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魔法使いと皇の剣  作者: 123
1章 出会い
26/179

船と結界

 ジンは傷だらけの身体を引きずりながら、連日続く宴に無理やり参加させられていた。


 甲板には、食べ散らかされた食料と酒瓶が山のように積み上げられ、あちこちで酔っ払った海賊たちが大声で笑い合っていた。もはや誰も食料や酒の量など気にしておらず、ただひたすら騒ぎ立て、飲み食いを続けている。


 ジンもその騒ぎに巻き込まれ、何度も同じ話を聞かされたり、答えさせられたりしていた。セスナとの決闘の詳細を話すように言われたり、大陸について質問されたりするたびに、ジンは疲れた笑みを浮かべるしかなかった。


 (これで何度目だ……?)


 大陸についての質問は、どれもジンにとって答えようがないものばかりだった。島育ちで大陸のことを何も知らない者もいれば、大陸から脱出して二度と戻れなかった者もいる。


 彼らの視線は、まるでジンがアルベストの出身であるかのように錯覚しているかのようだった。


 その時、隣に座った酔っ払いの一人が、またもやお決まりの質問を投げかけてきた。


 「なぁ!やっぱり、女を抱ける店には特別な試練とかあるのか?」


 ジンは呆れつつも、苦笑いを浮かべながら答えた。


 「いや……アルベストのことは分からないよ。俺の生まれた大陸じゃないからね。ただ、俺が生まれた大陸にはもちろん、そういう店はあったよ。」


 ジンは言葉を続けながら、自然と昔の記憶を思い出していた。


 「そういえば、バショウっていう仲の良かった友達に連れられて、一度そういう店に行ったことがあったな……。」


 ジンの言葉に、周囲の海賊たちは興味津々に耳を傾ける。


 「それでどうだったんだよ?」


 「まぁ……向こうじゃ、俺結構嫌われてたからな。店の女主人に利用を断られて、追い出されたよ。『お前は駄目だ』とか言われてさ……あれはショックだったな。」


 ジンは苦笑いしながら、当時の出来事を思い出していた。


 ――あの時、バショウは心の底から笑い転げていたっけ。

 

 かつて、皇の剣として任務に従事していた頃。仲間たち全員で城下町へ繰り出した夜のことを、ジンはふと懐かしく思い出していた。


 その日は、任務の重圧を忘れるため、身分を隠し、町人の服装に着替えてスイレンの城下町を楽しむという特別な夜だった。誰もが気づかれないように注意しながらも、皆で市場を見て回り、酒場で笑い合い、夜の城下町を堪能した。


 夜も更けた頃、バショウが思いがけない提案をしてきた。


 「どうせなら、色町の店に行こうぜ!」


 その一言で、全員の間に微妙な空気が流れた。


 ランは冷たい視線をジンたちに向けると、「では私は邪魔でしょうから帰ります」とだけ言い残し、颯爽と去っていった。キョウは弱々しい声で、「……俺は妻に⋯怒られる」と申し訳なさそうに頭を下げ、その場を後にした。



 結局、残されたのはジンとバショウだけだった。


 「……俺、本当は行きたくないけど。バショウが変なことしないように、仕方ないから面倒を見るために付き合うよ。」


 ジンがそう言うと、バショウは呆れたような顔をしながらも、「お前⋯人のせいにするなよ」と笑って肩を叩いた。


 そして二人は意気揚々と色町の店に向かった――が、結果は散々なものだった。


 バショウはすんなりと入れたのに対し、ジンは店の入口で「お前はダメだ」と断られ、入ることすら許されなかったのだ。


 (ソルメーラの力を受けているバショウはともかく、俺が入れなかった理由はいまだに謎のままだ……。)


 ジンは昔のことを思い出しながら、ふっと仲間たちの顔を思い浮かべた。


 別れの挨拶もせず、任務のために突然旅立ったこと。そして、仲間たちが自分のことをどう思っているのか――それを考えると、胸がチクッと痛んだ。


 (あいつらはきっと、俺が逆賊だって教えられるんだろう……。それどころか、一人で逃げた卑怯者だと思われてるかもしれない……。)


 その思いが、ジンの胸を締めつけた。


 宴の騒ぎの輪から離れ、ジンは甲板の端で夜の海を眺めた。船が進む先には見えない不安が広がり、背後では宴の喧騒が遠ざかっていく。


 故郷の大陸を出てから、まだそれほど時間は経っていなかった。最初は未知の旅への期待に胸を膨らませていたが、アルベストに近づくにつれて、不安と罪悪感が徐々に重くのしかかってきていた。


 (レイコンの話を信じるなら、俺一人なら結界を越えられるだろう。でも、この船の人間たちは……。)


 ジンはふと、海賊たちの顔を思い浮かべた。彼らは、まるでジンが結界を切り開く英雄であるかのように振る舞い、期待を寄せている。


 だが、ジン自身にはそんな自信はなかった。結界をどう超えるのか、その方法すら分からないまま、ただ足を進めているだけだった。


 (俺にはこの船が必要だった。それだけだ。……最初はそう思ってたんだ。)


 海賊たちを利用してでも大陸に渡る。それがジンの計画だった。だが、船での日々が続くにつれ、その気持ちは揺らいでいた。


 彼らの中には単なる略奪者ではない者たちもいた。仲間の夢を支えるために働く者や、幼い頃から大陸に戻ることを夢見ている者たち――その純粋な姿に触れるたび、ジンの心は乱された。


 (セスナの話だと……今日が最後の夜になるだろうな。明日にはアルベストの結界付近に着く……。)


 ジンは夜の海を見つめながら、胸の中で思考を巡らせていた。


 (仮に俺だけが結界を越えられるとしても……この船の人間たちがどうなるかなんて分からない。もし全員が結界で死んだら……結局、死体の山を背負った船旅になるのか……。)


 不安と葛藤が渦巻く中で、ジンは夜風を浴びながら静かに息を吐いた。その時、背後から人の気配を感じた。


 (……この気配、見知っている。だが、珍しいな。)


 ジンは振り返らず、静かに声をかけた。


 「ドルガンか?」


 その声に、気配の主――ドルガンは少し驚いたようだったが、すぐに平静を取り戻し、ジンに近づいてきた。いつもガンザと一緒にいる彼が、一人でいるのは珍しい光景だった。


 「いや、悪ぃな。黄昏てたんだろ?」


 ドルガンは少し気まずそうな笑みを浮かべながら、ジンの横に立った。そして、言葉を続けた。


 「なんつーかよ……きちんと話せてなかったからな。最初、お前の話をちゃんと聞かずにさ……なんだか捨てようとして悪かったよ。」


 その謝罪に、ジンは思わず目を見張った。人に謝ることができる人間だったことに少し驚きつつ、彼が周囲から親しまれている理由の一端を垣間見た気がした。


 「それにな……お頭のことだ。殺さねぇでいてくれたのは感謝してる。お頭が負けるなんて今でも信じられねぇけどさ、俺もこの目で見てたからな……お前、強ぇな。」

 

 

 ドルガンはそう言って、いたずらっぽく笑った。その表情はどこか無邪気さすら感じさせる。


 (ああ、この口の悪さと素直さが、周りの海賊たちに慕われている理由なんだろうな……。)


 ジンはそんなことを思いながら、黙って話を聞いていた。


 「まぁ、それだけだ。あんま話す機会がなかったしよ。それに、明日には結界だ。命預ける相手に、言えねぇままってのも気まずぃしな。」


 そう言いながら、ドルガンは立ち去ろうとした。だが、ジンはその背中に向けて問いを投げた。


 「……一つ聞きたいことがある。なんで、俺みたいな会って間もない人間を信じられるんだ? しかも、俺は目的のためとはいえ、お前たち海賊や船長に剣を向けたのに。」

 


 ジンは、船の人間たちが自分を疑わない姿勢に違和感を覚えていた。その疑問をぶつけると、ドルガンは少し黙り、空を仰ぐような仕草をした。


 「……分かんねぇよ。けどな、俺はお頭を信じてる。だからだろうし、他の奴らも同じだと思うぜ。」


 ドルガンはそう言いながら、少し照れくさそうに頭を掻いた。そして、続ける。


 「それにな……海から拾ったってのもデカいかもな。海から流れてきた者は神様の贈り物だって考えがあるんだ。だからお前を拾ったし、これまでにも拾われた連中がいる。」


 ドルガンは少し間を空け、最後に軽く笑って付け加えた。


 「とりあえず……俺はお頭を信じてる。それだけだ。細けぇこと、気にすんな!」

 

 言葉を残して、今度こそドルガンは去っていった。その背中を見送るジンの胸には、妙な感情が渦巻いていた。


 「……結局、神様か……。」


 そう呟くジンの声はどこか乾いていた。


 ジンは再び夜の海に視線を戻した。だが、先程まで感じていた迷いとは違うものが心を支配していた。


 (結局、俺が何を選んでも――この船の人間たちは『神』とやらを信じてついてくるんだろうな。)


 そう思った瞬間、ジンの中で船の人間たちへの興味が薄れていくのを感じた。


 (それなら、俺は俺の目的だけに集中すればいい。)


 夜風が頬を撫でる中、ジンは再び前方の闇に目を凝らし、自分の選ぶべき道を考え続けていた。



 ジンは、セスナとの死闘を繰り広げた後でも、船での地位や業務が変わることはなかった。


 特別に用意された部屋などあるはずもなく、船員たちと同じ場所で夜を過ごし、朝になると自然と同じように働き始めていた。自分だけが怠けているわけにもいかず、ジンはこの日もいつも通りの仕事に勤しんでいた。


 (……アルベストの結界に着くのが今日だって話だけど……俺は今、何をしてるんだろうな。)


 海賊たちも、最初はジンにどう接するべきか迷っている様子だったが、彼が自主的に働き続けているのを見て、次第に何も言わなくなった。むしろ、人手が増える分には助かるらしく、ジンの存在を自然と受け入れていた。


 朝の仕事を終え、甲板に戻ったジンは、ボルボに声をかけられた。


 

「ジン、お頭がお呼びだ。」


 ボルボとは、あの闘い以来まともに話す機会はなかった。だが、すれ違う時も特段敵意を感じることはなく、むしろ淡々とした態度で接してくる。護衛だったもう一人の男も同様で、ジンは二人ともセスナへの忠義が厚いのだろうと思っていた。


 「分かった。」


 短く返事をして船長室へと向かう。扉を開けると、セスナが椅子に座り、ジンを待っていた。


 ジンは特に指示されるでもなく、自然とセスナの対面に座った。その場に漂う緊張感に気づきながら、彼女の言葉を待った。


 「今日、アルベストの結界に着く。」


 セスナは微笑みながら静かに切り出した。



「朝から仕事を手伝ってたみたいだが、準備は万端か?」


 「……もちろんです。準備ってほどのものでもありませんが……。」


 ジンが苦笑いを浮かべて答えると、セスナも軽く笑みを浮かべた。その笑顔は、どこか穏やかで余裕すら感じさせるものだった。


 だが、次の瞬間、その笑顔がふっと消え、セスナはポツリと話し始めた。


 「私はな……海賊島の生まれじゃない。」


 いきなり語り出したセスナに、ジンは少し困惑した。だが、話を遮る空気でもないと判断し、軽く相槌を打ちながら耳を傾けることにした。


 「小さい頃、大陸を出ようとした船に乗ったんだ。だけど……その船が海賊に襲われてな。」



 セスナの視線が一瞬、どこか遠くを見つめるように揺れた。


 「連れ去られて、そこからは奴隷生活だったよ。」


 その言葉に、ジンは眉をひそめた。


 「色んな船を転々として、最終的にこの船に辿り着いた。当時の船長は、私が世話をしていた男だった。」


 セスナは淡々と話しているようだったが、その声の奥には微かな感情が揺れているのをジンは感じ取った。


 「いつか状況を打破しようと思ってな……隠れて剣技を磨いていた。その機会は案外早く訪れたよ。」


 セスナの言葉が徐々に具体性を帯び、ジンも話に引き込まれていった。



 「海賊同士の争いなんて、珍しい話じゃない。目的が違えばぶつかることもある。」


 セスナはそこで一息つき、ゆっくりとジンを見つめた。


 「その時襲ったのが、ボルボが船長をしていた船だった。あいつらは、大陸に戻る方法を探してたんだ。」


 ジンはその言葉に驚きつつ、ボルボが自分に敵意を向けなかった理由が少し分かった気がした。


 「闘いの中で……私は多くを打ち倒した。才能だったのかもしれない。だが、それは……自分の船の仲間も含んでいた。」



 その言葉にジンはハッとした。そして、セスナの船が持つ独特の雰囲気――ただの略奪ではない何か――の理由を悟りかけた。


 (この船は奪うことが目的じゃない……。でも、前の船の奴らは……どうなったんだ?)


 想像が膨らむ中、セスナは突然話を切り上げた。


 「それで……色々あって今に至るってわけだ。」


 ジンは思わず唖然とした。そして、焦りを隠せない声で叫ぶ。


 「ちょっと待ってください!話を終わらせないでください!」


 セスナはその反応が面白かったのか、いたずらっぽく微笑みながら顔をジンに近づけた。


 「続きを聞きたいか?」

 

 セスナの顔が近づき、ジンは少したじろいだ。そのままセスナは彼の耳元まで顔を寄せ、囁いた。


 「生きて結界を越えられたら……好きなだけ話してやる。」


 その瞬間、ジンが返答しようと口を開いたところで、外から船員の声が響いた。


 「お頭!結界が見えてきました! ⋯っと船もだ!」


 セスナはスッと顔を離し、立ち上がった。


 「……行くぞ、ジン。結界が待ってる。」


 ジンは彼女の背中を見つめながら、胸の中に新たな重みがのしかかるのを感じた。

 


 ジンたちの視線の先には、一隻の船が見えていた。その船は、どこか異様な空間を目指して真っ直ぐ進んでいるようだった。


 その空間は、明らかに普通ではなかった。周囲の明るい海とは対照的に、そこだけが暗く、まるで何かが蠢いているかのような不気味さを漂わせていた。


 「……結界を目指しているのか?だが、わざわざあんな空間を通らなくても、他に方法があるだろうに。」


 セスナが疑問を口にすると、ジンも同じ気持ちを抱いていた。


 (確かに……あそこに向かうのは明らかに異常だ。それに、こちらの船を見て、あちらは避けるように動いているようにも見える。)



 船が明らかに進路を変え、ジンたちの船から距離を取ろうとしているのがわかる。それは、自分たちの船が「海賊船」であるための当然の反応かもしれなかった。しかし、それが原因で、あの異常な空間に追い詰められているのだとしたら――ジンの中に、申し訳ない気持ちが湧き上がった。


 「とりあえず……あの空間はどう見ても異常です。別の場所から結界を目指しませんか?」


 ジンが提案すると、セスナは一瞬考え込むような表情を見せたが、すぐに冷静な声で答えた。


 「あの船は、あの空間を目指しているように見える。もしかすると、結界を破る何かを知っているのかもしれん。」


 セスナはそう言いながら、眉間に軽くしわを寄せた。



「わざわざ危険な場所を目指すつもりはないが、近くまでは行く。何より、もし私達からあの船が逃げているのなら――それは後味が悪い。」


 セスナは毅然とした表情でそう告げると、周囲の海賊たちに指示を出した。


 「進路はそのまま、あの船に近づけ!ただし、結界の範囲には十分注意しろ!」


 その声に、海賊たちは緊張した表情で動き出した。周囲の雰囲気は一気に引き締まり、甲板の上に緊迫した空気が漂い始める。


 セスナは再びジンの方に視線を向けると、低い声で問うた。


 「……お前の準備はできたか?」



 その言葉に、ジンは一瞬だけ自分の胸の内を確認するように息をついた。そして、力強く答える。


 「ええ、私は大丈夫です。」


 ジンのその声には、迷いのない覚悟が込められていた。


 (結界の先で何が待っているのか……。あの異常な空間が何を意味しているのかもわからない。それでも、この道を進むしかない。)


 ジンはセスナの問いかけに応えながら、自分自身にも言い聞かせるように、心の中で呟いた。


 セスナはジンの表情を見つめながら、微かに満足そうな笑みを浮かべると、再び視線を前方に戻した。


 船は静かに、しかし確実に、異常な空間とその先に待つ結界に向かって進み続けていた。

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