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カニ王  作者: ねずみ
第二部 寄生
22/47

4、奇跡人間アラン

 

 熱帯の植物が生えそろう獣道を、ホウキはずんずん進んでいった。私はすっかりクタクタで、ついて行くのがやっとであった。

 

 その白木造りのバンガローは、砂浜を見下ろす崖の上に、忘れられたようにポツンと立っていた。小屋の回りには、失われた島の暮らしの全てが詰め込まれていた。燃えるような大きな火焰樹が、家を守るように枝を広げていた。若いココナツは黄金に輝き、バナナの葉っぱは女王の頬を撫でる扇のように大きい。

 

 中へ入ると、葉っぱを敷き詰めた床の上に、二人の野蛮人が座っていた。彼らは私を見ると、ハッとして、立ち上がった。

 

 一人は、先日ホウキと一緒に散歩をしていたあの青年であった。この前よりいっそう青白い顔をして、本日は素っ裸である。もう一人は皺の深い、彫刻のような老女であった。耳たぶに分厚い象牙をぶら下げて、雪のように白い剛毛の髪を、ホウキと同じく鉄団子のようなおさげにしてまとめている。垂れ下がった乳の先で、干しぶどうのような乳首が、隙間風に揺れていた。私の目には、彼らが未来人のように映った。文明から距離を置き、ひっそり生き続けることを選択することが、生き残るために何より最善の道であるのだと知っている未来人…


「オメガ」ホウキは嬉しそうに、青年の方を指差した。「コブラ」そう言って今度は、老女の方を指差した。


  ホウキが彼らに向かって現地の言葉で何かを言った。二人は瞳を潤ませながら、私を交互に強く抱きしめた。私はおとなしく、されるがままにした。彼らが小刻みに震えているのがわかった。

 

 それからコブラ婆さんが、私に向かって、私の失われた右腕をしきりに指差しながら、低い、うめくような言葉で何かを尋ねた。ホウキが代わりに答えると、婆さんが胸を押さえて、私の足もとにくずおれた。私は発作でも起こしたのかと思ったが、どうやら違うようだった。婆さんは、私に向かってひざまづいているのだ。後ろで聞いていたオメガも、コブラに続いた。私はすっかり度肝を抜かれてしまった。


「なぜひざまづくのだ?」


 ホウキが何かを言いかけた、その瞬間、後ろからドッと押し寄せてくる足音を聞いた。ハッとして振り向くと、蛮族たちが、武器やら鍋やら獣の死骸やらを手に掲げ、押し合いへし合いひしめきながら、こちらめがけて押し寄せてくるのが見えた。

 

 逃げる間もなく、私はあっという間に外へと連れ出された。無数の手が、私の髪の毛や皮膚を引っ張った。必死に抵抗しようとしたが、まるきり無駄であった。助けを求めて懇願する私の猫のようにか弱い悲鳴は、野蛮人たちの盛大なる合唱に飲み込まれた。

 

 私は気づけば、野蛮人の集団に、神輿のように担ぎ上げられているのであった。彼らが歌っているのは、暴力的なマーチであった。太鼓を叩いたり、指笛を鳴らしているものもいた。彼らの表情は、宗教的な恍惚に満ちていた。私は容赦なく上へ下へと揺さぶられ、気持ちが悪くなった。あまりの衝動に、脳ミソが砕けて散らばりそうである。


 「下ろせ、下ろしてくれ!」

 

 しかし、私の意志に反して、彼らの熱量はどんどん高まってゆくように思われた。私は群衆の中に、ホウキの姿を探した。しかし誰もかれもが同じようなお面をつけているので、まるで見分けがつかない。

 

 彼らはずんずん森をかき分け、進んでいった。やがて、開けた大地に出た。広場の周りを杉の木が取り囲むように囲んでいる。中央には櫓が組まれ、その周りでは焚き火が煌々と燃えている。私は櫓の上まで担ぎ上げられた。


「おい、何をする…何を!」


  野蛮人たちは私を柱にくくりつけ始めた。彼らは私の存在など無視するかのように、早口に叫びながら、互いに何かをテキパキと指示しあっている。

 

 無数の小さな手が伸びてきて、私の顔に何か泥のような臭いものを塗りたくった。それはねっとりとした、血のように真っ赤な塗料であった。かと思うと、蟹の冠の上に、巨大なシャコガイの被り物を乗せられた。彼らは目配せし合うと、一人残らず下へと降りていった。

 

 脳裏に、生贄、と言う二文字が浮かんだ。やがて下から聞こえてきた、狼の遠吠えのような奇怪な叫びに、私は子豚のように震えおののいた。私は又しても騙されたのか。なぜこう何度も、騙されるのか。なぜ学ばないのか。

 

 その時、何者か、背中をポンポンと叩くものがある。振り向くと、お面を額まで持ち上げたホウキが、柱の陰からひょっこり顔をのぞかせた。

 

 私はホウキの罪のない清純な笑顔が憎らしくなって、殴りつけてやりたくなった。しかし縛られた体では、もはや何をどうすることもできない。


「アア、アラン」ホウキが仔ウサギのように目を瞬かせ、ぶるっと身を震わせた。「アア、アア、アア!」

 

 ホウキは奇声をあげながら、得意げに下を指差した。私はしかし無視をした。するとホウキが無理やりに私の首を押し込んで、下を見させた。私は異様な光景に目を見開いた。

 

 野蛮人たちが、櫓の周りを取り囲むようにして、一斉に私に向かってひざまづいている。中には涙を流しているものさえいた。私は舞い上がる火の粉とチリに目を潤ませながら、彼らの姿を悄然と見つめた。


「アラン、キセキニンゲン。カミノセンシ。カイブツ、タタカッタ。ソンナヒト、イナイ」

 

 私は一人ひとりの顔をじっと眺めた。彼らの顔には、確かに私が求めていた、無条件の尊敬の念が浮かんでいた。

 

 目の前に、突然光明のようなものが差してくる。奥へ押しやって、見ないふりをしていた自尊心というものが、まばゆいほどの光に目覚め、むくりと顔をもたげ始める。私はその首根っこを捕まえて、もう出てきていいよと言ってやる。 

 

 私はあの陸地の文明社会の中で、己の価値を見出せずにやってきた。騙し合い、脅かし合い、自己顕示欲のひしめき合い、先にゴールを決めたものが一番偉いという悪魔のように歪み腐った論理のはびこる宮廷社会の中で、私は間違いなく弱者であり負け犬であった。なぜか。それは私という存在が、汚れて歪んだ文明の社会の中ではあまりに純朴すぎ、またあまりに誇り高すぎたからである。

 

 だがしかし、今こそここで、とうとう真の価値を見出されたのだ。私の尊敬してやまない偉大なる先人たちは、遅咲きか、もしくは死後に価値を見出されるというものがほとんどである。それもこれも、その時代に彼らの価値を押しつぶしてしまう、折れ曲り、歪められてしまった時代の気風が、衆愚の目の前に霧となって漂っていたからに違いない。地動説を唱えたガリレオガリレイなどは、まさにその一例である…

 

 しかし今こそ我が眼前の霧は晴れあがった!彼ら蛮族は、進みすぎた文明という病にまだその心眼を侵されていない、賢明な一族なのだ。彼らの瞳には色こそ映らなくとも、その分真実の英雄を見出す力が未だ宿っているのにちがいない。私は溢れ出る歓喜の涙を震える指でそっと拭うと、胸をそらして、高い天を仰いだ。そして自分の偉大なる可能性を教えてくれたこの未開人たちに出会わせてくだすった神の采配に、心深く感謝した。

 

 群衆の中、一人だけ首をぐんと伸ばして、こちらをじっと見据えているものがあった。それはホウキの兄、オメガであった。その青い瞳に、他とは違う何かを感じて、私はさっと目を背けた。けれども再び見た時には、彼は深く頭を垂れていたので、その出来事は取るに足らぬ記憶として、すぐに消去されてしまった。


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