第四章 クレイジー・アバウト・ユー(六)
実験室の壁かけ時計は、寮の門限時間を既に廻っていた。相部屋のシスタは、心配していないだろうか。俺は、ただ、部屋の隅で解毒剤の完成を待ち続けるしかなかった。静まり返った校舎に教室を闊歩するまみりんの足音だけが伝わり広がっていく。彼女は何度も俺の前を行ったり来たりした。口をへの字に曲げて、白衣を翻す格好は、さながら、小さな学者さんというような愛らしい出で立ちである。さらに、目で白衣のまみりんを追っていると、ついに彼女が糸口をつかめたのだとわかった。まみりんは、棚に並んだ瓶を取り出し、ホルマリン漬けになった獣のミイラに笑いかけたのだ。ようやく解放されるのかと思うと、こちらも心が軽くなる。
木製の戸口を叩く音がして、俺たちは同時に視線を出入り口に移した。
「警備員かしらね、ちゃんと話はつけたはずなのに」
まみりんが、小瓶を抱えたまま、あまりにすんなりと扉に向かおうとするものだから、思わず俺は彼女の腕を掴んだ。
「待て、嫌な予感がする」
まみりんは、はっと髪をなびかせ、無防備な顔を上げた。次の瞬間、彼女の腕の中をガラス瓶がすり抜けていった。ホルマリンが床に広がるまでのわずかな時間、俺は、はじめてまじまじとオンナノコの瞳を見つめた。捉えられたように目を逸らすことができなかった。なんて悲しげな瞳だろう。これが、恋をするということなのだろうか。彼女は、俺を見ている。いや、違う、俺の中に誰かを見ている。
この子は誰を想うの。どうしてそうまで一人の人を想い続けるの。どうして、一人なの。俺は、無性に泣きたくなった。彼女と一緒に泣いてしまいたいと思った。
そのとき、爆音と共に扉の板が吹き飛び、俺はまみりんを引き寄せ、飛び散る木屑に目を閉じた。視界が開けたとき、俺たちの前に立っていたのは、ひとりの少年だった。今朝、屋上で顔を合わせたあの少年Aである。彼の様子がおかしいことは、一目でわかった。顔面の肉が重力のままにだらしなく垂れさがり、筋肉の収縮した老人を思わせる。小刻みに首を揺らすことで、やっと平衡感覚を保っているようだった。彼がひとたび息を吸うと、血管の筋が盛り上がり、まるでそれだけ別の生き物であるように、素肌を貪って無尽に根を這わせていく。
「妖気だわ」
金剛まみが少年の放つ異臭に顔をしかめた。
お読みいただきありがとうございます。
近頃、思い余って、“俺が田中……”とは、別に公募用の小説をちまちま書くようになりました。なろうでは、今まで以上に文章量が減りましたので、読みごたえが失われていると感じる方もいらっしゃるかもしれません。亀の速度ではありますが、今後も、お付き合いくだされば幸いです。
さて、余談になりますが、私は、小説を書くに当たって、男性向け、女性向けを、とくに意識しません。
と言いますのも、筆者は、男性向け小説にありがちなサブヒロイン制度が苦手でして、といって、少女小説の恋に盲目な主人公にも疑問があります。
もう、知るかー(>_<)とスタートさせたのが、“俺が田中……”です。
百合要素を匂わせたところで、男性読者は離れるだろうと腹をくくったりもしましたが未だに、作者の中で結論は出ないまま。
幼い私を、本嫌いにした原因が女の子向け児童書だったこともあり、対象を絞るのに抵抗があります。きっと、シャーロック・ホームズや江戸川乱歩や、少年漫画を渡せば、子供の私は夢中になったと思うから。
けれど、公募を考えるようになって、本当にそれでいいのだろうかと葛藤しました。
読みやすい文章はもちろんのこと、少し、読んでくださる方を考えて物を書けるようになりたいです。
けれど、サブヒロインは嫌(笑)




