。不安を感じながら問いかける。
「ホイスタリンでも、同じようなことが起きている可能性があるのですか?」
アーベンは一瞬視線をそらし、答える前に小さく息を吐いた。そして、低い声で静かに答えた。
「可能性は否定できない。だからこそ確かめる必要があるのだよ。王家の人間として――弟レグラスのこと、この村のこと、そして……」
アーベンはそこで一度言葉を切った。その瞳には、内に秘めた思考が渦巻いているのが見て取れる。そして、やや間を置いてから続けた
「神の肉……ベイルガルドの関与を疑っている。」
その言葉に、ミエラは息を呑んだ。ベイルガルド――ミエラの脳裏には、この大陸に着いた時の村の記録がよぎる。
「やはり神の肉……」
ミエラの声には驚きと戸惑いが混じっていた。
アーベンはミエラの問いを肯定も否定もせず、ただ穏やかな口調で続けた。
「まだ断定はできない。しかし、もしベイルガルドが関与しているのであれば、この村の異変やグールの出現も説明がつく。そして、それが事実ならば、ホイスタリンも安全ではいられないだろう。」
ミエラはアーベンの冷静な語り口の裏に潜む危機感を感じ取りながら、再び目の前の状況を思い返す。
「アーベン王子、それが真実だとしたら、この事態は私たちだけで対応できる範囲を超えているのでは……?」
アーベンはわずかに微笑みながら答えた。
「それでも、王家の人間として見過ごすわけにはいかない。弟レグラスの無事を確認することも含めて、この件を追うのが私の役目だ。」
その覚悟に満ちた声に、ミエラは再び息を整えた。
「私もできる限りお手伝いは致します……ですが、私の目的はあくまでレグラス王子……いえ、盗賊に囚われている友のためです。」
ミエラの言葉に、アーベンは小さく頷きながら答えた。
「勿論だとも。君の目的は分かっている。だからこそ、尚更急ぎ周辺を調べよう。そういう訳だ、私は国には戻らない。」
アーベンがそう返すと、騎士が一歩前に出て、力なく兜を取った。兜を外したその素顔は、20代後半ほどの若い青年だった。短く刈りそろえられた茶色の髪に、整った顔立ち。真剣な表情を浮かべたその目には、忠誠と覚悟が宿っていた。
青年騎士は深く一礼し、力強い声で言った。
「心得ました。このターガス・ローマン、アーベン王子の護衛としてお供致します。」
アーベンはその言葉に静かに頷き、彼の忠誠心に感謝を示すように軽く微笑む。
「良い覚悟だ、ターガス。頼もしい。」
そして、再びミエラに向き直ると、柔らかな口調で促した。
「急ぐとしよう。時間が惜しい。」
ミエラは一瞬アーベンとターガスの姿を見比べると、深く息を吐いて自分の中で覚悟を固めた。
ミエラは村の中を必死に探しても、レグラスの痕跡が見当たらないことに焦りを感じ始めていた。どこかですぐに見つかるだろうという安易な気持ちでこの村に足を踏み入れた自分を後悔し、胸が締め付けられる。
(このままじゃ……)
盗賊たちは「レグラスを連れてきたら殺す」と言っていた。その言葉が頭を離れない。もしレグラスが既に死んでいたら――考えれば考えるほど胸が締め付けられ、不安が増していく。
そんな思考の中で、ミエラの視線は家々の中へと向けられていた。しかし、そこに広がっているのは惨劇の跡ばかり。荒らされた部屋の中は物が散乱し、壁や床には血痕がこびりついている。家の住人だったと思われる人々の遺体――いや、遺体と呼ぶにはあまりにもひどく損壊し、形を失った亡骸――それらが無造作に転がっていた。
手がかりどころか、目にする光景は絶望的なものばかりだった。ミエラは何度もそうした光景に直面し、その度に気が滅入っていく。心の中では「早く見つけなければ」と焦る気持ちが燃え上がる一方で、現実の過酷さに押しつぶされそうになる。
思わず立ち止まり、壁にもたれかかりながら、ミエラは拳を握りしめた。
(ここで諦めるわけにはいかない……。まだ、レグラス王子が無事だという可能性はある。絶対に……。)
そう自分に言い聞かせながらも、次に進む足取りは重かった。
家を出たミエラは、どこかで焦燥感に押しつぶされそうな自分を鼓舞しながら、周囲を見渡していた。そのとき、ターガスの呼び声が響いた。
「アーベン王子! ミエラ殿!」
その声には焦りと何かを見つけた喜びが入り交じっていた。ミエラはすぐに振り向き、呼ばれた方向へと足を速めた。ターガスの言葉が耳に飛び込んでくる。
「生存者です!」
その報告に、ミエラの胸に希望が灯った。ターガスの元へ急ぎながら、同じく、少し安堵したように微笑むアーベンも後に続き、ターガスが指し示す場所へ向かう。
たどり着いたのは、一軒の教会だった。周囲とは異なり、比較的荒らされていない建物に、ミエラは思わず目を見張った。教会の外壁には、緻密に彫られた模様が刻まれており、陽光の下でその輪郭が浮かび上がっている。
ミエラは模様に目を向け、すぐにそれが何を象徴しているのかを理解した。一見して分かる、オルフィーナの象徴――花々や鳥が精緻に描かれている。それはこの村で信仰されていた女神オルフィーナの聖域であることを示していた。
「これは……オルフィーナの教会ですね。」
ミエラが呟くように言うと、アーベンがその彫刻を見上げながら軽く頷く。
「そうだね。オルフィーナは秩序より生まれ慈愛を司る神……この場所に生存者がいるのは偶然ではないかもしれない。」
ミエラはその言葉に同意しながらも、目の前に広がる教会の扉に視線を向ける。そこにはまだ希望があるのだと信じ、彼女は決意を新たにした。
「急ぎましょう。もし本当に生存者がいるのなら、一刻も早く保護しなければ。」
ターガスが頷き、先導する形で教会の扉を押し開けた。




