第56話『自惚れ上等、勘違い万歳』
花の騎士団からの事情聴取や、今回のような事件を防止するための対策会議の日程決めを終えると、会場には私とオスカーさん、フェリックさん、フィニキスとベルナザールの5人が残っていた。
暇潰しの展示品鑑賞にも飽きて、一刻も早く風の国に発とうとするフィニキスを、他の2人になだめてもらいつつ、私はとうとう、今回の立役者の片割れであるフェリックさんのもとを訪れる。
「フェリックさん。今、大丈夫ですか?」
「……ん? あぁ、ちょっと待っててね」
絵画を観ていたフェリックさんは、一瞥もくれずにそう言った。15分くらい微動だにしないから、そろそろいいかと思ったんだけど、彼の鑑賞意欲を侮っていたようだ。私はつられて、彼の目線の先を見た。
とても大きな絵画だった。縦は私2人分、横は3人分くらいある。会場の最奥にあるのも相まって、今回の個展の目玉だったのだ、とすぐにうかがえた。題名に目を見張る。
「『初代プリマステラの任命式』……?」
その絵の舞台は、お城の謁見の間のような、広くて豪華な場所だった。向かい合う王様と1人の少女を、貴族や聖職者らしき人たちが、大勢で囲んで見守るという構図をしている。
初代プリマステラは確か、1000年以上前の人らしいけど――当時のものとは思えない、精巧な筆使いと美しい状態の絵だった。感心して見入っていると、フェリックさんがぽつぽつと呟いた。
「数少ない当時の記録をもとに、今から約500年前の画家が描いたものみたい。だからこの絵には、画家の想像による補完が多く含まれているそうだよ」
「あ……そうなんですね。一部は合ってるってことですか?」
「うん。当時の権力者から、プリマステラを任命される儀式があったことと、初代の女の子がひどく小柄で、痩せていたことは事実みたい」
フェリックさんは、絵画の少女を指さした。こちらに背を向けていて、少女の顔立ちはうかがえない。背格好だけなら12歳くらいに見えるけど、若さではなく小柄さが強調されている辺り、本当は16歳くらいなのかもしれない。
それにしても、当時と今でかなり形式が違うんだなぁ。私のときは謁見の間じゃなく、森のボロボロの遺跡だったし、見守ってくれる観客もいなかった。更には魔獣に襲われる始末だ。
まぁ、大勢に一挙手一投足を見られるプレッシャーはなかったから、一概にどちらがいいとは言えないんだけど……。
「あ、でも……」
私は、少女の持つ酒入りの杯に気がついた。儀式でお酒を飲まされたのは一緒なんだな。当時は魔法でアルコールを抜くなんてしなかったんだろうけど。周りに眷属らしき美しい青年や、少年の姿も見当たらないし……。
「――あ」
そうだ、当然だ。私は何十代めかのプリマステラだから、先代からの眷属たちが5人付いててくれたけど、絵画の少女は初代だから、1から眷属を集めなきゃいけなかったんだ。任命式に、眷属がいるはずないんだ。
最初はすべて、1人でやってきたんだ。そう思うと、なんだか急に悲しくなって、心の指で少女に触れた。小さな頭を撫で続ける。すると、フェリックさんがこちらを向いた。
「……よし、満足した。ごめんね、待たせちゃって。僕になんの用かな?」
「あっ、いえ。今日のお礼を言いたかったんです。フェリックさんに、たくさん助けてもらったので」
「あぁ、そんなこと。いいよお礼なんて。むしろ僕のほうこそ、君たちにお礼と謝罪をするべきだ。元はと言えば、僕がオリヴィエに惚れなかったから、彼女は復讐する力を蓄えようと、ここを狩場にしたわけだし……」
「そ……それは、フェリックさんが悪いってわけじゃないでしょう」
「そうかなぁ? 反論したいところだけど、このままじゃ埒が明かなそうだね。じゃあお互いに『ごめんね、ありがとう』でお別れにしようか」
「はい……うん?」
言い回しに引っかかって、私は首をかしげた。お別れ? じきに私たちが、花の国を離れるからそう言ったんだろうか。確かに、しばらく会えないかもしれないけれど……。
そう思っていると、フェリックさんはふっと眼差しを和らげて頬を緩めた。ひさしぶりって訳でもないのに、どこか懐かしい気のする甘やかな笑みに、不覚にも胸を高鳴らせる。
そうだ、そうだった。この人、こういう笑い方をするんだった。気を引き締めてないと、この人が私を工房に連れこんで、『星の杖』を砕いたり磨いたりしようとしたこと、忘れてしまいそうだ。
身構える私に、彼は言った。
「ねえ。突然だけど、ステラちゃんはさ――僕とリッカくんだったら、どっちを眷属に誘いたい?」
「え?」
思わぬ質問に呆気にとられる。どっちを眷属に誘いたいか。ヴァンデロさんに次ぐ新しい眷属については、私も薄々考えていたけれど……まさか、候補の1人から直々に聞かれるとは思っていなかった。
「そうですね……」
フェリックさんは、魔法が強くて性格も穏やかだ。見た目以上に長生きみたいだし、その経験や機転は仲間にいたら心強いだろう。
一方、リッカは全てがその真逆だ。魔法は得意じゃないし、メンタルも不安定だし、眷属に迎え入れるには心もとない。普通に考えれば、フェリックさんを入れるべきなんだろうけど……。
「……リッカさん、でしょうか」
「へぇ……どうして?」
「言ってたじゃないですか。『いい年こいた魔法使い連中は、恋をさせないと世界を守れないんだよ』って。で、恋をさせるのは私の役目でしょう? 私が落とすとしたら、まだリッカさんのほうが望みがあるかなって……」
語尾に向かうにつれ声量を下げると、フェリックさんは目を丸くして小さく噴き出した。
「ふっ……あははは! そっか。それ、覚えててくれたんだね。でも、アプローチ次第では案外、僕のほうがコロッと落ちるかもしれないよ?」
「それはどうでしょう……数百年、誰かを魅了することに心血を注いできたオリヴィエさんが、唯一落とせなかった人なんでしょう? フェリックさんって。それに、さっきだって私そっちのけで、宝石に釘付けだったじゃないですか」
私は絵画の中の広間の、高潔さただよう真っ青な絨毯を指さした。ささやかな煌めきを跳ね返すマリンブルーは、絵画の隣の解説によると、原材料をラピスラズリとする、特別な塗料によるものらしかった。
「夢中でこの絵を見てたのは、絨毯のキラキラが気になってたからなんじゃないんですか?」
「……はは。よく見てるんだね、君は。うん、バレちゃったなら仕方がない……正解だよ。僕は多分、プリマステラの眷属には向いてない。僕も、誘うならリッカくんを誘うべきだと思うよ」
「……でも、私……本当にリッカさんを誘っていいのか、わからないんです」
私はうつむいた。脳裏に浮かぶのは、私と喧嘩別れをしたときと、死の魔法使いを斬り捨てたときの、ニナの姿と言葉だ。
「ニナを怒らせてしまってから、自分でも答えがはっきりしなくて。プリマステラの眷属って、何を基準に選ぶべきなんでしょう? たとえば、魔獣と戦える力を重視して、人間性は二の次にするべきなのか……それともその逆なのか……」
「うーん、そうだねぇ……ちなみに、ヴァンデロくんのときはどうしたの?」
「く、くん……えっと、ヴァンデロさんのときは、ほぼ……直感で選んだんです」
途端に歯切れが悪くなる。微々たるものなら、『そこそこ喋って共闘して、頼りになると思ったから』って理由もあるんだけど……死の魔法使い復活直後で焦ってたし、魔法使いなんてそう会えないと思ってたから、大した理由もなく即決しちゃったんだよな。
一方でニナのことは、理由1つで拒んでいるんだから、不評を買うのは当然だと思う。だから、そろそろ自分の中で、眷属に勧誘する明確な基準を作りたいんだけど……。
「じゃあ、他の子も直感でいいんじゃない?」
「……え?」
「だって、実力や人間性は後からどうにでも出来るでしょ? 君がさせる『恋』ってものには、凄まじい力があるんだからさ。ほら、ここにある展示品全てがその証人さ」
フェリックさんは、個展会場を見回した。絵画に彫刻、衣装・剥製・人形……オリヴィエさんに魅了された誰かが、彼女に捧げた大切な作品や収集品。誰かが、自身の魂すら歪める恋をした証が、そこには並んでいる。
「リッカ君もニナ君も、君が虜にすればいい。そうしたら、彼らはアイデンティティを捨てて、君の求める姿になるはずだから。勧誘する基準なんていらない……強いて言うなら、落とせるか、落としたいかで決めればいいんじゃないかな」
「――っ」
フェリックさんから、さらりと告げられた提案に、私は言葉を失った。
確かに、好意的に思う人を引き入れて、後から短所を矯正するというのは、考えることが少なくてわかりやすい。
けど、それって正しいんだろうか。その手法を採用するなら、眷属に引き入れた時点で、相手が弱かろうと悪かろうと、その在り方を私は少なからず好んでいるはずだ。
好んでいるから引き入れたのに、それを世界のためにこの手で歪めてしまうなんて、理に適った行動と言えるんだろうか。
……言えるんだろうな。
私は、先刻のルカの発言を思い出した。彼は、惚れる覚悟は出来ている、と言っていた。
彼らにとって、プリマステラに惚れることは、覚悟を決めるようなことだったんだ。ずっと前から。私だけが、それを真に理解していなくて……なるべく平和な関係ばかり望んでいたんだ。
「自分が、誰かを変えてしまうかもしれないことが怖いかい?」
「それも、怖いですが……今は、眷属のみんなが、私をどんな気持ちで見てたのかが気になって……それが1番怖いです。私は、仲間だと思ってもらえてるんでしょうか」
もちろん、必ずしも誰かを歪めるとは限らない。オスカーさんなんか、自己をしっかり持ってて他人に影響されなさそうだし、眷属としても既に理想的な人だと思うから。たとえ惚れさせたって、彼は変わらないだろう。
でも、本人に変わらない自負があることと、私を心から受け入れることは、イコールではないだろう。彼らにとって私は常に、いつか人の魂を歪めかねない、油断ならない存在なのかもしれない。
そう思うと、今までされてきた親切や、分けてもらった思い出が、途端に疑わしく思えてきて……私の心は、とてつもない孤独感に苛まれた。
ところが、そんな私の寂寞などどこ吹く風。フェリックさんは口ずさむみたいに、気楽な口調で紡いだ。
「それは、考えても仕方ないよ。相手の心なんて、永遠にわからない。だったら疑るだけ無駄さ。君の好きなように考えなよ。少なくとも、君の中では君の解釈が正解なんだからさ」
「え? でも、それが勘違いだったら、判明したときに凄く悲しく……」
「いいじゃないか。自惚れ上等、勘違い万歳。本当に悲しいのは、心が輝く時間に1度も恵まれないことだよ。ほら、鬱々とするのはここらでおしまい。君を輝かせたい……ってね」
かつて、意味を教えてくれた呪文を唱えながら、フェリックさんは片目を閉じた。直後、血や煤にまみれ、一部が破けたり擦れたりしていた黒のドレスが、みるみるうちに綺麗になっていく。更には漆黒の生地に、以前はなかったラメみたいな光の粒が織り交ざった。
「……!」
私は、その煌めきに心を奪われながら、ぽつりとこぼした。
「……ありがとう、ございます。なんか、フェリックさんが女の人の家を転々と出来た理由が、わかったような気がします」
「えぇ? なに?」
「なんとなくですけど……フェリックさんって、遠慮のなさと温かさが丁度いいから。助けを求めるのが苦手だけど、困ってるって人に好かれるんだろうなって、そんな気がしました」
「ふぅん……? まぁ、褒め言葉として受け取っておこうかな? あぁ、それとドレスは君にあげるよ」
「え? いいんですか?」
「うん。この先プリマステラとして、社交界に呼ばれる機会も増えるだろうしね。ドレスの1着や2着は持っておくといいよ。それにこれは、僕からの餞別の意味も込めてるんだ」
「餞別って、そんな……おやすみが取れたらまたすぐに来ますよ! フェリックさんと歩いた花の国、すごく楽しかったですし……今度こそ、ゆっくり宝石の話がしたいですから」
「……ステラちゃん」
「でも、ありがとうございます。このドレスのデザイン、すごく好きなので嬉しいです。大切にしますね」
私がはにかむと、フェリックさんは困ったように笑った。
「そっか。そう言ってもらえて、僕も嬉しいよ。……ねえ、ステラちゃん。明日のお昼、少し時間をもらってもいいかな?」
「え? はい。眷属のみんなに許可をもらえたら、全然構いませんけど……」
「それじゃあ許可をもらえたら、明日の昼頃、君が心を預けられる魔法使いと、僕の工房に遊びにおいでよ」
フェリックさんは、どこか寂しげに言った。
「僕はきっと、そこにいるから」
そのときの、薄暗いアイオライトの瞳が、私の目に強く焼き付いている。




