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カニ王  作者: ねずみ
第一部 自切
16/47

15、仲良くしよう


 男にはまだ微かながら息があった。


 私は男をベッドに寝かせ、乾いた口に魚の出汁をそそぎ込み、焼けただれた皮膚や生傷にハーブの汁を塗ってやり、船から持ち出した毛布をかけてやり、体をお湯で濡らしたボロ切れで拭ってやり、モップのような髪の毛と髭を、ハサミで切ってやった。その間じゅう、男は一度も目を覚まさなかった。私は自分を罪人にしないために、男を何としても生かさねばならないという強い思いにとらわれていた。

 

 男は見違えるように綺麗になった。その体にはいくつもの傷の跡や刺青があった。しかし私の目を引いたのは、露わになった額に引っ付いた、巨大なかさぶたのようなものであった。私は決してみてはいけない、他人の恥部をみてしまったような気がした。そっと布を巻きつけて、それが見えないようにした。

 

 それから男が死んだように眠り続けるのを、私は一晩中、そばでじっと見守り続けた。

 

 そのうち、私はある考えに思い当たった。目を覚ました男が私を殺さないと、なぜ言い切れるのか?

 

 私は男の手を廃船から拾ってきたロープできつく縛った。足も同じようにした。首にもロープをくくりつけ、壁に苦心して打ち込んだ杭にそれを繋げた。

 

 私は男からできる限り距離を取り、洞窟の入り口辺りに、船から拝借した毛布を敷いて横たわった。ここからだと、男のかすかな吐息は波の音にかき消されて、全く聞こえなくなった。私はもう少し男の方へ近づいて、そこに毛布を敷きなおした。ここだと、男の吐息が確かに聞こえた。

 

 私はその大きな鼻の穴から、金色の鼻毛が規則的に出たり入ったりしているのを見つめながら、こう決心した。


 可能なら話し合おう。ああいう日記を書いた男なのだ。猿に成り下がったとはいえ、話し合うくらいはできるはずだし、うまくいけば、わかりあえるかもしれないじゃないか。そうしたら、協力しあって、生き延びることだって、できるかもしれない。


 私は毛布にくるまった。汗が染み込んだ、カビくさい臭いがしたが、私にはその匂いが、ひどく懐かしく感じられた。それを抱きしめるようにして、眠りに落ちていった。


                        *


 柔らかい風に目を覚ました。目を開けたまま、しばらく海の方を見つめていた。空は赤く染まり、金色の波が穏やかに揺れていた。明け方なのか夕暮れなのかもわからぬまま、しばらくまどろんでいた。

 

 突然、洞窟の奥で揺れる影に気づいて飛び起きた。くすぶりながら燃え続けている焚き火の灯りに照らされて、一匹の猿が浮かび上がった。それは王冠をかぶった、あの小さな赤猿であった。猿は心配そうに男に寄り添って、耳たぶを引っ張ったり、匂いをかいだりしていた。

 

 猿は私と目があうと、歯茎をむき出しにしながら喚きながら後ずさり、私の股座をすり抜けて、表へと飛び出していった。


                        *


 夕方、森から戻ると、男が寝返りを打っていた。私はハッとし、慎重に男の様子を伺った。男はかすかないびきをかいていた。


  ロープを結び直してから、夕飯の準備に取り掛かった。拾ってきた木の実や芋、蟹やきのこを袋から取り出して床に広げた。そうして、もう一つ、激しくうごめく袋に手を伸ばした。

 

 その袋の中からは、「そこのおきゃくさま。これは最後の警告でごぜえます、俺は腹が減ってんだ…」という、あの狂い調子のフレーズが漏れ聞こえていた。袋から取り出すと、鸚鵡は激しく私の手を突ついた。しかし頑丈な防具は、鸚鵡の攻撃をもろともしなかった。私は鸚鵡の足のちぎれた鎖の先をロープで結び、さらに木の杭にゆわえつけた。鸚鵡はしばらくパニック状態で羽をバサバサしながら叫んでいたが、隣で寝ている男の姿に気がついて安心したのか、途端におとなしくなった。

 

 ちょうどその時、例の猿が洞窟の入り口に用心深く現れた。昼間のような警戒はなく、猿は尻尾をおしとやかにたたむと、私が投げた木の実をボリボリ貪り始めた。

 

 猿が無心に木の実をかじる音、鸚鵡がつぶやく謎の独り言、男の静かないびきに耳をすませているうち、この場所は私が作ったのだと言う、得意げな気分に包まれた。

 

 私は暗く染まり始めた海の方を見遣った。海の果てしない夕景は、いつも私を感傷的にさせた。こういう感傷的な夕方は、私に取り戻せない過去の過ちを蘇らせる。


                        


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