第2話『空はいつも君と共にある』
「――」
言われたことが理解できなくて、私は押し黙った。竜を倒そう。竜って遠くに見えるおっきいアレですよね。無理ですけど。あとプリマステラってなんですか。
私は思考を落ち着けるため、少年の観察に勤しんだ。
彼は、本当にこの世のものかと疑うほど綺麗だった。
雪のように汚れのない白髪ボブ。青空のように透き通った瞳。顎のラインから鼻筋まで全てがきゅっとしていて、肌は抜けるような白さがあって、お人形みたいなのに悪戯っ子みたいに笑うものだから、どうしたって惹かれてしまう。
服装はモノクロのボーダーシャツと黒のカーディガン、黒のハーフパンツと圧倒的なモノクロ具合で、あまり華美なものではなかったけれど、その飾らない服装こそが真に主人の持ち味を引き出しているのだろう、と思った。
一言に言えば、天使である。私がもし腕の良い宮廷画家だったのなら、きっと無我夢中で筆を走らせてこの美貌を後世に残そうとしただろう。
思わず見惚れてしまう私だったが、少年――シエルシータが『君にはあの竜が見えるかい?』と尋ねてきたことで意識が戻る。
「え? あっ、は、はい。えっと、あの……たす、助けてくれたんですか?」
「うん。君が合図して入ってきてくれたからね。っと、このままだとボクも空を飛びにくい。プリマステラ、ボクの後ろに乗って」
「プリ……うわっ!」
再び聞き覚えのない名前で呼ばれたことに困惑していると、突然私の身体が薄青色に淡く発光して、身体がふよふよと浮き上がる。その浮遊感に慌てていると、私の身体はシエルシータの跨る箒の後ろ側に運ばれた。
私が腰を落ち着けると、浮遊感は青い光と共に消えてしまう。
「えっ、なんですか今の……!」
「ボクの魔法だよー。物を浮かせる魔法の応用で、君を浮かせたんだ」
「魔法……!」
そう言われて、私は街を徘徊していた時に聞いた宣伝を思い出す。
あのぬいぐるみが言っていた『魔法使いさん』って言葉――私はてっきり何かの暗喩だと思っていたんだけれど。あれって暗喩じゃなくて、本当に『それ』のことを指していたんだ。この国には、魔法使いが存在するんだ。
魔法。その言葉を聞いて、胸がドキドキする。
記憶がないから定かじゃないけど、こんな気持ちを抱くってことは、記憶がなくなる前の私は魔法に縁がなかったんだろうか?
考え事をしていると、シエルシータがふとある一方を指差した。
「ところで見てあれ、ボクの仲間が戦ってるんだけどさ」
そう言って彼が示した場所には、先程から何度か目にしている銀色の竜と、竜と相対する1人の青年が居た。あまりにここから離れているので、青年の細かい容姿はわからなかったけど、褐色の肌と青緑色の髪を持っているように見えた。
青年は己の身1つで竜のもとに飛び込んでいくと、横腹にストレートパンチを繰り出す。直後、竜の身体が『く』の字にしなって吹っ飛んでいった。え?
「え?」
え?
驚き過ぎて3回も驚いてしまった。何あれ。人が竜をぶっ飛ばしたんですけど。竜が猛スピードで雲を押しのけて、遥か彼方に消えていってるんですけど。もう倒したんじゃないです? 私って必要ですかね?
呆然としていると、シエルシータは青年を指さしていた腕を下ろし、
「上手いこと戦ってるみたいだけど、このままだと彼は死ぬ。どうやら今年の竜は打撃無効みたいでさ。殴ったらああやって飛んでいきはするんだけど、全然ダメージが入らないんだ。そこで、ボクと一緒に魔法を使って欲しい」
「まほ……え? ま、魔法使えるんですか、私」
「使えるよ、不完全だけどね。でも、君にはプリマステラ専用の杖がある。ほら、ポケットを見てみて。ボクからのプレゼントだ」
「ポケット……ほんとだ、何か入ってます」
探ってみると、紺のワンピースのポケットに入っていたのは、1本の枝だった。
丁寧に削られて塗装がされているようで、手触りがツルツルとしている。完全にポケットから取り出してみると、その先端には紫色の宝石が。宝石と杖の付け根にはお洒落なリボンが巻かれていて、いかにもな見た目をしていた。
「それがあれば君も魔法が使える。さぁ、竜のところに行くよ!」
「わっ、待ってくださ、あっぶ!」
乗っていた箒が急に加速して、上半身がひっくり返りそうになって、私は慌ててシエルシータにしがみつく。冷たい風が私達を気持ちよくさらって、シエルシータの黒いカーディガンと、私のスカートがばたばたとはためいた。
竜のもとに近づいていくと、先程見た褐色肌の青年の姿が明らかになった。
すらりと背が高く、逞しい肉体を持った人だった。風に逆立つ青緑色の短髪が、快活なスポーツマンの印象を与えてくる。髪と似た色のシャツは筋肉のため少し張っていてセクシーだ。男性らしい大きな手には軍手がしてあった。
竜と相対しているというのに、白い歯を見せて笑っていて、楽しそうな、怖そうな、不思議な魅力を纏った青年だった。
青年は怒りの形相――に見える顔つきで飛んできた竜に何かを唱え、竜との間に青緑色の障壁を張ると、私達に向かって『おー!』と笑いかけてくれた。
「お前が次のプリマステラかー! 俺はサイカ! よろしくな!」
期待を裏切らず、爽やかに笑う青年・サイカ。太陽みたいに眩しい彼の笑みに、私は思わず見惚れてしまう。が、直後、怒れる竜がサイカの障壁に体当たりをする音がして我に返った。
障壁は衝撃を完全に吸収したようだったが、1回きりのものだったのか耐久力がギリギリだったのか、ヒビが入ってパリンと砕け霧散してしまう。
そのせいで竜に正面から睨みつけられることになり、私の喉が変な音を出した。
「げぇ!?」
「おっと、長話は禁物だね! 一旦逃げるよー、つかまって!」
そう元気よく言ったシエルシータは、箒ごと、つまり私を後ろに乗せたままくるんと後ろに1回転をした。視界に映る景色が360度変わって、ちょっと気持ち悪くなる私をよそに、彼は煽るように竜の視界を不規則に飛ぶ。
すると竜は一瞬でターゲットを私達に定め、咆哮を上げた。瞬間、背中を熱気が炙っていったような感覚がして、
「ひぃぃぃぃ……」
私は腰をぬかしてしがみつく。自分よりも華奢なシエルシータの身体に。初対面だとか天使級の美貌だとか、そんなの今は気にしていられなかった。泣きながら、震えながら、ただただ落ちないように努めていた。
「さてプリマステラ」
「はいぃぃぃぃ……」
「声が震えてるね。安心して、ボクが君に魔法の呪文を教えてあげよう。これはボクの固有呪文だけど……君も唱えてくれたらもっと威力が上がる。《スオーブセヴァス・ロージョットセレイセル》! 覚えられた?」
「スオ……ブ?」
「壊滅的なリスニングだね! 《スオーブセヴァス・ロージョットセレイセル》。古い言葉で『空はいつも君と共にある』って意味なんだ」
と、豆知識を私に教えながら、不規則に飛び続けるシエルシータ。ふよふよと落ち着きのない羽虫のようで、竜からしたらさぞ苛立たしい飛び方だっただろう。現に2度目の咆哮が響いて、背中が一瞬で熱くなった。
「おぼ……覚えました! 覚えたんですけど、背中が凄く熱いです! これ私焼け焦げたりしませんかね!?」
「大丈夫さ、竜災の竜の炎はそこらのドラゴンとは段違いだからね。ボクの骨まで丸焦げだよ。死ぬ時は一緒さ!」
「余計怖くなりましたけど!?」
「あれー、安心させるつもりだったんだけどな。まぁいいや、覚えてくれたなら忘れないうちに終わらせようか!」
高らかに言い、加速するシエルシータ。竜とかなりの距離を取ると、くるりと旋回して竜に向き直る。
「さぁ、杖を構えて。全身の力を杖に集中させて、アイツをぶち抜く強烈な1発を想像するんだ。アイツは生半可な魔法じゃ死なないから、遠慮なくやるんだよ」
「強烈な……1発……! 遠慮なく……!」
シエルシータの言葉を繰り返しながら、だらだらと汗をかく私。アドバイスされればされるほど焦ってくる。でも、竜は目の前だ。早く、考えなきゃ。
頭でわかっていても、恐怖と焦りで硬直してしまう。どうしようどうしようどうしよう。考えれば考えるほど沼に落ちていって、完全に頭が真っ白になった。
その時だった。ふと、シエルシータが私の手に手を重ねた。
「……!」
それは私よりも小さくて冷たくて、女の子みたいな手だった。けれど触れられていると、不思議と勇気が湧いてくる。まるで見えない力が重なった手を通して、私の中に流れ込んでくるようだった。
「落ち着いて。ボクが居るから怖くないよ。さぁ、準備はいいね」
「はっ……はい!」
「よし、行くよ」
私の手を握るシエルシータの手の力が、より強くなる。痛いけど、気の引き締まりそうな心地良い握力だ。それにより、私の震えは――止まらなかった。
むしろ増していた。だって、こんな美少年に至近距離で手を握られたのだ。震えないわけがない。ただ、ドキドキして集中できていないなんてバレるわけにいかないので、荒ぶりそうになる呼吸を必死に抑えて、彼と一緒に呪文を唱えた。
「《スオーブセヴァス・ロージョットセレイセル》!」
瞬間、2人で握っていた杖の石がパッと輝き、太い光線が放たれる。青紫色に輝くそれは、こちらに向かってきた竜の身体を貫いた。
焼け焦げた竜は翼の動きを停止させ、大きく回転しながら地上へ落ちていく。
「えっ!? や、やばくないですか、街の方に落ちて……!」
「……いや、とどめはさせてないみたいだ。街には落ちないよ」
「えっ?」
落ちていく竜を冷静に眺めるシエルシータの言葉に、私は驚く。竜をぶち抜く強烈な1発を頭に思い浮かべたし、実際光線で竜の身体を貫いた。竜はあんなにも真っ黒に焦げて、倒せたように見えたのに。とどめをさせていない?
一体どういうことだ、と困惑しながら肝を冷やして見守っていると、街に落ちていきそうだった竜は途中で翼をはためかせ、体勢を持ち直した。
「えっ……!?」
反撃をしてくるのではないか、と身構える私。が、竜は逃げるようにどこかに飛び去っていってしまった。私達の攻撃も、致命傷にはならなかったらしい。
「もしかして……」
私が途中でシエルシータのことを意識したから、あまり強い攻撃にならなかったのだろうか。いや、それが敗因は間抜けすぎる……。
私が青ざめていると、シエルシータが繋いでいた手を解いて『でも』と笑った。
「この街はとっても強い女が守ってるんだぞってことはわかってもらえたみたい。しばらくはこの街を襲ってこないんじゃないかな。やったね、プリマステラ!」
「や……やったぁ……?」
素直に喜んでいいのか分からず、気の抜けた喜び方をする私。すると、どこかから箒に跨ったサイカがやってきた。
「よープリマステラ! 惜しかったなぁ。またどっかでリベンジしてやろうぜ!」
「り、リベンジですか……!? 当分したくないです……」
「ははは、確かに。とにかくお疲れさん! 初戦が竜で疲れたろ、役人に討伐――じゃないか、竜を街から追い出したぜって報告したら、俺達の宿舎に行こうぜ!」
「え、宿舎……ですか?」
宿舎ってなんの、と私が聞き返すと、サイカは歯を見せて笑った。
「あぁ。プリマステラと、俺達『プリマステラの眷属』の共同宿舎だ!」