4、センスの良い殺しかた
私はかつてクマに襲われた方面を目指して走った。そこは火の手を逃れ、未だに大量の熊笹が密生している危険な一帯だった。だがそこしか逃げ込む場所はないように思われた。
私は生い茂る笹の中に飛び込むと、素早く地べたに身を伏せて、笹を揺らさないように気をつけながら、ほふく前進で進み始めた。
淡い星の光を頼りに、笹の隙間から男たちの姿を探した。だが暗闇に目が慣れないせいで、先まで見定めることができない。
その時、「王様、こっち、こっちだよ」と赤子をあやすような口調で近づいてくる、不気味な声を近くに聞いた。それは喉仏が肉に侵食されたような、デブの甲高い声だった。
私は動きを止め、息を潜めた。瞬きするたび、まつげについたラム酒が口の端まで垂れてきて、舐めると甘い味がした。先ほどモアイの投げつけた酒瓶から飛散したものらしい。
その時、何者かに突然右の足首を掴まれて、体ごとずるずる引きずられた。混乱する間もなく、熊笹の外まで引っ張り出された。
静かに水音を立てる小川の傍で、抵抗する間もなく引きずり起こされた。目の前にはボンドの顔があった。ボンドは私が何かを言おうとするのを、自分の唇に人差し指を当てて制した。
「ご無事ですか、陛下?」ボンドは小さな声で囁いた。
「ボンド、お前は」私は尻をゆっくり後退させて、ボンドから離れようとした。「お前は私を助けに来たんだな?」
「もちろんでございます、陛下」ボンドは私を見据え、静かに答えた。私は彼の右の瞼を見据えたー暗闇の中、必死に目を凝らして。
「お前は決して、誰かに命令され、私の死体を探しに来たというわけでは、ないんだな?」
「ございません、陛下」
その時、彼の小刻みにひきつる瞼の筋肉を見逃せたのなら、どんなに、どんなによかったか?
「なあボンド」私の声は震えていた。「私は、王座に相応しい人間かな?」
ボンドは答えなかった。彼の痙攣はそこで止まった。
ボンドの唇はぎゅっと結ばれていた。出てくる言葉を必死に閉じ込めようとしているかのように。
「ボンド」塩辛い涙のせいで、目の前の老いた顔はぼんやり霞んだ。「お前は、嘘すら、ついてくれないのか?」
「逃げてください、陛下、どうか」ボンドは苦しそうに呟いた。「どうか、お願いですから、どうか」
ボンドの顔から見る見るうちに血の気が引いていった。唇は寒々しい紫に変わり、肌は死人のように青ざめていった。
「ボンド…?」
次の瞬間、彼の瞳孔が大きく見開かれたかと思うと、口から真っ赤な血を霧のように噴射して倒れた。私は呆然と見つめているだけだった。ボンドはしばらく白目をむいて痙攣していたが、やがて動かなくなった。
「ボンド?ボンド?おい…何をしてる」
その時、私の肩を、優しく叩くものがあった。「知りたいのけ?」振り向くと、モドルジの汚れた顔が目の前にあった。モドルジは悲鳴をあげる私の口を足で踏みつけ、黙らせた。
怯える私の耳を、彼はちぎれそうなほど引っ張って、耳の奥に怒鳴りこんだ。「毒の酒を飲んだんだて!」彼はひどく苛立っていた。「わかるかえ!え?もちろん渡したのはこのおいらだて!」
「まだ話の途中なんだよ」私は自分が何を言っているかもわからないままに、喋った。「ボンドと、大事な話の…」
モドルジは混乱する私を楽しそうに見つめた。「俺が話し相手になってやるど」そして私の隣にあぐらをかくと、友達みたいに話し始めた。
「そうだなーどこまで話したんだでに?」彼は私の顔をいやらしく覗き込んだ。「ネロ御大が皇帝になりなさった話はしたかえ?」
脇の下から、冷や汗がにじみ出た。私はふるふる首を振った。
「そうかえ…」モドルジは鼻の頭をこすった。「爺さんに、あんたの骨を拾ってこいと、ネロ皇帝がご命令なすった話はどうだて?」
私は相手の巨大な鼻を見つめた。そうしてみると、鼻だけが固有の意志を持って生きているように見えてきた。
「ずいぶんくだらにゃあ、よもやま話ばかり、してたみてえだな?」モドルジの言葉は、意味を持たない単語となって、私の頭の中を通り過ぎていった。
「だったらおいらが教えてやらあ」モドルジは私の肩をポンポン、と親しげに抱いた。「爺さんとおいらたち、仲良くいっしょに海に出ただ。目印は宝石の冠だて。だがいくら探しても、あんたの骨は見つからにゃあ…」彼は酒臭い息を吐いた。
「そんで今日、補給がてらに寄ったこの島で、おいらたち、生きているあんたを見つけただ。そんならそれで、あんたの首を持ってけえるまで。そんなことは明白だてー
だが爺さんは、生きているんなら、生かしたまま連れてけえるべきだと主張しただ。だが俺たちの受けた命令は、骨を持ち帰れ、というものだて。それだけじゃねえ、無駄足を踏まされたせいで、酒や食いもんも、残り少ねえ。誰かを減らすならまだしも、増やすだなんて、とんでもねえ話だて。
だからおいらはな、連れてけえったところで、皇帝にとって邪魔な存在になるのはわかりきってるだ、陛下は死んで持ち帰るべきと、ナイフを突きつけて、礼儀正しく主張しただ。
爺さんはわかった、そんならせめて一晩くれとせがんだだ。殺す前にせめて別れを告げたいて。だが、おいらたち下等海賊を、あんまり見くびっちゃいけねえーいけねえだ。」モドルジは酒を一口でぐっと飲み干すと、分厚い手の甲で口を拭った。
「俺たちは爺さんが、お前さんを逃そうとしてんだということを、しっかり見抜いていただ。裏切り者は、決して生かしてはおけねえ。」
「そうか」私は決して動揺していないことを態度で示そうとして、冷静に相槌を打つように努めた。「それで?」
「何をやるにも、大事なのはセンスだて。」それからモアイは急に真顔に戻った。「俺はセンスの塊だて。袋叩きにするだとか、後ろから不意をついて切り裂いたりとか、そういう古臭いやり方はしねえだ。だから、美味い毒酒で殺してやっただ。いかにもだ、思慮分別のある、仲間思いの優しい男の顔をして、さりげなく酒を差し出してーこうーこうだてーそんなら爺さん、最後に一杯くらい飲ませてやりゃあと、そう言っただ」
私は顔に飛び散った血を拭った。喉の奥がひっついてしまったかのようだった。
「話はこれで全部だて」モドルジは私を褐色の目で見つめながら、叫んだ。「ラウル!」
ラウルが藪の中から野うさぎのように飛び出してきた。ラウルは私を見ると、目を一層大きく見開いた。モアイはラウルの肩を抱き寄せると、聞こえよがしに、乱暴に囁いた。
「こいつを描くだ。わかるだ?実物よりうんと醜くだ。閣下がお喜びになられるようなやつだで」
ラウルは私を凝視しながら、激しく数回うなづいた。
「出来によっちゃあ、ラッキーを、お前の部下にしてやるだ」
ラウルは自信に満ちあふれた様子で、私の方へ歩み寄ってきた。獲物を見るような目で私をくまなく観察しながら、興奮に震える手で、鉛筆と、よれて破けそうなパピルス紙とを取り出した。
「アランドラ王」ラウルは鼻の穴をヒクヒク膨らませながら言った。「私を覚えてらっしゃいますか?」




