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マッチ率100%の二人だが、君は彼女で私は彼だった  作者: naomikoryo


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43/50

番外編:第4話「もしも最初から名乗っていたら」

四月十日。

夜。

新堂真子は、ベッドの上でスマホを握りしめていた。

画面には、出会いサイトの新規メッセージ通知が点滅している。

指先が震えるのは、期待じゃなくて警戒だった。


(もう二度と、あんな思いはしたくない)


先週別れた元彼の顔が、ふっと脳裏をよぎる。

優しい言葉の裏で、平気で嘘をつく男。

それを見抜けなかった自分。

笑って許してしまった自分。

その後悔が、胸の奥にまだ残っている。


真子は、姉に言われた言葉を思い出した。

「真面目な人を探すなら、あなたも真面目に行きなさい」

その時は、軽く流した。

でも今夜は違う。

逃げるために男のふりをするのではなく、自分の名前を差し出してみようと思った。


プロフィールを開く。

性別:女性。

名前:新堂真子。

年齢:26。

勤務:百貨店(都内)。

余計な飾りのない情報。

それが怖いのに、どこか気持ちが軽かった。


(これで傷ついたら、仕方ない)

(でも、嘘で始めたくない)


◆◇◆


一方その頃。

佐伯和人は、実家の自室でスマホを見つめていた。

転職初日の疲れが身体の奥に残っている。

緊張で肩が上がりっぱなしだったのか、首筋が痛い。

それなのに眠れない。


(誰かと話したい)

(でも、どう話せばいいか分からない)


高校の時、告白された相手と半年だけ付き合った。

「真面目すぎて面白くない」

その一言が、胸に刺さったまま抜けていない。

面白い男になれなかった自分が、ずっと恥ずかしい。


だから、理想の女性を演じることで安全な場所を作ろうとしていた。

千佳という名前。

化粧品売り場の女性。

絵文字と柔らかな言葉。

そうすれば、距離を保ったまま誰かと繋がれると思った。


でも、今日は指が止まった。

画面の向こうにいるのが、同じように孤独を抱えた“誰か”だと考えた瞬間。

自分が嘘をつく理由が、急に薄汚れて見えた。


(俺は、誰かを試したいんじゃない)

(ただ、受け入れてほしいだけだ)


和人はプロフィール編集を開く。

性別:男性。

名前:佐伯和人。

年齢:28。

勤務:百貨店(都内)。

それを入力する指が、思っていたよりも軽かった。


(本当の自分でダメなら、ダメでいい)


◆◇◆


その夜。

マッチングが成立した。

理由は単純だった。

互いに「百貨店勤務」「真面目に話したい」という項目が一致していた。

マッチ率は、100%。


そして最初のメッセージ。

和人は、丁寧に打った。


「はじめまして。

佐伯和人といいます。

転職したばかりで、まだ慣れなくて。

もしよかったら、少し話しませんか。」


真子は、胸が少しだけ温かくなるのを感じた。

文章が丁寧で、でも堅すぎない。

自己紹介が短くて、余計な飾りがない。

変に口説こうともしない。

その“普通さ”が、今の真子には安心だった。


「はじめまして。

新堂真子です。

私も百貨店で働いています。

最近色々あって、ちゃんと話せる人と繋がりたくて登録しました。

よろしくお願いします。」


送信して、真子はスマホを伏せた。

心臓が速い。

それは怖さだけじゃない。

久しぶりに、ちゃんとした扉を叩いた感覚があった。


◆◇◆


翌日。

二人の会話は、驚くほど自然に続いた。

嘘がないぶん、言葉が短くても伝わる。

探り合いがないぶん、沈黙も怖くない。


和人は仕事の話をした。

新しい百貨店の空気のこと。

バックヤードの匂いのこと。

緊張で笑顔が固まること。


真子は化粧品売り場の話をした。

お客様の機嫌が香り一つで変わること。

忙しい日に耳が疲れること。

それでも「ありがとう」が救いになること。


不思議だった。

二人は“理想の異性”を演じなくても、ちゃんと噛み合った。

それどころか、素のままの方が会話が滑らかだった。


◆◇◆


そして、四月十三日。

和人は、ふと不安を零した。


「新堂さん。

僕、話していて楽しいんですが。

こういう場所だと、みんな嘘をつくって聞くので。

少し怖いです。」


真子は、画面を見つめた。

そこにあるのは疑いではなく、臆病さだった。

自分と同じ種類の傷を持っている。

そう感じて、真子は正直に返した。


「分かります。

私も怖いです。

でも、佐伯さんの文章は、嘘をつく人の文章じゃない気がします。

変に盛ってないというか。」


その一言で、和人は救われた。

“面白くない”と言われた男が、“盛ってないのがいい”と言われた。

それは、違う世界線の救いだった。


◆◇◆


五月二日。

本編では二人がテラスカフェですれ違っていた日。

この世界線の二人は、すでに一度会っていた。


場所は、百貨店の近くのカフェ。

平日昼間。

人が少なくて、窓際が明るい。

真子は先に着いて、手元のメニューを眺めながら指先を落ち着かせていた。

和人が入ってきた瞬間、真子の背筋が伸びた。

写真と同じ顔。

でも写真より少し疲れた顔。

それが妙に現実的で、胸がきゅっとなる。


和人は、真子を見つけて少しだけ目を見開いた。

想像より、柔らかい雰囲気の人だった。

でも、視線の芯がぶれない。

仕事をしてきた人の目。

嘘を許さない目。

それが怖いはずなのに、和人は安心してしまった。


「はじめまして。

佐伯です。」

「新堂です。

……来てくれてありがとうございます。」


それだけで、会話は続いた。

ぎこちないのに、途切れない。

言葉が少なくても、沈黙が痛くない。

二人は笑って、コーヒーを飲んで、仕事の愚痴を少しだけ言った。

帰り道、真子はふと思った。

(これでいいんだ)

(嘘をつかなくても、ちゃんと繋がれるんだ)


けれど。

この世界線には、この世界線の“欠け”があった。


本編の二人は、アプリだけで一か月、心を育てた。

会う前に、心が先に近づいてしまうほど。

だから“会った瞬間”に、言葉がいらなかった。


この世界線の二人は、早く会えた。

安心も早かった。

でも、心の深いところに踏み込む速度は、意外と遅かった。

なぜなら、会ってしまうと、日常の層が厚くなるから。

仕事、見た目、態度、間。

評価の要素が増える。

それが“普通の恋”の現実だった。


◆◇◆


五月六日。

真子は仕事でミスをした。

予約特典を入れ忘れ、クレームになった。

落ち込んで、和人に連絡をした。


「今日、ミスして。

すごく落ち込んでます。」


和人は返した。

「大丈夫ですか。

何があったか、話せるなら聞きます。」


そのやり取りは優しい。

優しいのに、真子の胸は少しだけ寂しかった。

本編でリョウに言えた“弱さ”ほど、さらけ出せない。

実際に会っているからこそ、格好悪いところを見せるのが怖い。


和人もまた、同じだった。

真子の前では、どうしても“ちゃんとした男”でいたい。

傷ついている自分を見せれば、幻滅されそうで怖い。

だから言葉が丁寧になるほど、心の芯が遠ざかる。


それが悪いわけじゃない。

ただ、本編の二人が持っていた“文字だけの裸”が、ここにはなかった。


そして何より。

この世界線には、琴美が“共犯者”として介入する余地がない。

受付の琴美は二人を見かけて、「あ、新堂と販促の佐伯さん、仲いいんだ」くらいにしか思わない。

真子が追い詰められたとき、裏で背中を押す存在になりきれない。

和人が“千佳”という逃げ場所を失って揺れたとき、救いの役にも立てない。


二人は、普通に出会って、普通に仲良くなって、普通に不安になっていく。

その普通さは健全で、優しくて。

でも、どこか物足りなかった。


◆◇◆


ある夜。

真子がぽつりと言った。

「私たち、すごく相性いいと思う。

でも、なんか。

“本音の底”に触れる前に、いつも止まってる気がする。」


和人は、返す言葉を探した。

そして思った。

(もし最初に嘘をついていたら)

(もっと踏み込めたのかな)

そんなことを考える自分が、矛盾していて嫌だった。


嘘は嫌だ。

でも、嘘が作ってくれる距離感の中で、人は時々本音を言える。

皮肉だけど、そういうこともある。

和人はそれを、どこかで知っていた。


この世界線の二人は、壊れはしなかった。

ただ、燃え上がりもしなかった。

ゆっくりと近づいて、ゆっくりと確かめ合って。

きっといつか恋人になる。

きっと穏やかに続く。


それは幸せの形のひとつだ。

でも、本編の二人が持っていた、あの“会う前に心が会ってしまった熱”は。

この世界線には、最後まで生まれなかった。


だからこそ、もしこの世界線の真子が、ふと空を見上げて思うなら。

「遠回りも、必要だったのかもしれない」

そう呟くかもしれない。


嘘から始まったからこそ、嘘じゃない心が育った。

遠回りしたからこそ、窓際の席が特別になった。


そして本編の世界線へ、物語は静かに戻っていく。

“君は彼女で、私は彼だった”という、あの不器用な最短距離へ。

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