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Trigger〜悪霊浄化異聞〜  作者: 藤波真夏
ヤタガラス遠方地区出張編
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君と私の間に吹いた風〜You are laughing〜

君と私の間に吹いた風〜You are laughing〜



 ヤタガラスに届いたあの匿名の手紙って、あの悪霊が出したものなんじゃないんですか?

 私にしてみれば愚かな考えで結論だったと思う。私にとっては絶対にありえないことに等しいからだ。どうしてそんな考えに至ったのか。

 私にはあの悪霊が悪いことをしているようには思えないんです。

 それだけだった。浅はかな考えで短絡的で助言の余地すらもない。

 でも今回だけは信じてみたい。私の心がそう叫んでいる。心の声を無視することなどできない。

 人を信じることを嫌い、人と接することを嫌い、全てを憎んだ私が信じるというのだから。



 悪霊浄化当日。

 スセリはアンギョウ地区会館の玄関前にいた。紺色の制服に身を包み、髪の毛を一つに結んで待っていた。

 時間は夜。どんどん人々は眠りにつく時間。しかしこの時間から悪霊の動きは活発になる。浄化師にとってみれば戦場と化す時間帯だ。スセリは息を整える。そして首に下げられた赤い浄化水晶に触れる。

「神様。どうか私やみんなを守ってください」

 今更の神頼み。

 しかし今のスセリはそうでもしないと落ち着かないのだ。不安定な『神様の眼』が不思議な反応をしたからだ。夜になれば浄化水晶の力は必要ない。しかし、不安が残る。しかし、一度経験してしまえば耐性はできている。

「スセリちゃん。お待たせ」

 ミホの声がした。袴をはいて肩には弓矢を背負っている。

「頑張ろうね」

「そうやな。でもスセリちゃん、もし・・・」

「自分を犠牲にするような作戦や行動を起こしたら全力で止めるで。でしょ?」

「分かってるやん。でもうちは嘘は言わん。約束や」

 スセリは頷いた。するとスセリとミホの元へゾロゾロとヨシキやサトミ、シュンがやってきた。そろそろ出動の合図が出る。スセリとミホは身を引き締めた。

「全員揃ってるか?」

「はい」

「三嶋はアンギョウ地区会館で待機させている。何かあれば連絡をよこしてくれる。これより妙光院の化け猫の浄化を行う!」

「ラジャ!」

 シュンの合図と共にヤタガラスは現場である妙光院の方へ向かった。

 その日は雲一つない月明かりの美しい夜であった。



 午後二十二時。妙光院入口付近。

 ヤタガラスは妙光院の入口へやってきた。周囲は人一人いない。そして異様な雰囲気と重い空気が周囲に立ち込める。

「妙光院の住職からはすでに浄化の許可は下りている。化け猫を境内から誘い出して外で浄化に当たる」

 シュンからの指示を頭に入れて、全員が配置につく。



 前衛 熱田ヨシキ、阿部スセリ


 後衛 立石ミホ


 後衛補助 大宮サトミ


 援護射撃 鳴海シュン



 このようは配置についた。

 まずは化け猫の姿を確認できたスセリがゆっくりと境内の中へ進む。そしてスセリが小型拳銃を抜いてかざす。簡易索敵だ。すると安全装置が音を立てて外れた。

 その音が近くで待機していたヨシキの耳にも聞こえてきた。スセリとヨシキがアイコンタクトをした。

 そして次にスセリが行った行動は、妙光院前のアスファルトの上に弾丸を撃ち込んだ。周囲には大きな銃声が響く。

 銃声が響いた数秒後にスセリはあの気配を察してすぐさま後ろに引いた。すると妙光院から大きな猫がスセリを引っかこうと襲いかかろうとしていた。

 スセリが起こした行動。それは化け猫をおびき出すための威嚇行動。大きな音がすれば妙光院に何かがあったと勘違いして飛び出してくるという考えに基づくものだ。

「あいつか・・・」

 ヨシキが二丁拳銃を構える。

 スセリとヨシキに化け猫は敵意むき出して威嚇してくる。

「あなたがアンギョウ地区で悪さを働く化け猫なの?」

 スセリが聞く。相手は動物。しかも妖怪に堕ちた動物だ。どんなに超常現象並の力を持っていても人間の言葉に耳を傾けられるほどの余裕などない。

 スセリは無謀なのはわかっていた。しかし声をかけずにはいられない。

 本当に目の前にいる化け猫が『妙光院の化け猫伝説』に登場する妙光院のお坊さんが可愛がっていた猫の香なのか、それとも人々の思いや思惑が産み出した幻惑なのか・・・。

 スセリの言葉が届くわけでもない。

 すると化け猫の瘴気がスセリとヨシキの元へ迫る。

「っ?!」

 スセリの体が強制的に動いた。スセリの腹に逞しい腕が回る。腕の持ち主はヨシキだった。

「ヨシキさん?!」

「瘴気が迫っている! このままだと瘴気にやられて動けなくなるぞ!」

 スセリはヨシキに救出されて物陰へ隠れた。ヨシキはスセリに言った。

「阿部の気持ちはわからなくもない。でもな、相手は人の言葉が通じる相手じゃない。優しさは時に自分の身を滅ぼしかねない」

 スセリはハッとした。

 スセリのいいところはたとえ悪霊でさえも優しい視線と優しい気持ちを寄せるところ。しかし時に浄化師は非情な判断をしなければならないところがある。スセリにはまだそれがうまくできない。

 したくても優しさが邪魔をしてしまうのだ。

「どうすればいいんですか?」

「今、後衛の立石が弓矢で狙っている。大宮もいつでも動けるように構えてるだろう。僕たちは一度作戦を練る」

 スセリはヨシキの言葉に頷いた。

 一方、ミホは化け猫めがけて弓矢を何発も撃っていた。しかしすばしっこい化け猫に浄化水晶の埋め込まれた弓矢は命中しない。

「当たらへん!」

 ミホも焦り始めていた。

 それを見ていたサトミが化け猫に襲いかかる。脇差で化け猫の爪を押さえ込み、やられないように防御に走る。サトミは化け猫から溢れる瘴気に押されていた。サトミも薄々感じていた。化け猫の瘴気が異常に強いことを。

 これ以上防御で押さえ込んでいるとサトミが瘴気にやられて戦闘不能になりかねない。サトミはとっさに隠れるという判断をしてその場から離れた。そしてインカムのスイッチを押して呼びかける。

「現場にいる全浄化師に通達! 目標の化け猫の瘴気は異常に強いわ! 接近しても最大十分が限界よ! 前衛も接近する際は気をつけて!」

 それを聞いたヨシキは十分か、と呟いた。

 スセリが息を整えていると、ぞわぞわと悪寒がした。次の瞬間だった。


「大丈夫かい?」


 振り返るとそこには若い男性の悪霊がスセリのそばにきていたのだ。スセリは驚きながらも声を殺した。時間帯は夜。ヨシキも確認することができる。ヨシキはスセリを自分の後ろに匿って隠し、二丁拳銃を若い男性の悪霊へ向ける。

「何しに来た」

 ヨシキが睨みつける。

 ヨシキも悪意を感じないことはわかっていた。しかし、それを全部信じたわけではない。スセリはヨシキの肩に手を当てて覗き込んでいる。

「この前はごめんね」

「は?」

「謝りたいのは君じゃない。君の後ろにいる子だよ。出ておいで、可愛い浄化師さん」

 ヨシキは目を見開いた。そしてその後ろに隠れていたスセリはドキリと胸が高鳴った。

 スセリはヨシキの背後から顔を覗き込ませた。

「阿部。顔だけ出せ。全部は出すな」

 ヨシキの声が小さな声でスセリの耳に聞こえた。スセリはわかったとヨシキの制服を握り返すことで応えた。

「この前って?」

 スセリは平然を装う。気持ちを悟られないように呼吸を整えながら話し始める。

「あの化け猫と遭遇した後、君は僕の瘴気で気を失った。助けたかった。だけど僕の力だけじゃどうもできない。だから桜の木の下まで運んだんだ」

 スセリは驚いた。

 気を失った後に桜の木の下まで運んでくれたのは目の前にいる若い男性の悪霊だったのだ。

「どうして助けてくれたの? あなたにとって私はなんなの?」

「僕はこの街が好きだった。でも、あの化け猫が現れてから街は変わった。多くの人たちが恐怖していたのは確かだった。僕だってその一人だったんだよ」

 すると若い男性の悪霊は服をたくし上げた。すると腹に大きな引っかき傷が現れた。その傷にヨシキとスセリは絶句する。

 あまりにも深い傷だったからだ。

「どうしたの、それ」

「あの化け猫にやられたんだよ。生きてる時にね」

「生きてる時?」

「そうだよ。僕は妙光院のそばを通った時に化け猫に襲われてその時にこんな大怪我を負った。その傷から瘴気が体を巡ってそのまま瘴気に殺されたんだ」

 あまりの悲しい出来事にスセリは返す言葉もなかった。

 若い男性の悪霊の正体は、化け猫の強い瘴気によって命を奪われた悲しい亡霊だったのだ。スセリは心の中で叫んだ。この人のことを悪霊と決めつけてしまったと。この人は悪霊じゃない。亡霊だと。

「アンギョウ地区に現れる悪霊を浄化してほしいって手紙を匿名で送ったのは、まさか・・・あなたなの?」

 スセリが恐る恐る聞いてみた。

「・・・そうだよ」

 若い男性の悪霊はそう言った。

 若い男性も生前は妙光院に現れる化け猫の伝説は知っていた。しかし不幸にも偶然に化け猫と遭遇し大怪我を負い、瘴気により体を蝕まれ、死に至ってしまったのだった。

 スセリを運んだ桜の木の下は若い男性が瘴気に蝕まれながらも唯一逃げ延びた場所だった。不思議と化け猫は桜の木の下まで追いかけてはこなかったからだ。

「もっと早く気づいていれば、あなたは命を失わずに済んだ」

「確かに。最初は憎んだ。助けに来ない浄化師も見捨てた人間たちも。手紙を出したのだって怒りが半分だったよ。だけど、僕の前に現れた君は純粋で優しい心を持っていた。この子なら僕の無念を晴らしてくれる。そう信じたんだ」

 赤い浄化水晶がキラリと輝きだした。スセリはヨシキの背後から抜け出した。ヨシキはスセリの行動を止めなかった。スセリと若い男性の悪霊との会話の一部始終を聞いていたからだ。

 ヨシキも若い男性の悪霊の言葉に耳を傾ける。自分自身とスセリに瘴気がかからない程度に距離を置いて。

「じゃあ聞く。お前の目的はあの化け猫の浄化だな?」

「そうだよ」

 ヨシキが聞くと若い男性の悪霊は頷いた。ヨシキは再確認をして二丁拳銃を下ろした。ヨシキが危害を加えないことを認めたのだ。

「浄化師が対応できなかったこと、本当に申し訳ないと思う。きっとこの事件の後にアンギョウ地区の悪霊出現率が改善されるはずだ」

 ヨシキが頭を下げた。スセリはヨシキが頭を下げたところなどほとんど見ない。スセリはヨシキに習う形で頭を下げた。

「じゃあ正式にこいつに依頼してください。そうすれば、立派な依頼として悪霊対策部に認めさせることができる」

 ヨシキが言うと若い男性の悪霊はスセリを見据えて言った。

「僕の命を奪ったあの化け猫を浄化してください」

「わかりました。あなたの無念は必ず晴らし、化け猫を本来あるべき場所へ戻します」

 スセリはそう言った。

 するとそれを聞いたヨシキは声を出した。

「聞いたか?」

 インカムに向かって話していた。なんと若い男性の悪霊とスセリの会話の一部始終を現場にいる浄化師に全て流していたのだ。

「そんなことがあったのね」

「シュンさん。これは正式な依頼です。しっかりと浄化して悪霊対策部に報告すべきです」

 ヨシキはシュンに向かって話した。シュンは少し考えてインカムに向かって話した。

「確かに、今回は悪霊対策部の示した悪霊出現率が適切でなかった。そしてそれに慢心してしまった俺たち浄化師にも非はある。このことは事件が解決したら、金山さんと綿津見さんに報告しないとならないな」

 シュンはそう言うと、夜空に向かってライフルの銃口を向けた。そして一発の銃弾を放った。大きな音に現場の浄化師が全て夜空を見上げる。

「これは正式な依頼だ! これより妙光院の化け猫を浄化する!」

「ラジャ!」

 全員が返事をした。

 スセリとヨシキはもう一度妙光院へ向かう。そして若い男性の悪霊もそれについていった。

 薄暗い場所に鋭い眼光が光る。化け猫だ。スセリは小型拳銃を構えた。するとスセリのイヤホンから声が聞こえてきた。

「阿部! 伏せろ!」

 スセリはとっさにその場でしゃがんだ。するとスセリの背後から一発の弾丸が光の速さでやってくる。化け猫めがけて一直線。化け猫はそれを素早くかわす。すると続けて矢が飛んでくる。しかし当たらない。

「当たらへん! すばしっこいヤツや!」

「遠方射撃じゃ歯が立たねえ。阿部、熱田! 遠距離攻撃が通用しない! 前衛で浄化を頼む! 大宮は二人の援護へ行け!」

 シュンからの指示が入った。遠距離攻撃が通用しない為、浄化は前衛を担うスセリとヨシキに託された。そしてサトミも援護で合流することになっている。

「阿部。気をつけろ」

「はい」

 スセリはヨシキに背中を押されて歩き出す。その後ろ姿を若い男性の悪霊は心配そうに見つめていた。

 するとヨシキはその感情の機微を読み取って阿部が心配か? と尋ねた。若い男性の悪霊はドキッと高鳴る気持ちを感じた。

「あんな頼りない背中に全部押し付けてしまった。僕は本当に罪深い」

「頼りないね。僕はそうは見えない。確かにまだまだ危なっかしい。でも、あいつはヤタガラスのなかで特別な力を持った天性の浄化師だ。そして相手がどんなに凶悪な悪霊でさえも優しい。悪霊のあんたでも阿部の優しさを感じたろ?」

「確かに、あの子は優しかった・・・」

 若い男性の悪霊はそう言った。

 化け猫はスセリに威嚇行為を行う。シャーッと唸っている。

「こっちにおいで!」

 スセリはいきなり走り出した。スセリの『神様の眼』の力を感じ取ったのか、化け猫はスセリを追いかける。

 ヨシキはスセリを追いかける。スセリが向かうのは、桜の木の下。すると化け猫はスセリを追いかけるのをやめて桜の木の下に立ちすくむ。

 スセリはその場から離れる。

 すると桜の木が風になびく。一瞬目を閉じてまた目を開ける。

「え?!」

 スセリが声を上げた。緑の葉っぱに覆われていた桜の木は美しいピンク色の花びらであふれていた。これは幻覚か悪霊が見せた幻惑か・・・。

 すると声が聞こえて来る。

「香。もうおやめなさい。私のために生きる者を傷つけてはいけませんよ・・・」

 優しい男性の声。

 化け猫のことを「香」と呼ぶ人物はスセリが思い当たるなかで一人しかいない。妙光院の化け猫伝説に登場する妙光院のお坊さんだ。檀家さんの法事の後、急死してしまったお坊さんだ。

「みゃあ」

 威嚇行為をしていた化け猫が甘える声を出す。

「香。急に一人にしてごめんなさい。私は帰りに盗賊に襲われてしまったんです。香。これからはずっと私と一緒ですよ」

 お坊さんは化け猫を抱き上げる。お坊さんが抱き上げたのは化け猫ではなく綺麗な猫だった。猫はお坊さんに甘えて顔に擦り寄る。

 スセリはその様子を呆然と見ていた。スセリが瞬きをすると一瞬で桜は葉桜に変わった。そこには一匹の猫だけがいた。

 スセリを威嚇していた化け猫だ。しかしスセリが近づいても化け猫は威嚇せず、静かにスセリを見上げている。スセリが地面に膝をつくと化け猫はスセリの膝の上に頭を乗せて甘えてくる。

「瘴気がない?」

 異常なほどに強い瘴気を感じなかった。一体何があったのか、スセリにはわからない。するとサトミがやってくる。

「スセリさん」

「サトミさん」

「きっとこの桜の木がこの猫ちゃんにとっての思い出の場所だったのかもね。だから強い瘴気が取れたんだわ。さ、浄化してあげて」

 サトミに言われてスセリは静かに頷いた。

 スセリは小型拳銃のなかから弾丸を取り出した。

「さ、大好きなお坊さんのところに」

 スセリが弾丸を猫の体に当てると猫の体は白み始め、光の粒になって消えていく。猫が浄化されて本来あるべき場所へ戻る時の光だ。猫はみゃあと鳴いてスセリの手をペロリとなめた。

 猫はスセリの手で浄化された。

 すると周囲を包み込んでいた瘴気も消えて、優しい風が吹いた。

 スセリはインカムを起動させて言った。

「目標浄化完了」

 それを聞いたミホやシュンは安心して息を漏らした。

 アンギョウ地区を脅かしていた化け猫はヤタガラスによって無事に浄化されたのだった。瘴気は消えてアンギョウ地区には優しい風が吹いた。



 午後二十三時。桜の木の下。

 化け猫を浄化して、ヤタガラスの仕事は終わった。桜の木の下にはヤタガラス全員が集合した。そして若い男性の悪霊に全員が挨拶をする。

 若い男性の悪霊は優しく微笑んで頭を下げていた。自分の書いた匿名の手紙でヤタガラスが動いたこと、そして悪霊対策部にかけあってくれたことを感謝していた。

 するとシュンはスセリの肩に手を乗せた。

「もう潮時だろう」

「え?」

「こいつだっていつまでもこのままにしとくわけにはいかねえ。阿部。安らかに浄化してやれ」

「浄化って、そんな!」

 スセリが驚きを隠せない。しかしスセリは見落としていた。目の前にいるのは優しくヤタガラスに協力してくれた悪霊だ。しかし、所詮は悪霊なのだ。

 シュンは心を鬼にしてスセリに言った。

「こいつは確かに人を襲ってない。だがな、こんな優しいヤツでも現代社会が産み出した負の感情を吸い込めば、凶悪な悪霊に堕ちるんだ。優しいうちに浄化しないとアンギョウ地区の平和はまた揺らぐ」

 シュンの言葉はもっともだった。しかしスセリの余計な優しさが邪魔をして何もできなかった。

 すると若い男性の悪霊はスセリを優しく見据えて言った。

「この人の言う通りだよ。僕だっていずれはあんな感じになってしまう。ねえ、僕は君に浄化してもらいたいよ」

 若い男性の悪霊はスセリに笑いかけた。その笑顔がスセリをさらに苦しめる。そんな純粋で清らかな笑顔を私に向けないで、とスセリは心の中で叫んだ。

 どうして悪霊に堕ちてなおこのような優しい笑顔を見せるのか。

 スセリには分からなかった。

「・・・」

 スセリは何も言わず、小型拳銃の中から弾丸を取り出そうとした。しかし化け猫に渡したものが最後だったらしく弾丸はない。すると、それを悟ったシュンがライフルを開けて中からライフル用の弾丸を手渡した。

「使え」

 シュンからもらった弾丸をスセリは若い男性の悪霊に手渡した。

「どうか、成仏してください」

 スセリがそう言うと若い男性の悪霊の体は白い光に包まれ始める。だんだんと光の粒になっていく。

「僕の願いを叶えてくれてありがとう。あの世でも君たちのこと見守ってるよ。ありがとう、阿部スセリさん」

 若い男性の悪霊は最期にスセリの名前を呼んで静かに浄化されていった。スセリの目には溢れるばかりの涙が溜まった。まるで知人をあの世へ見送るかのような喪失感と悲しみだ。

 スセリの頭にシュンの手のひらが乗る。よくやった、と言わんばかりの大きな手だった。

 スセリの涙もアンギョウ地区を吹く風にぬぐられた。まるで、あの若い男性の悪霊がスセリの涙を拭いてくれたかのように。

 アンギョウ地区に現れた悪霊は優しさゆえに堕ちた悲しき悪霊たちだった。スセリはシュンに支えられながら歩き出した。

 ヤタガラスは静かにアンギョウ地区会館へ戻っていった。



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