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マッチ率100%の二人だが、君は彼女で私は彼だった  作者: naomikoryo


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第35話:”千佳”を探して

五月十一日木曜日。

目覚ましが鳴る前に、私はもう起きていた。

カーテンの隙間から入る光が、いつもより白く感じる。

休暇明けの朝って、だいたいは身体が重いのに、今日は逆だった。

身体は眠りを欲しがっているのに、心だけが先に起きて、勝手に走り出している。


(今日、いる。

同じ百貨店に。

名前も顔も知らないけど、いる。

それだけで、喉の奥が乾く)


昨夜のLINEで、千佳が男だと分かった。

そして私が女だと告白した。

お互いに、異性の振りをしていた。

その事実は、驚きよりも「やっぱり」と「よかった」が同時に押し寄せて、泣きそうになった。

(ひとりじゃなかったんだ)

そう思えたのが、たぶん救いだった。


でも、分かったのは“そこまで”だ。

彼の本当の職場の部署も、売り場も、名前も、年齢も知らない。

私のことはたぶん分かる。

だって私は女で、彼は“女の千佳”を探すはずだから。

女のスタッフの中から、きっと私を見つけてしまう。

でも私は、男の人の中から“千佳”を探すことになる。

それがどれほど難しいか、考えなくても分かる。


(私だけが、分からない。

いや、分かる可能性はある。

でも、その可能性に全部を賭けて、今日一日働くのか)


髪をまとめながら鏡を見る。

普段よりきっちり結ぼうとして、結局いつもの位置に落ち着いた。

メイクも、手が慣れているのに今日は妙に丁寧になってしまう。

リップの輪郭を整えながら、ふと笑ってしまった。

(誰に会うつもりなの)

自分にツッコミを入れて、少しだけ落ち着く。


◆◇◆


出勤。

百貨店の従業員口を通る時の消毒液の匂いが、今日はやけに強い。

バックヤードの床のワックスが光っている。

視界の端に、たくさんの社員証ストラップ。

男性の背中。

スーツの肩。

歩幅。

私の目は勝手に「千佳」を探してしまう。

(違う。

千佳は男だ。

じゃあ、“千佳だった男”を探すんだ)

頭の中で言い換えてみても、やっぱり現実味がない。


午前中、私は受付へ用事があった。

同期の山瀬琴美がいる場所。

受付カウンターの端に、琴美の姿を見つけた瞬間、胸が少し緩んだ。

職場の中で、唯一この件を話せる相手。

その存在は、心の避難口みたいだった。


「真子、久しぶりに“平日の朝の顔”してる」

琴美が小声で笑う。

「なにそれ」

私は笑い返しながら、周囲に聞こえない距離まで近づいた。


「琴美、ちょっとだけ時間ある」

「あるある。

どうしたの」


私は一度、息を吸ってから言った。

「例の人。

……やっぱり、嘘ついてた」

琴美の目が丸くなる。

「え、まじ。

どっちの嘘」

「両方」

私が短く言うと、琴美は口元を手で覆って、声にならない笑いを漏らした。


「え、ちょっと待って。

“千佳さん”も嘘ついてたの」

「うん。

千佳は男。

……で、私は女」

「情報量」

琴美は笑いながらも、すぐ真顔になった。


「で。

今日、探すの」

「……探すっていうか」

私は言い淀む。

探すと言った瞬間に、何かが壊れる気もする。

でも、もう同じ百貨店だと分かってしまった。

休み明けに働けば、嫌でも視界に入る。

「気づけたら、って言った」

そう言うと、琴美は頷いた。


「名前とか部署とか、何も聞いてないの」

「うん。

何も」

「年齢も」

「うん」

「じゃあ、詰んでない」

「……詰んでる」

二人で小さく笑った。


琴美は顎に指を当てて考える。

「男で、千佳って名乗ってた。

百貨店の従業員設定。

しかも“総合職の男”の私と話が合うように会話してたんだよね」

「うん」

「じゃあ、総合職っぽい部署の人かもしれないし、現場と関わる人かもしれない。

ただ、総合職って幅が広すぎる」

「そうなんだよ」


琴美は受付の端末をちらっと見て、声を落とした。

「候補だけなら、出せるかも。

最近、化粧品にやたら詳しい男の人、何人かいる」

その言い方が妙にリアルで、心臓が跳ねる。


「例えば誰」

「販促の佐伯さん。

あと、外商の若い人。

それから、紳士服の責任者の補佐の人」

琴美は指を折って数える。

「でも決定打がない。

あなたが男の顔を覚えてないなら、こっちも確定できない」


私は首を振る。

「顔は……見てない。

見てないのに、近くにいる気がしてる」

自分で言っていておかしいのに、嘘じゃない。

琴美は少しだけ眉を下げて、優しく笑った。


「真子、あんたさ」

「なに」

「今、恋してる顔してる」

「やめて」

私は思わず琴美の腕を軽く叩いた。

でも否定できなくて、喉が痛い。


「恋っていうか」

私は言い直す。

「……会ってみたい。

友達でいいから。

同性だったら、もっと簡単だったのにって、昨日も話した」

琴美は頷いて、少しだけ真面目な声になった。

「でも実際は異性同士だもんね」

「そう」

「じゃあ余計に、会ったら変わるって思っちゃう」

「そう」


琴美は小さく息を吐く。

「じゃあ、今日は私がそれっぽい人見かけたら、こっそり連絡する。

真子は売り場で仕事しながら、無理しない程度に見て。

……でも、仕事はちゃんとね」

「うん」

私は頷いた。

頼れる友達がいるだけで、足元が少し固くなる。


◆◇◆


午前中の仕事は、普段よりも早く過ぎた。

忙しいふりをしているわけじゃないのに、手が止まらない。

視界の端で男性社員が通るたび、胸が反応する。

そのたびに自分を叱る。

(違う。

今日の私は、化粧品売り場の新堂真子。

仕事をする)


昼過ぎ、在庫確認の支援を頼まれた。

売り場の一角で欠品が出ていて、急ぎで棚卸しが必要らしい。

私は在庫表を持って、化粧品売り場へ向かった。

あの場所は、私のホームでもあるのに、今日は別の意味で心拍が上がる。

(千佳だった男が、ここに来る可能性は高い。

販促でも、企画でも、現場に顔を出す)


化粧品売り場はライトが白い。

肌を美しく見せるための光が、逆に緊張を浮き彫りにする。

香水の匂いと、乳液の甘さと、アルコールの揮発が混ざった空気。

カウンター越しに笑顔が並び、紙袋が小さく擦れる音が絶えない。

その喧騒の中で私は在庫表を広げ、スタッフと短い確認を繰り返した。


「新堂さん、これも確認お願いできます」

「了解」

私はペン先で番号を追いながら、棚の奥を覗く。

目の前の仕事に集中しないと、心が別の方向へ飛んでしまう。

(探すな。

探すな。

探しても、分かる情報がない)


そう思っていたのに、ふと背後に人の気配が差した。

空気が少し変わる。

人が近づく時の、わずかな圧。

私は反射的に顔を上げた。


スーツの男性が、販促資料らしき薄い束を持って立っていた。

ネクタイは落ち着いた色。

派手じゃない。

でも清潔感がある。

目立つタイプじゃないのに、視界の中心に吸い寄せられる。

そして胸元の名札に、はっきりと書かれていた。


佐伯和人。


(佐伯。

琴美が言ってた名前)


頭の中の点が一つ繋がる。

でも、繋がった瞬間に怖くなる。

もしこの人だったら。

もし違ったら。

どちらでも、私の心は揺れる。


「すみません、販促の件で担当の方いらっしゃいますか」

声は低すぎず高すぎず、仕事のトーン。

その“過不足のなさ”が、妙にLINEの文章のテンポに似ている気がしてしまう。


私はスタッフに視線を送って、資料を受け取る役目を譲った。

でも、目が勝手に佐伯さんを見てしまう。

(この人かもしれない。

“千佳”だった人かもしれない)


そう意識して相手を見たのは、初めてだった。

これまでも仕事で同じ空間にいたことはある。

ただ、その時は“ただの同僚”の一人だった。

でも今日は違う。

“千佳”という名前の奥にいた誰かを、重ねてしまう。


(背が高い。

でも威圧感はない。

目線の置き方が丁寧。

話す時、相手の反応を待つ間がある。

……文章みたいだ)


心臓が跳ねる。

在庫表の数字が一瞬読めなくなる。

指先が冷たくなるのに、頬だけが熱い。

(落ち着け。

落ち着け。

ただの同僚。

ただの、佐伯さん)


支援の作業がひと段落した頃、佐伯さんは資料の確認を終えたらしく、売り場の端からバックヤードへ戻ろうとしていた。

私は棚の前で、在庫表を閉じるふりをしながら、その背中を目で追ってしまった。

背中。

肩。

歩幅。

少しだけ内側に入る足先。

急がないけれど遅くもない、落ち着いた速度。


(背中が、知ってる気がする。

川沿いのカフェで見た横顔の、延長みたいな)


自分の行動が自分でも怖い。

誰かに見られたらどうする。

でも、止められない。

まるで確認するみたいに、背中に視線を刺してしまう。


その瞬間。

佐伯さんがふいに振り向いた。

突然の動きに、息が止まる。

目が合った。

一秒。

二秒。

たぶんそんなに長くない。

でも私の中では、時間がゆっくり流れた。


佐伯さんは、軽く微笑んだ。

仕事上の社交辞令の笑み。

それなのに、胸の奥の固いところがほどける。

(あ。

この笑い方、見たことある。

画面の向こうで、何度も受け取ってきた“やさしさ”の形に似てる)


彼はそのまま何も言わずに、通路の奥へ消えていった。

残ったのは、ワックスの匂いと、売り場のライトの白さと、私の鼓動だけ。


(今の、なに。

ただ目が合っただけ。

ただ笑っただけ。

それなのに、どうしてこんなに苦しい)


在庫表を持つ手が少し震えて、紙がかすかに音を立てた。

私は深呼吸をして、周囲のスタッフに気づかれないように笑顔を作る。

仕事に戻らなきゃいけない。

でも心は、もう通路の奥に持っていかれている。


(佐伯和人。

この人が“千佳”かもしれない。

もしそうなら、明日。

明日…?

明日、どうなるの?)


彼は軽く微笑んで行ってしまった。

その無防備なやさしさが、逆に刺さる。

私は男のふりをして、彼に言葉を投げていた。

彼は女のふりをして、私に言葉を返していた。

そして今、現実の彼が、現実の私に微笑んだ。

それは、嘘の世界が現実に滲み出た瞬間みたいだった。


(あの人が千佳なら。

私は、気づいた。

でも、彼は私に気づいたのかな。

“男のリョウ”としてじゃなく、“女の真子”として)


◆◇◆


夕方の売り場は、帰宅前の客が増える。

私は接客の笑顔を作りながら、頭の隅でずっと同じ名前を転がしていた。

佐伯和人。

そして“千佳”。

二つの名前が、同じ人の中で重なりそうで重ならないまま、揺れている。


(明日、もし私がまた彼を見つけたら。

もし彼が私を見つけたら。

私たちは、ちゃんと本当の名前で呼び合えるのかな?)


閉店前の通路の光が少し落ちる。

ワックスの匂いがまた強くなる。

私は売り場の端で、小さく息を吐いた。

今日、決定的な証拠は何もない。

でも、心の中ではもう、答えが固まりかけていた。


(たぶん、あの人だ。

そして私は、もう戻れない)

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