5、ダイヤか、火打石か
私は村の中でも一番新しくて広い、小綺麗に清掃された、眺めの良い丘の頂上の小屋をあてがわれた。床には獣の毛で編んだ絨毯が敷かれ、ジャスミンの匂いの甘いお香が焚かれていた。
彼らは私のために盛大な食事をふるまってくれた。タロイモと豆のスープ、ヤシのミルク、パパイヤの実、魚の丸焼き、強烈なコブラの酒などで、私はすっかり腹いっぱいになった。それからパンダナスの葉っぱと海鳥の羽毛でこしらえた、ふかふかのベッドで心ゆくまで眠った。
夕方頃、カチカチいう音で目が覚めた。小屋の隅で、ホウキが火打石を叩いて、火を起こしているところであった。
私の視線に気づくと、ホウキはにっこり笑って、「アラン。コレ、イイネ」と言って、手にしているものを私に見せた。それは、私の冠についていた、あの最後のダイヤであった。
あろうことか、私の最後の証であるダイヤをー
火打石に!
頭にカッと血が上り、私はそれをホウキの手からむしり取るように奪い取った。ホウキは突然の私の剣幕に真っ青になって、後ずさった。私は歯をぎちぎち鳴らしながら、「これは、ただの石ころではない」と言った。「お前にはわからないだろうが!」
ホウキの顔は見る見るうちに真っ赤になった。瞳が潤んで、眉間にぎゅっと皺がよった。泣くのなら泣くがいい。私はそう思って、じっと黙っていた。
ホウキは突然立ち上がったかと思うと、小屋を飛び出し、丘の下まで駆け抜けて行って、波打ち際で獣のように吠え始めた。やり場のない感情をどうしたら良いかわからないようだった。
ホウキは笑ったり、また泣いたり、怒ったり、笑い転げたりを繰り返した挙句、そのどれもが自分の感情を和らげないということを悟ると、今度は勢いよく頭を岩礁に打ち付け始めた。振り回されるおさげが、残像となって見えないくらいの激しさである。私はその狂気に、再びの恐怖を覚えて戦慄した。
私はどうすることもできず、ホウキが落ち着くまで見守った。それからホウキはすごすごと小屋へ戻ってきて、隅の方でうずくまった。額からは血がにじみ出ていた。
私はその痛々しい傷を見て、胸をつぶしそうであった。先ほどの私の態度は、英雄には似つかわしくない、あまりに短絡的で、狭量だった。私は自分の行いが途端に恥ずかしいものに思えて、悲しくなった。自分に対して、自分が失望しそうになるのを、今すぐなんとかせねばならぬと思った。
私はホウキの隣に体育座りをすると、その砂だらけの手に触れた。
「なあ…」私はなるたけ優しい声を出そうと努めた。それはホウキに聞かせているというよりは、自分に聞かせているのであった。
「大事にすると約束するなら、少しの間、貸してやってもいい」
ホウキは「ヒウチイシ、シナイ」と言った。「ダイジ、スル」
「わかった」私はうなづいた。「だけど、決してなくしてはいけないよ…」
顔を上げると、戸口のところに、一人の黒い少女の顔があった。少女は黄色い鳥の羽根飾りを頭につけて、黒光りするワニ皮のマントを羽織り、顔には白粉で化粧を施されていた。一糸の乱れなく左右均等につり上がった太い眉毛、宝石のような目元は涼しげな切れ長で、ツヤのあるまっすぐな黒髪は綺麗に櫛を入れられて、時折の海からの風に膨らんでそよぐ。その凛とした立ち姿は、魔性のクレオパトラを思わせる。私は突如面前に飛び出してきた超然的な美しさに、他のものを全て忘れてしばし見とれていた。
フラフラとした頭のまま、おいで、と手招きしてみせると、少女は手に木の実や小鳥の屍を持って、しとやかに入室してきた。その時気が付いたのだが、ホウキの姿はいつの間にか消えていた。
少女は私の前に深く頭を垂れると、身につけていたワニのマントをばさりと脱いだ。露わになった乳房ははちきれそうに上向きに膨らんでおり、植物の油を塗りたくられ、差し込む夕日に反射して、ぬらぬらと蠱惑的に輝いた。ぽかんとして見つめていると、少女はベッドに寝転がって、妖艶に手招きして見せた。私は全身が一挙に火照るのを感じた。息をするのもやっとであった。
だが次の瞬間、鬼のように目を吊り上げたホウキが天井から蜘蛛のように飛びおりてきて、少女に向かって、唾を飛ばしながらものすごい剣幕で何かを巻き舌で叫び、とうとう部屋の隅に立てかけてあった槍まで持ち出して、追い払う仕草をした。少女はホウキに対し、けたたましい笑い声をあげながら、裸のまま部屋を飛び出していった。少女がすっかりいってしまうと、ホウキは赤く頬を染め、恥ずかしそうに振り向いて、言った。
「アラン。ホウキ、オコル?」
私は幾分がっかりした気持ちを飲み込んで、いいや、と答えた。彼女はまた来てくれるのにちがいない、そういう風に思い直しながら。
「アレハ、ワルイムシ」ホウキは地団駄を踏み鳴らした。「オトコ、ホネヌク、ワルイムシ」
私はその話に納得しながら、そうかね、とだけ答えた。目の前の醜いホウキに対し、そっけなくなってしまうのを、どうしようもできなかった。
「ホウキ、アラン、ワルイムシ、マモル」ホウキは私の顔を覗き込むように擦り寄ってきた。「ホウキ ウレシイ。ミンナ ホウキ ミクダス ケレド アラン チガウ」
「どうして見下すんだね?」
「ホウキ ブスダシ サカナモ ミンナホド トレナイ ダメニンゲン」
手元のダイヤが、ホウキの短いまつげに、四色の光を投げかけた。まるで、かつての自分を見ているような思いがして、また同時に、彼女を救ってやれるのは私しかいないのだと、そういう思いにとらわれて、私の心はたちまちあふれそうな慈愛に満ちた。そして、先ほどまでホウキを醜いなどと蔑んでいた自分のことが、ひどく間抜けな、性欲の虜のように思えて、恥を覚えた。
私は試されているのだ。目の前の少女は、神が私に寄越したもうた、試金石なのだ。醜いホウキを他と同じに見下し、蔑むことは、それこそ凡百の証拠ではないか。
「そんなことはない。お前は外国語だってしゃべれるし、魚だって取れる、それに、表現力だってある。わかるか、表現力?」
ホウキは首を激しく横に振った。また例の発作が始まるんではないかと、私は気が気でならなかった。
「なあ、ホウキ。私はわざわざ、島の向こう側から、お前に会いに来たんだよ。それってつまり、お前が、私にとって、特別だってことだ。そうだろう?」
ホウキは背中を向けたまま、「ホントウ?」と言った。
「本当だよ。本当さ」
「ホウキ トクベツ?」
「トクベツさ!」私は叫んだ。「出なきゃ、大事なダイヤを貸すものか!」
ホウキはパッと頬を染めた。それから体をもじもじとくねらせながら近づいてきて、私の体を、一瞬だけ遠慮がちに抱きしめた。私はビクッとして、身を硬くした。
それからホウキは弾けたようにパッと体を離すと、閃光のように飛び出して行った。私はその痩せて骨ばった背中を、島を包み込む金色の夕暮れの中に、愛おしい気持ちで見送った。それから私は再び深い眠りについた。




