阿部スセリの走馬灯〜Reborn memory〜
阿部スセリの走馬灯〜Reborn memory〜
人はその身に危険が迫っている時、走馬灯を見るのだという。その危険を回避する術を過去の出来事や記憶から引き出そうとしているのだと言う。
私も走馬灯を見た---。
幸せな夢だ。ヤタガラスのみんなと仕事をしてご飯を食べて笑いあっている。そして親友のハルカと遊びに行って笑いあっている。
でも幸せな夢を打ち消すかのような嫌な夢もある。
幸せという希望すら打ち消す真っ黒な絶望が、私の中にまだしっかりと残っていた。希望の光すら見えない真っ暗闇の中を私は歩き続けていたような気がしてならない。
「かわいそうに」
「こんな小さな子を残して逝ってしまうなんて・・・」
「まだ若いのに・・・」
これはまだ幼いスセリの中にある記憶。部屋の中でスセリを見ながらたくさんの大人たちが言っている。まだ幼いスセリには意味が理解できない。
その部屋にはスセリの両親、阿部タケトと阿部サミラの遺骨が並んでいる。二人の葬儀が終わり、残された孤児のスセリをどうするかの話になった。
集まっているのはスセリの親戚。
「大山さん。スセリちゃんから一番血筋の近いあなたが引き取るべきではないでしょうか?」
親戚の大人の一人が言った。
指名された大山ケンジはスセリの父・タケトの親戚だ。喪服に身を包んだケンジはスセリを見た。何も知らない純粋無垢なスセリはケンジを見上げた。
目と目が合う。
するとケンジはスセリを指出した。
「この子の引き取りを拒否する」
「え?!」
ケンジの宣言に親戚中がどよめく。実際スセリを引き取るのは誰かという議論は膠着していて誰も手をあげなかったが、声高らかに宣言したことで動揺する。
「私にはこの子を引き取る必要性と利点がない。しかもあの女の娘だ・・・。血が繋がっているかと思うと虫唾が走る。あなた方が何と言おうと私はこの子の引き取りを拒否する。施設にでも何でも送ればいい」
この一言が決定打だった。
他の親戚もスセリを見捨てるかのようにスセリの引き取りを拒否した。
全員が今の生活に満足している。その中にスセリという不確定要素が入り込むことで日常が一変することを恐れた。変化よりも現状維持を優先したのだった。
スセリの引き取りを親戚全員が拒否したため、スセリは児童養護施設へ送られた。施設へ入るころにはスセリは少し理解ある子供になっていた。
親戚中が引き取りを拒否したことを知ったスセリは絶望し、記憶の中にある親戚の顔を思い出しては侮辱の言葉を浴びせていた。
施設に入った頃のスセリは、かなり荒れていた。
「スセリちゃん! ご飯食べないの?」
「いらない! 何もいらない!」
これが施設職員とスセリの日常会話だった。スセリは食べることも飲むことも拒み、人との関わりも拒んだ。頭の中に響くのはケンジの一言だ。
「私にはこの子を引き取る必要性と利点がない。施設にでも何でも送ればいい」
施設職員もスセリがどうして施設に送られたのかという経緯を知っている。施設職員たちもスセリの親戚たちに憤りを感じていた。子供一人を大人の都合で簡単に切り捨てる。悲しすぎると。
施設職員たちはスセリの心の闇を少しでも無くそうと手は尽くしていた。
しかしスセリの心の闇は思った以上に黒く重い。大人に裏切られて捨てられた子供が大人の言うことなど信じるわけがないのだ。
施設に入って数日でスセリは問題児認定されてしまうことになった。
同時に食事なども拒否しているため、衰弱してしまったのだった。しかし衰弱してもなおスセリの拒否は止まらなかった。
点滴を入れてもその針を自己抜去してしまうほどだった。
スセリはもう死んでもいいと歪んだ死生観を持ってしまったのだ。
そんなスセリを遠くから見ていた少女がいた。同じく児童養護施設で暮らしていた後にスセリの親友となる香山ハルカだ。
ハルカは施設職員の目をかいくぐり、スセリがいる部屋へ入っていった。
「ねえねえ!」
「・・・」
「おいしいチョコレートもらったの! 一緒にたべよ!」
「・・・いらない」
ハルカの明るい声が響く。しかしスセリにはその明るい声でさえも聞きたくなかった。小さな声で断る。しかし、ハルカは引かずにスセリに接する。
「ご飯食べないとだめだよ」
「・・・いらない」
ハルカは首をかしげた。スセリの腕には栄養失調を防ぐために点滴がまだ繋がれている。食べ物を食べて栄養を補えることができれば自然と点滴が外れる。しかし、スセリが拒否を続ける限り変わらない。
結局ハルカはスセリとまともな会話ができなかった。ほとんどがハルカが一方的に話していて、会話が全然成立しなかった。
ハルカは部屋を出て行くとき、名前を言った。
「私香山ハルカっていうの。あなたの名前はなんていうの?」
「・・・」
ハルカはスセリにもう一度アプローチをかける。
「名前がないとちゃんと呼べないよ! 名前、おしえて!」
「・・・セリ」
「?」
小さな声が聞こえた。その声はつぶやきのように小さくてハルカはもう一度聞き返した。聞こえなかった、もう一度おしえて、と言うとスセリは少し不機嫌そうだが答えた。
「阿部スセリ!」
「そうなんだ! よろしくね、スセリちゃん! また来るね!」
ハルカはそう言って部屋を後にした。スセリはうるさい奴がいなくなったと、もう一度布団の中に潜り込んだのだった。
スセリが施設に入って二ヶ月が経過した。
相変わらずスセリは拒否が強く、食事も満足に取れていない。本来であればたくさん食べてたくさん遊んで成長する大事な時期だ。しかし、やせ細ったスセリは成長すらできず停滞している。
そんなスセリにしつこいくらいに接してくるハルカ。一日一回は必ずスセリの元へハルカはやってきていた。
施設職員たちも静かに見守っていた。むしろハルカに賭けていたのかもしれない。大人が嫌いで人間不信になった子供に大人が寄ってたかって声をかけたところで、不信感が上がるだけだ。
相手が同じ境遇の子供ならもしかしたらと。
「ハルカちゃん。スセリちゃんどうだった?」
「・・・怒ってた」
「そうなの。ハルカちゃん、嫌な思いしてない? 変なこと言われてない?」
「何もいわれてないよ! さっきね、明日もらえるチョコレートのお話したの!」
施設職員は驚いていた。自暴自棄になっているスセリのことだ。少なからずハルカを侮辱する言葉の一つや二つ必ず言っている。しかしハルカは嫌な顔一つ見せていない。
ハルカなら、と施設職員は期待しているがハルカはまだ子供だ。そんな小さな背中に一人の少女の命運とプレッシャーを託すには重すぎる。
そしてハルカは約束通りチョコレートを持ってスセリの部屋へ向かった。相変わらず、スセリの腕には栄養失調に陥らないために付けられた栄養剤の点滴が挿されている。ハルカが標準の子供の体型で背丈だとするならば、スセリはとても小さい。
満足に栄養が取れていないからだ。
「スセリちゃん! チョコ! いっしょにたべよ!」
「・・・」
最初は邪険にしていたスセリもほぼ一方的ではあるがハルカに多少の心の許しをしているようだった。ハルカはスセリにもらったチョコレートを差し出した。小さなミルクチョコレートをスセリはそれを受け取った。
まじまじと見つめて静かに口の中に入れた。
ハルカは初めてスセリが食べ物を口にしているところを見た。
「・・・おいしい」
「でしょ! まだまだいっぱいあるから!」
ハルカはチョコレートを数個取り出してそれをスセリの手のひらに乗せた。スセリは包装を剥がし、口に入れた。
その日がきっかけとなって食事を拒否していたスセリが食べ物を少しずつではあるが食べ始めた。最初はご飯一杯から始まり、最終的にはご飯・汁物・おかず・副菜の一般食事を食べられるようになった。
ご飯も経口摂取可能となり自然と点滴が外れた。
スセリの変わりぶりに施設職員は安堵した。そして何よりハルカに感謝した。
時間とともにスセリは施設の中に溶け込んでいった。
スセリの顔にも笑顔が見られ、自然と笑うようになっていた。しかし、彼女の中の絶望や彼女を見捨てた親戚に対する憎悪が完全になくなったわけではない。時たまに襲われる絶望と憎悪に押しつぶされそうになりながら、スセリは懸命に生きていた。
それから数年後。スセリが中学生になった時。
すっかり施設暮らしに慣れ、ハルカとは親友の関係にまで発展していた。お互い勉強が得意なわけではないが学校で出された宿題に対して二人で四苦八苦しながら挑んでいる。
そんなある日。ハルカはスセリを呼び出した。
「ハルカ、どうかしたの?」
「私ね・・・里親が決まったの」
「さと、おや?」
ハルカからの衝撃の報告だった。
里親。何かしらの理由で親が子供を育てられなくなった際、その代わりとして保護者となる人間のこと。
その意味をスセリはよく知っていた。つまり、ハルカは里親に引き取られ、施設から出て行くことになる。スセリは驚きのあまり言葉が出なかった。
「スセリ。ごめんね」
「なんでハルカが謝るの?」
「だってスセリだって家族に囲まれて過ごしたいってよく言ってたじゃない」
ハルカはそう言った。スセリにも家族に囲まれて幸せに暮らしたいという素朴な願いがあった。渇望するほどではないが夢であったことに間違いはない。
「私、家族は欲しいよ。でも・・・私を見捨てた人たちのところには戻りたくない」
「スセリ・・・」
スセリの瞳の色が闇を帯びた。
「先生はきっとここに私が連れてこられた事情をもう知ってる。厄介払いのような形でここに来たのも、親戚全員が私を嫌っているのも。急な手のひら返しをしてきても先生たちが絶対に守ってあげるからって言ってた」
スセリは息を吐いた。するともう一度ハルカの方を見た。ハルカが見た闇を帯びた瞳はなく、闇の欠片がないスセリの瞳があった。
「だってハルカに家族ができるんでしょ? 喜ばしいことなのに私が怒るとか思ったの?」
ハルカの目には涙が溜まっていた。ハルカは内心スセリより先に里親の元へ引き取られることで嫉妬され、嫌われてしまうのではないかと心配していた。スセリにとって見れば絶望のドン底に見えた一筋の希望の光がハルカだったのだ。
スセリが絶望に叩き落された際、話を必ず聞いてくれたのはハルカだった。ハルカがいなくなればスセリの希望の光が消えてしまう。
「私はもうあの頃の卑屈な阿部スセリじゃないよ。私は大丈夫。離れていても私たちは親友だから。本当におめでとう、ハルカ」
スセリの言葉にハルカは抱きついてわんわんと泣き始めた。立場は逆転していた。
全てに絶望し、全てを拒絶して絶望の中にあったスセリを明るい笑顔と隔てない接し方でスセリを絶望から救い出したハルカ。
大切な親友だからこそ、里親が決まったことに後ろめたさを感じていたハルカを穏やかで優しい心で包み込んで祝福してハルカを迷いという牢獄から解放したスセリ。
「離れていても会えるよね?」
「会えるよ! だって私たち親友でしょ?」
二人は涙を流して抱きしめあった。スセリは確実に成長している。人の痛みや気持ちを分かち合う慈悲の心がここで生まれたのだった。
それから数ヶ月後にはハルカは里親の車で施設を出て行った。その姿を見えなくなるまでスセリは見守っていた。
「スセリちゃん」
「先生?」
「大人になったわね」
施設職員はスセリにそう言った。スセリはその言葉の意味がよくわからなかった。スセリは全てを拒んでいた時間が長かったせいで言葉の理解がどうしても乏しくなってしまう。
結局スセリの未来は誰にも引き取られず、施設入居年齢上限である十八歳まで過ごすこととなった。悲しいがあまり絶望していない。スセリは少なからずそういう子もいると施設職員から言われていたからだ。
その中の一人だと思い見切りをつけることができた。
施設を出たスセリは大学生活を送り、一般企業に就職を果たすがその先に待ち受けていたのは天職とも言える「浄化師」との出会いになるとは知ることもなかった。




