第3話『救済の乙女のその末路』
その後、私とシエルシータとサイカの3人は町役場を訪れて、町長だというおじさんに竜を追い払ったことを伝えた。
討伐ではなく追い払った、と聞いて困ったような顔をしたおじさんだったけど、私が『プリマステラ』であることを伝えると、途端に顔を明るくした。
「なら、しばらくは安泰ですね!」
そんな言葉を私の心に引っ掛けて、おじさんは軽い足取りで放送室に入った。どうやら街から竜が居なくなったことを伝える町内放送をしたみたいだ。
出されたお茶を飲みきって役場から出ると、すっかり夜になった煉瓦の街は先程までの光景が嘘みたいに沢山の人でごった返していた。
「《スオーブセヴァス・ロージョットセレイセル》」
竜を倒そうとした時とは違って、優しい声音で呟いたシエルシータの呪文を聞くと、次の瞬間、私達3人はお屋敷の前に居た。白塗りの綺麗なお屋敷だった。
「ここが宿舎! ボク達の住んでる場所だよ」
シエルシータはそう言って、私ならノックすることを20分はためらうような、威圧と重厚感のある正面の扉をガバッ! と開いた。
彼に続いて恐る恐る中を覗くと、そこにあったのはただっ広いロビーだった。つやつやに研磨された石の床には赤い絨毯が敷かれ、天井からはシャンデリアが吊り下げられている。貴族のお屋敷みたいな光景に、私は恐々とした。
が、よく見ると、あまり手入れがされていないことに気がつく。シャンデリアには蜘蛛の巣が張られているし、階段の手すりは埃っぽい。額縁に入った絵画なんて床に落ちていた。ここの住人は清潔感に頓着しないのだろうか。それとも――。
考えていると、後からやってきたサイカが大きな手で私の腕を掴み、『遠慮しなくていーぜ!』と無理やり私を引き入れた。
「わっ」
「ごめんねー汚い場所で。ボク達もここに来たばかりだから掃除が済んでなくて。じきに綺麗になると思うから、ちょっとの間我慢してね。あ、ドーナツは好き?」
「えっ、ドーナツ? た、多分……?」
ドーナツと聞いて反射的に美味しそうだと思ったけど、ドーナツを食べた記憶がないもので、私は曖昧な返事をしながらサイカに導かれるまま食堂? に入る。
食堂? も、貴族のお屋敷の面影があったけれど、食器棚がほぼ空だったり食卓の椅子にヒビが入っていたりして、あまり生活感のない内装だった。
でも、奇妙なことに揚げたてのドーナツの匂いが充満していた。
あっお腹鳴る。
予感した私は腹に力を込めた。鳴った。しかも結構大きかった。先頭を行くシエルシータが、くすくすと笑うのが聞こえた。恥ずかしい。
私が真っ赤になっていると、キッチンに入ったシエルシータが、ドーナツを盛った大皿を手にこちらを振り向いた。
「ほら見て、プリマステラ! これぜーんぶボク達が食べていいんだよ。このままプレーンに食べるのも、食べないのも、チョコレートをディップするのも、お供のコーヒーを入れるのも、ボク達の自由だ! 冷めないうちに早く――」
「――シエルシータ」
ふと、声がした。良い声だった。
シエルシータやサイカとは違い、落ち着いた大人の声だった。
そちらを振り向くと、そこに居たのは薄幸そうな瑠璃色の髪の青年。20代後半から30代前半くらいだろうか? 少し伸ばした髪を結い、肩に流していた。
ゆったりとした着物を着ているが、服の上からでもわかるほど病的に細い。肌なんか青く見えるほど白くて、凄く心配になった。
「おやつを食べるなら、手を洗ってからでないと。ドーナツと、ドーナツを作ったオスカーに失礼ですよ」
「はーい。あ、紹介するねプリマステラ。彼はアサジロー。文豪なんだよ」
「こら。私はそんな大層なものでは……ゴホッ、ゴホ、ゴホッゴホッ」
「だ、大丈夫ですか……!?」
割と長めな彼の咳に、酸欠になるんじゃないかと焦った私が声をかけると、青年――アサジローさんは手の内を見せて、自分の無事を示す。
「……はぁ、はぁ……ンンッ。……持病なんです。幼い時からの。もう慣れていますから、心配には及びませんよ」
そう言って、アサジローさんは丸めていた背を戻す。胸に手を添えて、完全に呼吸が整うのを待つと、私の方に向き直った。
「置き忘れたペンを取りに来たつもりだったのですが……プリマステラがいらっしゃったのなら、腰を据えて話をしなければなりませんね」
「な……何を?」
「貴方がここに連れてこられた理由。気になっておられるでしょう?」
「あ……」
ドーナツに意識を取られて、完全に忘れてた。そんな顔を私がすると、アサジローさんはきょとんとした後、着物の袖で口元を隠しながらふふと微笑んだ。
*
全員が食卓につくと、アサジローさんは話し始めた。
「ようこそお越しくださいました、プリマステラ。私はアサジロー。物書きを生業にしています。朝の魔法使いで、そちらのシエルシータ、サイカと同じく『プリマステラの眷属』の1人です」
「ケンゾク」
突然わからない言葉を出されて戸惑う。眷属っていうのが部下とか、配下みたいな意味なのはなんとなくわかるんだけど、私の配下だと言われてもピンとこない。私ってお貴族様だったりしたんだろうか。
……っていうか、そうだ。アサジローさんにまだ話していないことがある。話の腰を折っちゃうけど、これを先に言っておかないと。
「あ、あの、すみません」
「はい」
「じ……実は私、ここ2時間より前の記憶がなくて……」
急にこんなことを言ったらきっと、彼を困らせてしまうだろう。そう思って恐る恐る言った私だったが、アサジローさんは『存じています』と頷いた。
「プリマステラは代々、そういう運命にありますからね」
「う、運命?」
「えぇ。皆、記憶喪失になるようなんです。記憶喪失の女性がプリマステラになってしまうのか、プリマステラが記憶喪失になってしまうのか、因果関係はわかりかねますが……我々には貴方をサポートする準備が出来ています。ご安心ください」
「あっ、ありがとうございます……?」
丁寧に答えてくれたのに、アサジローさんの言っていることがわからなくて、私はつい首を傾げてしまう。でも、どうやらこの感じだと『プリマステラ』は私の名前ではないみたいだ。代々選ばれるもの――役職か何かみたいだけど。
考察を始める手前、アサジローさんは私の考えを汲んだように言葉を続けた。
「すみません、よくわからない話をしてしまって。順番にご説明いたします。プリマステラはここにいらっしゃる前、フルぺの街で『竜』をご覧になったでしょう」
「は……はい」
あそこってフルぺの街って言うんだ。初めて知ったけど、きっと私達が頭に思い浮かべてるのは同じ街だろうから、頷いておく。
「実は、あれと同じような存在……『魔獣』がこの世界には蔓延っているんです。といってもあれは特別強い個体なので、全てがああというわけではありませんが。強い魔獣も弱い魔獣も、知能を駆使して人々の生活を脅かしています」
「……魔獣」
「えぇ。その性質は私達の理解を越えていて、魔獣と言いつつも昨今は『人』だったり『家屋』だったりすることもあります。が、一部の友好的な魔獣を除いて、そのほとんどが人々に牙を剥き、人々を餌にしようとしている」
振り子時計の針がコツ、コツ、と揺れる食卓で、アサジローさんの低くて落ち着いた声が心地よく空気を震わせる。
ふと、退屈に耐えかねたらしいシエルシータ達が、ドーナツの山に手を伸ばし、ドーナツをチョコレートにつけてモッモッと食べ始めた。
シエルシータの食べる速度は人並みだったけど、サイカの方は次々と口の中に放り込んでいて気が散る。3秒に1個は食べているんじゃないだろうか。そこそこ大きいサイズなのに、一体どういう口をしているんだろう。
どうしてもそちらに目がいくが、アサジローさんがコーヒーのカップをかたん、と皿に戻す音がして、私は視線をアサジローさんの方に戻した。
「――その魔獣に対抗できるのは我々『魔法使い』と呼ばれる者達のみでした。魔法使いは1万人に1人居るかどうか、と言われる少し稀有な存在です。ましてや戦いの素質があって、協力的な魔法使いなどほんの一握り」
「……」
それはそうだろう。あんな龍みたいな奴らと戦え、と言われて戦える人は希少なはずだ。あの時の私は、死ぬかどうかの瀬戸際に居たから戦ってしまったけど。
「そこで人々は『プリマステラ』を探したんです」
「おお」
急に知ってる名前が出てきて声を上げてしまった。恥ずかしい。ごまかすようにコーヒーをいただく。苦い。み……水が欲しいけど、お話が終わるまで我慢。
「魔獣と戦う素質のある魔法使い――通称『眷属』を見つけられる眼を持ち、かつ、意のままに指揮できるほど、彼らを魅了する外見や性格を持った救済の乙女。かつて古き書物が予言したその存在を、私達は『プリマステラ』と呼びます」
「……デェッ!?」
変な声出た。ちょっと待て。
「わ、私……救済の乙女ですか? 本当に、救済の?」
「「乙女」」
ドーナツ組の声が重なった。違う。掛け合いがしたかったわけじゃない。
「はい。歴代のプリマステラの間で受け継がれ、この世の何よりも彼女達の性格や信念を知っている『星の杖』が貴方を選んだのですから、今代のプリマステラは貴方で間違いありません。でしょう、シエルシータ」
「む? むん」
「杖……星の杖って、これですか……!?」
私はワンピースのポケットに突っ込んでいた、シエルシータからもらった杖を取り出す。改めて見てみても、綺麗なデザインをしている。じゃなくて、
「つまり、えっと……私が貴方達を魅了して、世界を救済するんですか?」
「基本的には魔法使いが戦いますから、そこまで気負う必要はありませんが……そういうことになります」
「ひぃーーーっ」
話のスケールが大きすぎて、また変な声が出てしまった。こんなの絶対救済の乙女が出す声じゃない。けど、きっと誰だってこうなる。ようやく自分が記憶喪失であることを受け入れ始めたのに、またまたカロリーの高い話で胸焼けしそう。
「ち、ちなみに、先代のプリマステラさん……っていうのは……? 今もご健在なんですか……?」
「さぁ」
「さぁ!?」
私が声をひっくり返すと、隣のサイカがドーナツを詰まらせた。びっくりさせてしまったみたいだ。むせながら胸をドンドンと叩いている。ごめんなさい。
「一応、半年前に亡くなられているようなのですが……それ以外、わからないんです。本当に亡くなったのかも」
「ど、どうして……?」
「これは私の推測ですが……星に記憶を消されています。プリマステラという存在の性質上、私達が先代のことを覚えていると都合が悪いのでしょう。プリマステラは魔法使い達を『この人の為なら命を懸けてもいい』と思わせる存在ですから」
「――あぁ」
星っていうのがよくわからないけど、それ以外は理解できた。プリマステラは、人の一生を狂わせる女性なんだ。そんな存在が複数人居たら、魅了される側の心は壊れてしまう。たとえ1人以外が故人であっても。
そう考えたら、原因はさておき先代の記憶がない方が過ごしやすいのはわかる。
でも、ちょっと悲しい話だ。共に死線を潜り抜けた仲間から忘れられるなんて。
私がじっと俯いていると、アサジローさんが申し訳なさそうに『怖い話をしてしまいすみません』と眉を下げた。
「ですが、悪いことだけではないのです。プリマステラ及びその眷属は、世界中のあらゆる場所で特別待遇を受けることが出来る。アイスの割引から、国王への謁見まで。貴方が望めば、国をあげて貴方のご家族を探すことも出来るでしょう」
「……!」
私は目を見開いた。
心が揺らぐ。いや、もちろんアイスじゃなくて、家族探しの方に。
プリマステラって、そんなに権力があるんだ。って思ったけど、魔獣と戦えるのは素質のある魔法使いだけで、その魔法使いを指揮できるのがプリマステラなら、当然かもしれない。実質、プリマステラに世界の命運がかかってるわけだし。
「うーーん……」
顎を摘んで、目を閉じて、悩む。
家族だけじゃなくて、記憶も取り戻したいし……盗まれたのかわからないけどお金ないし……戦うのも私じゃなくて魔法使いみたいだし――それに。
私はちらりとシエルシータを見た。彼は、ドーナツを咥えたまま首を傾げる。
「――わかりました。私、プリマステラになります」
大体20分後。悩みに悩んで決意した私がそう言うと、アサジローさんは安堵したように頬を緩めた。
「ありがとうございます。それでは……ゴホッ、契約をしに行きましょう」
「契約?」
「えぇ。ある廃墟に行って、そこで世界に貴方が次代のプリマステラであると認めてもらうんです。護衛にはシエルシータとサイカをつけましょう。早速で申し訳ありませんが、これからすぐに発ってください」
「は、はい。……ほんとに性急ですね?」
「ええ。何せ、本来プリマステラの眷属は10人いなければならないのに、5人殉職したまま半年が経過していますからね。シエルシータやサイカの負担を減らし、更に守備範囲を広げるためにも、眷属探しは急いで行いたいんです」
おおう。人数の決まりとかあるんだ。確かに、魔法使いとはいえ5人で世界を守るのは辛すぎる。10人でも辛そうだけど……。
「色々と押しつけてしまいすみません。どうかお力をお貸しください」
「わかりました。頑張ります」
本当に申し訳なさそうなアサジローさんを安心させるため、私はワンピースの袖をたくし上げて力瘤を作ってみせる。と、緊張で空腹を忘れていたお腹が鳴った。
くすくすと笑ったシエルシータが、ドーナツを1つ差し出してくれる。
……もう!