5部 第15話『俺達のその先へ(最終話)』
【前回のあらすじ】
レヴェリオが生み出した六機目を加え、ライジング・ジャスティスガーディアンはエルゴスの分身を撃破した。しかし、ノクタリアを吞み込む電子の楽園は止まらない。ポルクとエルザを救った三魔王は、ライガが差し出した掌の中で文字にほどけ、消えてしまった。
※本作品の執筆にはAIを活用しています。
*
音が、消えた。
痛みが、消えた。
グリムが目を開けると、そこは果てしなく続く純白の空間だった。
足元には、無機質な青白い文字列で構成されたリドラムの広場が広がっていた。菓子屋の屋根も、井戸の縁も、すべてがデータコードの輪郭だけで保たれていた。空もなければ、風もない。
「……なんや、ここは」
グリムが井戸の縁を殴りつけた。だが、拳は音も立てずに透過し、赤い文字のノイズが散るだけだった。熱も、痛みも、何の感触もない。
ふと視線を向けると、見覚えのある人々が立ち尽くしていた。
リドラムで自分に食ってかかった男。いつもパンを焼いてくれた店主。エセリアで妹を探していた老姉妹。だが、彼らの瞳には何の感情も宿っていなかった。
「おい、お前ら! 聞こえとるか!」
叫んでも、誰も振り向かない。女が井戸の向こうで靴を片方だけ履いて泣いている子供へ近づこうとし、五歩歩いたところでフッと姿が消え、元の位置にリスポーンした。子供はもう、泣き声すら上げていなかった。
「……私も試した。どの道を進んでも、この広場にループする」
ネビュロスが、静かにグリムの背後へ歩み寄った。その指先から垂れた青い魔力の糸が、空間の果てで途切れている。
「ここは電子の楽園。肉体から切り離され、記憶と感情を『ノイズ』として削除される処理空間だ」
「いつもなら、あの子に蝶の一匹も見せてやれるのにね」 ヴェルミリオンが指を鳴らした。何も出なかった。彼は自嘲気味に笑い、手を下ろす。
「怒りも、悲しみも、全てがフォーマット(初期化)されていく。僕たちもいずれ、あの人たちのように白紙のデータになるんだろうね」
グリムの視線の先で、フロスティアから取り込まれたエナとリトが立ち尽くしていた。
「先生……僕、もう、怖くないよ。何も、思わないから……」
リトが、虚ろな声で呟く。エナもまた、感情のない瞳で宙を見つめていた。
「アホ抜かせ!!」 グリムが吠えた。声は虚空に吸い込まれ、響かない。
「心まで白紙にされてたまるか! 俺らは……まだあいつらと帰る約束しとるんやぞ!!」
グリムは燃えない拳を強く握りしめた。絶望的な白の世界。だが、彼らの瞳から抗う光は消えていなかった。
*
現実世界。
六機の機体が合体した巨神、ライジング・ジャスティスガーディアンが、泥水に塗れて川底に這いつくばっていた。
「グリムゥゥゥゥッ!!」
ライガの絶叫がコクピットに響き渡った。
仲間を、救うべき人々を目の前でデータとして奪われた絶望と怒り。それが理性を焼き切り、ライガの全身から制御不能なまでの白炎が間欠泉のように噴き上がる。
『無駄だ。感情に呑まれた時点で、お前はただの処理すべきバグに等しい』
エルゴスの無機質な声が響き、空間が歪む。黒い光線の雨が、ガーディアンを串刺しにせんと降り注ぐ。
「死なせねぇ! あいつらは、まだあそこにいるんだ!!」
ライガは、被弾を覚悟してライジング・ジャスティスガーディアンを突っ込ませた。
だが、エルゴスの腹部から無数の黒い機械腕が射出され、ガーディアンの手足を絡め取った。 『非合理な熱だ。だが、それ故に脆い』
万力のような拘束。機体がミシミシと悲鳴を上げる。
「ライガ、落ち着け! 機体がもたない!」
レクスが盾の出力を最大に引き上げ、アシュレイが右腕のバーニアを吹かしてガーディアンの姿勢を強引に保つ。セイジが演算を回し、次々と迫る機械腕の軌道を逸らした。
「一人で背負うなと言ったはずだ! 私たちもいる!」
仲間たちの叫びに、ライガは肩で息をしながら、血の滲むモニター越しにエルゴスを睨みつけていた。
その時。
レヴェリオが、自らの胸の輪を両手で強く押さえた。
紫の雷がアンテナのように天へ伸び、機体の計器が激しく明滅する。
「……聞こえる。データの中に閉じ込められた、みんなの声が……!」
彼女は、エルゴスのシステムの一部として生まれた存在。だからこそ、デジタル・エデンという強固な檻の周波数を、唯一拾い上げることができたのだ。
「レヴェリオ! 繋がるのか!?」 カイの問いに、彼女は力強く頷いた。
「グリム! ネビュロス! ヴェルミリオン! 聞こえる!?」
*
『グリム! 聞こえる!?』
白い空間に、レヴェリオの悲痛な声が響いた。
グリムがバッと顔を上げる。
「レヴェリオか! ライガたちは無事か!」
「みんなボロボロだけど、まだ戦ってる! でも、このままじゃ……」
ネビュロスは言った。
「ここはデータの世界……ならば、我々の魔力も、意思も、『情報』として変換できるはずだ」
「そういうことかい」 ヴェルミリオンが、不敵に微笑んだ。
「僕たちの肉体は消えた。でも、魂まではデリートされてない。……デジタルの海から、最高の衣装を送ってあげようじゃないか」
グリムが、拳を打ち鳴らした。
「ええ案や! デジタルには、デジタルの力で対抗したる! エデン化されたこの力、全部お前らにくれてやるわ!!」
三魔王の魂が、白い空間で強烈な光を放った。
赤、青、紫の膨大な魔力データが、レヴェリオの通信回線を通じて、現実世界へと逆流していく。エデン化された人々の「生きたい」という微かな願いさえも巻き込んで。
*
「来る……!!」 レヴェリオが操縦席で両腕を天に掲げた。
エルゴスの頭上、黒く淀んだ空がパカッと割れ、三色の極光が滝のように降り注いだ。
それは、失われたはずの三魔王の力。
デジタルの海から逆流した魔力データが、ライジング・ジャスティスガーディアンの装甲へと収束していく。
「グリム……お前ら……!」 ライガのコクピットに、グリムの呆れたような声が響いた。
「一人で勝手にキレてんちゃうぞ、ライガ。俺らはまだ死んでへんわ!」
「君たちの足りない力、私たちが補おう」
「さあ、アンコールの時間だ!」
ネビュロスとヴェルミリオンの声が続く。
ライジング・ジャスティスガーディアンのOSが、書き換えられていく。パイロットたちのコンソールに、新たな機体制御のパラメーターが赤、青、紫の光と共に浮かび上がった。
「カイ! レヴェリオ! みんな! 合わせるぞ!!」
「「「「「「おう!!」」」」」」
合体のシークエンスが、機体の限界を完全に解除した。
「いくで、アシュレイ! 右腕、全部開けや!」「おうよ! 最高に熱くしてくれ!」
ガーディアンの右腕を構成するアシュレイ機に、グリムの黒炎のデータが憑依する。高熱のマグマが装甲の隙間から溢れ出し、それが外気に触れて急速冷却されることで、超硬度の『黒曜石の溶岩装甲』が右腕全体を重厚に覆い尽くした。肘には爆発的な推進力を生む排熱筒がせり出す。
「レクス。その盾、私の氷でさらに分厚くするぞ」
「任せた! 絶対の盾を見せてやる!」
左腕の盾を構成するレクス機に、ネビュロスの絶対零度のデータが定着する。大盾の表面に幾重にも蒼銀の氷晶が展開され、城壁のような『蒼銀の巨大氷盾』へと変貌。周囲の川の水すらも瞬時に凍てつかせる冷気を放つ。
「セイジ、演算の同期を。僕の幻惑で、敵のセンサーを完全に狂わせるよ」
「理解した。現実と虚構の最適解を弾き出す」
背部のジョイントに、ヴェルミリオンの幻惑のデータが接続される。カイの白翼とレヴェリオの黒翼の間に、巨大な『紫の妖翅』が展開された。三対六枚の翼が揃い踏み、紫の鱗粉が空一面に降り注ぎ、ガーディアンの姿を幾重にも乱反射させる。
「「「「「「「「「魔正究極合体! トリニティ・クロス・ガーディアン!!」」」」」」」」」
現実とデジタルの壁を越えた、九つの魂の結晶。
極彩色の光を放つ究極の巨神が、大気を震わせる名乗りと共に、ノクタリアの大地に降臨した。
『無駄な足掻きを……! 不確定な感情など、私が全て均一化してやる!』 エルゴスが、全方位から空間を削り取る黒い絶死の光線を放つ。
「感情をバグだっていうなら、教えてやるよ!」 アシュレイとグリムの同期操作で、右腕の溶岩装甲が火を噴いた。
「これが、俺たちが生きてる証だ!!」
巨大な黒曜石の拳が、黒い光線を真正面から粉砕する。
「痛みも迷いも、すべて背負って人は前に進む!」 レクスとネビュロスが盾を掲げる。蒼銀の氷盾が、エルゴスの重力圧壊を空間ごと氷結させ、完全に弾き返す。
「君の計算式には、この輝きは永遠に理解できないさ!」
ヴェルミリオンの幻影とセイジの演算が完璧にリンクし、エルゴスの死角を突く神速の双剣が、巨体の関節を次々と切り裂いていく。
『なぜだ……! 完璧な秩序の前で、なぜこれほどまでに足掻く!!』 エルゴスが絶叫し、胸の赤いコアから全てを無に帰すエネルギー波を放とうとする。
「お前の秩序は、誰も笑わないただの墓場だ!」 ライガが、白炎を宿した大剣を上段に構えた。
「俺たちは、泥まみれになっても、泣いて、笑って、自分の足で歩く世界を選ぶ!」
「行け、ライガ!」 カイとレヴェリオが、白と黒の翼の力を剣の刀身へと注ぎ込む。
グリム、ネビュロス、ヴェルミリオンの魔力データが、さらにその刃を極大に拡張させる。
「これが、俺たちの……答えだァァァッ!!」
「「「「「「「「「反逆鉄拳ッ!!!」」」」」」」」」
九人の魂を乗せた、極彩色の絶対刃が、大剣の形をした『拳』となって振り下ろされた。
それが、エルゴスの巨体を、空間の歪みごと、真っ向から両断した。
ズバァァァァァァァンッ!!!
エルゴスの身体が、光の粒子となって崩壊していく。
老人の顔をしたデータが、最後にライガたちを見上げた。
『……これもまた、人類の選択か。
……だが、忘れるな。感情がある限り……争いの火種は、決して消えはしない……』
「ああ。分かってる」 ライガは、消えゆくエルゴスに静かに、だが確かな覚悟を持って告げた。
「それでも俺たちは、間違えるたびに、何度でもやり直すさ」
エルゴスの残滓が、ノクタリアの夜明けの空へと完全に霧散した。
*
エルゴスの消滅と同時に、ノクタリアを覆っていたデジタル・エデンのシステムが崩壊していく。
空から光の雨が降り注ぎ、データ化されていたリドラムの街や人々が、次々と現実世界へと実体化して戻ってきた。白紙にされていた人々の瞳に、戸惑いと、確かな感情の光が戻っていく。
大空にそびえ立っていたトリニティ・クロス・ガーディアンを包む極彩色の光が、ゆっくりと解けていく。
役目を終えた巨神は六機の機体へと分離し、朝日に照らされた川原へと次々に着陸した。
各機のハッチが開き、ライガ、カイ、レクス、セイジ、アシュレイが地上へと降り立つ。
「「「「「強制解除!」」」」」
五人の腕にあるデバイスから光が放たれ、身を包んでいた正義を象徴する赤い装甲が粒子となって空へ溶けていく。満身創痍の生身へと戻った彼らは、肩で息をしながらも、自分たちが取り戻した朝焼けの空を見上げた。
「……終わった、のか」 レクスが、信じられないものを見るように呟く。
「ああ。私たちの勝ちだ」 セイジが、小さく、だが確かな笑みを浮かべた。
その時、五人の頭上で、虹色のデータコードが渦を巻いた。
デジタルの海から引き上げられた膨大な魔力と魂のデータが、光の粒子となって岸辺へ降り注ぎ、肉体の輪郭を形作っていく。
「……ハァ、ハァ……。ほんま、死ぬか思たわ……」
実体化したグリムが、ドサリと仰向けに倒れ込んだ。ごつごつとした土の感触を背中に確かめ、大の字に寝転がる。
「やれやれ、最高のカーテンコールだっただろう?」 ヴェルミリオンが砂埃を優雅に払いながら立ち上がる。
「論理的ではないな。だが、悪くない気分だ」
ネビュロスが静かに割れた片眼鏡を懐へしまいながら、ふっと息を吐いた。
「グリム! ネビュロス! ヴェルミリオン!」 ライガが声にならない叫びを上げて駆け寄った。
アシュレイは弾かれたように走り出し、地面に寝転がるグリムの胸ぐらを掴むようにして強引に引き起こすと、そのままガシリと力強く抱きしめた。
「痛ってぇ!? 何すんねんアホ!」
「テメェら……! 本当に、本当に戻ってきやがったな、この馬鹿野郎!!」
アシュレイの目から大粒の涙が溢れ、煤だらけの顔をくしゃくしゃにしている。
「暑苦しいわボケ! 離れろ、怪我が開くやろが!」 悪態をつきながらも、グリムはその背中に回された腕を振り解こうとはしなかった。
かつての敵同士が、互いの生還を心から喜び合い、傷だらけの顔で笑い合っていた。そこにあるのは、共に死線を越えた仲間としての、揺るぎない絆だった。
だが、カイはその歓喜の輪から離れ、周囲を見渡していた。
少し離れた場所で、レヴェリオの機体から降り立った彼女は一人、夜明けの空を見上げていた。
その身体は、淡い光の粒子となって、足元から透け始めていた。
「レヴェリオ! お前、身体が……!」 カイが慌てて駆け寄り、手を伸ばす。だが、その指先は彼女の肩をすり抜けた。
「……システムの核が消えたからね。私を繋ぎ止めていた力も、もうおしまい」 彼女は、寂しそうに微笑んだ。
「待て……行かないでくれ……! これからだろ!」 カイの顔が、涙で視界が歪む。
かつての親友だった少年は、何も言えずに自分の前から消えた。その時の喪失感がカイを狂わせた。また同じように、自分を置いて消えてしまうのか。
「泣かないで、カイ」 レヴェリオは、すり抜けることを知っていながら、両手でカイの頬を包み込むような仕草をした。
「あの日、君がエルゴスの手を取った時、私は君の隣から逃げた。君が間違えていくのが怖くて、何も言わずに消えた。……ごめんね。そして半年前、君の中から出た時も、君を傷つけた。だから今回は、ちゃんと君の目を見てお別れを言いたかったんだ」
「レヴェリオ……」
「君が自分の足で歩き出せたこと、自分の間違いを認めて仲間と立てたこと……本当に嬉しかったよ。私が君を全肯定しなくても、君にはもう、ちゃんと叱ってくれる仲間がいる」
レヴェリオは、薄れゆく両手を胸の前で組んだ。
「私の残る力……一つだけ、返さなきゃいけない場所がある」
彼女の視線が、遥か遠く、リドラムの広場へと向けられた。
「エルゴスが作った実験体の兵士たちを癒すことは、君たちがやってくれるって信じてる。だから私は、私が自分のエゴで奪ってしまったものを、返す」
半年前、リドラムの広場で、息子を捜す父親の願いを無視し、「自分の正しさ」を押し付けて、彼女自身が首を折って殺してしまった名もなき兵士のことだった。
「私の傲慢な『正義』で、命を奪ってしまったあの人に……この命を返す。それが、私がこの世界に残せる、最後の責任だから」
彼女の胸の輪から、強烈な光が空へ向かって撃ち出された。
光はノクタリアの空を渡り、リドラムの霊安室へ。エルザたちが遺族への返還のために、氷の魔術で腐敗を防ぎ安置していたあの兵士の遺体へと降り注いだ。
兵士の胸が大きく波打ち、ゴホッ、と息を吹き返す。
「これで……少しは、やり直せるかな」
レヴェリオの姿が、朝日に溶けていく。
最後に、彼女はカイに向けて、あの図書室で初めて出会った時と同じ、親友としての無邪気な笑顔を向けた。
「カイ。君だけの閉じた世界じゃなくて、みんなが泣いて、怒って、笑う世界を生きて。……さよなら、私の、たった一人の友」
光の粒子が、風に乗って空へと舞い上がった。
完全に消滅した彼女の跡には、何も残っていなかった。
カイは、二度目の別れを、今度は決して目を逸らすことなく、最後まで見届けた。
「……ああ。約束する。さよなら、レヴェリオ」
光が消えた空に向かって、カイは静かに涙を流した。
ライガは何も言わず、その肩にそっと手を置いた。
*
それから数日後。
リドラムの第1区から第6区まで、全ての収容施設から完全に解放され、収容されていた多くの人々が外の世界へと歩み出た。
広場は、記憶を戻され、家族との再会を果たす人々の喧騒と涙に包まれていた。
その広場の一角で、ライガたちレッドと三魔王は、並んで住民たちと向き合っていた。
レッドたちは赤い装甲を纏っていない。生身の、ただの人間としてそこに立っていた。
「俺たちがやったことは、消えない。許してくれとは言わない」 ライガが、真っ直ぐに住民たちへ告げた。
「俺たちは、独りよがりな正義で、あんたたちの暮らしを壊した。……だが、この街を、この世界を立て直すために、俺たちの力を使ってほしい。一生かけて、償っていく」
グリムが一歩前に出た。
「俺らもや。お前らを巻き込んで街を壊したこと、無かったことにはせえへん。文句があるなら、いつでも俺らのとこに来い」
住民たちの反応は様々だった。
「信じられるか! お前らのせいで家が焼けたんだぞ!」
一人の男が石を投げつけた。石はライガの額に当たり、血が滲む。だがライガもグリムも、避けることも顔を拭うこともしなかった。
無言で背を向けて立ち去る者もいた。恐怖の対象だった魔王たちを、まだ遠巻きに警戒する者も多い。
だが、中には彼らの前まで歩み寄り、ぶっきらぼうに声をかける者もいた。
「……謝って済む問題じゃねえ。だが、復興には人手が要る。瓦礫の片付け、手伝えよ」
それは、彼らを英雄として称える言葉ではない。だが、共に生きていくことを許容する、小さくも確かな第一歩だった。
「ああ。いくらでも手伝う」 アシュレイが、額の汗を拭いながら笑った。
全員が賛同するわけではない。憎しみも、恐怖も残っている。
魔法のように一瞬で全てが綺麗に解決する世界など、どこにもないのだ。
それでも、彼らは逃げずに、一つ一つの問題と向き合っていくことを選んだ。
正義を押し付けるでもなく、悪として開き直るでもなく。
彼らは、不器用な人間として、この街からもう一度歩き始める。
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月日が流れ――あれから、十年が経った。
ノクタリアの各都市は、かつての支配の傷跡を癒し、人間と魔族が互いの文化を尊重しながら復興を遂げていた。
彼らもまた、それぞれの場所で、自らの罪や弱さと向き合い続けている。
セイジは、情報ネットワークの管理と復興支援システムの構築を担っていた。
かつての彼は「効率」と「数字」を至上とし、非合理な人間を損切り(ロスカット)することで完璧な社会を作ろうとした。だが今の彼が設計するシステムには、あえて多くの「余白」が残されている。効率が悪くても、誰か一人を取りこぼさないためのフェイルセーフ。人間の感情という「バグ」を許容し、支え合うためのネットワークだ。彼はもう、計算式だけで世界を測ることはない。
レクスは、自衛組織の教官として、新しい世代の戦士たちを育成していた。
かつての彼は、考える責任から逃れるために「マニュアル」と「絶対的な法」にすがり、思考停止の番人となっていた。今の彼が若者たちに教えるのは「命令を疑え」ということだ。誰かに与えられた正義ではなく、自分の目で見て、自分の頭で考え、誰を守るべきかを自分で決める。自ら責任を背負える者だけが、本当の盾になれるのだと。
アシュレイは、各地を飛び回る運び屋として、トラックのハンドルを握っていた。
「いいね」の数や、不特定多数からの称賛(承認欲求)を満たすために派手な炎を上げていた彼はもういない。作業着姿で、辺境の村へ物資を届ける。誰も見ていないし、誰も彼を英雄とは呼ばない。だが、荷物を受け取った老婆から貰う「ありがとう」というたった一言で、今の彼は心の底から満たされていた。
エルザとポルクは、リドラムの町外れで小さな工房を開いていた。
かつて彼らの技術は、魔族の命を搾取し、人を傷つける兵器として使われた。その罪の意識は一生消えない。だが、二人は技術を捨てるのではなく、義手や義足、インフラの復旧デバイスなど、人々の暮らしを豊かにする「生かすための技術」へと転用し続けている。ポルクの眼鏡の奥には、確かな誇りが宿っていた。
ネビュロスは、フロスティアで再び教鞭を執っていた。
過去の悲劇に縛られ、未来を閉ざして時間を凍らせた彼だが、今は違う。エナもリトも大きく成長し、今ではネビュロスの助手として年下の子供たちの面倒を見ている。ミナたちと共に星の本の続きを描きながら、ネビュロスは子供たちの「変わっていく未来」を静かに見守るようになった。
ヴェルミリオンは、エセリアの復興を手伝う傍ら、魔族と人間が混成する小さな劇団を開いていた。
異端を排除する「同調圧力」によって弾き出され、世界への復讐として猛毒を撒き散らした彼。だが今の彼は、毒ではなく「幻惑」を使って、色鮮やかな蝶を舞わせ、誰も見たことのない美しい舞台を作り上げている。「人と違うことの美しさ」を教えるその劇団は、多様性を認める象徴として、ノクタリア中で大人気を博していた。
そしてカイは、政治の中枢に身を置き、各都市の代表と交渉を続けていた。
かつての彼は、対話の無力さに絶望し、たった一つの正解を力で押し付ける独裁者となった。だが今の彼は、どんなに効率が悪くても、意見の衝突を恐れずに対話を重ねている。罵声を浴びせられ、反対されても、決して逃げない。
彼の胸の奥には、レヴェリオとの最後の別れで交わした「泣いて、怒って、笑う世界を生きる」という誓いが、静かに、しかし力強く燃え続けていた。
*
ノクタリアの澄み渡る青空の下。
あの「赤の村」を見下ろす丘に、二人の男が立っていた。
建て直された村の家々の屋根は、十年の日差しで色褪せ、生活の活気に満ちている。朝の煙が上がり、どこかから鍋の蓋が鳴る音が聞こえた。
丘の上で、かつてのボロボロのコートではなく、使い込まれた厚手の革ジャケットを着崩したグリムが、右拳に赤いバンテージを巻いていた。
左手だけで端を結ぼうとして、二度しくじり、舌打ちをする。
ライガが黙って近づき、その端をスッと押さえた。
グリムは顔を上げたが、何も言わず、結び目を歯で咥えてギュッと締めた。
「殴られるんは自分やのに。律儀なやっちゃな」
「ほどけたせいで負けたって、あとで言い訳されたくないからな」
グリムがニカッと笑った。ライガも笑った。
だが、先に笑みを消したのはライガだった。
「なあ、グリム」
「なんや」
「この世界に、『絶対の正義』なんて最初からなかったんだな」
ライガは村を見下ろしながら言った。
「俺たちが押し付けていた正義は、誰かの涙の上に成り立ってた。カイの理想も、エルゴスの狂気もそうだ。上から押し付けられる綺麗事だけで、世界は救えない」
「当たり前や」 グリムが鼻で笑い、バンテージを巻いた拳を顔の前に掲げた。
「誰かが決めた『正しさ』なんて、窮屈で息が詰まるだけや。間違えたらぶん殴る。殴られたら謝ってやり直す。そうやって泥臭くぶつかり合って、少しずつマシな明日を作っていくんやろが」
「ああ、そうだな」 ライガが、グリムへ向き直る。
「誰かを泣かせて成り立つ正義なんて、俺たちが何度でもぶち壊す」
「おう」 グリムの口の端が、獰猛に釣り上がる。
「もしまた、世界が『絶対の正義』に縛られそうになったら……俺らが永遠の反逆者になったるわ」
互いに右拳ひとつぶん、間合いの外。
グリムが左の肩を僅かに沈めた。昔はそれに釣られて何度も隙をもらった。だがライガは肘を締めたまま、鋭く踏み込んだ。
この男の顔をこれだけ近くで見てからでは、もうどちらも退けない。
「飯、冷める前に終わらせるで」
「それはこっちの台詞だ!」
風が草を倒した。
ライガの右拳に、清冽な白炎が灯った。
グリムの右拳に、赤黒い黒炎が噴き上がった。
綺麗で完璧な正義に対する、最高で最悪な反逆者たち。
どこまでも青く続くノクタリアの空の下で。
二つの拳が、高らかな快音と共に、真っ向から激突した。
『アンチジャスティス -魔王戦隊ダークトリニティ-』 完
最後まで『アンチジャスティス ―魔王戦隊ダークトリニティ―』を読んでくださり、ありがとうございました。
前作『魔王戦隊ダークトリニティ』を、納得のいく形で終わらせられなかったことが、今作を書き直そうと思ったきっかけです。
今作のテーマは、社会にはびこる問題を戦隊のレッドたちに擬人化して風刺することです。そして、彼らが掲げる誤った正義を正す役目を、魔王たちに担わせることにしました。少し風変わりな発想から始まった物語でしたが、約一年をかけて、なんとか最後まで書き切ることができました。
途中、思うように文章が書けず、何度も挫折して作業を中断しました。それでも、ときどき全話を一気に読んでくださる方がいて、「なんとしても物語を完結させなければ」と思い直すことができました。そして最後の一か月は、魂を込めて執筆しました。
最終話の結末を決めるのにも、一週間以上悩みました。最後まで苦労の連続でしたが、こうして完結を迎えられて、本当によかったです。
ここまでお付き合いくださった皆さまに、心から感謝します。
2026/11/06 午前0時5分




