14、船長のサイン帖
promise little,and do much.
「不言実行」という言葉があります。
黙って、自分のなすべきことを、
きちんきちんとやっていくような。
あなたはそういう船長でした。
あなたから、
「船を降り、南の島で農家になる」
と聞いたあの晩のことを、
私は今でも覚えています。
もう、これ以上、
裏切り者の首を切ったりだとか、
海軍に向けて大砲をぶっ放したりだとか、
そういう殺生にはすっかり疲れてしまって、
これからはあの秘密の島に引っ込んで、
花やジャガイモを育てたいのだと、
あなたのそういうお話を聞きながら、
私がどれだけあなたが冗談だ、
本気に取るなよと、
そう笑ってくださるのを
心待ちにしていたか。
あなたは結局、言ってくれませんでした。
だけど今でも待っています。
私はいつまででも、待っています。
航海士ウィリアム
*
サリー船長へ
サリー船長は、音楽が好きなんだってね。僕も好きなんだけれども、音痴であることには、かの音痴くんにも引けを取りません。まあ下手の横好きとでもいいませうかな。
さてと、音楽が好きだとあれば、船長は引退後も、バハマに行くんだろう。そうすると引退後にも会ふこともあるかもしれん。僕は船長と同じく、田舎の島へ引っ込む予定なんだけれども、ちょいちょいカリブへ出てくるし、それにカリブに出てくれば、必ずバハマのあたりをうろうろする。だから、バハマへ来た船長と、あの辺を犬のようにうろつく僕とが顔を会はすこともあるかもしれん、といふわけさ。
音楽といふのは美しいものだし、さういふ美しいものに接していれば自然美しい心を持つようになるもの。
また、お互ひに、これからも美しい音楽に接しませふ。何はともあれ、お体には気をつけて。
副船長ポー
*
あなたは自由を下すった。
かたわのおいらに、
夢と希望も下すった。
生きていく理由も下すった。
全てはあなたが「みっつめの瞳」で、
我々の行く先を、
荒れる海原の中に見つけて
下すったから。
掃除夫ハロルドより
*
夢のような十年でした。
船長が殺されそうになっていた
盲の僕をゴミ箱から拾って下さり、
ロザリー号に乗せて下さった時、
僕は誰より立派な海賊になって、
あなたに恩返ししようと決めました。
あなたは僕におっしゃいましたね。
「地球は人間の遊び場ではない」と。
僕は必死に努力して、一人前の
砲手になりました。
今なら目をつむったままでも、
敵船を沈めてやることができます。
あなたが船を止めてしまうのは、
とても心の苦しいことです。
だけれど僕は諦めません。
これからどんどん立派な海賊になって、
いつかあなたのような海賊になるのが
目標です。
またあなたに会える日を、
僕はきっと信じています。
砲手シルベスタ
*
サリー・カニンガム船長
あなたの選択は正しいと思います
こんな野蛮な仕事を続けていたら、
いくら天罰が下り切っても足りません
花を育てたり猿を育てたり鳥と話したり
そんなことをしながら
自然の中でのセカンドライフを
お考えになられているとのこと
しかしあなたが余生を過ごされるのに
選んだあの島は
まだ人の手の入らぬ危険な島
くれぐれも人食い族と
それから野獣にお気をつけますよう
ご多幸をお祈り申し上げる
スコット・シャランスキー(料理長)
*
サリー坊やへ
航海日誌の感想に「よくしっかりしなくちゃならない」「今の生活はこれでいいのだろうか」といった反省や覚悟がうかがわれたのですが、確かにうっかりしてはならないといった緊張は感じられるのですが、その日その日の自分自身の態度に留意されていないところが十分にあったのではなかったでしょうか。
小さなこと、ほんの小さなことなんですが、それが心の張りとは反対に、見過ごされがちではなかったかと思うのです。なぜでしょう。よく「小さいことにこだわるな」と言いますね。その言葉は「時」と「場合」によって、使われる場合と、通用しない場合とあるわけですね。「ほんの細かい事柄がやりこなせないで、どんな大きな仕事ができるのだ」という言い方もできるわけですね。今後はめでたく海賊などという野蛮な職業を卒業されるということですが、また復帰なさるにしても、あるいは別のお勤めをなさるのにしても、まづ心がけとして、前進する前に、今、自分は何をしたら良いのか、落ち着いて考えるのが必要だと思うのです。そうすれば、生意気な居酒屋の小娘に手を出して、逆上した妻に小指を切り落とされるということもなかったと、そういう風には思いませんか。
最後の言葉として、「小さいことがら」でも「なぜか」「如何せねばならないのか」を考えるように、申し上げたいと思うのです。
機関長 兼 あなたの元妻 ローズより
*
寄せ書きはそこで終わっていた。気づけば太陽は稜線に沈み、私は窓から差し込む淡い星の光を頼りに、それを読んでいたのであった。
私は考えを巡らせた。鸚鵡の飼い主、サイン帳の持ち主で、船の持ち主、そして自分を見失い、猿と化したあの男。点と点が繋がってゆく。全ては同一人物なのではないか。
船員たちに信頼を寄せられていた「死者団」の船長は、何か思うところがあって海賊を引退し、この島へやってきた。そうして、いつの間にか、あんな風に猿になってしまった。
私は日記をもとあった場所に戻し、外に出た。メインマストが、輝く満月を貫くようにまっすぐ天を目指して伸びている。私は月を追いかけるようにして、朽ちかけた見張り台へ登った。
見張り台の上は、鳥の糞で真っ白に汚れていた。私は構わず、というより疲れ果てて、そこに腰掛け、足をぶらりと投げ出した。
南の方向に、黒焦げの森と、夜の海、そして見慣れた砂浜が見えた。
私はこの船の過去へと思いを巡らせた。この船がかつて、ロザリー号という名を掲げ、幾多の海賊を乗せ、カリブの海を駆け巡っていた頃ー彼らが私のすぐ足元で、酒を飲み交わす姿、そういうものを思い浮かべた。
そうしていると、ラム酒の強烈な匂いや、汗と血のまみれた匂い、屈強な海の荒くれ者たちが甲板を走り回る姿の姿が、ありありと思い浮かんでくるのだった。私が決して一生交わることのない世界。一生知ることのない情熱の世界。
しかし今、一番強く私の心に迫ってくるものはー私が殺したのは自分と同じく心を持った、一人の人間なのだという揺るぎない事実だった。それは私を何より強く打ちのめした。
脇の農園を見下ろした。原型をとどめず、茶色くなってしおれた花々。一人ぼっちでこの島にたどり着き、育てようとした植物も、ついには育てられなかった。
私は男の背中を想像した。野太い手で、種を蒔き、決して咲くことのない花に水をやり続ける大きな男の背中。その首には皺が刻まれ、その乾いて老いた皮膚には、アブもヒルさえも近寄らない。
私は農園から目を背け、前方の海を見渡した。その時、木の間から覗く砂浜に、ふらふらと定まらずに揺れ動く、小さな黒点を見た。最初は虫かと思った。その次は雑巾に見えた。だがその雑巾には手があり、足があった。雑巾は波間にプカプカと漂って、砂浜に押し上げられ、引き戻されしていた。
私は立ち上がった。それは猿男に違いなかった。死体か、それともまだ息があるのか。ここからでは分かりかねた。
私は砂浜目指して一目散に駆け出した。




