悪霊を断ち切れ〜Yatagarasu Sleeping Princess〜
悪霊を断ち切れ〜Yatagarasu Sleeping Princess〜
人は怒りという感情に囚われると鬼と化してしまう。だから感情的にならないで落ち着いて行動しなさい。
児童養護施設にいたとき、誰かが私にそう教えてくれたのを覚えている。
私は一瞬の出来事で感情が追いついていない。しかし、目の前の出来事は私を鬼にするほどの怒りの感情を与えてしまった。
私は鬼だ。
私はこの鬼と化した感情を持って、悪霊を断ち切る---。
スセリは完全に怒りの感情に支配されていた。
純粋な綺麗な瞳はその色を失っていた。今のスセリは狂気を孕んだ姿だ。
「言ったな? じゃあお前の目もお前の血肉もいただく!」
星見アマツの悪霊はニヤリと笑ってスセリに襲いかかる。スセリは先制攻撃を間一髪で避けた。するとすぐさまスセリが小型拳銃を構えて、弾丸を一発撃ち込んだ。
弾丸は星見アマツの悪霊の体を貫通する。あまりの痛みに断末魔が上がった。
負の感情に支配されたスセリはいつもよりも倍以上の力が出た。スセリはその感情に身を任せた。すると星見アマツの悪霊が大きな声で笑った。
苛立ったスセリは聞き返した。
「何がおかしい?!」
「お前浄化師のくせに知らないのか?! 悪霊は負の感情を吸い込んで力をつける。お前からは負の感情がだだ漏れだ! その感情が溢れれば溢れるほど俺は強くなる!」
スセリは表情を変えなかった。
負の感情は常に人間の中にある。そしてそれが現世をさまよい、無害な亡霊を悪霊にしてしまうのだ。浄化師といえど人間である。負の感情は持っている。
今のスセリは憎しみと恨みを持った過去の姿。
スセリの負の感情を吸い込んだ星見アマツの悪霊は先ほどよりも速いスピードでスセリを撹乱する。
あまりのスピードにスセリの目が追いつけない。
スセリに焦りが生まれる。自分を守ってくれるヨシキは戦線離脱し戦闘不能状態。ヨシキになるべく刃が向かないようにスセリはヨシキから離す。しかし、星見アマツの悪霊にはスセリの考え、そしてスセリの動きが読めているかのようにスセリの考えを先回りしてくる。
スセリの額には汗がにじむ。
その刹那---。
「みぃつけた」
スセリが振り返った。その瞬間、スセリの体に大きな一振りがお見舞いされた。
その瞬間、スセリは白い光の中にいる感覚に陥ったのだった。
午後十四時。ナンペイ地区。岩永邸の処置室。
ミホ同行の元、間宮の運転で岩永邸へ到着したのは今か四十分前のことだった。サトミの状況をミホから連絡を受けていたゴウは処置できるように準備を進めた。もちろん、妹のコノハも受け入れる準備はできている。
コノハが家の外で待っていると、パトカーのサイレンが近づいてきた。コノハは家の前の道路に出て手を大きく振る。
間宮がサトミを抱き上げて岩永邸の処置室へと運んだ。ベッドの上に寝かされたサトミはゴウとコノハによって様々な機械に繋がれていく。心臓の動きを見る心電図、呼吸を助ける酸素チューブ、そして血中酸素濃度を図る機械も装着された。
まるで機械で生かされているかのようにミホには見えた。
「サトミ先輩・・・」
間宮は現場へ一度戻り、ミホは処置室前にあるリビングで待っていることになった。ミホは両手を合わせて祈る。
すると岩永邸の扉が開いた。
「タクヤくん?!」
タクヤが息切れをしてやってきた。やはり姉のサトミが心配で草薙館を飛び出してきたのだった。
「ミホ! 姉ちゃんは?!」
「まだ処置が終わっとらん。でもうちが現場来た時は意識なかった。今、岩永先生たちが頑張って処置しとるねん」
タクヤはミホの隣に座った。するとミホは大きく息を吐いた。
「タクヤくん、サトミ先輩とぎょーさん喧嘩するのにサトミ先輩のことすごく心配してんねんな。意外とお姉ちゃん思いなんね」
「・・・」
タクヤは何も言わなかった。
それが照れ隠しかどうかはタクヤだけが知っているのだった。すると、処置室の扉が開いた。ミホとタクヤが動くとゴウがやってきた。
「岩永先生! サトミ先輩は?」
「・・・」
ゴウは息を吐いた。
「大丈夫だ。軽い不整脈を起こしていたみたいだ。酸素チューブをつけて今は落ち着いているよ」
それを聞いたミホとタクヤが崩れ落ちた。よかったあ、と安堵しているとゴウがタクヤの前へやってきた。
「でも心臓が悪い状況なのはこれで証明できた。今すぐに主治医の先生がいる病院に入院することにはなるだろうね」
ゴウはそう言った。
わかっていたとタクヤは自分に言い聞かせた。しかしこれでサトミに無理をさせないようにできると。安心していると、処置室の中にある電話が鳴った。
「何だ?!」
ゴウが処置室の扉を開けた。
処置室に設置されている電話はもちろんプライベート用ではない。緊急通報を受ける電話だ。通話相手は主にヤタガラスや警察が多い。もちろん、岩永兄妹はヤタガラス以外の患者を見ることもあるが、この電話が鳴り出せばだいたい運ばれてくるのはヤタガラスの誰かだと想像がつくのだ。
コノハが受話器を外さずに会話ができるマイク機能ボタンを押して応答した。
「こちら、岩永コノハです」
「カワグチチュウオウ警察署の間宮です! ヤタガラスで負傷者が二名発生しました!」
「負傷者?!」
コノハの声にゴウとミホ、タクヤが驚いて処置室へ流れ込んだ。ミホは病気でもないのに動悸が止まらない。コノハは詳細を聞くために間宮に情報を求めた。
「怪我をした人物が誰かわかりますか?」
コノハが電話に向かって聞いていると、ミホの中で思い当たる人物が二名いた。その二人は、星見アマツの悪霊を追いかけて現場の奥まで駆けて行った。
気づいたときミホは悲痛な叫びをあげていた。
「熱田先輩と・・・スセリちゃんや・・・」
「え?」
「ヤタガラスの中で星見アマツの悪霊を追いかけとったのは、その二人や・・・。まさか・・・、星見アマツにやられてもうたん?!」
ミホの言葉にコノハは急いで状況を聞いた。
「その負傷者は熱田ヨシキと阿部スセリの二名でしょうか?!」
「・・・はい! ヤタガラス所属の熱田ヨシキ浄化師と阿部スセリ浄化師です!」
ミホの予感が的中した。コノハは冷静に間宮から情報を聞き出すことになった。その結果、間宮の運転するパトカーで岩永邸へ緊急搬送されることになった。
「コノハ先生! スセリちゃんたち大丈夫なん?!」
「大丈夫よ。間宮さんの所見では傷は思ったより深くないみたいよ」
ミホに対してコノハは優しくなだめた。その様子を呆然と立ち尽くしているタクヤにゴウが話しかけた。
「大宮弟。お前、妙に冷静だな」
「・・・」
「まあそうだよな。お前の姉ちゃんがずっと生死の境をさまよってきたところを何度も見てたら肝が据わってくるよな」
ゴウがそう言って、スセリとヨシキの受け入れ準備をし始めたのだった。
間宮が電話越しに伝えた二人の状況はこのようなものだ。
熱田浄化師と阿部浄化師がいたのはナンペイ地区の裏路地です。二人は星見アマツの悪霊の気配を追いかけて行きました。大宮浄化師をそちらにお送りして現場に戻ってきた際、ヤタガラスの指揮を執る鳴海浄化師より二人に何度呼びかけても応答がないとのことを聞きました。
鳴海浄化師の力を借りて私や他警官数名で向かったところ、倒れている二名を発見しました。
所見ではかなりの出血ではあったが、傷は浅いことがわかりました。しかし、現場はかなり凄惨なもので大きな血だまりができているほどに出血は激しかったです。
鳴海浄化師の指示に従い、今からパトカーでそちらへ搬送します。対応をお願いします!
間宮からの通報から十五分後。
負傷したスセリとヨシキを乗せたパトカーが岩永邸へやってきた。
パトカーの到着と共にミホとタクヤが外へ飛び出した。担架に乗せられたスセリとヨシキは変わり果てた姿をしていた。
それにはミホは言葉を失った。
ヨシキの身体には大量の切り傷が残され、そしてスセリには肩に熊にでも引っ掻かれたかのような大きな傷があった。制服の中に着る白いシャツは真っ赤に染まっていた。
「スセリ・・・。ヨシキ・・・」
タクヤが二人の名前を呼んだ。ミホは立ち尽くしていた。
「ミホ! 何か言えよ!」
「だまっとれ! なんで・・・、こんなことにならんといけん?! サトミ先輩がああなったのも、熱田先輩とスセリちゃんが大怪我したのも・・・全部、あいつのせいや!」
ミホは怒っていた。涙をこらえているその姿にタクヤは何も言えなくなった。
運ばれたスセリとヨシキもサトミ同様にたくさんの管に繋がれた。ゴウはヨシキをコノハはスセリの処置を担当した。
「熱田。死ぬんじゃねえぞ」
「スセリさん。大丈夫よ。私がなんとかするからね」
ゴウとコノハはそれぞれ話しかけていた。
するとミホのインカムが鳴った。現場に残っていたシュンから報告だった。
『こちら鳴海だ』
「こちら立石。どうかしましたか?」
『現場から悪霊の気配が消えた。これ以上追いかけても怪我人が増える。現場検証を警察に任せてヤタガラスは撤収するよう指示が入った。立石、三人の様子はどうだ?』
シュンからの質問にミホは泣きそうな声でしかも呼吸ができなくなるほどに苦しいものを抱えながら話した。
「サトミ先輩は・・・軽い不整脈だって言ってました・・・。問答無用で入院するんやと。熱田先輩とスセリちゃんは・・・まだ処置が終わらへんのです。もう・・・どうしたら・・・」
ミホの涙が溢れた。瀕死の人間を目の当たりにして取り乱さない人間などいない。シュンは声色からミホの動揺具合が感じ取れた。
『立石・・・。泣くな。大丈夫だ。その場を岩永兄妹に任せて、大宮弟と一緒に草薙館に戻ってこい。いいな』
「はい・・・」
ミホはインカムを切った。そして目に浮かんだ涙を急いで手で拭った。タクヤをきりっと見つめると行った。
「帰るで」
「はあ?! 帰る?! 姉ちゃんやヨシキたちがあんななのに帰れって言うのかよ?!」
ミホの言葉に納得ができないタクヤは反抗する。するとミホはタクヤの顔をじっと睨んだ。その目は怒りとそして悔しさ、そして覚悟の色がとても濃かった。
「今うちらがいたところで何もできへん。そんなに駄々こねんなわ。浄化師は、タクヤくんが思っている以上にタフなんや。そう思わんなら、まだ子供っちゅーことやわ。自覚しいや・・・」
おおよそミホの口から出る言葉ではない。
ミホの言葉に反論することもできず、タクヤはおとなしくミホと一緒に岩永邸を後にしたのだった。
午後十八時。岩永邸。処置室。
大量の管に繋がれていたサトミがゆっくりと目を覚ました。白い天井が目の前に広がり、少しずつ意識がはっきりとしてくる。
サトミは自分の置かれている状況にだんだん理解し始めた。どうやら心臓が限界になって、搬送されたのだと。心臓が限界をどれほど迎えているかの度合いなど自分に繋がれた管の数を見れば自ずと分かる。
「目ェ、覚ましたか」
「岩永さん?」
サトミの様子を見に来たゴウが顔を覗き込んだ。
サトミはゆっくりと手を動かした。
「大宮。俺はヤタガラスとの決まりでお前を病院へ搬送して、入院させる。お前の心臓に異常が見られなくなるまで休職だ。反論は認めねえ」
「・・・はい」
サトミは素直に従った。ほどなくしてゴウが呼んだ救急車にサトミは乗せられ、そのままサトミの主治医のいる大学病院へ搬送されていったのだった。




